ロバート・ベラーは一九二七年生まれ。米国の社会学者。
ベラーは徳川時代を「集合体への献身」とみなし、「一人一人の集合体に対するろ結びつきは、集合体の長に対する忠誠心ちとして象徴される」としている。その際、「集合体の長」は「人物が誰であるかを問わず、集合体の長に対する忠誠」が求められるとしている。
そのことは「個人が全く個人的関係のない人物(たとえば天皇や将軍)に対する心からの忠誠の可能性を意味し、単なる個人的影響の範囲をはるかに超えて、強力な政治的影響を及ぼし得る」性格を持つとしている。
批判を招かないために、「多くの場合、執行上の役割を持たない傾向がある」「実際の行政機能は、一番番頭とか家老等に委ねられている」という現象が生まれるとしている。
ただ、徳川幕府は限界を内蔵しているとして、「将軍そのものの正当性に関するものである。現実には、将軍家は、日本における実
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ロバート ベラー氏に対する見方は、発言の全体像を見て考える必要性があるのではないか。
ロバート ベラー氏の言葉
日本は世界の大国であり、第三の経済大国であり、驚いたことに海上自衛隊は世界第二位の力がある。健康保険制度など日本は、どの分野でも世界の国々の中で、トップクラスであり、日本はモデルになる社会なのである。
世界において日本はどこにいるのか。どこにもいない。私たちは日本を必要としています。日本が豊かで成功した国であるにも関わらず、実際には身を隠している。
最高の賛辞である。リーダーシップをとらない原因を江戸幕府に求めているが、江戸時代は、一面では上下調和した最高の社会とみることもできる。
ロバート ベラー氏が言いたいことは、
「近代の戦争や植民地という「他者の支配」は、相対主義、特殊主義に陥り、普遍をあきらめた結果であり、否定しなければならないが、人々を解放した側面もある。今後は倫理的近代化を受け入れていくことにおいて、達成可能だといっている。日本が普遍化をあきらめたのでなく、「世界は、日本の普遍化を見ていくべき」と考えています。
ずいぶん前だけど、「日本人は礼儀正しいと言われるが、
その礼儀正しさは身内にしか向かない民族だ」という
外国人の日本人観察のオピニオンを何かで読んだ。
身内意外の人間にはひどく無礼であると。
早朝の公園で見知らぬ人同士が会った時、無言を
決め込む日本人はとても多い、と。
自分の国ではそういう時、声を掛け合う人は
日本人よりはるかに多い、と。
若者ですら、列車で空いている席を「身内」ために
占領し、「身内以外」を立たせたままにしておくことが
平気だ。
自分の国ではそんな行為は見たことがない。
日本人にとって社会は身内だけで構成されているようだ、と。
>>2
ロバートベラー氏が、
「日本が豊かな国であるにも拘わらず実際には身を隠している」と言ったとは驚き。
米国の戦争屋が身を隠せと強制しているからだと思うのですがね。日本の支配層は皆弱点を握られにっちもさっちょも身動き取れないのが実態ですよね。
彼は更に「リーダーシップを日本が取らない原因を江戸幕府に求めて居る」、一体どういう種類の社会学者ですか?上記に言った通り、リーダーシップを摂ると米国の怖い層に起こられるから取らないだけで、ベラーさんは社会学者として方法に於いて間違っていませんか?
もう一つ、ベラー氏が説くと言われる「倫理的近代化」をベラー氏の母国である米国に於いてしっかりなされれば、世界の倫理的近代化完璧になるというのが、世界の良識の定説なんですよ。言いたくはないけど、ならず者国家の体質が米国に横溢していることをベラーさんは認識していない見たい。江戸時代に素晴らしい分析を加えた社会学者ベラー氏は灯台下暗しということになりますか。
一昨日か、プーチンさんは、日本の記者団に「日米同盟」を破棄しないと平和交渉は前に進まないと言いました。最もな話で、安保廃棄があって初めて日本が独立国と言われるようになる、それまでは、属国、いや、正確には植民地、です。そんな日本にリーダーシップ?とんでもない。あなたはそう思いませんか。
>>4
ロバート ベラー氏は、正確には宗教社会学者であり、市民宗教論を展開した。福沢諭吉を信奉する丸山真男と親交が深かった。東京大学駒場での講演の一部を転載したが、この講演内容以上に日本の世界での信用度は非常に高い。中国が「一帯一路」を進めているが、中国の信用度が国際社会で極めて弱く、日本の力を借りなければ進まなくなっている.こんなことも知らないのですか。
あなたの物の見方、考え方は、日本人としておかしな方向に向かっていることが分かりませんか。批判することは大切であるが、自分の国の良さをもっと評価すべきでしょう。諸調査によると、国際社会において、日本に対する好感度は、中国、韓国を除けば極めて高いのです。自信を持ちましょう。
>>5
あなたは安倍君と同じですな。国会答弁と同じくあっちこっちと論点をはぐらかし挙句の果てに中国や韓国を持ち出してまぜこぜにする。そして最後には日本はスゴイぞと自慢する。一体あなたは何者ですか?恥ずかしく思いませんか?
前にもこんなことがあったな。時間の無駄だと忠告が第三者からあった。あなた自身も自分は天の邪鬼だと言ってたな。思い出したよ。不協和音を鳴らすことを命じられてやってんだな。そうでしょう。
>>6
不協和音って、何ですか。都合が悪くなるのかどうかわからないが、私は、私自身の考えを私自身の言葉で言っているに過ぎない。日本をもっと大切にしましょうよ。日本を大切にして、何が悪いのですか。おかしな人だ。
>>7
安倍政権を批判すると日本を批判するとすり替えるあなたのその傲慢は何とかなりませんか。
不協和音。そうじゃないですか。あなたは自ら「天の邪鬼」と宣言してこのブログに登場した。天の邪鬼とは正当な理由を開陳することなくただ嫌味をいうことなんですよ。それを私は不協和音と名付けました。その言葉にはロジックも無ければ理由もない。お分かりになりませんかな。
>>8
「日本を大切にしましょうよ」が、正当な理由の開陳ではなく、天邪鬼で不協和音とは、わけのわからないことを言う人だ。
>>9
文脈の読めぬ人だ…
>>10
横から入ってきて適当な講釈を言わないでほしい。
私の天邪鬼をフレディさんは誤解しているが、私の視点とフレディさんの視点は正反対であり、フレディさんの言っていることは理解しているが、同意せずあくまでも私の視点で主張していることを天邪鬼と表現しているのであって、フレディさんの視点を否定しているわけではない。端的に言えば、わかっていながら、あくまでも私の主張はするということである。
フレディさんが、ご自分の考え方を大切にすると同じように、私も私の考え方を大切にするということである。したがって、何度、考え方を翻意させようとしても、お互いに生き方は別であり、無駄なことなのです。フレディさんから見れば、私の言っている文脈が読めないし、私から見れば、フレディさんは私の言っている文脈が読めないということになるのです。性格的にわかっていて議論を仕掛けるか仕掛けないかの差です。私は、議論を仕掛けないが、フレディさんは仕掛けるということである。視点が違うのですから、土俵が待ったく違い、議論しても文脈が合うわけがないのです。