今、安倍政権の下で、民主主義と言われぬ事態が次々展開されている。
顕著なのは言論の弾圧である。加計学園での決定において、「安倍首相の意向」とする内部文書が実在したと証言する前川元次官を、人物破壊する。それに大手新聞が加担する。「国境なき記者団」では報道の自由度で日本は世界の72番目という危機的状況であるが、日本国民はこれにほとんど関心がない。
日本は民主主義国家というが、この民主主義は、占領軍に与えられたものだ。その脆弱性が今、出てきた。占領軍の与えた民主主義というものを、歴史的に見てみたい。
ジョン・ダワーは一九三八年生まれ。MIT教授など。『敗北を抱きしめて』(岩波書店、二〇〇一年)は一九九九年米国で出版され、ピュリッツァー賞(ノンフィクション)、バンクロフト賞等を受賞。日本を対象にする本が全米的に評価されるのは希少。その引用。
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>>3
「民主主義」についてのひとつの理想的なみかたですね。そのように民主主義の理想を理解することには、だれも反対する人はいないでしょう。
ただし、それが現実の政治的な立場として「民主主義は表現の自由とある体制下では究極的に一致する」「表現の自由は民主主義に従う」となる場合があることが危惧されるわけですね。
あと、話は変わりますが、「民主主義が築かれる土壌ができていないので、民主主義が育たない」のなら、永久に民主主義は育たないでしょう。「民主主義が築かれる土壌ができていない」のだから。
ダワーの議論はただの西欧あるいは米国中心主義に私にはみえますし、それを(最近の孫崎さんのマイブームの「外国人のことばによる日本批判」のために)前川問題に牽強付会したのだと、やはり私にはみえます。
>>3
younghopeさんのお人柄まで感じられるコメントで、私はとても好感をかんじるのですが(決して嘘や皮肉ではありませんょ)、
私がつねづね感じているのは「日本では少数意見がいつまでも異論を言い続け決して多数派に収斂していかない」ということです。ある意味、「民主主義の過剰」だということになります。
たぶん、younghopeさんと同じものをみて、違う感想をもっているのだとおもいます。
>>9
過剰な評価をいただき、恐縮しています。
私の理想は、米国とか英国などのように、二大政党制に収斂し、交互に政権を担当するシステムが確立することです。政治家だけでなく、国民も、思想信条面で価値観を共有し、個別政策の差を、政党選択の基準にするように自己改革してほしいのです。全く思想信条が違ってしまうと、選択する国民が、思想信条を、選挙のたびに、左右どちらかに変えなければいけないことになってしまう。現在は、国民に選択の余地を与えない与野党対立であり、私などは、安倍政権を支持していないが、自民党を支持することになってしまう。このような選択をする人が多いが、加計問題を誤ると、国民の支持を一気に失うことになる。自民党は、あまり傲慢になって、国民無視を続けると、大きなしっぺ返しを受けるでしょう。
>>9
あなたのつねづね感じる「日本では小数意見がいつまでも異論を、、、」と言い、民主主義の過剰というのは、私の感覚からすれば、全体主義志向丸出しの横暴を感じるんだけど、そうではないですか?
>>7
あくまで権力側といっているのであって政治家とか大学教授とかを指してははいません。内閣や官僚を権力側といっているのです。抗議する相手が見えているのだから中止された側は、反論する機会が
あるわけですから。もっと怖いのは会場を提供してくれるはずだった相手が政治テーマだと理由で断わってくるケースです。反する政治的な立場の人が抗議する事を想定し会場が使えなくなることです。今回のケースは、どんなに抗議があっても有意義な講演だと主張し、抗議する人たちを説得すべきだと思いますよ。でないと多様な言論空間なんか夢でしかない。民主主義は面倒だから止めようよてなことになりはしませんか?
>>11
権力が現場に分散し土着化していく。どこでもその傾向はあるのですが、日本・日本人ではとくにその傾向が強いと思っています。現場の土着権力が上部・中央の権力と異なる少数意見をもった場合、いつまでたっても中央は現場をコントロールしきれません。そのことを「民主主義の過剰」と皮肉っぽく表現しました。この「民主主義の過剰」に戦前の内閣から今日の内閣まで、民主党政権時代も含めて悩まされていると私は見ています。具体的には前に書いたことがありますから省略します。
「統治機構のなか」のはなしであり、さらに「統治機構の意思決定がなされたあと」のはなしなので、統治機構がどう選ばれるかとかその正統性がどこに由来するかというはなし、すなわち「民主主義」かどうかのはなしでは二重にないのですが(したがって全体主義かどうかのはなしでもない)、孫崎さんも野党も新聞も、得になるからこれを「民主主義」の問題にしたがります。なんで得になるかというと、「民主主義」には「少数意見尊重」が組み込まれていて、これが上部・中央の決定に(決定後も)さからう根拠になるからですね。こういうのが冒頭にかかげた日本人の性質とあいまって、とっても居心地いいのでしょう。
>>15
今回のケースで企画者が早々にヘタレたのがふがいないことはご指摘のとおりです。
しかし、ヘタレたのと国会議員や国立大学教員から圧力があったのとは因果関係があることでしょう。
国会議員にも国立大学教員(=公務員)にも憲法尊重擁護義務が課せられます。
念のため条文を掲げておきますね。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
安保法制のころ、「立憲主義」がさかんにいわれ、憲法は権力者をしばるものだといわれていましたが、99条は立憲主義のひとつのあらわれだというのが通説です。そうすると、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」というのは「権力者」の例示列挙ということになりますね。
しかし、国会議員にも国立大学教員にも思想信条の自由はあり・・・まあ、あとは自分で考えてください。難しいかもしれませんが。
ここでの発言が多くなったので、私からは、ここでは、これで終わります。
>>16
国立大学の教員や職員は、非特定独立行政法人の職員で、公務員ではない。みなし公務員である。
守秘義務や贈収賄罪や公務執行妨害罪は適用されるが、憲法第99条の制約は受けない。
>>16
相変わらずあー言えばこういう。詭弁ですよ。あなたの言っていることは全て。今回は統治機構とかわけのわからない言葉を持ち出して自分の世界に入り込む。それを私は滑稽だと言っているのですが。あなたは一体国民の意見を一つに収斂させて安倍政権を熱烈支持し(そう見える)、安倍政権の政策に反対する者を屁理屈で煙に巻いて、一体何をやりたいのかな。金か?先日は福祉が問題だとか言ってたが。そして私には陰謀論者とか言って世界征服主義者のネオコンの教祖ブレジンスキーのセリフまがいの発言をして私を罵倒した。やっぱり戦争が好きなんかな。
>>1で書いたことは大事なので同様の内容をくりかえしておきます。
言論弾圧は、古典的には権力側が直接やっていました。戦後は、民間により弾圧に行政がどう関与するかという問題が生じました。そして最近は、国会議員がかかわる集団がヘイトスピーチと称して言論弾圧するという新しい類型が加わりつつあるわけですね。
この認識が孫崎さんにはなさそうです。