〈当時の日本で、国家主義的かつ権威主義的な反動の裏には、数世紀に形成された日本人の
特質があった。ナショナリズムは常にくすぶり続け、煽りたてずとも燃え上がったし、武家
政治の下にあった日本人は、軍国主義者の主導権主張を唯々とうけいれた。〉
〈幾世紀もの間の権威政治におとなしく服していたせいで、日本人は、再び権威主義を押し
つけけられてもほとんど無関心であった。〉
出典:エドウィン・ライシャワー著『日本《過去と現在》』(時論社、一九四八年)
■解説
前出のエドウィン・ライシャワーは一九一〇年生まれ。ハーバード大学教授。一九六一年に駐日アメリカ大使。著書『日本《過去と現在》』(時論社、一九四八年)から関連箇所を引用する。
〈事実、彼らの多くは、せっかく手に入れた知的・政治的自由にぎこちなさを感じて、むし
ろもう一度天下り権威のもとで感情的な安住を得たい、とさえ考
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現象面だけを丹念に追って行けば、ライシャワーさんの記述も「そうですよね」と相槌をうちたくなるのですが、よく思考をいたせば、そんな簡単なことだろうかと思いたくなります。もっと深い裏に英米の資本主義の底知れぬ強欲の工面工作があって日本の歴史が造られたと考えるのです。
明治維新は、孫崎先生がご指摘されるように香港の事務所を構えていたジャーデンマテソンあたりに代表されるロンドンシテイの大財閥の意向、つまり、中国の半植民地化を更に徹底すべく日本のサムライを使いたい意向、にそって日本の強兵が進んだ。その甲斐あって、実力も付き、日清、日露戦争を激しくやった。その戦時国債はシテイのロスチャイルドが一手に引き受けているのです。
その後の日中戦争前後にかけてはウオール街のモーガン財閥が日本のスポンサーになっている。逆に言えば、当時の日本支配層はモーガン財閥に頭が上がらなった。
私は日本の近代化は英米の財閥のプランに従った結果だと言いきっても間違い無いと思っています。
続く
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続き
そして、日本の軍部の登場。軍部は自分らの命がロンドンシテイ、ニューヨークウオール街の財閥の利益の為に犠牲になっていることに気付き、対米戦争にまで発展した。これは、シテイ、ウオール街にとっては想定外だったに違いない。
戦後、ルーズベルト・ニューデイール派の日本人にとっての想定外の活躍があって、日本人は平和憲法を抱くに至った。そして、日本の財閥家の解体、農地解放は憲法に匹敵する圧巻だった。マッカーサーが大丈夫か?これはプロレタリア革命では無いか?と危惧したくらいのものだった。
この財閥解体、農地解放と平和憲法のお蔭で日本人は平和産業にひたすら特化し、成功した。ところが、今、安倍政権は米国の財閥の意向に従って中國攻めをプランしている。中国は昔の中国じゃない。先の日本の中国戦での蛮行を許し、日本人への憤懣を捨てた大人の国中国を日本が敵とする。普通のノーマルの脳の人間だったら、そういうことは考えません。非常に危険です。
以上のように日本の近代化と現在を総括してみました。このような総括では、日本人の歴史的特性とか性情は大きな問題では無いように思っています。
外人、特に米国人の日本人論は、勝者の論理に基づくものであり、間違いではないが、戦後の教育を受けてきた日本人から見ると、どこかしっくりしない。
戦争では、本来守りに重点を置き、相手との戦いに対抗できる戦力があるかどうかが、第一に考えられなければならない。
当時、連戦連勝で拡大主義を第一義に考えていた軍部は発言権が強く、経済制裁は何としても突破しなければならないという使命感が、相手の戦力を見誤ったのでしょう。真珠湾を攻撃しても米国のほんの一部に過ぎない。防御の体制を一切無視した無謀な戦いに突入した主因である。
最近実感し始めているが、日本は憲法のお陰で自衛に重点を置き、防御に秀でた戦略を蓄えてきたと思えるようになった。潜水艦技術も攻撃を主体とするのでなく、防御を主体にしており、レーダー技術は他を寄せ付けない技術を保有している。すべての兵器が防御を主体とするから、中には迎撃ができるとかできないとかいうが、迎撃システムを導入すれば日本の技術で、世界の水準をさらに高めた迎撃ミサイルに高めていくことができるのです。端的に言えば、米国の技術に隠れているが、さらに高度な兵器に高めてしまう。今まで憲法の壁で、我々の想像を超えた自衛力がかなり高められているのではないか。逆に、米国に隠れ世界的技術をさらに高める技術を蔵する日本の軍事力が、現在どの程度か知らないが、さらに高められれば、自衛と憲法を隠れ蓑にして、世界有数の軍事国家になっていくのではないか。
天皇をあがめる幼稚な精神構造の民族だからです。
解剖学的にごく普通の人間であることが明白な人を
特定の家に生まれたからといってあがめる人たちの精神構造が
わたしには理解できないのですが、まあ、権威主義といえば
言えるでしょう。