文藝春秋の「皇后は退位に反対した」という衝撃的な
煽り文句に釣られて記事を読んでみたら、そんなに
過激な内容ではない。
タイトルのつけ方がズルいが上手い。
2010年7月22日の「参与会議」で陛下が譲位のお気持ち
を述べられたときは、皇后も含めて全員反対だったが、
そのうち陛下の意思の固さに負けて皇后は賛成された
ということに過ぎない。
注目すべきことは2010年からの陛下の譲位の決意であり、
その時点で摂政は退けられているということだ。
思い返してみると、この前年、2009年(平成21年)
11月12日に天皇陛下の御即位20年の式典があった。
わしは鳩山内閣から招待されて、この式典に参加した。
翌13日には宮内庁からの招待で、宮中茶会に招待されて
いたので、あわててモーニングを作って、皇居に行った。
わしはこの時にはすでに、男系固執派と戦いを始めており、
天皇陛下とお話しするよう侍従に勧められたが、慌てて
辞退した。
皇統を巡る大喧嘩をしている最中に、陛下とお話しすることは
迷惑をかけそうな気がしたのだ。
わしはすでに「SAPIO」の『ゴー宣』連載で、
女性・女系天皇を公認すべしという内容を描いていた。
ぞして連載をまとめ、皇統問題に絞って『新天皇論』を
出したのが、2010年12月だ。
鳩山内閣が終了したのは2010年6月8日だから、
天皇陛下が「参与会議」で譲位のお気持ちを述べられた
2010年7月22日の時点では、菅直人内閣だったことになる。
すでに皇位継承問題は、民間では、高森氏や田中卓氏や
わしが「女系公認・双系派」として、「男系派」と論争を
激しく繰り返していた。
鳩山内閣時は小沢一郎による「習近平接見」の政治利用が
あり、宮内庁と政権の間に亀裂が入り、「皇統問題」も
宮内庁から政府に打診するわけにはいかなくなっていた
だろう。
そこで陛下は「生前退位」によって、「皇統問題」も
動かすという戦略を立てられたのだと思う。
文藝春秋の記事を読むと、老化が心配で譲位したく
なったと誤解されそうだが、それだけではない。
だが文藝春秋も察してはいるらしく、記事の最後で、
天皇の友人の話を紹介している。
「陛下のお気持ちを考えると、典範改正でなければ、
本当の意味でご希望が叶えられたとはいえない。
陛下は、典範を改正することで、新しい伝統を作り、
それを将来につなげていきたいと考えていらっしゃる」
これが最重要なのだ。