日本人初の宇宙飛行士秋山 豊寛氏は、1995年にTBSを退社し退職した。ウィキペヂアは「次第に会社での居場所がなくなっていったことを退社した理由の1つに挙げている」と記述している。
 敏腕ジャーナリストであっただけに、現場で活躍し続けたかったのであろう。
 しかし、日本ではフリーのジャーナリストが活動できる場はほとんどない。発言の場を持つにはしっかりとした財政的基盤を確立する必要がある。
 1995年からは福島県に移住し、農業に従事した。ここに原発事故が起こる。
 毎日JPは次のように記述している。
「福島・滝根に移り住み、自給自足を目指して有機農業を始めた。滝根では阿武隈山地の標高約600メートルの山里に1ヘクタールの土地を購入。シイタケの原木栽培をはじめ、コメや野菜づくりに取り組んでいた。そのさなかの東日本大震災だった。原発から自宅までは約32キロ。震災翌日には、近くの体育館に、第1原発が