・アメリカにおいて1980年代、レーガノミックスに代表されるような市場
原理主義への回帰が起きた。自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、
福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とし
た経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。
競争志向の正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう。
・経済効率を求める考え方ではあるが、失業などの敗者を生み出す。
・市場主義的原理主義者は経済効率を追求する貿易、技術革新などは個々の労働者などに害を与えても国全体の富の拡大は勝者が敗者に代償を与えるということで社会に善とされてきた。しかし、現実には勝者が敗者を補う機能は全く果たされず、敗者の貧困化の過程が促進している。
・これに対して一般国民の不満が、政治勢力として結集し始めた。それがトランプ誕生
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資本(富者)と雇用労働(貧者)とは別に、農業従事者、商業、サービス業など自由な職業を職業とする人もいる。
問題は、己の職業の選択が他人に託する(雇用される)場合の、生活保障の問題である。あくまでも雇用者に責任があるか、当然、限度は除外できないでしょう。限度も、企業によって大きな違いが出てくる。大きな売り上げ、大きな利益を上げるからといって、競争の中で勝ち取ってきたものであり、儲かりすぎているから利益を国家が巻き上げてしまえば、国際競争の中で、勝ち残っていくことが困難でしょう。
競争なき、恒常的な需要の中で、生産活動が行われていくのであれば、利益の国家に対する還元が可能であるが、競争を肯定する限り、分配論に限界が出てくるのであり、この限界を乗り越えるためには、資本の目指す活動が阻害されないことが、一番重要である。現在、中国は、格差が大きく社会問題になっているし、高齢化は日本より早いスピードで進んでおり、軍事費は巨大であり、中国がどのように乗り越えるか、非常にリスキーな年になりそうである。生産が高度成長の段階は、問題がないが、これから、日本、米国が味わった塗炭の苦しみを味あうのであり、注意してみていきたい。
米国の問題点と、中国の問題を並列的に見ていかず、一方に肩入れすると、肩入れしたほうがバラ色の生活が確保されるような錯覚に陥ってしまう。資本主義、社会主義、共産主義の長所、短所を補足していくと、絶対的に優れた方式はなく、国民が決めていくしか方法がない。国家が大きければ大きいほど選択する道が限られてくるのを否定できない。国家を分割し、資本重視か、共生重視かを住民が選択する方式も一つの方法かもしれない。国家が大きくなればなるほど、国家の統制が大きくなり、住民の意思とかけ離れていくのではないか。9条はともかくとして、憲法を見直していかなければ、体制の見直しができず、属国体制から脱皮できないことに、我々は気が付かなければならないが、今のままでは、属国化であり、新しいシステムの選択など程遠いといえる。
孫崎先生の新自由主義についてのご見解に全く同感するとともに敬服いたします。
新自由主義をこのまま強化し推し進めれば、米国は必ず内部から崩壊するでしょう。それを妄信し模倣する日本も必ず崩壊するでしょう。
ここで注意しなくてはならないことは、「失業などの敗者」はいわゆる無能力者や怠け者のことではなく市場原理主義に基づく資本利益最優先の結果生みだされるカール・マルクスが言うところの労働予備軍のことであって、経済学のマクロ概念であることに留意せねばならないことです。敗者や貧者ということから個々の怠け者を連想しがちですが、経済学ではそういう取り扱いはしないということです。