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Vol.460 結城浩/「わかった」という状態/プログラム公開とサーバ選び/作業の区切りは時間か内容か/オンラインレビュー「3ステップの作業フロー」/再発見の発想法/
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Vol.460 結城浩/「わかった」という状態/プログラム公開とサーバ選び/作業の区切りは時間か内容か/オンラインレビュー「3ステップの作業フロー」/再発見の発想法/

2021-01-19 07:00
    Vol.460 結城浩/「わかった」という状態/プログラム公開とサーバ選び/作業の区切りは時間か内容か/オンラインレビュー「3ステップの作業フロー」/再発見の発想法/

    結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2021年1月19日 Vol.460


    目次

    • 「わかった」とはどういう状態のこと? - 学ぶときの心がけ
    • プログラムを公開するためにどんなサーバを選べばいいか
    • 作業の区切りは時間ですか、内容ですか - 仕事の心がけ
    • オンラインレビューを効果的に進める「3ステップの作業フロー」 - 本を書く心がけ
    • 使い捨てパスワード - 再発見の発想法

    はじめに

    結城浩です。

    いつもご愛読ありがとうございます。

    * * *

    言語化の話。

    丸山さとこさんがnoteで描いている「コウくんとの対話」をいつも楽しく読んでいます。先日読んだ「落ちてるよ」という回もおもしろい話題でした。

    ◆「落ちてるよ」は「ひろって」ってこと?|丸山さとこ
    https://bit.ly/35AsCbK

    コウくんの上着が落ちているのを見て、お母さんが「落ちてるよ」と伝えたのに対して、コウくんは「拾って」と言ってほしいという会話のひとこまです。

    自分の気持ちを言葉にして表現したり、やってほしいことを言葉で伝えたり、言葉の背後にある気持ちを話し合ったりするやりとりを興味深く読みました。

    私はどちらかというとコウくんの気持ちの方に共感しますが、お母さんの説明にも「なるほど」と思いました。

    私も「落ちてるよ」という状況の提示ではなく、「拾って」という自分への指示にしてくれた方がわかりやすいと思ってしまうタイプです。でも「拾って」という指示が必ずしも目的ではないと考えるなら納得する部分もあります。特に「○○だよ」は「○○に気付いて」という意味なのだという説明には考えさせられました。

    言葉によるやりとりの背後にある気持ちの動きがおもしろいと思います。

    * * *

    竈門禰豆子さんの話。

    『鬼滅の刃』の流行に乗り遅れないように、スレッドお化け坊やも竈門禰豆子さんのコスプレをしてみました。

    ◆「円」の呼吸 …… 参点壱肆ノ型!(深い意味はありません)

    20210113164403-7ec2b3c36ff6b73d.png

    2020年10月に、この絵を交えてツイートしたときには、お気に入りの嵐となって『鬼滅の刃』の人気を実感しました!

    * * *

    それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。

    どうぞごゆっくりお読みくださいね。

    なお、私は「結城浩に聞いてみよう」という匿名質問箱のサービスを運営しています。どんな話題でもお気軽にどうぞ!

    ◆結城浩に聞いてみよう
    https://ask.hyuki.net/


    「わかった」とはどういう状態のこと? - 学ぶときの心がけ

    質問

    本当に「わかった」のか、自分でわからないことが多いです。

    「わかった」ってどういう状態のことでしょうか。

    回答

    ご質問ありがとうございます。

    「わかった」という状態がどういうことかをはっきりさせたかったら、自分でしっくりくるようにパラフレーズ(言い換え)することをお勧めします。

    試しにやってみますね。「○○がわかった」とはどういう状態のことか。

    • ○○に関連した質問に答えることができる状態
    • ○○と、それに類似した概念(△△や□□)とを比較して、それらの関係を示すことができる状態
    • ○○のことを、他人が「なるほど」と言えるくらいはっきりと説明できる状態

    いま三つほどパラフレーズを試してみました。これは私がいまパッと思いついたものですから、あなたの感覚とはズレているかもしれません。

    ぜひ、自分でパラフレーズしてみてください。自分でやってみると「うん、これは近いな」や「これはちょっと違うぞ」のように感覚的にわかると思います。

    そのパラフレーズのプロセスを通して、より精密に「わかった」という状態がわかるはずです。ちょうどカメラの解像度をアップさせるようなプロセスに似ています。

    * * *

    私は本を書いていますので、自分が書こうとしている内容をちゃんと「わかった」状態になっているかには非常に関心があります。よくわかっていないうちは、本としてまとめることができないからです。

    私は「○○についての本」を書くことができたなら、「○○について理解したといえる」とよく感じます。あくまで本に書くことができた範囲に限っての話ですけれど。

    「本を書く」まで行かなくても「○○についての文章」を書けたなら、その書いた文章の分だけは少なくとも理解したといえそうです。

    先ほどのパラフレーズの最後に、

    • ○○のことを、他人が「なるほど」と言えるくらいはっきりと説明できる状態

    と書きました。本や文章を書くというのは読者に対して説明しているのとほとんど同義だと私は思っています。

    * * *

    また、やや逆説的な話になりますが、ある一つのことが「わかった」状態になったときに起きる現象があります。それは「わからないことが新たに見つかる」というもの。

    一つのことがわかると、わからないことが新たに見つかります。「○○がそういう性質を持っていることはわかった。だったら●●はどうなるだろうか」のように、わかったことを足場にして、わからないことや知りたいことが増えてくるものです。

    ですから、本当に読みやすくてわかりやすい本を読んだ後では「この本を読んでわからないことも増えてきたぞ」と感じることはしばしばあります。

    さらに「この本には、●●についても、▲▲についても書いてないじゃないか!」と気に掛かる場合もあります。しかしながら、●●や▲▲が気に掛かるようになったのは、その本のおかげで○○をよく理解できたからなのかもしれません。

    ある本を読むかどうかを他人の書評を読んで判断するときには、その点を誤解しないように注意したいところです。

    以上「わかった」ということについてお話ししました。

    ご質問ありがとうございました。

     
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