ISは過去イラク、シリアでの支配地域の拡大をめざし。テロ組織としては異例の行動をとっていた。
この戦略は当然、空爆等の米国との激しい攻撃対象となる。テロ活動としては必ずしも望ましい戦闘形態ではない。
ISの特徴は世界各国、主としてイスラム圏、プラス英国、フランス、ベルギー等の先進国からの参加が見られた。
この中過去2,3か月の間にイスラム圏は戦略の変更を発表している。
各国の同調者に対して、「イスラム国へきて戦う必要はない。自分の地域で、イスラム国と戦う有志連合勢力に攻撃しろ」と発表している。
この際攻撃場所は「ソフト・ターゲット」、警戒の弱いところ、一般の市民が集まるところである。
それが今回のダッカでの攻撃となった。
実は日本では報道されていないが、新たな展開はマレイシアでも発生している。
4日米軍準機関紙「星条旗新聞」AP電掲載
「マレイシアは7月28日爆発(Ju
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バングラデシュのテロは、裕福な家庭の若者であり貧困者ではないと、マスコミ評論家は、盛んに強調している意図は、何であろうか。
ISのように多くの人たちが集まれば、組織的な行動が不可欠であるが、国際社会に散らばったIS支持者たちは、一定の知識教育を受けたものでなければ不可能であるし、貧困者を使う場合、IS支持者たちの情報が安易に漏れることを警戒しなければならず、また、部分的なテロ活動であれば、深く潜行する必要性も無視できない。IS指導者自ら、犠牲になることをいとわないテロであると、防ぐのが大変難しくなってくるのではないか。
日本人が大きく巻き込まれるようになったのは、忘れもしないが、イスラエルで「テロとの戦い」を高らかに宣言したことから始まっている。記者発表の時、イスラエルのネタニヤフ首相が、「そんな発言をすれば日本が標的になるのですよ」と忠告しているのが聞こえなかったのか、無視したのかわからないが、友好国の忠告さえ無視する安倍首相の発言を取り上げる評論家が一人もいない。保守だけでなく、リベラルも情けない状況下にあるといえる。
まさに安倍氏の罪は万死に値するほど重いが、能天気な国民はそのことに気づかず、安倍内閣支持率は35.5%と依然高いままです(昨日のNHKニュース)。
このままでは、本当に「憲法改正」が現実になってしまうかも。
孫崎先生のおっしゃる通り集団的自衛権の行使がテロを日本に呼び込む可能性につながると私も思います。但し、私の場合、もっと悲観的です。ISは既に日本を十字軍の同盟国として後藤さんの殺害前に認定したわけですから、その時から彼らの敵です。バングラデシュレストラン襲撃は、考えたくもないですが、戦闘行為の一つだと見なければならないと思うのです。日本でこの種のテロがいつ起こっても不思議ではないと思っています。その解決策は唯一つ安倍氏の政治をやめさせるしかない。その為には選挙で安倍氏を打倒しなくてはならない。そういう思いを民主主義者の私は一層固くしています。
ただ、このISのルサンチマンの本質が私には全く分からない。私が調べて学んだ範囲で恐縮ですが、回教徒のジハードが最も敵視しているのはシオニズム運動です。反シオニズムを唱えないジハードはあり得ない。ジハードは正義を生きる生活のあり方全般を言うらしいのですが、その中には戦闘行為もあります。ISの行動に反シオニズムのかけらの一つも見出すことが出来ません。彼らの使う頻度の多い言葉は十字軍です。少なくとも私は彼らがジハードを使ったことを思いだすことが出来ません。更に言わせてもらえば、イスラエルは安全地帯にいるみたいですね。米国では大衆が密集する地帯で不可解な事件が頻繁に起こっているのですが、ワシントンの要人は安全みたいです。ISが一体この世にどうしてもらいたいのかさっぱり分からないのです。
例えば東京や大阪などの近郊で、鉄道の駅や車内でテロが起こったら、どれほどの人が犠牲になるだろう。
それを防ぐための手段は何も施されていない。
こんな情況でも、米国から支持されれば、直ちに自衛隊を派遣しなくてはならないのだ。
国民の命を無視して、対米隷属を「唯一の選択肢」とする安倍政権を、日本国民は許すのだろうか。
参院選は、そんな安倍政権に対する「信任投票」と考えなくてはならない。
言葉はない。只「戦争だけはしてはならない」。
私も、唯、「戦争だけはしてはならない」と言おう。
戦争したいのは死の商人だけだよ。
日米同盟によって、従属を強いられながら、平和憲法を死守することに精魂をかけている姿は、私には、「木を見て森を見ない」たとえが、当てはまる。
「ネオコン、シオニズムをみて、米国を見ない」ことと、同じようなものである。
「憲法を見て、日米安保を見ない(あえて遠ざける)」と同じことでもある。
多くの日本人が、核心を外して、議論する習慣というより、米国批判を逃げている姿は滑稽というか、みじめに思えるのです。日本は、なるようにしかならない。議論を回避する国民であっては、致し方ないのでしょう。