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 noteにおいて「すもも」師匠の記事がバズっています。
 そのバズりについてですが、すもも師匠の記事に対する批判記事が同じくnoteで書かれ、それに師匠が反応したことがきっかけではないかと思います*0
 この批判記事、「ののこ」師匠という若い女性によるものです。
 すもも師匠は、実のところ上の批評に対して「自分の記事に足りない部分を補完する、かなりの良記事であるものの、自分への人格攻撃が行われており、許容しがたい(大意)」との両価的な評価を与えていました(現在は削除)。
 事実、記事には「すもも師匠への人格否定を行う」旨が謳われ、穏やかでない様子だったのですが、実のところその辺りについてはすもも師匠のクレームを受けて訂正したようで、何だか肩透かし。
 ただ、それにしてもののこ師匠の論調はいささかショッキングだったので、それを中心に語ってみたいと思います。

*0 ののこ師匠の記事、削除なさったようです。師匠、先方の記事のコメント欄にぼくが書いた感想にも「スキ」をつけたりしていて、いい方なんですが、ひとまず、当エントリは今のところ、このままキープしておこうと思います。

 まず、すもも師匠の記事。
 これ自体について、ぼくはそれほどの感想を持ちません。
 実のところ、すもも師匠については最近、白饅頭が「育ててみたい」といった旨の発言をしており、それで少々注目してはおりました。
 確かに師匠の記事は常に豊富なデータに裏打ちされており、何というかブレーンにするには最適な人材だろう、といった印象を、ぼくも持ちます。
 しかし師匠の記事における結論(「男のつらさ」に対する処方箋)は三つ。

 ①女性の意識改革
 ②ソーシャルサポート強化
 ③現実逃避


 ①については後に述べるとして、②については、悪いことではないけれども、「男が社会とつながれない」ということに対しての解決策として持ち出されていることなので、「まずそもそも男のそうした特性についてどうにかすべきでは」「いや、それをも踏まえた社会保障を完備するには、まず最低でもフェミニズムを完膚なきまでに叩き潰すことが最低条件では」との感想を持ちます。つまり、いささか非現実的なように思える。
 また、師匠は③を起点に、フェミ批判(男に残された最後の資産である萌えキャラを奪うな)を行うのですが、ぼくはこれに全面的な賛同をすることはできません。
 これはいつも書いているように、オタク文化はある種、そうした状況への窮余の策として生まれてきた対処療法的な側面があり、男のつらさの完治には遠いことが一点、そして、リベラル陣営は近年、そうした事情を顧みず、むしろ「オタクは萌えアニメを与えておけば満足している存在だ」という一種の「牛丼福祉論」のバリアントのような形で「萌え」の悪用をするようになってきており、首肯できないというものです*1
 いえ、それ以前の問題として、これは今までさんざん言われていること。
 正直、新しい視点があるとは思えないのです。
 当該記事の読後感は、丁度、『矛盾社会序説』の読後感に近いのです*2
 すもも師匠も白饅頭も現状を暴く手際は鮮やかだが、それ以上のビジョンになると大したものがない。そもそもこうしたことは、十年ほど前の三浦展とか山田昌弘辺りがよく言っていたようなことで(すもも師匠自身、同氏について言及していたかと思いますが)、あまり進展がない。
 逆にいえばだからこそ、もしぼくの本が今の時代に出ていたら、或いは評価も変わったのかという気もしますが*3

*1 これについては繰り返し述べているので、略します。詳しくは「敵の死体を兵器利用するなんて、ゾンビマスターみたいで格好いいね!」を参照。
*2 これも詳しくは「矛盾社会序説――表現の自由クラスタの、矛盾だらけの著作がネットを縛る」を参照。
*3 今も電子書籍で買えます。買ってね。

 では、これに対するののこ師匠の批評はどうでしょう。
 まず若年層の自殺率の増加というデータから、すもも師匠は男性のつらさについて論じています。しかしそれに対してののこ師匠は20歳未満の男性の自殺率が近年、微減していることを指摘し、

つまり、割合だけを重視するなら『未婚男性』が所属している成人男性グループ自体は終わりを選択するほどつらくは無くなって、その分成人女性がつらくなって来たとも言えてしまう。


 としています。
 しかし、(これはすもも師匠にも言えますが)20歳未満の自殺を「未婚」と結びつけるのは無理がある。「非モテ」には結びつけ得るだろうけど、そうなると全年齢でそう言えるとも言ってしまえる。また、そもそもののこ師匠が指摘する通り、数百人という母数で全体を語れるのかという根本的な疑問もつきまといます。
 また、すもも師匠が「(男女の)どちらが楽しみが多いか、という質問の答え」で女性の方が「楽しみが多い」と答える者が多い、とのアンケート結果を出してきているのにも、「まず根本的な問題として、質問の意味が不透明である。」とばっさり。確かにこれは、曖昧に過ぎます。
 もっとも師匠、「女性の方が幅広く娯楽に手を出すので、新しい娯楽を売り出す場合、女性をターゲットにした方が儲かりやすいからである。」と言った返す刀で「男性層の娯楽は大手で固まる傾向がある。」「あまりに日常的すぎて実感が湧かないかもしれないが、サッカー・野球・競馬なんかが恒常的にテレビ中継されているのが良い例である。」などと言っており、おいおい、矛盾しとるやんけ、と突っ込まずにはおれませんでしたが。
 そもそも、こんな抽象論を云々するよりも、男女のどちらの方が余暇の時間、投じるコストが多いかとか(当然、労働時間の長い男性の方が圧倒的に少ないでしょう)、テレビの視聴時間はとか(確か、日本女性は全世界でぶっちぎり一位だったはずです)、いくらでも持ち出せる数字はあるはずです。
 そして、ののこ師匠は以下のようにまとめます。

 私がこの段落を見た時に感じたのは、納得や現状への焦燥よりも、とにかく意地でも女性を攻撃したいんだなぁという悲しみだった。


 ( ゚д゚)ポカーン
 え……?
 何で?

 さて、すもも師匠の③にまつわるフェミニスト批判に、ののこ師匠はどう応えているでしょう。

 イメージがつかない人もいるかとは思うが、オタクカルチャーは女性にとっても救いになるものだ。


 ( ゚д゚)ポカーン
 え……?
 師匠は「(文意が取りにくいのですが、恐らく)オタク女子の活動も経済効果を持っていること」、「オタク女子もいわゆる美少女系を好む者が少なくないこと」をもって、批判しているのですが、そんなことを今さら言われても(ただ、いわゆるBLは美少女系に比べそれほど経済効果がないことを小耳にはさんだことがあります。今は違うかもしれませんが)。
 実のところののこ師匠の文章全体に横たわる根本的な問題ですが、師匠、「フェミニスト」と「女性」とを実に雑に混同し、フェミニズム批判を女性全体への攻撃なのだ、と言い募っています。そもそも「オタクカルチャーは女性にとっても救いになる」のであればそれを否定するフェミニストこそ、女性の敵でしょう。
 にもかかわらず、ののこ師匠はこんな意味不明なことを言うのです。

 (引用者註・萌えキャラへの攻撃は)当然解決しなければいけない問題だが、フェミニストのくくりの問題にするのはずれている。モンスター”一般人”にオタクが苦しめられる、という具体例でしかない。


 ( ゚д゚)ポカーン
 え……?
 何で?
 この後、BLは男から攻撃を受けるぞとか何とか言い出すのですが、そんなん当たり前だろうとしか。モンダイは性的表現を女性差別だと言い募るフェミニズムが、膨大な予算を取って国家がかりで社会を破壊していることなのです(まあ、「ツイフェミ」攻撃ばかりに必死な表現の自由クラスタも、その意味ではののこ師匠と何ら変わりはないのですが……)。
 ははあ、こういうことを言うののこ師匠、頑迷なフェミニストなのだな。
 事実、この後、師匠は「オタク文化を攻撃してきたのは自称フェミニストだ」「フェミニストを一括りにすべきでない」と(表現の自由クラスタと全く同じ)お定まりの言い訳を続けます。
 ため息をつきながら、読み進めたのですが……。

 一方、「重視と選択と理想の違い」との節では、女性が男性に経済力を望む傾向についての反論が試みられています。
 と言っても、「理想なんていくらでも高くなり得るに決まっているのだ」との一言で、否定しているだけ。しかしその直後、すもも師匠の提示した年収と未婚率を比較したデータを自分自身で持ち出してくるのだから、壮大な自爆という他はありません。一目瞭然、年収の低い男性は結婚できない。それだけが事実です(ちな、このデータそのものは九州では東京に比べ、年収が低くても結婚しやすいとの主張のために持ち出されているのですが、ののこ師匠は「地方の方が金がかからないからだ、だから女の望みは理に適っているのだ」と主張します。いや、問題はそんな皮相的なことではなく、女が社会に進出しながら、一向に男を養わないことなんですが……)。

 実のところ、この後、ののこ師匠は以下のように明言しています。

 私は男女は違うものだと考えている。
(中略)
 男性の性格は攻撃的で理論を重んじ、女性の性格はヒステリックで悲観的だと考えている。


 師匠は反ジェンダーフリー論者であることが、ここでわかります。
 そう、少なくとも現代的な意味でのフェミニストだとは言い難いと、ひとまず考えざるを得ないのです。
 もっともこれに続き、「外国の男女平等運動が『男女の役割を尊重しあう』という主張によって促進された」と言っているのは、何かの間違いでしょうが……。
 以降、ののこ師匠はすもも師匠の「女性の意識改革」、つまり

 女性が自立心を持ち、経済力の獲得に積極的になり、経済力を持たない男性と支え合う気持ちを持つようになれば、男性は配偶者獲得や維持のために過度な経済的なプレッシャーを考えなくてもよくなる。


 との主張に対し、女性の労働意欲がさほどではないことを指摘、さらには女性は外で働くことに向いていない、とまで主張します。東京医大の男性優遇採点についても、女性の離職率の高さが原因としており、極めて冷静です。
 若い女性が、こうした主張をしていることに、ぼくは頼もしさのようなものを感じます。もっとも、本人も自分の主張を

 あまりに荒唐無稽な話すぎて信じられないかも知れない。


 とまで言っている辺り、こうした主張はかなり勇気の要るものなのでしょうけれど。
 この後、家庭を築くことが女性の幸福であることなどにも言及され、そこも頷けます。
 ただし、「女性の方が結婚に対する重みがあるんだから、無茶(意識改革という名の女性側の妥協の強要)を言うな(大意)」とも言っているのですが。
 ともかく、そんな女性ジェンダーの肯定が、師匠の特徴です。
 ぼくなどの反ジェンダーフリー論者に対し、左派の「男性差別クラスタ」が罵倒をしてくることがあります。「楽をしている主婦どもを擁護し、増やす気か」と。
 そんなこと言ったって、仮に「楽な主婦」が増えようと、男性の方も楽になるのであればwin-winではないかと思うのですが、「女性ジェンダーにアグラをかいた女性」への苛立ちは、わからなくもありません。
 というのも、実はこれ以降、「過剰な女性攻撃」という節以降、師匠の論調は極めて奇妙なものへと変貌していくのですから。
 先にもののこ師匠が「フェミニスト批判」を、それも単にフェミニストがオタクを攻撃していることに対しての批判を(しかも、そのフェミニストのオタク攻撃には与してもいない師匠が)「女性攻撃」であると言い募った箇所について、ご紹介しました。
 以下はそれ以上に奇怪な「女性攻撃」批判が展開されるのです。
 ここで批判されているのが、すもも師匠が「女性の意識改革」を(上にも述べた羅列の一番最初に持ってきて)求めていること。

 男性だけのコミュニティの欠陥の対処を、一番最初に女性に求めるのは順序違いだ。


 と言っていますが、そもそもすもも師匠は「女も男に経済力を求めるな」と言っているのですから、噛みあっていないどころの騒ぎではない。
 また、すもも師匠が「女性の意識改革」を一番に挙げたことを、一番プライオリティーが高いと設定しているのだと判断し、そこに異常なこだわりを見せます。

女性の結婚についての話を最初にもってくるというのは、そこに一番の責任を求めるというのは、あまりにも女性の自由を愚弄してはいないだろうか。
(中略)
女性の結婚についての話を最初にもってくるというのは、そこに一番の責任を求めるというのは、あまりにも女性の自由を愚弄してはいないだろうか。


 そんなこと言われたって、別にすもも師匠も統一教会の共同結婚式みたいなことをやろうと言っているのではないでしょう。
 また、②、③は言わば「結婚」という「最適解」を得られなかった「次善の策」ともいうべきなのだから、その意味でやはり二番、三番目に置くのが適切ということは言え、女のせいにするなと騒がれても、困ります(結婚できないのは「女」のせいではなく「フェミ」のせいなのですが、それを言ってもこの人、そこを区別しないだろうなー)。

 もう一つ問題に挙げるならば、すもも氏の書く文自体に女性へのヘイトが見え隠れする点である。①だけが”女性の意識改革”と銘打ってあるが、①~③の全てが社会の意識改革なのである。
①が女性の意識改革なら、②は男性の意識改革、③は未婚男性の意識改革になる。
 しかし、すもも氏は①だけを『女性の意識改革』と記した。というのはどうしようもなく事実である。
その書き方の差異で、筆者の女を悪者にしてやろうって気持ちを感じてしまう。


 ここまで来ると、何が何やらさっぱりわかりません。
 例えば①を「女性の意識改革」ではなく「非婚化の解消」とでも「男女共同参画の促進」とでも謳っておけば師匠もニッコリだったわけでしょうか。

 そして女性の意識改革という点においては、このヘイトまみれの記事は逆効果でしかない。


 お断りしておけば、ののこ師匠自体、「女性の意識改革」も必要だと認めています。しかし本節においてはただひたすら順番がけしからぬ、順番がけしからぬと繰り返すばかり。アレでしょうか、入れる前にちゅーをするみたいな順番がものすごく大切という、何かそんな感じのハナシなんでしょうか。
 ちな、師匠も一応、ここだけが「女性攻撃」であるとしているわけではなく、この部分以外にも

序盤と終盤のデータ引用に関する女性攻撃については既に記載した通りだ。


 とあります。「終盤」は先に述べたフェミニスト批判を、「序盤」は「女性の高望み」についてを指しているように思われますが、それらについても「攻撃」というのは当たっていないだろうこと、ここまでお読みいただければおわかりになるかと存じます。
 次節では

 つまり記事から”読み取れってしまう”のは、すもも氏は女性を加害することで喜びを感じる人格破綻者だ、という類推なのである。
 るまり(引用者註・原文ママ)、すもも氏のツイッターアカウントは、理性を失ったように暴れ狂う女性を見る度に狂喜乱舞していることだろうし、休日はにちゃんねるなどをネットサーフィンして、より女性を追い込むようなデータを探すことに違いない。


 などとありますが、「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」としか。
 お断りしておきますと、この後、「本人のアカウントを見て、本人が繊細な人物であると知った(大意)」とあり、上の形容は最終的には否定される格好になってはいます。恐らくここは加筆訂正がなされた箇所であり、当初は上の表記に続いてもっと苛烈なことが書かれていたのでしょう。
 しかし、そうは言うモノの、ののこ師匠はすもも師匠の言がヘイトであるとの主張を、撤回してはいないのです。

 さて、何かもう疲れてやる気を失っているのですが、まとめめいたことを書いておかねばなりません。
 すもも師匠は「ジェンダーフリー」を、女性がカネを稼ぐことを期待しているようですが、当然、それにはベットできない。この三十年で、女性が男性を養わないことははっきりしたかと思います。
 しかし確かに、ここで女性の高望みという「女性ジェンダー」に居直られるのも、困る。これ、「年収400万の男との結婚は難しいかもだから、お前の価値が加齢で減じる前に350万くらいの男で手を打っておけ」といった程度のハナシでしかないのですが、やっぱり女性蔑視で断じて許せないんでしょうかね。
 想像ですが、ののこ師匠はすもも師匠の提言を読み、「全体」論を即「個人」へとスライドさせ、極めて個人的なイメージとして、それこそ弱者男性に結婚を迫られたとでもいったイメージで捉えてしまったのではないでしょうか。
 ネットでは、「女叩き」が溢れているそうです。
 マルクス師匠に言わせれば、女性が殺されてもおかしくないほどの憎悪で溢れているそうです。あ、日本と欧米のDVで殺される女性の比率など、間違っても調べないでくださいね、がっかりしますから。
 しかしいつも言うように、ぼくは「女性叩きが溢れている」という論調(及び「男性叩き」)はいたく目にしますが、「女性叩き」というのをほとんど見たことがありません。
 裏腹に、いかに冷静にフェミニズムを批判しようが、それに対しては「ミソジニー」「女叩き」としか返せない人が一定層いることを、身をもって体感しています。
 togetterなどで痴漢について書かれたまとめなど、女性から痴漢被害に対して発信した意見などを見ると、「男性に怒鳴られた」ことが「痴漢」にカウントされていたりします。「既にそれ自体が冤罪ではないか」と言っても、決して聞き入れてはもらえません。女性がそう感じた以上それは痴漢であり、論理的帰結として「何をしていない人物も女性に不快感を持たれた時点で痴漢」なのだから、この地球上に「冤罪」など存在しえないのでしょう*4。もちろん、峰なゆか師匠含め。
 ここしばらく、当ブログでは『トクサツガガガ』評をご覧いただきました。同作では「自分が好きでやっているカメラの勉強に対して嫌味を言われた」ことが「正義のヒーローの戦い」に準えて描かれたり、寿退社する女性が延々延々愚痴っている、全くもって共感できない話が描かれたりします。後者、もし上司に嫌味を言われることが苦痛なら早めに退社を伝えるべきだったろうし、気遣われることが重圧だと言っているようにも取れるのですが、とにかくこの女性が何を不満に思っているのかさっぱりわかりません。恐らくまずそこを「忖度」しないことが、彼女にとっての悪なのだろう、ということは伝わってきますが*5
 こうした「自分の情緒の海に飲み込まれ、正常な判断能力を全く失った状態」というのは、非常に多くの女性の書き込みに、往々にして見られるものです。それを視覚化すると、恐らくですがマルクス師匠に代表される落書き漫画のようなものになるのではないでしょうか。
 ののこ師匠はすもも師匠と対話を試み、「共感」(何のことはない、相手がモンスターではなく人間だと感じること)で冷静さを取り戻しましたが、それができない女性は大変に多い。フェミニズムはことに、「引き返せなくなる」片道切符としての機能を有していることは、言うまでもありません。
 反ジェンダーフリーを前提するならば、こうしたことは「女性ジェンダーに紐づいた反応なのだから、仕方ない」のでしょうか。
 ぼくは現代社会を「女ヒャッハー社会」と表現したことがあります。『北斗の拳』の世界ですね。中央の統治能力が一切失われたので、身体能力に秀でた男が本能の赴くがままに暴れている、核戦争後の社会。あれの鏡像としての、女が本能の赴くがままに暴れているのが、現代社会です。
 ののこ師匠が賢くも喝破したように、「男が攻撃的で、女がヒステリック」なのは「仕方ない」。しかし仕方ないなりに男性は本能を理性で抑え、例えば日本では驚くほど女性にとって安全な社会が実現している
 しかし、それと同等の努力が、女性にはできないのだというなら……ぼくにはもう、何も言うことがありません。

* 4「女性が痴漢などの性被害を受けているケースは思っているよりもとても多い…声を上げる人続々→子供の頃の被害もたくさんある」を参照。

*5「フェミナチガガガ(その2)