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随想 53 無償の行為② 砂漠に緑化に誘われて出かけて植林をしたこと
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随想 53 無償の行為② 砂漠に緑化に誘われて出かけて植林をしたこと

2021-06-21 07:48
  • 4

  私は防衛大学校教授の時に、生徒に次のように述べていた。
「偉くなりたいなら、私が教えることは全て忘れた方がいいだろう。下手に覚えて、批判をすれば偉くなれないだろう。ただ次の二つだけ覚えておいた方がいい。一つは出来るだけ多く、人に無償の助けをしてあげなさい。人生って不思議なことに、回りまわって自分が助けられる。次に誰かにプラスのことをするにしても、相手が期待する以上のことをしなさい。期待通りだったらそんなものかになるし、期待以下だったら逆に反発を招く」
 実はこの教訓は私が駐ウズベキスタン大使の時に自覚した。
 私は外務省では、情報調査局(名称は時々変化)の事務官、課長、局長を経ているが、この仕事は誰かと協力して成果を出すというより、個人の努力に負うところが大きい。従ってどうしても「個人主義的」アプローチをとる。
 私が駐ウズベキスタン大使の時、予想に反し日・ウズベキスタン関係が発展した。それは

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コスト・ベネフィットというのは米国のビジネス・スクールのテーマです。それ以外は一切教えません。米国は建国以来コスト・ベネフィットが基本的な心構えですから、公的部門、私的部門の区別は今も尚殆どありません。

連邦政府、州政府も私的部門のコスト・ベネフィットの対象となっています。言い換えれば、私的部門がコストを政府部門に掛けてその見返りとして私的にベネフィットを得ると言う仕組みなんです。

米国全体は上記のように実に分かりやすい。それを米国の上部構造は民主主義と名付けてます。勿論、世界の知識人は黙ってません。その民主主義をFAKE DEMOCRACYと呼んでます。

安倍氏が政権を再び担って以降、米国に倣って、徹底して米国のデモクラシーをコピーし、実行に移しました。今では、公も私もコスト・ベネフィットに奔走してます。これだけで終われば、可愛いものですが、戦争がコスト・ベネフィットの範疇で取り上げられるとなると、この列島は終わりになります。

戦争にならないように、我々は「無償の行為」を細々ながらも続けて行くしかありません。

No.1 41ヶ月前

武村正義氏とは懐かしい名前が出てきた。ひと昔前に戻る。

リクルート事件や金丸巨額脱税事件などが起き政治と金の問題が相次いだ。政治改革が焦点になり、非自民の連立細川政権が初めて樹立した。企業中心から市民中心の社会に変換していこうという戦後初めての自民打倒が成功した歴史的な時代であり記憶に新しい。

さきがけの代表に就任した武村正義氏は、滋賀県知事を3期務められ、自民党衆議院議員に転身され政治改革を訴えた。知事時代琵琶湖の環境保全に関する条例をいくつか制定した.地方の時代の先駆者であり、市民運動家とのつながりは多かったのでしょう。その一人が佐藤紀子氏ではないか。
「無償の行為」というより、市民運動を通じた同志的な仲間意識が今回のお話につながったように思っています。

コロナ感染者は東京地区(東京、神奈川、千葉)を除けば感染者が減少している。
感染者は、65歳以上は少なくなり、20~65歳の割合が増えているのに、65歳以上を優先している。重症化は防げるので医療的に見れば正解であるが、感染者数では若者を後回しにしたため、東京、神奈川、千葉の感染者数が少し多くなっている。若者の接種が本格化するまで、東京、神奈川、千葉は高止まりで推移し、7月上旬ごろから大きく減少するのではないか。

No.2 41ヶ月前

>>2
若者への接種は如何なものかと思います。

理由は二つ。
1.若者には強力な自然免疫が備わっていて、mRNAでわざわざ人工免疫を付ける必要性は無いでしょう。
2.イスラエルの報告では、心筋炎、心膜炎がmRNAワクチン接種で起こっており死者の報告も増加してます。

このようなことについて日本の専門家が黙っているのは犯罪ですよ。

No.3 41ヶ月前

ひとつまえの随想のとき、
https://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar2028560

わたしは、
「孫崎さんの場合は、まずみずから善意をつくし、相手を信頼し、相手をウインさせることで、つぎに天の配剤でみずからもウインする、というような展開がお好みなのかなあと感じる」
と書いた。

だいたいそのときわたしが思った通りの人生観、人生訓をお持ちなのだなあと思う。こういう人生訓を語るひとは珍しくはない。ただし、孫崎さんの場合は相手の期待よりさらに上をまず与えなければならない点が、やや実践が難しい。

わたしが気になるのは、この人生訓の限界線が奈辺にあるかということだ。今回のはなしに出てくるのは、直接的にはみな日本人だ。日本人どうしであれば比較的受け入れられやすい人生訓であろう。実践しているひとびとも多いだろう。日本文化と言ってもいいとおもう。

しかし、自公の政策のせいで移民が増えてくる。日本人と同じような顔をし、日本語もじょうずな元中国人(現日本国籍)なんてひとびとが増えてくる。そのときどこまでこの人生訓が維持できるだろうか。急激な移民は日本文化を目に見えて破壊するのではないか。

一方、外交の舞台ではどうだろうか。相手はそもそも日本文化を背負ってない。その相手に相手の期待よりさらに上をまず与えるというのなら、尖閣どうぞどうぞ、沖縄どうぞどうぞでは、まだダメで(なぜならこれらは相手の期待の範囲内だから)、もっとなにか与えなければならない。そのうえで、相手がなにか自分にとっていいことをしてくれるのを待つのだ・・・

どうも、わたし程度が思いつく限りにおいて、この人生訓は外交の場面では普遍的には役に立ちそうにない。

さきの随想の感想のなかに、
「しかし、宇治拾遺のわらしべ長者をみても、主人公の男には、多少は駆け引きがある。現実の外交関係でも問題はそういうあたりなんだろうとおもう」

と書いたとおりだ。鎌倉時代の日本人は、孫崎さんの人生訓よりも、少しリアリストだったようだ。

ところで、、自分と意見の違う他人には、ののしり、つきまとい、さげすむヒトがいる。こういうヒトは、この人生訓にかなった生き方をしているだろうか。

No.5 41ヶ月前
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