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随想 街宣右翼、日本武尊、大和魂㊿
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随想 街宣右翼、日本武尊、大和魂㊿

2021-05-24 07:28
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春はベランダ越しに様々な小鳥の声がする。姿が見えないのでどんな鳥かは分からない。時折「「ルルルル」「ピーピー」そして「ホーケキョケキョ」の鳴き声も聞こえてくる。特に日曜日は自動車の騒音も少なく、小鳥の声が響き渡る。
 そうした中、突然大音響のがなり声が拡声器から響いてくる。乱暴な言葉使い、乱暴な声。不思議なことに、彼ら街宣右翼は自分達が最も正当な日本人だと思ってがなりたててる気だがこうした街宣右翼位、日本の伝統と逸脱したグループは存在しない。
 アイヴァン・モリスは著書『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』の中で、「日本における英雄像の長い系譜をたぐると、浮かび出てくる哀感をたたえた孤高の英雄の原型は、日本武尊の生涯である」、「皇子の「たけく荒き情」にも魅力があろう。彼が次々に掌中にする数々の華々しい軍事的成功にも魅力があろう」「伝説時代の偉大な英雄、ロマンチックな英雄としての日本武尊の地位

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私の近所でも賑やかな小鳥の声が楽しいが、こちらも姿は全く見えない。特に好きなのが3音の速いメロディを繰返す鳥だが、ミソサザイ、キビタキ、オオルリのサンプル音を聴いても まだ予断を許さない状況である。
だが、そこへ街宣右翼が来たら、もう「店長を呼べ!」しかないだろう。しかし、店長も警察も来ない。嫌中/嫌韓ヘイトスピーチ団や「アベ政治を許さない!」を撃退する一団に対しても同様、警察は決して これらをマジメに排除しようとはしない。何故か。先日の生放送でゲストの青木美希記者が警察の裏金問題を追っていた頃のエピソードを語っていた-

「『暗い夜道には気を付けてね』と公安の人に言われたりですね...」

要は、「隷属者が隷属せざる者を排除する」動きの一環ということだ。隷属者の隷属先は何かと言えば権力者、即ち現政権、即ち米国(DS)だ。
DSが復権したことで、日本でも「隷属せざる者を排除する」動きが益々活発になる一方、隷属者は益々野放しになる。
係る「街宣右翼」の有り様など、所詮そんなものだ。鈴木邦男氏、荒谷卓氏のような「真正」右翼とは似ても似つかない。
「隷属者は益々野放しになる」いい見本は、現下の「ガザ虐殺」をやらかしたイスラエルを あからさまに擁護した中山泰秀防衛副大臣だ。どういうことか。今や日本支配の指示系統が次の通りであるとの指摘、状況証拠は多い-

米国(DS)→ 統一教会 → 自民・清和会

そうでなければ、↓などあり得ないだろう-

「統一教会系閣僚9人。安倍政権と変わらぬ菅政権の「新宗教・スピリチュアル・偽科学」関係」(2ページ目)
https://hbol.jp/231818/2

この記事で係る中山某も「統一教会絡み」であることが明かされている。そして、DS復権となれば、そんな輩が「野放し」になるのは当然ということだ。

No.2 41ヶ月前

日章旗、たまに星条旗を振り回す若者たちは街宣ビジネスに雇用された労働者です。若いIT関連ビジネスが政権に食い込み開発業務を請け負い、若いプログラマーを雇用し、IT長者になるのと同じく、街宣ビジネスにもそういう長者が街宣ビジネスにも居るだろう。そういう長者と労働者に大和魂とか日本武尊とかは全く関係ありません。

安倍政権発足当時、アラビア砂漠をダットサンの軽トラ群に乗ったイスラムの若者も中東の街宣ビジネスの労働者だと私が真っ先に捉えたのだが、米国が仕切る世界が「金は何でも買える」という条理で動いているのだから、当然のことです。案の定、消えてしまった。一部はウイグルに帰り、米国の対中国攻撃の口実になっている。全ては金。

20年程前だが、那覇で街宣車の横暴を目撃した。日本の街宣ビジネスはこんなところまで出張費を投資してヤマトンチュウの労働者を派遣するのか?と妙に感心したが、若者の顔を詳しく見たら、地元のウチナンチューの顔だった。そうだよね、労働者は現地調達、当たり前だ。

日本の古都で幕末から続く裏街道の親分が「わしらは失対事業を担っている。政府が阿保やから、わしらがせないかん」と言っていたが、事業に変りは無い。その顧客はおそらく権力か権力に近い金持ちだろう。


No.3 41ヶ月前

最近街宣右翼の喧しい雑音にあったことはない。忘れ去っていた。

政治的イデオロギーの愛国者団体もあるが、官公庁や企業また著名人を恐喝し資金を得るエセ右翼もある。エセ右翼は街宣右翼、行動右翼、任侠右翼などがある。

暴力団と表裏一体で暴力団自体神道的伝統を継承する国粋主義的組織の側面を標榜することもある。

暴力団は社会に認知されたパブリックフィギュアとして日本特有のもので、海外は理解に苦しむのでしょう。

必要悪とみなされている一面もある。日本人社会構造において、あってもなくても変わらないようであるが、なくてはならないものだろうか。

No.4 41ヶ月前

街宣右翼は暴対法後のヤクザの隠れ蓑であり、一方、ヤクザのほとんどは出身が被差別部落あるいは在日韓国・朝鮮人である、というのが右より界隈では定説になっているとおもう。真偽をたしかめるすべは自分にはないが、少なくとも「右翼」にもいろいろあるのは、「左翼」にもまともな左翼もあれば、劣化サヨクもあるように、いろいろあるのと同じだということはいえるだろう。

なんにせよ、孫崎さんのおすまいは都会の真ん中だったとおもうが、都会の真ん中の公道は政治的言論のために重要な場所であり、短時間であれば、右翼の言論であろうと左翼のであろうと我慢は都会に住むものの義務というか避けられない運命だとおもう。

ところで、今回の孫崎さんの文章には、源氏中の「なほ、才をもととして云々」が引用されているが、この「才」というのは、「漢才」つまり中国の学問、仏教文献を含め中国文献を自由に読めたり漢詩などを自由にかけたりすること、であることは、当時の日本を考えてみれば明らかであろう。つまり、諸外国の学問技芸を受容しつつ生きてきた日本では、その学問技芸と日本古来の情操とをどのように調和させるかが大きなテーマであり、源氏物語のころはその外国とは中国であったが、もちろん中国に限った話ではない。

このテーマがするどく意識されたのは、孫崎さんは引用していないが、江戸時代の国学においてであり、古事記にしても、源氏にしても、国学者(本居宣長など)が今のように読めるようにしたのだ。

別の言い方をすると、歴史の順序としては古事記などのほうがはやいが、日本の近世近代史における思想としては、国学という思想運動があってから、古事記などが発見され西欧列強に対峙してゆくバックボーンとなっていったということになる。

そして、その思想運動は明治維新や日米戦争をへて、いままた中国をどう考えるかという点にむかっている。孫崎さんが否定的に言及している軍国主義はその思想運動のなかのひとつの極端なかたちなのであり、そしてこの思想運動の本流こそは、右翼のなかのもっとも上質かつ本質的な部分である。

No.5 41ヶ月前
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