東北のバスツアーに参加して、角館へ行った。
本当に素晴らしい町と思う。
しかし考えてみると、特段変わった町ではない。
町の横に大きな川が流れている。武家屋敷があった。原点はその程度しかない。でも町は人々が築き上げた結晶だ。
桜の名所、檜木内川堤のソメイヨシノは1934年(昭和9年)皇太子(今上天皇)の誕生を祝って植えられたものというが、約2キロメートルにわたる桜のトンネルが形作られている。樹齢300年以上の老樹が400本古い町並みにあるという。・武家屋敷通りのしだれ桜で国天然記念物指定は162本という。
武家屋敷の庭園も特別高価な植物が植えられているという風情ではない。山々にある草花等が丁寧に配備されている。
武家屋敷のある一角は、電線は隠れている。
車両の迂回を呼びかけている。車を排しただけで、町に落ち着きをもたらす。
生垣を丁寧に手入れしている。春の桜にた
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
大臣まで作って、「地域創生」という言葉が独り歩きしている。原点は家族であり、近隣であり、市区町村、県、国と集合体が大きくなっていくわけであるが、小集団であれば、小集団であるほど、住民の意思が反映しやすい。大集団になればなるほど、住民の意思が通りにくくなり、場合によっては踏みにじられることが出てくる。その弊害が大きく、また、原点に立ち返って生活を守ろうという雰囲気が強くなっているのが、ウクライナであり、スコットランドではないか。散々地域特に辺地僻地を低水準の生活を余儀なくさせておいて、独立しそうになると、最大限の自治を与え、様々な恩恵を与えようと引き留めに必死になる。差別政治の実態を改善しようとするのである。小さくとも声を上げることの重要性がある。政治家は常に声なき声に耳を傾けてほしい。沖縄の人々声を真摯に聞かなければならない。
めずらしい孫崎さんの旅エッセイ、かの地で感じられたことが伝わるとても素敵なブログでした!
私も桜の時期に行ったことがあり、思い出が想起され、とてもなつかしく思います。
日本各地にある様々な有り様の景色/桜などを愉しめる、それも地元の皆さんのご尽力で可能になるのですよね。感謝の気持ちも抱きつつなるべく機会を作って今後もたくさんの日本の風景を味わいたいと心から想っています。
孫崎さん、どうぞ存分に愉しんで来られますように(╹◡╹)!
角館、美しい町なんでしょうね。私の郷里の近くに柳川という城下町があります。とてもきれいな町です。
そういった伝統的な町の美を守り育んで行くには
1、衰えたとは言え、伝統的な米の生産を続けて行くことが角舘や柳川を支える基盤になると思うのです。そういった生産が保つ雇用があるからこそ、町が活性化すると考えるのです。
2、米国で雇用が失われて極貧が増えました。米国の資本は米国内の生産を放棄し海外生産を本格化して50年になります。今や小売店は軒並み潰れ経済学者はリテイルの水平展開に異論を展開し始めました。日本もそのような米国の正しい異論に耳を傾け、個性的な小売店舗の出現を促す政策を取るべきだと考えます。
安倍政権が「地方創生」を唱え始めました。竹下さんの「ふるさと創生事業」を思い出しました。その後、バブルが崩壊し。失われた20年を引き起こし、回復もしないまま、今度の「地方創生」です。嫌な予感が単なる予感で終わればいいのですが、庶民の生活がどん底に陥らなければと祈るばかりです。
生活がどん底になれば、美の維持費どころではなくなるのは必定です。
角館はよい町ですよね。実は日本にはそういう趣のある町が随分残っています。倉敷や高山なんかは有名だけど、今井町や湯浅、竹原や塩飽など小さいけれどそれぞれの輝きを放つ町は無数にあります。そういう歴史を持った美しさを維持していくのは大切なことと思います。
上の人と同じ流れになるけど、それだけではダメ。新しい産業の創成は必要で、ただそれが歴史もなにもぶっ飛ばした、唯物主義とプラグマティズムでないことを望むだけ。ただの拝金主義ならないほうがマシ。