無心になって走っていると、いつもの理屈っぽいアタマでは到底考えないような事柄について考え始めていることがある。たぶん、夢を見ているときと同じ感じなのかもしれない。先日も、久し振りに訪れた秋晴れの空の下、海沿いを走っていて、突然こんなことを思っていた。
草の根広告社
「子供には見えている」
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コメント
コメントを書くおはようございます。子供の思考や目線に戻れる時間、私も好きです。昔、頭をからっぽにしたくてバイクでたどり着いたのが三崎の海。はるか千葉を海越しでみたとき、あっちからの風景、みてみたいなぁーと子供みたいな衝動にかられ、バイクを船にのせて金谷までいったことがあります。咄嗟に乗り込んだので、何もわからず計画もなく、ただ、あー三浦はこんなふうにみえるんだなぁーって思って(笑)!でも、とにかくその思い付きだけで動いたことで、心のリセットになったり、純粋な気持ちになれたのは覚えています。日々いろんなこと流され、振り回され、自分の気持ちはどこにあるんだろうーって抑制したりとか、大人になるといろいろありますよね。でも、たまに子供みたいに気持ちだけで行動してもいいかなーって思ってます。
子供の直感からくる「ねぇどうして?」には、ハッとさせられることが本当に多いなぁと私も思います。日々子ども達と接するお仕事をさせてもらっている中で、そのあまりにも純新無垢な見て思ったままの、所謂訊かれた側の耳が痛い「どうして?」に、たまに素直に傷ついたりもしていますが…^^;笑
つい最近、「どうして日本は昔、戦争をしていたの?」「今なら人を殺したら警察に捕まるのに、どうして戦争では人を殺してもみんな捕まらなかったの?おかしくない?」と子供達に訊かれ、答えに詰まってしまったことがありました。当たり前ながら子供時代を経て大人になったはずなのに、今「子供」として生きている小さな先生達に教わることが多いなと日々実感しています。
子供は余計な知識がないから純粋に思ったことを口にしますよね。大人になると体裁を気にするようになり口にすることがないようなことでも。しかし、時々仕事をしているなかで、子供のように無心になったときに思い付いた「なんで?」がアイデアになることがあるので、時には人は子供に戻ることも必要なことなのかなと思います。
>>1
素敵です!