第282号 2018.8.28発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第290回「新元号を巡る議論を整理する」
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東京医大の問題は、特定のカテゴリーの人達の点数をこっそり操作したことで、受験の公平性が失われたことですね。定員を男女別に設定していれば問題なかったことでしょう。
大学上層部の『臭いものには蓋』的な態度と、病院上層部の『若い男性医師を安い給料で存分にこき使いたい』というご都合主義の結果ですね。
その辺りを正さないで、ただ男女平等を押し付けても、誰も幸せにならない、と思うのですが…。
遅ればせながら、感想を記します。
ゴーマニズム宣言・第290回「新元号を巡る議論を整理する」
以前にも記しましたが、私は一年、あるいは年度で二つの元号が存在するのは不便だと思っていましたが、南北朝時代にも別々の元号があったり、源平合戦の時にも安徳天皇とは別に後鳥羽天皇の元号が制定されたりと、「天皇」の存在が元号を左右する、というのはよくわかります。ちなみに、唯一の元日改元の「天応」も、その年の4月に光仁天皇が譲位し、桓武天皇が即位してから、翌年の8月には「延暦」に改元されています。その事例から見ても、改元にはある程度の時間と準備が必要なのか、とも思えるのですが、かと思うと、聖武天皇の天平感宝元年が僅か3ヶ月(で、その年のうちに孝謙天皇が即位して、天平勝宝元年になった、という事例もあるので、便宜性で判断してはならないのかな、と思いました。
あといちおう参考までに記すと、縁起が悪い時だけではなく、祥瑞改元、つまり吉兆の見えた時や(「天平感宝」も「天応」もそう)、十干十二支に基づいた改元もある、ということをつけ足しておきます。新天皇の即位も祥瑞であって欲しい、と願います。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第94回「ネトウヨ珍クレーム集」
私もあまり「ネトウヨ」という語は好きではないのだけれども、ネットを媒介として右翼的な言動をしている人たちがここまで物を考えていない、あるいは自分の都合の良いように世界を見ているのか、と驚かされました。夏目漱石の『夢十夜』に手ぬぐいが蛇になると念じる男の話や、明治の木には運慶は埋まっていないとかいうのがありましたけれども、それと同じで、信じる者は救われるとか、土台となる時代が異なっていたら、いくら同じようなことを語っていても、それは別物で、元々魂がないのだから無価値だ、ということなのでしょうか。色香に惑わされて、豚の鼻をたたきつづける羽目におちいらなければ宜しいのですが。
あと、仲間でなければ敵で、右でなければ左だときめつけるのは、中間が見えていないからで、人間は真逆なことを考えたり、極論から極論に移るのは得意でも、黒でも白でもない「灰色」の存在を想記するのは不得手なのではないか、とも思いました。山椒魚は体が大きくなりすぎて岩屋から脱出できず、蛙を巻き添えにするのですが、ネトウヨのしていることもそれと同じのように感じられました。
客観的な視座が劣っている、という意味では自分も人のことを笑えない、とも思っています。
もう少しつづけます。
私は昔の故・貴ノ花のファンで、まけた時などは自分のことのように悔しがっていましたが、感情をこめられるものがあるだけ、ネトウヨは幸せなのかも知れないです。ただし、それが自分をかえるとか成長させるとか、明日へすすむための一歩にならなければ無意味なのですけれども。
トッキーさんがのべられている中島さんの論評もよんでみましたが、恐らく杉田がかくのごとき主張をするのか、原因を探ることが私たちの精神の中に内在する「差別心」や「偏見」を暴き出すことになるので重要だ、ということなのかな、と想像します。しかし、そんなのはどこかの心理学の講座でやれば良いことで、人間の感情が単純明快ではなく、自分ではどうすることもできない何かに支配されることがあるのだ、ということを念頭においた上で、では現状や現実をよくするにはどうすればいいのか、を考えてゆくべきだろうと思います。これは死刑制度についても言えることでしょう。少し抽象的な表現になってしまいましたが、自身の問題と向き合えていないものに公を語る権利はない、と思うのです。楽な方へ逃げたくなるのも人間なのだ、と言えるのですけれども。これもライジングテーマと関係があるので、述べておきます。
最後に、切通さんのブログですが、女子コンクリート犯、なぜあんなのが釈放されているのか、不思議でなりません。没義道、鬼畜です。死刑じゃなければ終身刑、去勢刑です。本日、「聲の形」という映画がTVでやっていたので、(劇場でも見ましたが)つい見入ってしまいましたが、あの主人公のような後悔や反省を、コンクリート犯もすると裁判官は思ったのでしょうか(あの映画の場合は、集団による苛めの要素、村八分、スケープゴートの内容でもあると思う。多分、ネトウヨ界にとって、「ゴー宣」とはそのようなものなのでしょう)。
少し偉そうなことを言ってみました。反省します。
それでは次号を期待します。
よしりん先生のブログ、
>死に直面させることしか、そのような人物に自分を顧みる機会を与える方法はないのだ。
僕の愛読書の中で、死刑囚自身が、まったく同じ意見を言っていました。ちょっと引用すると、
~人間がその自己の真の目的に気付く潜在能力を有している。その事こそが万人に平等にある「天賦」の権利、「人権」であると思えるのです。その為のきっかけと時間を、罪を犯した者に与えてくれる死刑制度は、むしろ、非常に人道的であると思えるし、無理にその人間自身の罪悪を考えさせないようにする少年法や人権派の方が、むしろ、非常に人の道を外したものであり、その人間への「仁義」を見失っていると思うのです。~
※『死と生きる』池田晶子、陸田真志
配信お疲れ様です。小林先生の「新元号を巡る議論を整理する」を拝読しました。陛下の優しさと思いやりに甘えてしまっていた自分を反省すべきだと思いました。国民の側が陛下に「忖度」させるなど、とんでもないことです。あれだけのご高齢の方をまだこき使うつもりなのかという話です。忘恩を是とするのは人でなしだけですね。利便性しか考えないならば、「生産性」発言をしている輩と根っこは同じです。和暦は生産性を損なう、グローバルな西暦に統一したほうが生産性が上がる、なんですから。
もくれんさんの「ネトウヨ珍クレーム集」のお話は、頭が悪い人達が良くない頭を働かせた見本市のようで、苦笑してしまいますね。私は常々、ネトウヨというのは自分たちが言っていることを自分たちで信じていない人達だなあと思っています。要は、無気力なニヒリストたちが、不勉強のまま、斜に構えて恰好が付く理屈に飛びついているだけではないでしょうか。サヨク全盛の時代なら、彼らは「ネトサヨ」でしたね、間違いなく。いずれにせよ、党派性だけでモノを考える人間は信用なりません。
男女平等イデオロギーは怖いものです。これを拗らせる人の多くはおそらく女性で、理由は言わずもがなですが、ルサンチマンでしょう。個人的に嫌な思いをしたということを錦の御旗にして、復讐心を正義のオブラートに包んでも、私心は私心です。復讐心を物事を主張する際の核にしてはいけません。
男女平等も、他の数ある正義と同様に、時と場合により通用する、というだけのことです。
暴力はいけないということですら、正当防衛という考え方があるのですから、絶対ではない。人を平等に扱うという正義も、場合によりけりであることは、常識で考えれば分かることです。要は、ケースバイケースの思考を捨てて、感情のまま当たり散らすようでは、かえって物事は良くならないですよ、というお話です。そういうのが「イデオロギー」に嵌った人間の振る舞いなのでしょうね。
SPAのゴー宣を楽しく拝見させていただきました ^-^
日本の右傾化の原因について「戦争論」などの名前はよく出てきますし、現在の言論に影響を与えたのは事実だと思うのですが、それに加えて「マンガ嫌韓流」の影響力が大きいと思ってます。私の体感としては、本格的に雰囲気が歪んだ方に偏ってきたなと思ったのは「嫌韓流」からという印象です。
「嫌韓流」はいちおう当時のベストセラーで、シリーズ公称総発行部数は100万部超えているそうですので影響がないわけがないです。あの作品を外しては現在の右傾化については語れないと思います。(もちろん嫌韓流はゴー宣の影響を受けているのですが)
当時からインターネットを利用しまくってましたが、嫌韓ブーム以前以後でネットの雰囲気がかなり変わったなと感じました。2003年頃の冬ソナブームから日本のメディアでやたらと韓国が紹介され続けてネットの中ではかなり反発が高まってきていました。それ以前から韓国叩きがなかったわけではないですが、顕著になったなのは冬ソナなどの韓流ブーム以降だったと思います。あのあたりから韓国と聞けばそれだけで叩く、日本すごい発言のような記号化したネトウヨが大勢出現した印象です。(当時ネットで絶大な影響力のあった2ちゃんねるの役割も大きかったとは思いますが)
何だかそこをすっ飛ばして戦争論が直接現在に至るみたいに語る人が多いんですが、微妙に違います。現在の右傾化には戦争論が出発点だとしても、そこに至るまでには様々な要因があったはずです。
あと、ブログの「ちびまる子ちゃんには、人に嫌悪感を抱かせる要素が全くない」という部分ですが、原作は割と毒があります。(笑)絵柄がかわいいので毒のないほのぼの作家だと思われていますが、割とさくらももこ先生の本質は毒の部分で、ちびまる子ちゃんでもたまに抑えられずに狂気や毒の部分が出てきてました。笑
近作に「ちびしかくちゃん」というまる子のセルフパロディーがあるのですが、集英社のグランドジャンプという雑誌に連載中だったと思います。(秋本治先生もその雑誌で連載されています)実はさくら先生は近年はジャンプ系列の作家だったのです。笑
アマゾンの評価を見ても分かるんですが、「ちびしかくちゃん」は絵はかわいらしいですが、かなりブラックな作品です。毒全開で不快感しかないので私は全部見られなかったです。笑
まあしかし陛下の献身さには本当に頭が下がりますね。一般人の皇室ヲタクとかは
自分がさも美智子皇后、雅子妃みたいに振る舞うアンポンタンがいるみたいですが
皇室という空間にいる人間にしか
分からないことを我々が体現できるわけがありませんからな。
「私は無私、公に生きているのよ!自分を勘定に入れない利他主義なのよ!」とか
を見ると失笑するしかないです。
誰かに似ていると思ったら善意の暴走族安倍昭恵でした。
こーゆう善意の押し売りを皇室と重ね合わせること自体が不敬であることを
早く気付けになりますがね。
お邪魔します。
私事ですが、このところネットから離れており、この一週間の道場ブログと、今回ライジングを今頃読みました。
「ゴー宣」:「新元号を巡る議論を整理する」拝読。
このテーマを取り上げて頂き、有難うございます。
以前よしりん先生・もくれんさんブログで話題になった時に、
自分が書いたコメントは、、、、、
・「新元号の事前公表は既定路線と認識していた。今上陛下に対して大変失礼だった。」
・「生前退位は、皇室だけで無く国民に対しても、社会の混乱を避けると言う、今上陛下のご配慮を頂いたものと捉えていた。大変甘えていた。」
・「高森先生によると、新元号の決定の際には新天皇の御許可?が必要な様なので、突然崩御された時も、生前退位時も、新たに即位される際にバタバタ改元するしか無いのではないか。」
・「各種コンピューターシステムの対応者の本音は、事前に元号を知りたいだろう。」
・「この件がきっかけで、社会の中の書類等で、元号が敬遠される様になるのなら残念だ。」
・・・・・でした。
その後、何かモヤモヤしていましたが、今回の記事を読み、元号について知らなかった事もわかり、この件について頭の中が整理出来ました。有難うございます。
しかし、この新元号の事前発表の件。大問題ですね。
このまま自民党総裁選が無事終われば、保守派に過度に配慮する必要性も薄らぐでしょう。
安倍氏は、かつての小渕官房長官の時を参考に、「新たな元号は、〇〇であります(<ドヤ)」となさりたいのではないかと想像しています。官邸も、国民への影響を最小限にする配慮をした形にしたいでしょう。
マスコミも多くの国民も、新元号の事前発表は既定路線だと思いますから、何とかならないかと思いました。
>「今の天皇陛下が結構ものわかりがいいものだから付け上がっている」
…との、よしりん先生のご指摘。
自分は恥じ入るしか有りません。申し訳有りませんでした。