私は3つのことを言いたい。
・第一は実は私は大学を卒業していない。私はReed 大学を6か月で中退した。私の母は大学生で養子に出す事を決め弁護士夫妻が養子にしてくれた。17年後私は大学に進んだ。うっかり、極めて高額の授業料の大学を選んだ。私の両親の貯蓄は大学の授業料に使われた。自分は将来像も持っていなかったし、大学がそれにどう貢献するかもわからなかったので中退した。
・授業に出ていたが、大学は書の素晴らしい授業を持っていた。私はこの授業に魅了された。しかし実社会で役立つとは思われなかった。10年後最初のマッキントッシュ・コンピューターを造った時、この知識が役立った。私が書の授業に出ていなければ、マックの多様性あるロゴやフォント(書体データ)はなかったろう。私が大学を中退し、好き勝手に書の講座を聴かなければ、今日のパソコンは素晴らしいタイポグラフィを持っていなかったかもしれない
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「飢餓であれ、馬鹿であれ」。仏教の「知足、愚直愚鈍」に通じるものであるが、経営者、権力者など社会の指導的立場にとって、不可欠な思想であり、行動である。
昨日、国会の安倍首相と山尾氏のやり取りを聞いていたが、どちらが首相でどちらが質問者かわからなくなってしまう低レベルの国会審議であった。山尾氏が女性差別の問題を現代的問題として取り上げているのに、過去の民主党政権時代がどうであったかと比較し、優位性を示そうとする。謙虚さもなければ、品位もないし、度量もないし、思慮の深さも感じられない。端的に言えば、子供の自我の段階から抜け出せず、攻められると関係のない相手の過去のことを持ち出す。女性がよく、過去のことで、夫を攻撃するのとよく似ている。全く男らしさなどかけらもなく、他人に対する慈愛の心など全く持ち合わせていないといえる。こんな指導者が社会を牛耳っていることを、若い人たちのために嘆かざるを得ない。舛添知事も同じ、東芝の経営者も同じ、三菱自動車の経営者も同じ、社員に対する、社会に対する責任などどこ吹く風、自分を守ることだけにきゅうきゅうとしている。情けない日本の現状であるが、孫崎さんのこの投稿を多くの若者が目にしてほしい。
第二次大戦で灰燼に帰した日本が、驚異的な復興を果たしたのは、本田宗一郎、井深大、松下幸之助らの活躍が大きい。
彼らは創業者として、「こんなものがほしい」と考えた商品を作り、世間に受け入れられたことで成功者になった。その影には、同様の夢を実現したのに、社会に受け入れられずに消えていった人も数え切れないだろう。成功者と失敗者の差は紙一重なのかも知れない。成功者の伝記を読み、学んだ人が、必ずしも成功者になれないのはそのためだ。
まして、ホンダ・ソニー・パナソニックの会社の経営を委ねられた後継者たちは、創業者の重圧が負担となり、無難な経営になってしまうのではないか。それが日本経済を停滞させているのだろう。
これを打破するには、既存の企業ではなく、新たな創業者による起業が必要だと思う。だが既得権益者の利益を重視するアベノミクスは、新規起業に制約が大きい。
9インチモノクロMacの頃からのMacユーザーです。
当時、MS-DOSに圧倒されAppleは青息吐息、今使っている機種が
最後のMacになるのではと心配し続けた多くのMac使いの一人です。
当然このコメントもMacで。
ジョブスの有名なスピーチですね。
2005年のスタンフォード卒業式。
長生きして欲しかった。
日本の伝統的精神を重んじる孫崎さんがスティーブの言葉を引用することの意義は小さくない。スティーブの方が今の日本人より武士道を会得している。彼がオイゲンの『弓』を愛読していたことは有名。永平寺にも来たがっていた。戦国の日本人と同じく「死」を決意した強さをもっていた。今や米国人の方に日本のよさを理解している人が出てきている。