1:谷川浩司九段は1962年4月6日(58歳)生まれ。中学2年時代に四段に昇段してプロデビュー。加藤一二三以来、史上2人目の「中学生棋士」。史上最年少名人(21歳)他の棋士が思いつきにくい手順でたちまち敵の玉を寄せることから、「光速の寄せ」、「光速流」というキャッチフレーズが付いている。
藤井聡太氏については次のエピソードが伝えられている・「憧れの棋士であった谷川浩司に、2010年の将棋の日イベントで、二枚落ちで指導対局を受けた。谷川の玉が入玉模様となり、谷川の勝勢となったため、谷川は引き分けを提案した]。すると藤井は猛烈に泣き始めて将棋盤から離れなくなってしまい、ちょうど居合わせた棋士の杉本昌隆(後に藤井の師匠となる)が取り成しても効果がなく、母親が飛んできてようやく収まった。8年後の2018年、既にプロ七段になっていた藤井は、この時の心境について「子ども心にまだ勝てるチャンスがあると
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将棋には私は小学生低学年の時にすごく熱中したけど能力の無さを痛感して断念しました。でも、プロの将棋は熱心に見てます。特に藤井聡太さんの将棋は面白いですね。森内九段は藤井聡太さんの手は花があると言ってましたが、私もそう思います。
糸谷八段は藤井聡太さんは20手から25手先を速いスピードで読めると言ってます。普通のプロは10手から15手先を読むのがせいいっぱいとのことです。
天才と言われる羽生さんは将棋盤を4つに分けて、それぞれの図面を脳中で変化させるということです。藤井聡太さんは脳の中で将棋盤上の駒を動かし、20手先の画像を素早くくっきり脳内でイメージ出来るだけでなく、その図面が自分に有利なのか不利なのか素早く判断できるのではないかと私は推測してます。勿論、図面が不利なら別の筋で20手先を予想し、甲乙判定するのです。そういう脳内作業に藤井聡太さんは卓越しているのではないでしょうか。
単純に将棋の世界のことを言っているのではないことは、次の言葉で理解できる。
「配置された全体の駒の森を見る.そして個々の木々にどのような役割があるかを感ずる。そして解く」
世界の問題でも、日本の問題でも、無心になって眺めると、四方八方に展開している現象は、時、場所が違えば、各々違った現象を現出している。同じ現象はあり得ないわけであり、右とか左の位置に立ってみれば、無心になって見られる世界が偏ったりしたいびつな世界観になってしまうということでしょうか。
分かっていながら、無心になれない人間は、常に己を中心とした世界観が支配し、他の人たちの世界観と対立し、紛争が起き戦争につながる愚かさを過去・現在・未来と続けていくのでしょう。
自分は将棋好きで谷川ー羽生戦とか棋界の花形棋戦の棋譜を眺めた時がありました。解説がないと意味が解らない手が多いですが。谷川将棋は好きです。羽生将棋の特徴は駒の交換が頻繁で訳が分からないようになるのが特徴ですかね。
谷川九段は厚い羽生世代と7歳違いでの厳しい戦いを味わったのかもしれません。
大山永世名人以外のトップ棋士は40歳半ばで衰えの宿命が待っているようです。谷川九段も例外でなかったようです。
自分は仕事で車を運転するんで事故が怖いので最も神経を使う将棋の趣味を中止してます。
その分世の中の勉強に精を出しています。世の代わり目なので先を知りたい気持ちが強いようです。
>>2
どうも、貴殿の文脈が気になってコメントさせて下さいな。
谷川氏は詰将棋とは駒の配置の全体像を森とみなし、個々の駒を木々と見、解きにかかるものだと認識しており、かなりの年季がなければトップのレベルには達しないものだと考えている。そのような詰将棋を小学生でやれる藤井聡太さんに驚いている。
孫崎先生は詰将棋に取り組む藤井聡太さんを小説家やクラシック音楽の指揮者と同じように見ておられる。
そして、貴殿は世界や日本の問題を「無心」になって眺める、と飛躍しました。何故、無心なのか?不思議です。何故なら、藤井聡太さんは正解を誰よりも速く出すために駒の配置を見てます。指揮者が何故一所懸命に指揮するかは素晴らしい音楽を作り出す為です。無心ではありません。小説家が登場人物を丹念に表現するのは立派な小説を作る為です。
ついでに私のことを言わせて貰えば、世界の問題、日本の問題を見る場合、「戦争反対、世界平和維持」の観点に立っております。
藤井聡太さんの将棋から何故、「無心」が出て来るのか?繰り返しになりますが、分かりませんね。勿論、貴殿は「分からないで結構」と感情的になるんでしょうが。
>>3
藤井聡太さんの将棋をどうお思いでしょうか。
羽生さん以下全てのプロの棋士は藤井聡太さんの将棋の魅力に取り込まれているようです。そんなことで将棋界は大丈夫か?とも私は思うのですが、私も当然聡太さんの大ファンです。伝統的な定石を超越したその革命的な姿が実に頼もしいのです。
>>4
感情的になっているわけではない。あなたは、日本人なら理解できる日本人特有の霊性がわからないのです。
素晴らしい音楽を作るなどと指揮者は考えていないのです。作曲家が意図した音楽の世界観を自分が体感した世界観で表現しようとしているのであって、ただ、音楽を表現しているのです。
小説家も同じです。立派な小説を作ろうなどとは考えていないのです。自分が体感した世界と理想的な在り方などを組み合わせた世界をただ表現していった結果が、人々の心を打つ小説になっていたということに過ぎない。
書家であっても同じでしょう。ただ書いているだけであり、立派な書にしようなどと考えていないでしょう。王義之など、お酒を飲んでから書いた書が素晴らしく、後世の人たち評価している。無心になって書いたのであって、立派な書をかこうなどと考えていなかったのでしょう。
将棋も同じでしょう。ただ、無心になってなんても先を読んでいくと、その結果が勝利につながるのであって,勝負にこだわり、勝とうと意識したら、だめなのでしょう。
>>5
自分は田舎アマチュア1-2段の腕前でインターネットの将棋俱楽部24で同じ位腕前の対戦相手が楽に見つかる環境になり喜んでいましたが、中止中で新聞棋譜やNHK杯とかも見なくなりました。
でもトップ棋士達が注目する藤井将棋とあなたの投稿で見たくなりました。NHK杯とか注目してみます。
将棋俱楽部24では5-6級でも強敵揃いで勝てなかったですね。田舎者を痛感していました。