日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲かこひの中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐おひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに
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真の自己に目覚め、自己主張できる人格者の集まりが、本来の民主主権を主張して行くものではないか。
真の自己に目覚めるとは、他人の主張を自己消化し、自己主張との違いを認識し、自己主張するものであるべきでしょう。
「自己を肯定他己を否定、自己を否定他己を肯定」の相互論理転換(哲学者鈴木大拙は即否の論理といっている)が容易にできる人でないと、選挙などの結果を認めることができず、体制批判を続けることになる。自己主張にこだわりすぎるのです。
民主主義と言っても、世の中に定まった正義があるわけでなく、選挙とか多数決で全員で決めたこと(正義)に従わないということは、他人の主張を認めないことになり、民主主権の政治を否定することに他ならない。
現在の政治は、ライシャワー博士がいっているように、「日本国憲法は日本人の意思で作ったものでなく、米国の意思を盛り込んだ憲法をあたかも日本人が作ったごとく暗示をかけられている」ように、民主主義どころか、憲法さえ自らの手で作っていないのである。定型的でない流動する国際政治の中で憲法の見直しさえできないのであれば、民主主義など「高根の花」であり、望んでも得られない。
高村光太郎を出すなら、こっちも出しとかないととおもいます。
12月8日
記憶せよ、12月8日。
この日世界の歴史改まる。
アングロサクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、
眇(びょう)たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
(以下略)
もうひとつ、
鮮明な冬
黒船以来の総決算の時が来た 民族の育ちが それを可能にした
長い間こづきまわされながら なめられながら しぼられながら
仮装舞踏会まであえてしながら 彼らに学び得るかぎりを学び
彼らの力を隅から隅まで測量し 彼らのえげつなさを満喫したのだ
(以下略)
専門的にはいろいろ議論があるのかもしれませんが、わたしのもつ印象は、
高村光太郎は、詩はものすごく上手ですが、思想的には、「時代の子」でした。
戦争がはじまれば戦争の意義を考え、戦争が終われば反省する。意義も反省も、
どこかから拾ってきたものです。つまり、ふつうの日本人です。
いま彼が存命なら、どういう詩を書くか。複雑すぎて、政治や国際関係がかかわる方面の詩は
書かないかもしれません。
それによく読むと、今回孫崎さん掲載の詩も、取りようによっては単純に戦後を
よしとはしていないようにも読めますね。
米国にも無い美しい民主主義の法体系が米国によって贈呈されたのは米国の慈悲が米国を動かしたからではないと私は考えて居ます。
英国の支援で何とか維新を達成した日本の支配層は大英帝国の意向に忖度して大陸、半島に向かって激しい侵略と戦争繰り広げたのです。そして、その過程で誕生した若手将校団は他国で多く見られるように、世界の言うことを聞かなくなったなったのです。
皆が知っているように日本は最後には米国に打って出た。日中戦争、それに続く太平洋戦争だけに限っても東アジアでの戦没者は少なく見積もっても3千4百万人を下らないと言われているのです。この美しい民主主義の法体系はこれら多くの戦没者の霊が日本人に贈ったものなのです。
米国で禁じられている共産党が日本で結党できるのも東アジアの霊が米国をしてなさしめたと考えなければ、米国が、その直後、朝鮮戦争、ベトナム戦争を「共産主義を根絶やしにするとの大義に従って」行ったわけですから、米占領軍の敗戦国日本への例外的対応の説明が出来なくなるのですよ。
そういう因縁を持つ日本の民主主義を一つのあり得る標準形として日本人は積極的に受け入れ、従わなければ、宇宙の摂理に反することになり、必ず、罰があたるということになりましょう。