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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「『君の名は。』完全解説と、もしも3つの願いが叶うなら?」
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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「『君の名は。』完全解説と、もしも3つの願いが叶うなら?」

2019-07-20 07:00

    岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/07/20

     今日は、2019/06/30配信の岡田斗司夫ゼミ「『君の名は。』完全解説と、『なつぞら』『ガンダム THE ORIGIN』、プラス6月のお便り&ステッカープレゼント」から無料記事全文をお届けします。


     岡田斗司夫ゼミ・プレミアムでは、毎週火曜は夜8時から「アニメ・マンガ夜話」生放送+講義動画を配信します。毎週日曜は夜8時から「岡田斗司夫ゼミ」を生放送。ゼミ後の放課後雑談は「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」のみの配信になります。またプレミアム会員は、限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画などのコンテンツをアーカイブサイトで自由にご覧いただけます。
     サイトにアクセスするためのパスワードは、メール末尾に記載しています。
    (※ご注意:アーカイブサイトにアクセスするためには、この「岡田斗司夫ゼミ・プレミアム」、「岡田斗司夫の個人教授」、DMMオンラインサロン「岡田斗司夫ゼミ室」のいずれかの会員である必要があります。チャンネルに入会せずに過去のメルマガを単品購入されてもアーカイブサイトはご利用いただけませんのでご注意ください)


    雑談と今週の『なつぞら』

    nico_190630_00001.jpg【画像】スタジオから

     こんばんは、岡田斗司夫ゼミです。
     今日は6月30日ですね。6月5回目の日曜日ということで、なんかね、気圧もあってちょいと疲れてます。よろしくお願いします。

    「こんばんは」(コメント)

     こんばんはです。
     今、色々とコメントを見ている最中です。

     なんかよくわからないけど、今、「100ポイント」という文字と共に、プレミアム放送の画面の方に湯呑が落ちてきたんだけど。
     こんなもん、初めて見たな。なんのことだろう?

     今日は、ちょっと急に機材を用意したもんで、YouTubeライブの方が不安定で、画面がガタガタするみたいです。
     次回は専用の機材を入れて、パソコンももう1台、モニターももう1面用意して準備します。
     すみません、僕が「6月中にYouTubeライブを始めたい」とスタッフに言ったもんで、今回はなんとか準備してもらいました。なので、ちょっとガタガタです。
     YouTubeライブの方で見ている人は、ガタガタ気になったら、ニコ生でも同じタイミングで無料でやってますので、こちらで見ると楽だと思います。
     最初の30分くらい、いわゆるニコ生でいつもやっている無料枠という部分は、YouTubeライブでも同時に配信しますので、お楽しみください。

     春風亭昇太さんが、いきなり結婚を発表しましたね。
     なんか、落語会では「最後の砦」と言われてた人が、結婚してしまいまして、「なんかちょっと面白いことになったな」と。
     「笑点で何か重大発表がある」と聞いた時、これはもう、昇太の結婚か、または、山田君がついに格上がりして、三平が格下がりして座布団運びになるのかのどっちかだろうと思ってたけど、やっぱり結婚でしたか」というふうに思います。

    「大人のおもちゃが映ってる」(コメント)

     大人のおもちゃに見えるのか、これが!

    nico_190630_00207.jpg【画像】いじめる棒

     これは違いますよ。これは「コサック兵がユダヤ人をいじめる棒」という、僕のウクライナ土産ですよ。何を言うんだ。

     ではでは、始めましょう。

     では今週の『なつぞら』からです。
     ついに、なつがアニメーターとして認められるエピソードでした。

     なつは、こういう絵を描いたわけですね。
    (パネルを見せる)

    nico_190630_00240.jpg【画像】なつの絵 ©NHK

     ちょっと白黒だから見にくいんですけど。走ってる馬の足を表現しようとして、残像込みで作画して、前足が4本ある馬を描いたんです。
     しかし、これに対して、『わんぱく牛若丸』の監督である露木監督が怒ります。
    (パネルを見せる)

    nico_190630_00258.jpg【画像】監督と作画班 ©NHK

     真ん中の人が露木監督で、後ろの方で不安げに見ているのが、後の高畑勲なわけですけど。非常識な4本足の馬に対して怒る露木監督に、作画班が全員一丸となって対抗しているという場面です。
     露木監督が「なんてものを描くんだ! こんなものを客に見せれるか!」と言うと、「いや、これでいいんだ!」というふうに作画班全員がなつを庇う。
     いわゆる「なつが周りのみんなから一人前のアニメーターとして認められた瞬間」というやつです。

     このシーン、『なつぞら』というドラマの中では、割りと美談ぽく描かれているんですけど。こういうトラブルって、実は実際のアニメの現場でもよくあります。
     つまり、これって作画の暴走なんですよ、ハッキリ言っちゃって。
     「こんなことを勝手に作画がやると、このシーンは目立っちゃうことになるんだけども、それをして大丈夫か?」ということなんですね。
     「この馬は、このシーンで目立っていいのか?」という判断を、勝手に動画がやっちゃったということなんですよ。

     この場面、前後のシーンがないのでわからないんですけど、演出家が「坂を駆け下りるシーンとして一気に見せたい」と思っていた場合、馬だけがこういう動きをしちゃうと邪魔なんですよね。見ている人の気がお話の本筋から横に逸れちゃう、と。
     そういうのがないように、演出家はドラマを作っているんですけど。
     これって、舞台の例えで言うと「単なるエキストラの通行人が、ちょっと舞台を通る時に、アドリブで一発ギャグをやる」というのに近いんですよね。
     全体の流れからして、そのシーンを面白いと判断して入れるかどうかというのは、実は演出家の判断なんですよ。だから、監督、つまり演出の人が、怒って怒鳴り込んでくることになるわけですね。

     なぜこれが作画と演出の対立っぽく描かれるのかと言うと。
     もうね、30年近く昔になるんですけど、押井守監督から聞いた話があって。「アニメの監督というのは理屈が言えなきゃダメだ!」っていうふうに、押井さんはすごく熱く語ってたんですよ。「言葉を持ってないとダメだ!」と。
     アニメーター、絵描きというのは、習性として「自分より絵が上手いヤツの言うことは絶対に聞くが、絵が描けない人間の言うことはなかなか聞かない、説得されない」という頑固者が多い、と。
     そんな絵描き達に、こちらの意図を納得させて、一度描いたものを描き直させるというのは至難の技だ。「こういうふうに描き直してくれ」と言うと、「描けません」とか。「じゃあ、そっちで勝手に描いてください」なんて、開き直るヤツまでいる。
     「そんな時、演出家が対抗できるのは、言葉の力だけだ」と。どれくらいの言葉を持っているのか? どれくらいの理屈を持っているのか? もう、言葉でひたすら説得するしかないんだそうです。
     絵描きが絵で勝負するならば、演出家というのは言葉で、理屈でそれに対抗する。勝負する、と。

     高畑勲っていうのは、実はそっち側、押井守側の人間なんですよ。
     宮崎駿って、自分で絵が描けるじゃないですか。だから、アニメ監督としては、ズルいというか、ちょっと特別なんですよ。
     宮崎さんって、絵が描けるから、最悪「こう描くんだよっ!」って描いて見せることで、大体の人は「うわあっ! それは思いつかなかった! それは描けてなかった! すいません!」ということで参っちゃう。
     つまり、絵描きに対して絵で反論することができるんですね。

     このシーンでも、本当は、露木監督は「なぜダメか?」というのを言葉で言わなきゃダメなんですよ。
     「こんな非常識なものはダメだ! 誰が許可したんだ!?」って怒って、対立シーンになっているんですけど、すごい「やらせの対立」っぽいんですよね。

     本当の監督だったら、ここで「このシーンは、こうでこうでこうだから、この絵はダメなんだ」というふうに、あくまで言葉でダダダッと言うのが、当たり前のやるべきことなんですよね。
     でも、このシーンではやらない。ただ単に権力争いというか、意地の張り合いみたいに見えちゃう。
     なぜかというと、実は「ここにいる、高畑勲をモデルにした坂場さんというキャラを立てるため」なんですよね。
     坂場というのは、このドラマの中でヒーロー属性として設定されているんです。

     ここで露木さんが、論理的なことをバーっと言っちゃうと、坂場のキャラが弱くなっちゃうんですね。
     そして、この『なつぞら』という舞台上には、坂場以上に理屈っぽい人間がいてはならないんですよ。それが、彼の個性であり、ヒーロー属性だから。
     その結果、露木監督の怒り方は、理不尽な、今コメントで流れてたんですけど、「噛ませ犬」っぽい怒り方になっちゃうわけですね。

     このヒーロー属性というのを、わざわざ設定したことによって、いわゆる坂場(高畑勲)が『なつぞら』というドラマの中での主人公なつの相手役、つまり、なつの恋愛相手になるということが、ほぼ確定したと思います。
     これによって、これから8月に訪れるドラマ全体のクライマックスも、自動的に『太陽の王子ホルスの大冒険』になるということに、ほとんど自動的に決定したわけですね。
     ということは、お話全体の盛り上がりも、「経営者と労働者の対立の中で、本当に作りたいアニメ、作るべきアニメというのは何なのか?」という部分になる。
     でも、『太陽の王子ホルスの大冒険』は興業的に大失敗するんですよね。興業的に大失敗した結果、二度と演出の仕事が回ってこないということに絶望して、高畑勲は東映動画を去る事になるんですけども。
     この歴史的事実を、ハッピーエンドで終わる朝ドラの中に、どのように入れるのか?

     ハッピーエンドのドラマの中に、こういうのを入れるのは難しいので、そこはもう、グニッと曲げて「『太陽の王子ホルスの大冒険』みたいなアニメは大成功しました」っていうふうになるのか?
     または、『あまちゃん』の中に出て来る3.11大震災のように、「こんなこともあったんだけど、でも、立ち上がりつつある。なつはやっぱり元気です」というふうにするのか?
     そこら辺、もう、どんなハッピーエンドにするのか、ちょっとワクワクが止まらないような状態です。

     ドラマの中での坂場さんというのは、高畑勲がまだまだ下っ端だった時代なんですけど。ここで語られる彼の演出法というのはソクラテスの対話法に近いですね。
     「これでいいんでしょうか?」というふうに、相手にどんどん聞いて行くことで、相手のハードルを上げていく。
     「それでいいんですか?」、「本当にそれでいいんですか?」、「顔だけの演技だけでいいんですか?」、「それしか考えてないんですか?」というふうに。

     これ、聞いている自分の中に答えがあるかどうかは問題じゃないんです。
     だから、坂場さんは、「じゃあ、どうすればいいんですか?」という聞き返しに対して、何も答えません。なぜかというと、これが対話法による演出だからですね。
     それよりも、アニメーターが自分と同じ問題意識を持って描いてくれれば、その悩みから生まれた表現というのは、必ずや絵を描けない自分の想像の上を行く、尊敬できるものになる、と。
     そういう作り方なんじゃないかと思います。

     来週は、舞台が十勝に戻るので、アニメの話は1回止まるんじゃないかと思います。
     7月8日からの週に、ついに宮崎駿が登場するみたいですね。一気にアニメが加速するので、今週は一休みしながら、続きを見ていこうと思います。
     『なつぞら』の話はここまでです。

    『ガンダム THE ORIGIN』から考える「SFとファンタジーの違い」

    nico_190630_01043.jpg【画像】スタジオから

     じゃあ次は、『ガンダム THE ORIGIN』ですね(笑)。
     もう、毎週毎週、話してる『ガンダム THE ORIGIN』の話をちょいとします。

     あのね、せっかくYouTubeライブでも配信してるから話しますけど。
     このニコ生ゼミの無料枠というのは、分割してYouTubeでも公開しているんですね。
     で、YouTubeにはコメント欄というのがあって、その動画に対するコメントが付きます。僕、そういうコメントには、だいたい目を通しているんですけど。

     先週、『ガンダム THE ORIGIN』に関して「月面都市の中にあるアナハイム・エレクトロニクスのシーンの、6分の1重力の表現が、まあ、ひでえよ」という話をしたんですよ。
     そしたら、YouTubeのコメントとしてわりと多かったのが、「いや、あの時代だから人工重力があるんだろ?」とか、「巨大ロボットを作れるほどのアナハイム・エレクトロニクスの技術があれば、宇宙に移民してから70年も経ってるんだから、人口重力くらい当たり前だろ」という意見。
     これを読んで、僕、ちょっと複雑な気持ちになっちゃったんですよね。

     まず、SFとファンタジーの違いから、説明させてください。

     SFというのは「科学的なお約束に沿って展開するもの」なんですよ。
     例えば、「100年以内に巨大ロボット」はアリなんだけど、「100年以内に重力制御」はナシなんですね。
     まあ、『銀河英雄伝説』みたいな千年以上の遠未来だったら、重力制御もアリなんですけど。

     この「アリ / ナシ」というのは、「技術的に無理なのか? 科学的にまだ無理なのか?」で決まります。
     例えば、巨大ロボットは単に技術的に無理なんですよ。つまり、技術が追いつけば、巨大ロボットは作れるんですけど。
     でも、人間みたいに恋愛するロボットというのは、科学的にまだ無理なんですね。
     この技術的に無理と、科学的に無理というのには、ちょっと温度差があるんです。

     こういう、僕が今言った面倒くさい制限とか約束事を、あえて面白がって守って、そういうルールの中で遊ぼうというのがSFなんですよ。
     それに対して、こういった制限が面倒くさくなって、それを外してもっと自由に遊ぼうというのがファンタジーなんです。
     ファンタジーとSFというのは、どっちが優れてるというものではなくて、そういった技術的な制限や科学的な制限、制約、縛りを面白がるか、あんまり面白がらないかの差だと思ってください。

     例えば、『ハリー・ポッター』はファンタジーだから、魔法のエネルギー源を問わないんですよ。
     魔法を使っても、「じゃあ、この系にあるエネルギー保存則はどうなっているのか?」ということは、あんまり気にしないんですね。
     逆に、初期の『機動戦士ガンダム』というのは、慣性の法則とか、科学的な部分にこだわりまくってるんですよ。そこがこの作品を面白がるポイントの1つなわけですね。

     富野さんというのは、その時代にやっていたような他のロボットモノとの差別化というのを、ここでやろうとしたわけですね。
     なのに、「所詮は巨大ロボットモノなんだから、そこまでのリアリティなんか別に要らない」と言うと、あの頃の富野さんを全否定するような形になるんです。
     俺、YouTubeのコメントを見て、「それは富野さんが気の毒だよ」って思ったんですけど。

     巨大ロボットというのは、さっきも話したように、技術的に無理なだけなんですよ。材料工学とか動力源の問題が解決したら、全然アリなんですよね。
     でも、反重力とか重力制御というのは、科学的にまだ無理なんです。理論も実験も、その基礎状態から何もない状態です。「こうすれば可能なんじゃないかな?」という仮説が、かろうじてあるくらいですね。
     なので、『ガンダム』の中に、人工重力場を登場させると、一気にジャンルがファンタジーになっちゃうんですね。
     「技術的に無理だけど、科学的には不可能じゃないよね」っていう、「もしも」を重ねて楽しむのがSFであって、SFとファンタジーでは、どっちが上とかじゃなくて、ジャンルが違うんです。

     もちろん、そういうこだわりがない人にとっては、「ファンタジーだろうがSFだろうが、どっちでも自分の好きなロボットモノの世界なんだから、うるさいことを言わずに楽しませてくれよ」という話なんですよ。
     それはね、すごくよくわかる。
     ただ、この岡田斗司夫ゼミというのは、申し訳ないけど「ファンタジーなロボットモノが大好きだ」と言う人をターゲットにしてないんですよね。
     なので、たまたま動画を見ちゃって、気分を害してしまった人には「申し訳ございません」と謝るしかないんですけど。

     さて、そういうこだわりが大好きな人への、SFの話です。
     先週の『ガンダム THE ORIGIN』で、僕が一番ゾクゾクしたのが、コロニーの落下シーンなんです。
     これ、初期のTVシリーズでも「人類史上最悪の被害」として描かれているんですけども。

     この人類の歴史上最大の被害というのがかなり正確に描かれているところが、僕、見ててゾクゾクしたんですよ。
     『機動戦士ガンダム』の放映当時、ガンダムのファングループの1つにGun Sightというところがありました。東京のファングループだったんですけど、そこが作った有名な商業誌に『ガンダムセンチュリー』というのがあるんです。
     この本の中で、コロニー落としの被害のすごまじさを、たった1行で語っているんですけど。「コロニー落下の影響で、地球の自転速度が1時間あたり1.2秒加速した」って書いてあるんですね。
     これが、やっぱりSFの感覚なんですよ。

     つまり、地球がこういうふうに回転しているわけですね。
    (地球儀を見せながら)

    nico_190630_01600.jpg【画像】地球儀

     それに対して、コロニーが地球の自転と同じベクトルで衝突してくるわけです。すると、地球の自転は、コロニーの重さ×速度によって、加速しちゃうわけですね。
     それまでの自転速度より、1時間につき1.2秒速くなる、と。
     この言い方が、なんかゾクゾクして、「かっこいいー!」って。「ああ、自転速度が速くなるんだ!」って。

     ここらへんがSFなんですよ。そこら辺をあまり気にしないというのが、ファンタジーなんですけど。
     まあ、そういうSFファンの業の深い見方で見ておるというところで、ご容赦願いたいと思います。

     今週の『ガンダムTHE ORIGIN』の話はここまでです。

    『君の名は。』と『Gu-Guガンモ』のドラマ構造

    nico_190630_01640.jpg【画像】スタジオから

     じゃあ、『君の名は。』の話に行きましょうか。
     今日の第1特集です。新海誠監督の『君の名は。』ですね。

     これについては、まず、映画公開当時に僕が語った解説があるので、その録画映像を見ていただきたいと思います。
     2016年、今から3年前の9月4日に、サロンのオフ会で語った、ほぼ10分間の映像です。
     この録画映像が終わった後に、また生放送の方に戻りますので、そのままお待ちください。

     それでは、岡田斗司夫ゼミの2016年9月4日号として公開した、3年前の映像です。よろしくお願いします。

    (録画映像開始)

    nico_190630_01733.jpg【画像】サロンオフ会映像

     『君の名は。』というのは、飛騨の山奥に住んでいる女子高生・三葉と、東京に住んでいる男子高校生・瀧の話です。
     ……ネタバレですよ。大丈夫ですね?

     ある日、この2人のお互いの身体が入れ替わっちゃった、と。
     まあまあ、「わあ! 俺、女の子になっちゃった! ……おっぱいモミモミ」みたいなやつがあって、「わあ! 私、男の子になっちゃった! おしっこに行く時に、なんか変なものがついてる!」みたいなものもあります。
     で、お互い、自分が持っている携帯にメッセージを残すことを思いついて、2人のコミュニケーションが始まる。一度も会ったことのない2人は、徐々に互いに気になる存在になりました。

     それと同時に、映画の中でも最初から語られるのが、1200年に一度、地球に接近するティアマト彗星ですね。この彗星が、どんどん近づいて来る。
     実は、この女の子というのは、3年前に死んでいるんです。
     「お互いの身体が入れ替わった」と思ってたんですけど、実は「3年前の女の子と、現代の男の子が入れ替わった」という話で出来ています。
     ティアマト彗星は、地球に近づいて来る時に2つに分かれて、彗星の欠片が女の子の住む村に落ちて来て、その村全てが消えてしまう。「これを知った2人が、なんとかして全滅してしまう村からみんなを逃がそうとする」というのが、お話のクライマックス辺りのプロットになっています。
     結局、ちゃんと成功はするんですけどね。

     瀧と三葉という2人の高校生は、その消えてしまった村の、クレーターの端で、黄昏時、逢魔が時に出会うんですね。
     その時間だけ奇跡が起こって、時間を超えて2人は出会う。お互いに「あなたのことは絶対に忘れない」と言い合って、「みんなを助けよう」と決意する。
     しかし、確かに覚えていたはずなのに、2人共、記憶がどんどん薄れて行くんですね。絶対に忘れたくない、覚えておきたいことなのに、どんどん忘れてしまう。
     それでも、肝心なことだけは覚えていて、「このままでは村が滅びる。だから何とかして、村の人を騙してでもいいから、避難させなきゃいけない!」ということで、女子高生の三葉は、学校の放送部から嘘の避難放送をして、村の人を動かそうとするんです。でも、村の人は動いてくれない。
     そこで、村長だったか町長だったかをやっている三葉のお父さんに、話をしに行って、「最初は信じてもらえなかったのに、最後は三葉の熱意がなぜか通じたような形になって、協力してくれて、みんな助かる」という話になる。

     で、最後、もう、それから10年後くらいに、2人は東京の街で偶然出会うんです。
     それまで、2人共「何かが足りない。自分は何かを探しているはずだ。何か思い出せなかったことがあったはずだ」という思いを抱きながら、10年くらい生きてたんです。だって、お互い、もう名前も何も覚えていない状態ですから。
     そんな中、東京の街で偶然、出会った2人は、お互い振り返って、「君の名は?」というのを聞き合う。再会できたわけです。
     その時に、「2人共、なぜか、すれ違った時から涙が止まらなかったから、わかった」という話になっているんですね。

     「この構造、どこかで見たことあるな」と思ったんですよ。
     何かというと、少年サンデー原作版の『Gu-Guガンモ』なんですね。

     『Gu-Guガンモ』のメインキャラクター「ガンモ」というのは、高い空が飛べない鳥だったんですけど、最終回の間際になって、やっと飛べるようになった。そしたら、ガンモが空を飛ぶ時、なぜか、その周りで、いろんな鳥が一緒に飛ぶようになるんですね。
     その時から、話が「あれ? ガンモって、ダメな鳥だと思ったけど、鳥の王様みたいだな」というふうになるんです。
     そしたら、夜中に変な使者が来て、ガンモに「あなたは実は鳳凰なんです」と告げるんですね。

     ガンモって、ドラえもんみたいな、コーヒーを飲んだら酔っ払う、人間の言葉を喋るキャラクターなんですよ。
     でも、この姿は卵体という、巨大な卵だったんですね。卵に手足がついて羽がついた存在。だから、ちょっと飛べて話せるだけだったんですけど。その中には、何十匹もの鳳凰の子供が入っている。
     ガンモはそこで、「鳳凰というのは、人間の子供の純粋な気持ちというのを受けて、清い気持ちのまま、この世に羽ばたかなければいけない。だから、1年間という期間に限って、卵の状態で人間社会の中で過ごすことが必要でした。でも、あなたの役目はもうすぐ終わります。あなたはもうすぐ消えてなくなります」と言われるんですね。
     つまり、ガンモというのは包み紙だったんですよ。元から捨てられる運命の、1年間限定の包み紙。それが破れることで、素晴らしい鳳凰が生まれるんですけど。
     でも、ガンモのことを「自分の無二の親友だ」と思っている男の子や、その家族にしてみれば、ガンモというかけがえのない存在はいなくなっちゃうんですね。

     最後は、ガンモの殻が破れて消えてしまうんですけど。その前の晩に、ガンモはみんなに挨拶するんですね。
     「実は僕の正体は卵で、もうすぐいなくなっちゃう。でも、悲しまなくてもいいよ。僕がいなくなった瞬間に、みんなの記憶から、僕は消えてしまうから。半平太君、これからは僕なしでもちゃんと生きてね」と。
     こんな、ドラえもんの最終回レベルの大感動の盛り上がりがあるんです。

     これ、なぜかと言うと。
     『Gu-Guガンモ』の作者である細野不二彦という人が、少年サンデー編集部に最初にマンガを持ち込んだ時から、小学館の編集者は「ゲェェーッ!」って思ったんですよ。
     「こいつ、メッチャ絵が上手い! おまけに子供向けの話が描ける! オバケみたいな大きいキャラクター描いてもいける! こいつは藤子・F・不二雄になるしかない!」と。

     細野不二彦って、もともと、『アクエリオン』とか『マクロス』の監督をやったスタジオぬえの河森正治の友達だった人で、慶応大学の小等部の頃からSFばっかり描いてた人だったんですね。
     それが、大学生になった頃、少年サンデーに持ち込んで「SFを描きたい」と言ったら、「お前はそんなものを描いてはダメだ! 細野不二彦、お前は藤子不二雄の後を継げ!」と命令されて、苦しみながら描いたのが『Gu-Guガンモ』なんです。
     まあまあ、『バクマン。』でいうと『走れ!大発タント』みたいな話なんですよね。
     そんな人が描いてるので、まあ、上手くて当たり前なんですけど。

     さて、その最終回。
     前の夜にガンモが、みんなに「これでお別れだよ。でも、みんなの記憶から僕は消えてしまうから、悲しまなくてもいいんだ」という、藤子・F・不二雄ばりの挨拶をするんです。
     で、挨拶をし終わった瞬間に、その場でガンモの身体がボンッと破けて、その中から何百匹もの綺麗な鳥がブワーっと世の中に羽ばたいていく。
     この鳳凰がまたこの世界をきっと平和にしてくれる。良くしてくれる。
     でも、半平太という主人公の男の子は、「ガンモのことは絶対に忘れない! 忘れない! 忘れない!」と言って、夜が更けて行く。
     そして、その翌日の朝というのが、マンガのラストシーンです。

     半平太が目を覚ますと、何かが足りない気がする。だけど、それが何かはわからない。思い出せない。
     そんな中、お母さんが「もう学校に行きなさい」と言って、半平太にコーヒーを淹れてくれるんです。コーヒーというのは、消えてしまったガンモがすごい好きだった飲み物なんですけど。
     半平太は、コーヒーを飲んだ瞬間に、なぜか涙が出てくるんです。
     「自分は何かを忘れている。それは一番大事なものだったはずなのに。なんだろう?」ということで、涙だけが止まらないというラストシーンなんですよ。
     ものすごい感動のクライマックスなんです。

     「要するに、『君の名は。』ってそういうことね」と。
     「わかった。『Gu-Guガンモ』だったんだ!」と。
     「泣けるあれを持ってくるのは偉い!」と、僕は思いました(笑)。

     何が言いたいかというと、『君の名は。』にしても、『Gu-Guガンモ』にしても「ハイ・ドラマ」を目指しているんですね。
     それが「半平太がコーヒーを飲んだ時、なぜだかわからないけど涙が出てきた」なんですけど。
     でも、『Gu-Guガンモ』って、僕が改めて話をするまで、みんなも思い出さなかったくらいの作品なんですよ。つまり、名作だけどマイナーなんですね。

     ええとですね、今回、新海誠が挑戦したのは「作家性の諦め」なんですよ。
     それまで、新海誠というのは、例えば『ほしのこえ』という「愛し合う2人が何光年も離れ離れになってしまって、男の子の方は女の子のことをいつまでも思っているはずなのに、勝手に結婚なんかしやがって、女の子の方は宇宙の果てで宇宙人と戦っていて、いつか私はあの人に会える時が来るんだろうかと考えている」みたいな、もう救いようのないほど切ない話を連続して描いてて、そこそこ評価もあったんですけど。
     「このままでは、俺はジブリにはなれない! 庵野秀明にはなれない!」と、自分で思ったのか、他人から言われたのかはわからないけど。
     そこからガラッと作風を変えて、「よっしゃあ、わかった! 俺はもう、中学生や高校生、言い方は悪いけど馬鹿でもわかる映画を撮るぜ! ほら、作った! ほら、馬鹿が泣いてる!」というのが『君の名は。』なんじゃないかな、と。

     まあ、「馬鹿が泣いてる」って言ったら、言い過ぎなんですよ。
     さっきも言ったように、世の中の大半の人は、そういうのしかわからないんだから。メジャー作家としてデビューしている以上は、みんなにわかるのものを作るのが正しいんですね。
     わかる人にだけわかっちゃったら、それはもう『水曜日のダウンタウン』になっちゃうんですよね。
     新海誠というのは、そういう方式で十数年間、頑張ってきた上で、「ああ、この方法では先が見えない」と思い直して、徹底的にベタの方向に振った。
     その結果、まあ、大ヒットしてるんじゃねえかなというふうに思います。

    (録画映像終了)

     ……いやあ、2016年の俺は、ものすごく口が悪いね(笑)。
     今だったら、まず、言わない言い方してます。「3年前の俺は、もう怖いものなんてなかったんだなあ」と思いますけど。
     本当に口が悪くてビックリしました。

     コメントで、ちょっと聞かれたんですけど、『君の名は。』というのは、SFなんですよ。
     というのも、科学的な縛り、例えば「複雑に混じっている世界線」とか、「タイムパラドックスの矛盾」とか、「ティアマト彗星の軌道」とか、そういう科学的な縛りというのを、全部、楽しんで使いこなしてる。
     この感覚がSF特有だと思うんですけどね。

     さっき話した中で「ベタ」っていうのは何かというと、「わからない人にもわかるような感動をさせる表現」というのを、ベタと呼んでいるんですけど。
     同時に、「作家性の諦め」というふうにも言いました。
     これはどういう意味かというと、「自分の中で考えた、ストーリーとかテーマを作家性にするのではなく、自分が持っている絵の力、絵の表現というのを作家性と決めた」ということです。
     その結果、ドラマ部分というのは、あえてベタの方に思い切って持っていっちゃった。そういうところが、『君の名は。』のすごいところだと思います。

     絵の力というのは、例えばどういうものかと言うと。
     『君の名は。』にタイムラプス的な表現というのが出てくるんですよ。タイムラプスというのは、「日が昇って、その後、日が沈んでいく」というのを早回しにして見せるみたいなものなんですけど。
     これは、『AKIRA』というアニメの中で使われた、ストリーク表現のようなものなんです。

     バイクが走る時、テールランプがビューっと後を引く。こういうのをストリーク表現と言うんですけど。
     ストリークというのは、もともとビデオカメラのレンズの奥にある光学センサーの限界によって発生するものなんですね。ビデオカメラの光学センサーの処理速度が、現実に求められているより遅いから、光っているものが動いた場合、尾を引いているように見えてしまう。つまりは、ビデオカメラの欠点なんですけど。
     『AKIRA』という映画では、それをあえてバイクが走るシーンに入れることによって、逆にリアリズムを表現したんです。

     それと同じように、『君の名は。』でも、タイムラプス的な映像を入れることによって、リアリズムを出している。
     つまり、僕らが持っているリアリズムというのは「現実にどういうふうに物を見えるのか?」ではなく、「日常的にどういう映像を目にしているのか?」によって出来ているわけですね。
     なので、あえてビデオ風に荒くした画面にリアリティを感じる場合もある。ストリーク的な表現や、タイムラプス的な表現というのを、あえてアニメの中でやることによって、ドキッとするくらいリアリティが出る場合もあるんです。

     あとは、新海誠の絵の力というのは……ちょっとこれ、説明しにくんだけど。説明できるかな?
     空に鳥の影があるんですよ。
    (ホワイトボードに図説する)

    nico_190630_03027.jpg【画像】鳥の影

     すみませんね、絵が下手で。ええと、これ、わかりますかね?
     太陽が沈んでて、空に鳥が飛んでるんですけど。鳥の後ろの空に、影がちょっとあるんですね。
     これ、現実にはありえないんですよ。空に影が落ちるなんてことなんて、あるはずがない。でも、新海誠の『君の名は。』の中には、空を飛んでいる鳥の後ろに軽く影が落ちているシーンが、何ヶ所かあるんですね。

     これも、現実ではないんですよ。むしろ、マンガの表現に近いんですよね。
     つまり、マンガの表現に近いことをあえて映像の中でやることによって、「これ、なんか見た事ある!」っていう感じを出してるんですね。
     僕らがそれを見たのは、さっきのストリークやタイムラプスと同じように、作られた映像の中なんですよ。
     それを、あえて入れることによって、ドキッとするようなリアリティを出す。

     『君の名は。』というのは、新海誠の作家性というのを、こういった絵としての表現の部分に限定して、テーマ的、ストーリー的なところは思い切ってベタな方に振ってしまった。
     つまり、ハイ・ドラマというのを押し付けず、ドラマの中に隠すことをしたわけですね。

    『君の名は。』全体のテーマとは?

    nico_190630_03146.jpg【画像】サロンオフ会より

     じゃあ、どんなドラマを隠したのか?
     続きの映像をこれから見てもらいます。

     テーマとストーリーの関係性についての話なんですけど。
     これも同じく2016年の9月に話した映像です。
     それでは、よろしくお願いします。

    (録画映像開始)

     テーマとストーリーの関係なんですけど。

     今回、映画の中に「結ぶ」という言葉が出てきています。
     「結ぶ」という言葉とか、あと組紐という、細かい糸を撚って紐にするというのが、何回か出て来るんですけど。
     お話としては、「1つの円環の中で、同じことが繰り返され、いろんな時間軸でいろんな事件が組み変わることで、話の糸を紡いでいく」というふうになっています。
     つまり、「結ぶ」、「結う」というのが、お話全体のテーマとして流れているんです。

     主人公の三葉と瀧は「お互いの身体が入れ替わる」という体験をするんですけど。
     三葉が、それをお婆ちゃんに話した時、お婆ちゃんが「ああ、身体が入れ替わる、そんなこと私にもあった気がするわ」と言うんです。それどころか「お前のお母さんにもあったんじゃなかったっけ?」と言うシーンがあるんですけど。
     つまり、この神主の一族……三葉は神主の一族なんですけど。神主の一族は、昔から思春期になると、どこかの誰かと身体が入れ替わったみたいなんですよね。
     こういう話が、ごく自然に入ってくるんです。

     「三葉と瀧は身体が入れ替わるんですけど、お婆さんも誰かと入れ替わったことがある。お母さんも誰かと入れ替わったらしい」と。
     でも、劇中では、お母さんが誰と入れ替わったかが、描かれてないんですね。
     ただ、描かれてないだけで、わかるようになっている。これ、実は三葉のお父さんなんですね。
     だからこそ、町長であるお父さんのところに、三葉が「みんなを避難させなければいけない!」と言いに行った時、その理由を告げるまでは、お父さんは全く納得しなかったんです。でも、三葉が「自分は身体が入れ替わったんだ」ということを言った瞬間に、お父さんは彼女の言葉を信じたんです。
     お父さんが、なぜ、それまで再婚しなかったのか? なんで、お母さんのことをずっと大事に思っていたのかというと、こんな体験があったから。
     だからこそ、娘の世迷言のように聞こえた話を、お父さんも本気にしてくれて、「ああ、じゃあ、本当に隕石がこの場所に落ちてくるんだ」と信じてくれた。
     でなければ、お父さんの心変わりする理由がないんですね。

     映画の中では、三葉がお父さんのところに行って、真剣に「お父さん、話を聞いて!」と言うところまでしか描いてないんですけども。
     その後は、もう全て終わってて、「町長が急にすごい指導力を発揮して、村民を避難させた」という新聞記事が出ているだけなんですよ。
     なぜ、このお父さんが動いたのか、全く説明がない。
     でも、それは、「思春期に誰かと入れ替わるという関係が、三葉の一族それぞれに成立してたから」なんですね。

     つまり、この『君の名は。』というお話では、時間的、空間的な部分で、多重構造的に「結ぶ」ということが行われているんです。

     では、ティアマト彗星の軌道図というのを考えてみましょう。
    (ホワイトボードに図説する)

    nico_190630_03607.jpg【画像】彗星の軌道

     まあ、いくつか間違いも指摘されていますけど。太陽があって、その周りを地球が回ってる、と。
     ティアマト彗星は1200年に一度、太陽系外から地球の近くを通って、太陽の方に行く彗星です。
     なので、彗星の位置がここにある時は、尾がこのように伸びていきます。太陽風で彗星の尾というのは伸びていくからですね。

     今回は、この彗星が2つに割れ、その破片が地球に落ちたことで、大災害が起こります。
     ところが、彗星が落ちる前のこの村の写真というのを見てみると、巨大なクレーターのようなものがあって、その真ん中に神社があるんですね。この隣に村があるような構造になっている。
     もちろん、このクレーターというのは、1200年前に彗星が落ちた時に出来たクレーターです。
     つまり、「この村に彗星が落ちる」という事件は、さっき言った「三葉、お母さん、お婆さんそれぞれが、思春期に誰かと身体が入れ替わる」というのと同じく、過去に何度もあったのかもしれない。1200年前、2400年前という周期で、あったのかもしれない。
     そして、なぜ、こんなことが繰り返されるかと言うと、「かつて地球に落ちて来た隕石の欠片が、ティアマト彗星にもう一度会いたいと思ったから」なんですね。

     お話全体は「七夕」なんですよ。
     2つに分かれたもの同士が「もう一度会いたい」と願う。これは、人間であっても隕石であっても気持ちは同じなんです。その願いが奇跡を起こす。
     ただ、星の願う奇跡というのは、人間界にものすごい迷惑をもたらす。
     なので、まるでウルトラマンが「ハヤタ隊員、私は命を2つ持って来た」と言うように、この村に住む一族に超能力が与えられて、せめて人間が、そこから逃げるようなチャンスを与えてくれたのかもわかりません。

     「星と星とのもう一度出会いたいという思いは、確かに1200年に一度、叶うんだけど。その度ごとに、地球人類にはエラい迷惑が掛かる」と。これ、この太陽系というスケールだけで見ると、そういう話なんですけど。
     ところが、太陽系自体も、ペテレルギウス座だったかな? その辺りを中心とした巨大な円周軌道を回っています。そして、この円周軌道自体も、巨大な銀河平面に対して回転しています。
     銀河を真上から見ると、渦巻き状になっていて、地球はその第3渦状腕だったかな? 中心から3.5光年くらい離れたところで、1周辺り10億年くらいの時間を掛けて回転しています。
     なので、太陽の回転というのは、銀河平面上で見ると、このような渦巻状になっているわけですね。
    (銀河の中心に対して、受話器のコードのような軌跡を描きながら回る図を描く)

    nico_190630_03821.jpg【画像】太陽の軌道

     それに対するティアマト彗星の軌道は、この渦巻状に移動する太陽系に出会うために、このようになっているわけです。
    (太陽系の軌道に絡まるように飛ぶ、ティアマト彗星の軌道図を描く)

    nico_190630_03833.jpg【画像】彗星の軌道

     こんなふうに、かなり複雑なものになっていると思われます。

     これが、お話全体のテーマ、「結ぶ」なんですよ。この中で、奇跡が起こったり、何かをしたりする。
     人の縁そのもの指す言葉である「結ぶ」とか「結う」。それと対応するように、映画の中には糸を撚る、紐を組むシーンが出てくるんですけど。それと共に、銀河平面で見た太陽系の軌道と、それに絡み合うように進んでいるティアマト彗星の軌道という全体が、大きい1つの糸を作っているんです。
     つまり、そんな中で、1200年に一度だけ出会える彗星が、離れ離れになったもう1つの片割れに「もう一度会いたい」と思っているからこそ、起こるドラマなんです。
     さらにその中で、一度別れた、もう二度と会えない相手に会いたいと思う人間が、心の入れ替わりみたいな奇跡を起こして、それが代々受け継がれて行く。
     そんなふうに、物語全体が「結ぶ」とか「結う」、糸から紐が組まれていくような構造で出来てるんですね。

     なので、新海誠としては、それまでの宇宙モノとかを合わせた集大成としてやっているんですけど。
     この辺りの説明を全て諦めてまで、ベタな泣かせドラマに集中したというところが、「すげえよ、新海! よく割り切ったな!」と思うんですけども(笑)。

     面白いのは、三葉の友達にテッシーという、ざっくばらんな男の子がいるんですけど。
     このテッシーは、最初、自転車に乗ってるんですね。テッシーはこの自転車を「行って来いや! この村を救って来い!」みたいな感じで、三葉に貸してくれるんですよ。
     で、三葉はその自転車で走って行くんですけど、途中で転んで、自転車を壊してしまうんですね。
     なので、その後、瀧とクレーターで出会った後で、三葉はテッシーに「ごめん、自転車、壊しちゃった」って言うんですけど。テッシーは「何のこと?」って言うんですよね。

     なぜ、ここで「何のこと?」と言ったのかというと、実は、瀧と三葉が出会った時に、もう時間軸全てが変わっちゃったんですね。
     テッシーが自転車に乗っていない世界にズレちゃってるんですよ。
     この世界では、テッシーは自転車に乗ってなくて、ずっとバイクに乗っている。その後、そのバイクを貸してくれたんですけど。
     ここからもわかる通り、実は、時間軸のズレというのは、かなり早い時点で行われているんですね。

     まあ、でも、そこら辺の説明も全て抑えて、「もう描かなくてもいいや!」と排除して行って、ベタなドラマにしているところが面白いと思いましたね。

     あとは、「ティアマト彗星の軌道が曲がっているように見えて、ちょっと変だ」というふうに、SF作家の山本弘さんが指摘されてて。まあ、天文学的に考えればそうなんですけど。
     ここら辺も、作画ミスと考えることもできるんですけど。その他にも、「いや、そうじゃなくて、これはこの星と星とが出会いたいからだ。作為的なリードなんだ」というふうに考えることもできるんじゃないかと思ってました。
     まあ、99%作画ミスだと思いますけどね(笑)。

     そんな感じがしますということで、ロー・ドラマの名作、『君の名は。』の話はここまでです。

    (録画映像終了)

     はい、どうもお疲れ様でした。

     コメントを見てたら、「新海誠はそこまで考えていたのか?」と言う人がいたんですけど。考えているに決まってるんですよ。
     ええとね、アニメの監督って、たぶん、普通の人が思っているより100倍考えています。これ、本当に真面目な話。
     100倍考えた上で、「これをどこまで見せようか?」というのを調整しながら出してるんです。

     それまでの新海誠は、そういうのを「わかってほしい! わかってほしい!」という出し方をしてたんですけど、「やっぱり、それでは売れない」というのがわかるわけですよね。
     そこで、「あくまでベタなドラマを提供して、そのバックグラウンドの方に自分の言いたいことを引っ込める」ということを徹底的にやった。そのおかげで、プロデューサーの思惑通り、ちゃんと当てることができたんですけども。

     まあ、解説の中で、いくつかミスがありました。地球はですね、銀河の中心から「3.5万光年」です。3.5光年のはずがない(笑)。
     あと、銀河の自転って、僕が昔、本で読んだ時は、「10億年」と書いてあったんですけど、最近は「2億年から2億5千万年」となっているそうです。
     ちょっと、そこだけ修正しておきます。

     なぜ、町長である三葉の父が、三葉の言うことを信じて町の人達を避難させたのかというのは、映画内ではほとんど説明されてないんですね。
     これも、やっぱりわざとなんですよ。新海誠は、これを説明しようとしたら、そういう脚本も描けるわけですね。でも、それを描かないわけなんです。抑えるわけですね。
     「そうか! 三葉の父も、三葉と同じように、昔、入れ替わった記憶があるんだな! 構造的に重なっているんだな!」というのは、気が付ける人にだけ気付いてもらおうというふうになってるんですね。

     これに気付かないような人というのは、とりあえず主題歌をガンガン掛けて、盛り上げたら、勝手に感動してくれるわけですよ。
     そうやって、「ベタで盛り上げつつ、映画の構造的な面白さというのも、わかる人にだけわかるように、あえて後ろに引っ込める」というところが、この『君の名は。』の、世界映画としてメジャーを狙ったところだと思います。
     「ティアマト彗星が、地球に落ちた欠片に会いたがって、1200年に一度地球に欠片を落としてくる」という、七夕のような、大変ロマンチックなお話を、夏に持ってくる。もう「この映画で当ててやる!」という勢いを感じる戦略、僕は好きですね。

     「テッシーという友達の自転車を壊したことは、映画の中ではクライマックス以降、なかったことになっている」ということで、世界線がそこで切り替わっているんですけど。これも、気が付く人だけが気が付けばいい。
     もうね、新海誠は変わりましたよ。『秒速5センチメートル』とかだったら、絶対にいくつも映像的な伏線を持ってきて、押し付けるように説明してたのが、そこら辺サラッサラになってきた。
     なので、『天気の子』も、たぶん、やるとしたらこのベタ路線だと思うんですけど。どれくらいやるのか、ちょっと興味がありますね。

     この辺りの仕掛けを、わかる人だけにわかるようにするというのは、作家としてはかなりシンドいんですよ、正直言って。
     さっきも言ったように、作家というのは、僕らが考えるよりは10倍100倍は考えているんですけど、どうしても「わかってほしくなる人種」なんですね。
     で、この「わかってほしくなるバルブ」というのを、どれくらい開けるのかによって、やっぱり、その作家の格みたいなものが変わるんです。

     あの、皆さんもご存知の通り、僕の中で『けものフレンズ』という作品の評価が大変低いのは、そのバルブがガバっと開くからなんですよ。
     「なんじゃこりゃ!?」ってくらい、かなりガバっと開いて、「はいはい、そういうことをやろうとしているのね。ほた見ろ、普通のアニメファンでも気が付く出来になってるじゃねえか」って思うから、「ああ、俺はもういいや」ってなっちゃうんですけど。
     ……ああ、2016年の口の悪い俺に戻ってしまう、アハハ(笑)。

     でも、新海誠のこの『君の名は。』の場合は、これを思い切って隠しているから、ドラマとしては、あくまでもベタに進行できる。
     このアニメは、作品としての側面と、商品としての側面、2つを持っていることになると思います。

     今、ちょっとコメントで流れたんですけど、そうなんです。宮崎駿って、ここら辺のバルブが、割りと開いちゃうタイプなんですよね。
     『未来少年コナン』とかを見たら、バルブが開いちゃってるんですよ。なので、一生懸命、たぶん、鈴木敏夫さんに言われて閉めようとした。
     その甲斐あってか、『ナウシカ』は、割りと開け気味で作ってるんですけど、ジブリというスタジオが出来てからは、バルブを閉め気味にして、1回見ただけでは見抜けないような構造にしているところが面白いと思います。
     ……ああ、そうですね。高畑勲さんのバルブは逆に硬すぎて、俺でもシンドいです(笑)。

     兎にも角にも、『君の名は。』というのは、商品と作品という2つの部分を合わせ持ったまま出したので、国民映画として成立したと思います。
     『シン・ゴジラ』で、「ゴジラの正体は、人間が変身したものだ」という設定を、いまだに徹底的に隠しているのと同じです。これを隠すことによって、ゴジラが暴れるシーンというのに、映像的な快感を与えることに成功したわけですね。

    『君の名は。』の「ルック」とその素晴らしさの理由

    nico_190630_04818.jpg【画像】スタジオから

     次は、恋愛ドラマとしての『君の名は。』の可能性を語った動画です。
     これは3分くらいの映像ですので、ちょっと見てください。
     では、お願いします。

    (録画映像開始)

     「『君の名は。』は第2の〇〇になる」という話です。
     ついに、ジブリ作品を抜いちゃったよね。もう今、2位だっけ? 『君の名は。』。
     まあ、『君の名は。』っていうのは、これまでのビターだった新海誠監督のドラマに、砂糖をたっぷり入れて、ミルクをちょっと加えて滑らかにしたダークチョコくらいのさじ加減になってるんだよね。

     邦画と洋画って、やっぱり何が違うかっていうとさ。
     『ハリー・ポッター』の新作の『ファンタスティック・ビースト』を見た人はわかると思うんだけども、あれ、本当に内容がないんだよね。
     ただ、絵はものすごく本格的なんだよ。
     『スター・ウォーズ』の新作の『ローグワン』の予告編を見たらわかる通り、そういった絵作りの部分に関してだけは、洋画ってメチャクチャ本格的じゃん?
     それに対して、邦画って、ああいう本格的な高級感のある絵というのが、もう本当に作れないんだよね。「珍しい風景映す」くらいしかない。

     そんな中で、新海さんというのは、圧倒的に美しい「ルック」というのを持っている作家なんだよね。
     それぞれの映画なりの撮り方の個性、マンガ家で言うと絵の個性、絵面みたいなものを、映画の世界では「撮影監督が持っているルック」って言うんだけどさ。
     なので、『君の名は。』というのには、ものすごく美しい画面が出てこれる。
     今、中国でも大ヒットしてて。残念ながら、3億円くらいの買い切りだったそうなんだけど。それでも、大量のチャイナマネーが日本のアニメ産業に対して、動いているそうなんだけど。

     『君の名は。』ってね、総括すると「21世紀の『ローマの休日』」だと思うんだよ。
     『ローマの休日』っていうのは、青春ドラマ、恋愛ドラマの原型中の原型で、世界中の人が知っていて、世界中の人が共感できる話として、ハリウッドで作られた映画なんだけど。
     あの時代は、スターが出てきて、観光地としてのローマ、みんなが行きたいところに行って、お姫様と新聞記者の恋愛を描くというだけで、世界恋愛映画足り得たんだけど。
     もうね、今や、世界中の人が憧れることが出来る21世紀の恋愛ストーリーっていうのは、『君の名は。』みたいなものなんだと思う。
     出会いがあって、悲しい別れがあって、含みがあるラストシーン。
     基本的に言えば、もう『ローマの休日』での枠組みっていうのを踏襲してるよね。

     こういうワールドスタンダードな恋愛ドラマが、日本のアニメから出てきたっていうのはすごい嬉しいし、たぶん、黒澤明の『七人の侍』以来の、世界の映画界に対してショックを与える作品になるだろうと思ってるんだ。
     なので、「『君の名は。』は、世界でヒットして、おそらく『ローマの休日』のような、世界標準の恋愛ドラマになるだろう」という予想でありました。

    (録画映像終了)

     はい、今ご覧になって頂いたのは、2016年の年末に行った「今年の映画を総括する」というニコ生の映像でした。
     「邦画は、高級感のある本格的な絵が弱い」という話をしてて、「それに対して、新海はルックがあるね」という話をしてたんですけど。

     『君の名は。』って、現在、ハリウッドで実写化が進行してるんですよ。
     「あんなにねヒットして、あんなにカッコいい絵を作れても、やっぱり実写にしないと世界映画になれない」というのはもうショックです。
     まだまだアニメは弱いなと思います。

     アニメで世界映画になれたのって、ディズニーと、ピクサーと、宮崎駿だけなんですよね。
     それだけが世界中で、アニメのまま受け入れられて、「ああ、ヒットしたんだ。じゃあ、実写に置き換えようか」などという、屈辱的なことを考えられなくて済んでいるんですよ。
     アニメっていうのは、実写に比べて格下だから。いわゆる、メキシコとか、そこら辺の国でヒットした映画を、「じゃあ、ハリウッドで作り直してあげよう」という、リメイクみたいなことをされてしまうんですね。
     そんな中で、ディズニー、ピクサー、宮崎駿だけは、そういうことがあまりなかったんです。まあまあ、最近はディズニーのアニメもどんどん実写になるので、そこら辺も油断できないんですけど。

     まとめとして、『君の名は。』のルックが、なんであんなに素晴らしいかというと、「新海誠は目が良いから」なんですよ。
     とにかく、新海誠には、東京という街が、新宿という街が、あんなに綺麗に見えるんです。あれがすごいんですよね。
     あの目っていうのは、富野由悠季も、宮崎駿も、高畑勲も、押井守も、庵野秀明も、誰も持ってないんですよ。

     「現実があれだけ綺麗に見えるレンズを持っている」ということが、新海誠の作家性。新海誠は、『君の名は。』で、そこにようやっと踏み切れた。
     「SF的なプロットとか、仕掛けとか、伏線こそが自分の中での作家性だ」と思っていたところから、「この世界を見る目そのものが、実は自分の最大の作家性だったんだ」と気が付いたところが、やっぱり『君の名は。』のすごさだし、新海誠のカッコいいところだと思います。
     どっちかっていうと、マンガ家の目に近いんじゃないのかな?

     後は、『ガンダム THE ORIGIN』のところでも語った通り、「SFを上手く使いこなしてる」というところが、SF野郎としては評価が高くなるところだと思います。
     以上で、『君の名は。』の話を終わります。

    お便り紹介「3つの願い」

    nico_190630_05431.jpg【画像】スタジオから

     無料放送は、もう9時近くなりましたので、ここで終わりなんですけど。
     今回は、お便り特集でもあるので、ちょっと後半から、皆さんから頂いたメールを紹介していきますけど、前半の内に、2つだけ紹介します。

     まずは、福岡県の江口さんからのお便りですね。
     先週、取り上げた『アラジン』に関して、「もし、3つの願いが叶うとしたら?」というテーマで投稿をいただきました。


    1つ目、無病で永遠の命。
    2つ目、仕事をしないで好きなだけ趣味に打ち込めるだけの財力。(岡田さん程度)
    3つ目、近視を治し、裸眼で2.0の視力。


     ということなんですけど。気持ちはわかりますよね。

     でもね、「永遠の命」ってね、ベジータとか、フリーザとか、悪役時代のピッコロ大魔王が言うセリフでして。
     気づいたら、僕らはドラゴンボールの悪役のような望みを持って生きているわけですね。

     「財力」はね、正直、キリがないと思います。
     僕は今、エコノミーシートだったら、世界中、どこでも行けるくらいの状態になっているんですけど。それでも、日曜日には帰って来てニコ生をやらなきゃいけない。
     プラモや本も、買おうと思ったらいくらでも買えるんですけど。もう、無理なんですよ。これ以上、部屋に置けないから。
     あと、読めもしない本とか、作れもしないプラモを買っても、自分が嫌になるから、やっぱり買えないんです。
     わりと制限があるんですよ。

     「視力」についても、どうしても裸眼で見たいものっていうのも、あんまり思いつかない。
     映画って、矯正視力で十分だし。

    「倉庫を借りないの?」(コメント)

     倉庫とか、別の部屋とか、書斎とかっていうのは無駄なんですよ。
     もう、とにかく俺は、1日あたり50歩くらいしか歩きたくなくて、その範囲の中で、このニコ生を作っているのが幸せだから。これを動かしたくないわけですね。

     というわけで、気持ちはわかりますけど、江口さんの3つの願いというのは、「現状でかなり幸せ」という意味なんじゃないでしょうか?
     だって、望んでいることがドラゴンボールの悪役レベルなんだから。「現状でかなり幸せ」というバロメーターなんじゃないかと思います。

     とりあえず、6月のステッカーを1枚送りますので、これで我慢してください。

     次は、埼玉県のみらさんからの3つの願いですね。


    1つ目、人生のとある時期に戻りたい。
    2つ目、衰えない声。自分で音源を作ってレコーディングしたものを、iTunesで配信したりして、音楽を諦めずに済んでいます。しかし、年齢のため徐々に声が出づらくなってます。
    3つ目、行動力。私がいろいろと考え過ぎてしまって、アイデアはあったのですが、それを現実化できなかった、そして、最近、身体が付いて行かなくなってしまったので、本当に惜しいことをした気分です。


     という、3つの願いだそうですけども。

     いや、それってやり残しだと思うから、今からやればいいと思います。
     行動力っていうのは、人間、失敗しても取り返せる中年になってからの方があるんですよ。
     20代30代の頃って、行動力あるように思うじゃないですか。でも、20代30代の頃って失敗が怖いんです。
     だけど、40、50を超えると「まあ、失敗しても取り返せる」って思うので、そっちの方が行動力があると思います。

     声についても、味だと思うし、「とある時期に戻りたい」と思うなら、その時にやりたかったことを今からやった方が、絶対に楽しいと思います。
     僕は応援しています。その印として、ステッカーを3枚送りますので、これで頑張ってください。


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