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さてみなさん、今月で拙著『ぼくたちの女災社会』出版十周年となります。
実は多忙さもあり、本来、今月の更新はこれ一本にしようと思っておりました。そうすれば本エントリが記念すべき200本目となったのですが、まあ仕方がありません。
あ、それと本書を未読の方はkindleで買えますので、ご一読をお勧めします。今ツイッター界隈で囁かれている反フェミニズム論、非モテ論がいかに浅く周回遅れなものかがおわかりいただけるようになりましょう。
●時代がまだ、追いついていない点
……というわけで始めましょう。正直、よき結果を出せたとは言い難い、出版することでこちらも一生涯を棒に振るようなダメージを受け続けた本書、自分にとってもよい記憶と共にはなく、読み返すこともほとんどありませんでした。今回がほとんど五、六年ぶりの再読になったんじゃないでしょうか。
で、読み返して感じたのが、ようやっと時代の方が、ちょっとだけぼくの足下くらいには到達しつつあるなという感慨。例えばですが、本書ではセクハラ(そう、既に三十年前の話題です)という舶来の概念が日本にやって来た時の騒動を形容し、
見ていくと浮かび上がってくるのは、「ひょっとして訴えられるのではないか」という差し迫った危機に怯える男性たちに対し、「ワタシの気持ちをわかって!」とお姫様の無理難題のような主張を続ける女性たち、という図式です。
(16p)
またストーカーについても、ストーカー研究の第一人者、故・岩下久美子さんの著書『人はなぜストーカーになるのか』の、
まず大切なのは被害者の立場に立つことなのである。
その行為を受けている本人が不安や恐怖を感じた時点で、立派なストーカー行為なのである。
(197p)
といった主張を引用し、
やはりセクハラと同じ、「女性の主観主義」とでも言うべき問題点が浮上してくるのではないでしょうか。
(同上)
などと書かれています。
これは目下、白饅頭発で人口に膾炙している「お気持ち案件」と全く同じですね。
もちろん、フェミニストの手先である白饅頭*1は、それ以上の分析に立ち入ることができず、ぼくには予め、大きく水を開けられてしまう結果となっています。
近年、気を吐いているすもも師匠も、「女性の方が遥かに恵まれている」というところにまでようやく到達しましたが、そこからの主張は「何か、ジェンダーフリーで男にもリターンをくれ」というもの。ぼくはこれ、「国家」に何やら求めるよりは好ましく思えるのですが、ジェンダーフリーを素朴に信じているというのでは、ちょっと期待できない。何しろ本書を読めば、森岡正博師匠の「草食系男子」論など、ずっと同じ論調がただ無為に繰り返され、女性が変わろうとしなかったことは明白なのですから。
女性の持つ加害性、ネガティビティを引きずり出そうとするぼくの「女災」論の域は、彼らには期待すべくもない。ただ、近年のリョーマ氏の「負の性欲」論は女性のメンタリティに切り込んでおり、おそらく「女災」とほぼ同じことを言っているように思われこれは非常に評価できるのですが……すみません、放っておくと自画自賛ばかりを繰り返して終わってしまいそうです。
本書と今のご時世と齟齬のある部分、ある意味で「古びてしまった部分」はないかについても、ちょっと考えてみましょう。
*1 表現の自由界隈で気を吐いている青眼鏡、白饅頭共に表現規制に賛同するフェミニストの傀儡であることは、「実践するフェミニズム――【悲報】テラケイがラディカルフェミニストとお友だちだった件」、「実践するフェミニズム――【悲報】テラケイがパターナリズム支持者だった件」、「実践するフェミニズム――【悲報】テラケイが表現規制に賛成だった件」を参照。
●時代が進んでしまった点――その時、女たちは婚活していた
改めて再読して感じたのは十年前の2009年、当時は「萌えブーム」たけなわであったのと同時に、「女が落ちぶれた」時代であったということです。
本書については中傷者(批判などという気の利いたことのできる者は、残念ながら現れませんでした)にも『電波男』との類似を指摘されましたが、それは「そういう時代だったから」というしかない。オタクの時代が来たというある種の「オタク勝利」論が本書のバックにあり、さらに言えばその前提としての「女凋落」論がありました。
いつも言うように、バブル期には「強い女の時代」という根拠ゼロの神話が垂れ流されておりましたが、それも当時はすっかり古くなり、覚えている者もいないような状況だったのです*2。
当時目立っていた女性にまつわる流行語は、「負け犬」女であり「婚活」ブーム。この婚活ブームの立役者である白河桃子師匠が、かつては『結婚したくてもできない男 結婚できてもしない女』、『こんな男じゃ結婚できない! 噂の「おみー君」劇場』といった本も出していたのだから、大変な落ち目っぷりです(「おみー君」とは見合い相手の奇妙な男を指す造語です)。本書でもかつては余裕があったが、今は涙目で婚活、などとギャグにさせていただきました。
ただ、「婚活」という言葉そのものは、(フェミニストが、そのイデオロギーを先行させたものではあれ)当初は「見合いなどの社会のお仕着せの結婚までのルートが失われた以上、積極的自覚的に結婚に向けて活動せねばならない」という正論を前提したものではありました。しかしそれがいつの間にか、何とはなしに(女性たちが無反省に欲望を駄々洩れにさせた結果の必然として)「婚活で玉の輿を狙おう」という方向へと話が変わっていきました。
そうそう、「草食系男子」なんて言葉もありましたね。これは(フェミニストが、そのイデオロギーを先行させたものではあれ)男性性に欠ける男性を肯定しようという言葉だったはずが、何とはなしに(女性たちが無反省に欲望を駄々洩れにさせた結果の必然として)「今の男はだらしない」に代わって行きました。
ある意味で、女性が虚栄心を捨て、自分の欲望と謙虚に向きあうチャンスがこの「負け犬」ブームだったはずが、彼女らはまたしてもそのチャンスを棒に振り、見栄を張ってしまったのです。「デレ」ること敵わず、「ツン」を通す愚を犯してしまったわけですね。
*2 「『現代思想 男性学の現在』(その3)」などを読むと、年代によってはその当時の世界観を今もあどけなくキープしていらっしゃるかのようにも見えますが……。
では、今は?
女性の状況は好転するどころか悪化するばかりのはずなのですが、一時期の「女性たちが結婚したくてテンパっている」的なムードはあまり感じられなくなりました。そもそも上に書いた「負け犬」的な、女性の今を象徴する流行語なども今一、思い浮かびません。
本書では「かつて、華々しく輝かしい女性像がメディアに溢れていたが、今はそれがない」ことの象徴として「負け犬」、「婚活」といったワードを挙げたのですが、もはやそんな「落ち目の女性像」すらも、メディアには見られません。
この状況を読み解くカギは(一つにはマスコミの影響力というものが失われたことでしょうが)、メディアに「ブスコンテンツ」が充実しだしたことではないか……とぼくは考えます。そもそもテレビなどほとんど観ないので漠然としたイメージしかないのですが、ブスがイケメンと絡む類のドラマやCMなどが出て来たのはここ十年くらいではないでしょうか。
乏しい知識を並べ立てれば、平成『ライダー』でも『シン・ゴジラ』でも美人と言い難い女性が出てきますし、戦隊シリーズでも『トッキュウジャー』には悪の組織にフリフリのフリルを着て日髙のり子の声でしゃべるという、しかしグロテスク極まりない姿をした女モンスターが登場しました。これがイケメン(こちらは人間の役者が顔出して演じていました)の悪の王子と恋愛を演じ、女性ファンがそのモンスターを「可愛い」ともてはやすのが、申し訳ないですが気持ち悪くてなりませんでした。
他にも、これはぼくのお気に入りキャラですが、『ダンガンロンパ』シリーズには「腐川冬子」というあからさまにブスという設定を与えられたキャラが登場していましたよね*3。
十年前に流行していた「オタクそのものをネタにしたオタクコンテンツ」もすっかり、女向けのもの特化になってしまいましたが、これもまた「ブスコンテンツ」のバリアントであることはおわかりでしょう。言ってしまえばオタクコンテンツ、本田透的なロジックが、女性がモテないまま自己を肯定するためのコンテンツに、彼女らの方に利するものに化けてしまったわけです。
もっとも、これは実のところフェミニストが共産主義的体制、言ってみれば国家に男性の役割を果たしてもらう体制を求めていたことと、それほど変わりはありません。マスコミが女性をただひたすらにちやほやする状況は当時からあり、本書ではそれが「ホスト資本主義」と呼ばれておりましたが、ただ、女性がより以上にブスになったのでホストがブスにもおべんちゃらを使うようになったと、ただそれだけのことです。
*3「これからは喪女がモテる? 『ダンガンロンパ』の先進性に学べ!」
●時代が進んでしまった点――その時、オタクたちは勝っていた
一方、当時、勢いがあったのがオタク文化です。
言うまでもなく「オタク」は「弱者男性」と「≒」で結んでしまってもいい存在です。そんな弱き者が、当時は力を持ち、世間に対するある種のカウンターの声を上げていたわけです。
当時は「ツンデレ」という(オタク用語の中でもかなり理解しにくい)言葉を世間が曲解し、女性誌で「ツンデレで男子にモテる!」といった勘違いな特集が組まれ、オタクにからかわれるといったことが常態化していました。本書においても、「ムカつくバカ女のバカ本の文章をツンデレ風に言い換えると萌える」などという企画をやっており、隔世の感という感じです。
むろん、それは文化的にそれなりに力を持ちつつあったというだけのことで、オタク自身がモテていたわけでは、全くありません。しかし、当時のオタク(≒弱者男性)側は「我々は二次元があれば充足していられる!」との主張をしていたのです。繰り返すように『電波男』に端を発する主張ですね。
この主張の真意がどこにあるかは、本当に非常にデリケートに扱うべきことだと思うのですが、当時のぼくは基本、本田氏に準じた評価をしておりました。
端的に表現するならば、現代の全ナオンは「メイドさん」という職に就き損ねた「メイドカフェ難民」なのです。
(101p)
もうあなたではなく幻想の女しか抱いてはもらえないのです。
(同上)
いや、「ネットカフェ難民」って言葉も聞かなくなりましたね。また、二段目のフレーズは宮台真司の奥さんである速水由紀子師匠の『もうあなたは幻想の女しか抱けない』という、本のタイトルをもじったもの。こういうの解説しなきゃいけない辺り、やっぱり昔の本だなあと思ってしまいますね。
とは言え、「メイドカフェ」ブームは外界へと流出したオタク文化の一つといえました。オタクのどれだけが現実のメイドカフェに行ったかは大いに疑問ですが、この頃の女性は「メイドさん」という「女性ジェンダー」の体現者に大いに憧れ、「オタク文化=虚構性」というクッションを安全弁として、それを享受しようとしていたのです。
それは、例えて言えば「ピンク」を大いに憎む『トクサツガガガ』*4の仲村さんが、「文化祭だから」というエクスキューズを得て、メイドさんのコスプレをしているところを想像していただければわかるのではないでしょうか。
結局、ある種オタクの在り方を一種のハンスト的に捉え、一方、「女性ジェンダー」を美化して描くことで、言わばオタク文化が女性側の意識の革新を促し得るのではないか……というのがこの時期のぼくの考えであったかと思います
事実、当時は例えばアイドル声優さんがオタク文化に親和的な発言をするなどの光景があちこちで見られ、「ひょっとしてオタク的価値観が世界を覆うのでは」といった希望的観測も、それなりに故のあったことだったように思えます。
*4『トクサツガガガ』は「女性ジェンダーについての自意識をこじらせてしまった女性が、単にそれへの愚痴を吐く口実として私は特撮オタクであると自称する」という、まさに本田透の死体を貪り食っているかのような、そんな漫画でありました。
「フェミナチガガガ」
「フェミナチガガガ(その2)」
「フェミナチガガガ(その3)」
しかし、『電波男』は、あっという間に左派につぶされてしまいました。オタクたちが「俺たちは二次元の世界に旅立った」と言っていたのを、左派が「なるほど、JPGだけで満足なんだな、一生独り身で何の不満もないんだな」などと言い出したのですから*5。正直、左派の残忍さ、冷酷さをあまりにも甘く見ていたように思います。
そんなこともあり、今のぼくはやや論調を変えています。しかしこれは別に主張の大本を変えたわけではない。左派の非人道性に舌を巻き、オタク側も不満がないわけではないのだ、と主張せざる得なくなっただけのことです。別に二次元美少女が現実の女の代替物というわけではないけれども、いまだアニメやゲームの世界にダイブするノウハウがない以上、ぼくたちは別に充足しているわけではない。ぼくたちはアニメやゲームの世界観、愛のある世界、乱暴に言えばジェンダーが温存された世界にこそ心酔しているわけなのだから、仮に現実の女の子が「盛る」ことでアニメキャラのようになったからと言って納得するわけではないし、メイドロボを押しつけられればそれで満足するわけでもありません。
そもそも「オタク勝利」論がちょうど本書の出版時期と前後して、「日本のアニメや漫画は世界中で落ち目だ」といったカウンターにより否定されるようになっていきました。根拠が酷薄な上、言っているのが『朝日新聞』とかその辺ばかりで、果たしてどれだけ正しかったのかは、今となっては疑問ですが。
*5 これはずっとぼくが繰り返ししている(そして、誰からも同意されない)して気なのですが、「敵の死体を兵器利用するなんて、ゾンビマスターみたいで格好いいね!」など。
もちろん、一方ではこの十年、オタクの反フェミ意識はもう、かつてからは想像もできないほどに高まりました。ここ十年、ツイッター上でのフェミニストの大暴れが、フェミニズムの危険性を可視化させたのです。これそのものは、危機意識を持つことができるようになったという意味では、よかったことかもしれません。
しかし、これこそが大変皮肉なことに、表現の自由クラスタが活発化し、彼らに「真のフェミ」を持ち上げさせる結果ともなりました。彼らの言動を追っていけば、この十年はフェミニストに文句をつけられつつ、何とか水際でフェミニズムの実態を外部の者に知られまいとそのネガティビティをツイフェミに押しつけ、しかしとうとう上野千鶴子師匠までが悪質な人物であることまでがバレてしまった……という、見るも無残な振る舞いの連続でした。
しかし、どうにも、彼らにはそんな自分たちの醜態に対する自覚があるようには思えない。
どうにも、彼らのフェミニストへの忠誠は、白饅頭や青眼鏡を見ればわかる通り、いささかなりとも揺らいだようには思えない。
これらの流れは、大きな目で見れば結局「ツイフェミをスケープゴートにして、フェミニズムがより頑強になる過程」だったのかな……との失意を感じずにはおれないのです。
それはまた、オタク界の左派勢力がいよいよ強くなってきたことを示す十年でもありました。
●五年後、『女災』が再評価されそうな点
いや、まあ、最後に希望めいたことを書いておかないとまとめようがない気がして、無理矢理にこういうタイトルをでっち上げましたが……。
2009年の時点では女性専用車両に対する男性の反発が頂点に達しており、また『女災』がメインテーマにしていた「性犯罪冤罪」に対する危機意識も高まっておりました。本書もそれなりに売れる目があったことは、間違いがなかったはずです。
実は以前、とある編集者に指摘されたのですが、この2009年は政権交代の年でした。もちろん、本書(が売れなかったこと)と直接の関係はありませんが、何か、世間の潮目が変わった、その変わり目に本書が出てしまった、数か月早ければまた評価が違ったのではないか、ということは言えます。
例えば、本田氏の主張は(当時はフェミニストなどもお追従を言っておりましたが)、恐らくこの頃から「何か、悪しき思想」ということにされてしまった。「ミソジニー」という思考停止ワード、本書的に言えば「攻撃呪文」が立ち現れ、とにもかくにも女性様に疑問を持つことは禁止、という風潮が強まったのです。
そんなこんなで結局、上に書いたような「左派のマッチポンプバトル」によって、フェミニズムへの疑問は圧殺される時代と相成ったわけです。
が、近年、またちょっとだけ希望が出て来たのではということを、ぼくは感じ始めています。
というのは実のところゼロ年代に一度盛り上がっていた「非モテ」論の、再びの復権が見られるからです。これはもちろん、インセルだのミグタウだの海外発信の情報がきっかけなのですが、いずれにせよ日本においてもいよいよこれが話題になっていくことは間違いがないでしょう。
前回記事でもわかるように、もちろんメディア側のこの問題に対する意識は薄っぺらとしか言いようがないものですが、実はちょっと、ネット上の「オタ論壇」とでも称するべきものに変化がみられるのでは、といった気が、ぼくにはしているのです。
そして、このきっかけは意外なことですが白饅頭であろうと、ぼくは思います。
彼の商業出版では、男性の惨状が極めて強調して書かれていました。これは「表現の自由クラスタ」的な、(形ばかりとは言え)アンチフェミ的な言説を封じられたがため、相対的にそのような内容が浮かび上がってきた、ということではなかったでしょうか。
これにすもも師匠、rei氏辺りの言説が続いたことが、ネット上での「非モテ」論を活発化させた、という印象をぼくは持ちます。
この「非モテ」論について、ぼくが「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」と揶揄するような、オタク界のインテリ層はほぼ、切り込むだけの力を持っていません。
例えばですが、町山智浩師匠がそうであるように、彼らは専ら「非モテ」を惨殺することしかできない*6。
となるともう、オタクの多くは彼らについていけなくなるのではないでしょうか。
今まで八百長を続けていたオタク左派ですが、それが「非モテ」論という「また、別な角度」から見られることで、いよいよ八百長がバレる時が来るのです。
*6 この辺は前回記事「「インセルの思想と歴史について実はメディアは全く語らない」を読む 」を参照してください。
コメント
コメントを書くこんにちは。
しかし相変わらず長い文章ですね。
書くのも大変でしょうが、読むのも結構根気がいります。
ひぐらしではありませんが、もう少し文章短くなりませんか?
文章が長いだけで読まれないとしたら、
兵頭さんの物事を正確無比に抉ってしまう鋭すぎる才能はあまりにも惜しい....
最近でいうと「オタクが昔叩かれていた時に女オタクは立たなかった」
というツイートにはシビレましたね。ツイッターできないのでコメントできませんでしたが。
私にはそこまで見えませんでした。お金がもらえるレベルですよ。
youtubeで配信でもしたらどうですか?
美少女vtuberとかすごいスパチャ(投げ銭の七割)もらってますよ。
万札がバンバン飛び交います。海外からもあって、知らないドルが見れていろいろ面白いですよ。
ゲームしてるだけですからね。それプラス広告ですから。
フェミとしては泡吹くしかないでしょうね。
長い文章読むのは大変なので、ブログの文章をそのまま話すだけでも結構人気出ると思いますよ。
vtuberでなくても令和新選組で元銀行員の大西つねきさんのスパチャ凄かったですね。
それは落選した参院選後で、今はそれほどでもないみたいですが。
大西つねき 災害復旧の本質とボランティア(Live配信 9/15 20:00〜)
https://youtu.be/xtHEHExwEok
最近フェミがトーンダウンしてつまらないです。
なぜこうなったか連中自身理解できないのでしょうね。
フェミは先進的で頭がいいハズなのに.....本能のままに生きてきただけだった....
想像ですがフェミがなぜ隆盛したかというと、
未来のビジョンを示せたのがフェミだけだったのでしょう。
未来のビジョンがないと人間って生きられないですよ。
そのビジョンが間違っていたと分かれば修正されるだけです。
vtuberとか今まさにその時ですよ。
人間の認識は狭いものですが、世の中が急激に変わっていると思います。
フェミおばさんの淘汰がはじまります。
自分が間違っていたと認めるのは無理でしょう。
こんにちは共同親権。
離婚後の子どもの「共同親権」 法務省が導入検討へ
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190927-00000053-ann-soci
ひぐらしといえば竜騎士07先生の新作が今週出るようです。
文章長いと言われるの気にしているぽいです。
キコニアのなく頃に」ティザームービー
https://youtu.be/kiNSqXGgLTc
お久し振りです(^^
>書くのも大変でしょうが、読むのも結構根気がいります。
おいおい、今回そういう人のために「※この記事は、およそ15分で読めます※」と入れておいたぞ……と思ったら、忘れておりました(さっき入れました)。
確かに、ことにネットにおいては長文は歓迎されませんね。白饅頭の文章など読むといかに無内容な短文で稼いでいるのかと、心底羨ましくなりますが。
前回など「18分で読めます」と入れましたが、これで敬遠する人も多そうですね。
>最近でいうと「オタクが昔叩かれていた時に女オタクは立たなかった」
>というツイートにはシビレましたね。ツイッターできないのでコメントできませんでしたが。
いや、本当にオタクを叩く人もオタク女子には手揉みをするばかり。
『私モテ』も『俺妹』も「オタク女子」という名の萌えキャラにオタク男子が自分を投影する構造でしたが、後からどやどややってきた連中が「オタク女子なワタシ」の日記みたいなコンテンツで荒稼ぎをする始末です。
心底羨ましいですね。
また、YOUTUBE配信も、考えなくはありません。
ぼくが口を酸っぱくして繰り返した「オタク界のトップが流布するラディカル/リベラルフェミニスト論は捏造だ」も「白饅頭と青眼鏡はフェミの手先だ」も、どういうわけか動画にしたとたん、理解できたという人がいました。どうなってるんだって感じですが。
まあ、顔出しよりは「ゆっくり解説」みたいなのがいいでしょうけれども。
>未来のビジョンを示せたのがフェミだけだったのでしょう。
「未来を切り開くのは女だ」とか「ジェンダーフリー」とかが三十年前は「何か、新しかった」んですよね。
ぼくは三十年前から「未来を切り開くのはオタクだ」と言っているんですが、それが実現してなおかつ、事実が認められていないのが現実です。
後世は『なつぞら』が「正史」として残り、あらゆるオタク文化は女性のみの手で作られたのだ、と教科書に書かれるのでしょう。
フランスの女かイタリアのが良い
>>2
素早い返信ありがとうございます。『ぼくたちの女災社会』Amazon kindleで買いました。
兵頭さんの文章は長文かつ難解なんですよね。オタ作品の引用も多いですし。
確かに15分で読めますが理解するのに30分ぐらいかかります。
>また、YOUTUBE配信も、考えなくはありません。
配信は動画もいいですが、liveで質問に答えるのもいいかもしれません。
ゆっくり動画は大変らしいです。音声だけなら手間かからないかもしれませんが。
著書を写しながら話すだけでいいいと思いますよ。
兵頭さんの文章は鋭すぎて(省略しすぎて)毎日のようにツイートを見ている私でも意味が分からないことが結構あります。ほかの人からしたらもっとでしょう。
ツイッターは向いてないんじゃないですかね。その点ys先生のフォロワー数はすごいですね。なんであんなに増えたんでしょうか?
>ぼくは三十年前から「未来を切り開くのはオタクだ」と言っているんですが、それが実現してなおかつ、事実が認められていないのが現実です。
「未来を切り開くのはオタクだ」とはオタク文化や社会現象を起こすような作品やオタクや若い世代のライフスタイルを作ったのが男オタクだということでしょうか?説明がないのでよくわからないのですが具体的にどんなものでしょうか?
男が作って女は享受するだけ。
当たり前のことというのは軽視されてしまうのですよ。
日本の治安がいいとか、水に困らないとか。
それが人間の悪癖であり、次のステージに上げるものでもありますね。
人間というのは案外、本当のことには興味がなかったりしますからねえ。兵頭さんにとっては自明のことが多くの人にとってはそうでないのす。説明不足やオタ作品を例にとった分かりずらい表現もあるとおもいますが、これがツイッターのフォロワーが増えない理由だと思いますよ。
そしてまだ多くのひとがフェミニズムファンタジーの中で生きたいのですよ。ただ最近はそれに飽きた人が出てきました。本当のものの味方を知るというというのは快感もありますから、配信楽しみにしております。
>後世は『なつぞら』が「正史」として残り、あらゆるオタク文化は女性のみの手で作られたのだ、と教科書に書かれるのでしょう。
さすがにそれはないような気がします。
もし日本がそうなっても海外の人たちが許さないでしょう。
冗談なんですか?
どうも、返答の難しいコメントだったため、ついついお返事を先延ばしにしてしまいましたが……。
>gumdam様
先進国の女性はあんまり変わらないような……。
>marine様
どうも、お買い上げありがとうございます。
ご感想などお聞かせ願えれば嬉しく思います。
ぼくの文章の意味の取りにくさはツイッターでもかなり言われたことがあります。
その人に言わせれば、ブログ記事は理解できるそうなんですが……。
正直、ツイッターというのは独り言の場で、自分でも言語化、論理化できてないことを直感でつぶやくことも多いんですよね。
言葉としてまとまれば、それはこっちにフィードバックされるという形です。
liveについては、顔出しのハードルが高いですね。
ゆっくり動画、以前作った動画に比べれば簡単そうですし。
(ただ、youtubeは思想色の強いものを排除しつつあるような話も聞きますが)
ys先生ってわいずさんじゃないですよね?
誰でしょう?
>説明がないのでよくわからないのですが具体的にどんなものでしょうか?
一言でいえば、「男の内面を初めて語った表現」がオタク文化だ、ということです。もちろん、「それ以前にも……」という人はいましょうが、大衆文化として、「男の子が、自由にお絵描きした落書きのようなストレートな内面を書いたものが、市場化した」のは史上初でしょう。
「男の中の幼児性」を吐露し、それをある種、商業的成功によって世の中に容認させてしまった。それは大勝利だったと言えるのではないでしょうか。
>冗談なんですか?
例えばですが、『なつぞら』では高畑勲、宮崎駿をモデルにしたキャラクターがヒロインの「なつ」よりも劣る人物として描かれているそうです。
もちろん未来の教科書に『風立ちぬ』の監督はなつです、と書かれることはないでしょう。
しかし、では『セーラームーン』であればどうでしょうか?
「原作者」の竹内直子はお飾りというのは言い過ぎですが、作品のクオリティを向上させる上で、そこまで貢献していない人物と思われます。確定情報があるわけではないですが、(アニメ、原作に共通の)プロットなどはかなりアニメスタッフ側が考えていたのではないでしょうか。
つまり「冗談ではない、既になされてしまった事実」なんですよ。
バルカン半島や東欧があります。
お久しぶりです。
件のすもも師匠ですが、確かにジェンダーフリーを盲信している感はありますね。
ただ、彼の場合「男性に女性を養う力はもう無いし、養いたくないと考える男性も増えている。それでも妥協出来ず年収至上主義に拘る女性は、そのまま淘汰されれば良い。」とも言ってるんですよね。つまりすもも師匠、女性の妥協出来なさを分かっててやってるっぽいと言いますか...。
そしてすもも師匠の言う通り、妥協出来ない女性は今後、どんどん淘汰されていくとも思いますが、これは楽観的でしょうか...?
兵頭さんはどう思いますか?
>gundam様
(´・ω・`)知らんがな
>Teketekeriri様
お久し振りです。
>ただ、彼の場合「男性に女性を養う力はもう無いし、養いたくないと考える男性も増えている。それでも妥協出来ず年収至上主義に拘る女性は、そのまま淘汰されれば良い。」とも言ってるんですよね。
なるほど。
ここしばらく彼に対してかなり懐疑的だったんですが、ここを知って少し好感度が戻りましたw
>そしてすもも師匠の言う通り、妥協出来ない女性は今後、どんどん淘汰されていくとも思いますが、これは楽観的でしょうか...?
時々書くことですが、1988年に『クロワッサン症候群』という本が出ました。
フェミニズムに騙されて社会進出した女性が婚期を逃し、ひーひー言ってるぞ、というレポートです。98年には続編が出て、88年の時点でひーひー言っていた女性がさらに独身のまま年齢だけを重ねている様が描かれていました。
正直、彼女らが今どうなっているのか、どうにもわからないのですが、上に書いた「ブスコンテンツ」の主力客層はそうした高齢独身女性なのだろうな……という気はします。
つまり、彼女らも不幸でしょうが、「そこで、改心する」ほどの思考力があるかとなると、心許ない。
若い世代はもうちょっとまともになっていく、という希望はあるのですが、それより例えばですが、そうした独身女性をサポートするために、何かの名目で実質的には「独身男性税」のようなものが出てくるのでは、という気がしています。つまり、ぼくたちが結局は高齢の婆さんを養う、「別居婚」「会ったことない婚」という形になるのではないでしょうか。