他力本願になれない子供だった。親の力に頼らねば生きられない自分の無力さがもどかしかった。子供ってなんて不自由なんだろう。大人になればこの不自由さから抜け出せして自由になれるんじゃないだろうか。ずっとそんな風に思っていた。
だから、七夕の短冊にはいつもこう書いていた。
「はやく大人になりたい」
精一杯の大人びた字で書いていた。
他力本願になれない子供だった。親の力に頼らねば生きられない自分の無力さがもどかしかった。子供ってなんて不自由なんだろう。大人になればこの不自由さから抜け出せして自由になれるんじゃないだろうか。ずっとそんな風に思っていた。
だから、七夕の短冊にはいつもこう書いていた。
「はやく大人になりたい」
精一杯の大人びた字で書いていた。
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コメント
コメントを書くおはようございます。
短冊の願い事、ほっこりしますね。
あのころ、自分はどんな願い事をしていたか
あまり覚えてはいないけれど、
いつもみんなが笑顔でいられますように、
と願っていたかな。
いつも怒っている大人たち、唯一祖母だけがいつも微笑んでいて、それにたくさん助けられた。だから、
大人に笑ってほしかった。
大人になった自分はどうかな、
最近の自分は、怖いかおしてるなーと
ふりかえながら、駅前の短冊をながめてました。
まさに、もう自分は叶える側なんですね。
>>1
2013年の子、今は何歳で、
何しているのでしょうね?
おりがみたくさん折れてるといいなぁ……なんて思いました。
短冊のねがいごと、
切実なもの、ほっこりするもの、様々ありますよね。
こないだ「ねがいごとがかないますように」
っていうのを見ましたよ。
子供の頃の自分が
「こういう大人にはなりたくないな」
と思っていた、「オトナ」にはなってないかな、大丈夫かな?
という気持ちは忘れずにいたいなと思います。
子供たちから
「この人は大丈夫だ、信頼できる大人だ」
と認めてもらえるようにありたいなぁ、と。
あ、なんか間違えて1の方に返信の形になってしまいました……失礼しました(^^;;
>>1
子供って大人が思ってる以上に大人なんだよなと子供の頃を振り返るたびに感じます。子供を見た目通りの子供扱いすると傷つけてしまうことがあるというのをしっかり肝に銘じた七夕でした。
>>2
僕は17歳の冬に「今のこの気持ちのまま大人と同じ財力や権利を身につけよう。つまらない大人には絶対にならない」と誓いました。そうすれば最強じゃん、と。大人は嘘つきで事なかれ主義でつまらない人種だと完全に上から目線でバカにしてたんですね。そいつは今も僕の中でしっかりと生きていて、つまらない大人になりそうになると文句を言いに出てきます。面倒臭いです(笑)
短冊に書かれている願い事、時代の変化を感じますね。でも最後の短冊を見ると、時代が変わっても人の心は変わらないのだなとちょっと安心しました。
私が子供の頃に短冊に書いた願い事は、両親が決めていた私の将来像だったような気がします。今の私は全く違う道を歩んでいますが。
大人が子供の夢を決めるのではなく、子供が自然と成りたい大人、成りたい将来を短冊に書けるのが一番いいのですがね。
>>6
両親に期待されたことがないので(笑)僕自身は「こうなって欲しい」と言われたことはないですが、「両親が決めた私の将来像」という言葉の中にご両親の「しあわせになって欲しい」というあたたかい想いややさしさを感じました。まあ、時にそれが「重い」とか「プレッシャー」などと感じられてしまうこともあるのが厄介なんですけどね。