A:事実関係
8 月 15 日WSJがペギー・ヌーナンの「同胞を見捨てる世界のエリート」のを掲載した。
ペギー・ヌーナンはWSJ定期的寄稿者。レーガン元大統領のスピーチライターを務めた経歴を持つ主要論点
これに対して、なんと今次共和党予備選に出たジェブ・ブッシュが賛同のツイッターオをしているA thoughtful, provocative piece by @Peggynoonannyc. It's an unfortunate reality, but I think she gets this right.
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WSJヌーナン論評「同胞を見捨てる世界のエリート」
・西側では今、社会の頂点に立つ人々と社会の底辺に生きる人々に距離が生まれている。社会が比較的安定していた時代には、
コメント
コメントを書く民主主義の基本、国民主権といっても、国民に能力の差が出てくるのは当たり前である。また、組織を組めば、知的能力の高い組織が勝ち残っていく。モノづくりでは日本は米国に勝てても、金融では絶対に勝てない。
政治がコントロールしなければ、当然のように、強者弱者の差が個人だけでなく、国ごとの差が歴然としてくる。米国もモノづくりで、世界を支配していた時代は、管理システムによって効率を上げ、大量生産時代を乗り切ってきた。日本、中国とコストで対抗することができなくなれば、企業家は、モノ作り経済から金融経済に、転換を余儀なくされたのは、致し方なかったとみるべきでしょう。問題は、ヌーナン氏が指摘しているとおり、政治による歯止めが利かなくなり、金融という限度を超えた怪物経済が、世界に君臨するようになり、米国社会も蝕みはじめていることである。
世界の脅威は、国と国の戦争よりも、どの国も(中国も例外でなく)、貧者の抵抗があちこちに巻き起こり、世界的な庶民の反乱、混乱、紛争に発展していくとき、富者がどのような対応をするか。米国大統領選の混乱を見るまでもなく、この問題が現在の富者の最大の課題となって重くのしかかっているのでしょう。
パペチャル トラベラーという言葉が2,30年前に流行ったことがあります。今もそうなのかも知れませんが、小金を貯めて効率的に利を生む資産を作りその配当で食っていける甲斐性を40台半ばまでに獲得する。そして世界各国を3か月ずつ旅をする。そうしますとね、住民税他諸々の税支払から解放されるということなんです。ウオール街に勤めるヤッピーと呼ばれる人達はそういう風に考える傾向がありました。こういう人達は単なる節税思考家でなかったのです。労働から解放されたい、趣味に生きたいと考えていました。だが、国を捨てては居ませんでした。彼らはまだ健全で可愛いものです。
問題はウオール街のスーパーエリートたちです。彼らは世界を支配し所有し略奪する野望を捨てて居ません。そういうスーパエリートの手先となって動いているのが安倍政権です。出来るだけ早く日本の多くの国民にこの政権の愚昧を認識させる必要があります。
昨日、何気なくYOU TUBEを眺めていたら、イスラームの宗教指導者シェイク・イムラン・ホセイン師が「USドルというペイパーマネーを巡ってのロシア・中国 VS 米国の抗争はGODLESSの抗争だから必ず終末を迎える。第三次世界大戦は避けられない。結果、イスラーム世界だけが残る」と予言して居ました。一理も二理もあると私は思っています。
皮肉なことに、現在の米国の格差拡大は、レーガンの経済政策・レーガノミクスが生んだものだ(ヌーナンは知らないのだろうか)。レーガノミクスは新自由主義的政策であり、市場原理への信仰、社会保障の削減、大企業や富裕層のための減税、トリクルダウン理論、過度な規制緩和、軍事費の増大などを特徴とし、「小さな政府」を掲げた。その結果、米国には貧富の格差が広がった(日本は当時の米国と逆にデフレ社会だが、アベノミクスは新自由主義的政策という点ではレーガノミクスと同じだ)。
その流れは今でも続いている。たとえば、オバマが国民皆保険(オバマ・ケア)を実現しようとしても、ウォール街が強力に圧力をかけ結局は大手の保険会社と製薬メーカーが儲かる一方で国民は却って負担を強いられる制度に改悪されてしまった。
なぜ米国がこうした社会になったかについては、J・K・ガルブレイスの『満足の文化』(The Culture of Contentment,1992、邦訳、2014)に詳しい。20年以上前に書かれた本だが、米国の格差社会を知る上で必読の書であり、非正規雇用者が4割近くになった現在の日本の状況を読み解く上でも大いに参考になる。因みに「満足の文化」とは、既得権益を持つ(グローバル)大企業や富裕層が政府や国家によつて制度の上で守られる社会や文化のことだ。
>>3
同感です。
レーガンの取り巻きだったなら他人事のせいのようなことを
言わず自分の責任も語れと言いたくなりますね。