南スーダンの首都ジュバで七月に大規模な戦闘が発生した際、国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊の宿営地の隣にあるビルで二日間にわたり銃撃戦が起きていたことが分かった。南スーダン政府軍のルアイ報道官が十六日、共同通信に現場を公開した。
南スーダンPKOへの日本の参加を巡っては、停戦合意などPKO参加五原則は満たされているのか疑問の声が上がっている。安全保障関連法の成立から十九日で一年。同関連法に基づく駆け付け警護など新任務の付与について日本政府が検討する中、PKO参加の是非が改めて問われそうだ。
陸自は、宿営地内で流れ弾とみられる弾頭が見つかったことは発表済みだが、周辺での戦闘の詳細は明らかにしていなかった。
ルアイ報道官によると、銃撃戦があったのは七月十日から十一日にかけて。建設中のビルに立てこもった反政府勢力約二十人と政府軍の間で断続的に続き、政府軍の二人が死
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<自分の身に危険がなければ、負担をする人がいてもかまわない。沖縄の辺野古移転のメンタリティーが自衛隊にも適用されるのではないか>
日本人は、体制にすべてを委ね、自分に被害が降りかからない限り、体制に逆らうことがない。沖縄の問題が自分自身に降りかかるという意識がないように、自衛隊の活動が命を懸けたものになっても、特に気にかけない。自己中心の世界にあるのです。徴兵制などになると、逃れようがなくなる、勝手なことが言えなくなるので、戦場に赴かざるを得なくなる。
平和を謳歌している若い人たちは、日本が次第に戦時体制に移っていくとき、次第に個人の言論の自由だけでなく、行動の自由も制限されるようになるという国家の戦争という厳粛な権力を想定する能力に欠けるから、その時にならなければ気が付かない。覚悟ができているものにとっては当たり前のことであるが、大多数のノンポリは、「生死」に直面し、狂う人が多数出てくることも予想できる。
PKOとは平和維持活動である。
現実に戦闘が続いている所へ行くのは「平和維持」ではなく、「参戦」と言うべきなのだ。
しかも南スーダンは、大統領と副大統領の戦いであり、「どちらが正しい」とは誰にも言えないはずだ。
そんな戦闘に、米国に言われるままに参戦するのは正しい行為だと言えるのか。そのために自衛隊員の命を犠牲にする価値があるのか。
自衛隊を行かせる前に首相や防衛大臣が視察に行くべきではないか。
手の打ちようのない放射能汚染をアンダーコントロールと言い、収拾のつかない戦闘状態を「平和」と言う。
安倍首相こそ、「黒を白と言える人物」の典型なのだ。
私は南スーダンの情勢にとても暗いんですが、インタネットで検索しますと次のようなことを感じ言いたくなっちゃうんです。
1.孫崎先生ご提供の日本のPKO参加基本方針(恥ずかしながら、これも先生のメールで知った次第です)第三項の「中立的立場を厳守する」は今の南スーダン情勢下では難しいのではないでしょうか。何故なら、スーダン政府(アラブ人ドミナントの国家)は南スーダン(非アラブがドミナント)を認めていず徹底抗戦を維持しているではないですか。停戦合意は米ロのシリアに於ける停戦合意と全く似た「形だけのもの」のようです。
2.ロシア、中国もこのPKOに積極的に参加しているにも拘わらず、成果が出て居ないことは南スーダンの国家成立に無理があったと見ざるを得ません。つまり、南スーダンの石油資源をスーダンから切り離し、うまいことやろうという意図が見え隠れします。ブルネイが分離独立したようにはうまくいかないのではないでしょうか。意図の発生源が中国という説もあり、今後、泥沼化する危険を大いに含んでいるようです。
3.南スーダンの問題は超大国の米国、中国、ロシアの覇権争いのもつれそのものです。PKOという言葉を使っているが、問題の生い立ちが悪すぎる。自衛隊の諸君が気の毒に思う。
腐敗した権力に何にも言わない、デモにも行かない、ネットでうさばらしはしても現実生活では保身に徹する・・・こんな人々が自由を失うのは当然だろう。戦争に行かされて泣きべそかいて自由や思想のたいせつさにその時気づけばいいが、それもないだろう。70年前もなかった。みな「騙された」でごまかしたんだから。