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随想75 絶筆③ 松本竣介 「彫刻と女」と「建物」
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随想75 絶筆③ 松本竣介 「彫刻と女」と「建物」

2021-12-20 08:02
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<戦争とは一定の距離を置いた>生きることの意味を問うた芸術家ではないか。

父は陸軍兵学校に入れたかったが、本人は「技師」の道に進みたかった。
盛岡中学校に一番で入学したが,「聴力」を失った。
徴兵検査を受けたが、耳が聞こえず兵役免除。
兄から送られた「絵具」がきっかけとなり、画家の道を目指す。
太平等戦争が始まる8か月前に軍部による美術への干渉に抗議。「みづえ」に「生きている画家」という文章を発表。
反戦画家とみなされた時期もあるが、国是「高度国防国家建設」に反対せず、「戦意高揚ポスター」を描いた。
谷口雅春「生長の家」の熱心な信者になり、「生長の芸術」を兄とともに編集する。

「聴力」を失い、「生長の家」の信者になり、生きるという意味を問い続けた画家と見ています

No.1 35ヶ月前

松本竣介氏は反戦主義者でしょうね。

彼は芸術と戦争は両立出来ないと固く考えた芸術家でしょう。戦争高揚の絵を軍の注文或いは軍に忖度して描く画家は春画を描くようなものだと割り切れたのでしょう。彼はそう簡単に割り切れなかった。反戦平和を祈念した人物でしょう。

革命の場合も同じですね。革命高揚の絵を描く画家は芸術家ではない。そういう絵は革命を本願する革命家の趣味の絵を超えることは出来ない。

芸術家は戦争、革命、営利とは無縁となってはじめて花開くものと私は考えています。その意味で松本竣介氏は生涯を通じて真の芸術家だったのです。


No.2 35ヶ月前

今、ふと藤田嗣治のことが私の頭に登場してきた。実は藤田嗣治も軍の注文に負けた。多くの戦争高揚画を描いた。しかしその絵には宮本三郎たちの俗物の絵とは違う品格があるから不思議。恐らく藤田嗣治は春画と違う感覚を表現しようと最大の努力をしたのだろう。

戦争が終わって、画家の戦争協力者も戦犯に問われるという噂が飛び交い、宮本三郎たちが藤田嗣治に戦争画壇を代表して占領軍に自首してくれと頼んだのだ。藤田嗣治はこのような俗物集団の日本人画家に絶望してフランスに亡命し二度と日本に帰って来なかった。

今、日本の社会を見るにつけ、反戦芸術家が皆無ではないか。もう既に春画やエロ小説を世に出しているのだろうか。もしそうなら、嘆かわしいこと甚だしい!

No.3 35ヶ月前

> 松本竣介は「みずゑ」4月号に「生きてゐる画家」の題名で反論を書いた。

イラク開戦前、あるいは、DSに嗾けられた日本の対中軍事衝突がキナ臭くなってきた今、反論を出した文学者/芸術家はいまい。「生計が保たれていければ、別に大したことではない」からだ。だが、松本竣介の場合、恐らく生き方そのものを否定されたも同然だったのでないか。だから、後先考えずに反論したと推察する。ここでの「生き方」とは、ヒモ付きでない生き方のことだ。相手が国であろうが隷属は御免だという人生観だ。今しがた見た「立てる像 」にも それがよく出ているのが判る。
一方、ヒモ付き達の作品は技量はあってもツマラナイものばかり、とはよく聞くが、ほんとにそう。「世界で一番エライのは誰じゃ?」「ご主人様にございますぅ」━こんな心根を表現したものがロクなものでないのは自明だ。

> 宮本三郎、小磯良平...脇田和らが戦争紅葉の絵画を描いている

血流で 紅に染まる 春の山

不肖p_f

No.4 35ヶ月前

ウイキペデイアはいい加減なもので、反戦や反ワクチンの人物についてはワクチン推進、戦争推進の邪魔にならないように修正、或いは書き込みが行われるのです。

それをバックアップする為に軍産複合体と製薬業界は膨大なコストを掛けています。

私が尊敬している英人バーノン・コールマン氏なんかウイキペデイアではサイコパス呼ばわりされてます。G7の言論空間も窒息状態になってます。勿論、医学、科学もセンサーされてます。

No.5 35ヶ月前

採り上げ恐縮です。生き様 全否定への拒絶反応という点では、孫崎さんにネトウヨ、シャブウヨがギャーギャー投げてくる理由の一つには それもあると容易に察しが付きます。Dappiの如く、組織ぐるみが一番の理由でしょうが。

No.6 35ヶ月前
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