A事実関係
国内で唯一、稼働している九州電力川内原子力発電所1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)について、脱原発派の住民12人が運転差し止めを求めた仮処分の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部は6日、脱原発派の抗告を棄却。
西川知一郎裁判長は、原子力規制委員会が原発の耐震性の強化を求めた新規制基準と安全審査を「不合理とはいえない」と判断し、運転停止の必要はないと結論。
西川裁判長はまず、どのような事態が起きても放射能漏れを起こさないほどの安全性を原発に求めるのは、今の科学技術では不可能とし、「社会がどの程度の水準なら容認するかを基準として判断する」と指摘。
そのうえで〈1〉新基準に基づき想定する最大規模の地震の揺れ(基準地震動)の妥当性〈2〉原発の安全性に影響を与えるほどの破局的噴火が起きる可能性〈3〉避難計画の妥当性――をそれぞれ判断。基準地震動に不合理な点はなく、破局的噴火が迫っ
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現科学的知見における安全性を否定しておきながら、稼働停止に踏み込めない。事故発生の責任は裁判所にもあることになる。裁判官の判断は憲法・法律・裁判官の職業倫理に基づき判断されるべきだ。世論が認容する事態でもさらに踏み込んだ「社会正義実現」に向けた判断を委ねられているはずだ。またも裁判所は逃げた。こんな批判が聞こえてきそうだ!!!
裁判官の劣化というしかないのでしょう。
人間が生きていくために必要なものは、何か。衣食住は、絶対に欠かせないものである。その他のものは、生活を豊かにするものであり、生きてゆけないということではない。裁判官は、法の前に、人間としての倫理規範が要求されるものであるが、成績だけで、裁判官になった欠陥裁判官は、倫理が欠落することになる。エネルギーは必要しても、いつどこで起きるかわからない天災に対し、無神経であり、技術的にクリアーしていれば、認めるべきというのは、明らかに体制に対する迎合判断でしかない。単に法で裁くのであれば、今後、ロボットのほうがより的確な判断ができ、裁判官など無用ということになる。
私の印象としては「統治行為論」に逃げたということです。つまり、安倍ファッショにはかなわない。それよりなにより組織内出世が大事。これらの裁判官は孫崎先生ご紹介のイワン・イリイチ・タイプですね。
このような行為は破廉恥極まりないことです。とまれ、この一連の再稼働への道のりで最も厭らしいことは地元のごく限られた人々を買収絡みの行為で認めさせ高裁で今度のような判決を得るという仕組みのことです。孫崎先生がおっしゃるように福一の事故は世界最大の人口密集地域の東京とその周辺を汚染する懸念があったのです。たまたま偏西風と季節風の影響で東京圏の被ばくは微小だった。三号機の核爆発を伴った大規模な水蒸気爆発(水死爆発ではない)で上部ががれきとなって400メートルの上空まで舞い上がったのですが、幸い、福島沖に落下した。が、近くをたまたま「友達作戦」でクルーズしていた原子力空母ドナルドレーガンを襲い多くの乗組員を被ばくさせたと言われています。勿論、その実態や真相は日米共同秘密保持作戦で表には出てこない。
結論、川内原発の再稼働は九州全域と中国地方を含めた人民投票で決めるべきだと私は思います。はい。
この決定は、「原子炉等規制法は技術的知見を踏まえ、合理的に予測される規模の自然災害を想定した安全性の確保を求めており、社会通念が反映している」としている(4/7朝日「決定要旨」)。まるでお上の意向が社会通念と言っているようだ。「社会通念」が逆立ちしている。「絶対的な安全」がシステムとして実現するのは難しいとも言っているが、万が一の時は諦めろということか。1992年の最高裁決定を下敷きにしているが、その後の福島大惨事の教訓はどこにあるのか。もう、想定外の言い訳はできないはずなのに。
現在の科学水準では、万が一のことはあるといいながら、みんな認めてるでしょ。いいんじゃない?っていう、バカの「ノリ」決定。僕は、原発あっちゃこまる派になりましたよ。【福一」みてね。
ようあんたそんな無責任で裁判官してはりますな。だれでも言えるやん、そんな無責任なこと。