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「属人化と標準化を考察する」小林よしのりライジング Vol.287
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第287号 2018.10.2発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】

第295回「属人化と標準化を考察する」
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
1番?
キター!(゚∀゚ 三 ゚∀゚)
番号なんてくだらない。
2!
ガテン
ゴー、ゴー、ゴー。
6
7ばん
はち
9ちゃん
ゴー宣読みました、
楽しく読めました、
その通りだと思います、
職人になれないからって引き摺り下ろさないでほしいです、
生まれも育ちも悪い人の最後の砦とも思ってますし、
いやならはじめから公務員が用意されてるし目指すべきで押しつけないでほしいと思います。
「俗人化と標準化を考察する」は、ブログで書かれたあった時から気になっていました。
私の仕事は事務職で職人とは違いますが、「早い、ミスのない、相手とコミュニケーションをとり迷惑をかけない」ことに気を付けて業務をこなしています。
形にさほど残らない仕事ですが、早めに仕事の段取りをしたり調べたりして、納期に遅れないように工夫して、たまに褒められて嬉しくなり、次にまた頑張ろうと思って私は働いています。
しかし勤め先の社長は「標準化」のような言葉を度々口にして、私はそのつど、はしごを外されたような感覚に陥ります。
社長の目には、私がどんなに努力していても、「すぐ誰にでもできる」ことに見えているのでしょう。
社員が仕事を頑張っていても、経営者の言動ひとつで一気にやる気が落ちてしまいます。
仕事の標準化はもちろん大事ですが、個人が積み重ねた努力を、上司が正当に評価しなければ組織は発展しないと思います。
よしりん先生の、この価値観の違いの分析は自分の仕事の在り方を考えるきっかけになりました。
13人の刺客
マニュアル化しないと!って言うのは本来なら現場から出て来る話なんですよね、要は組織的になっている筈の職場の中でも実は能力差があり、
その人が居ないと仕事が捗らない、回らない、だから、その人が普段やっている事を分担し円滑に回そう、その人が休みでも通常と変わらない業務が順調に進む、みたいな話です、
そう言う話は私が居たシティホテルなどではよく言われて来た話なんですね、要はグランシェフが1人居て、メニュー構成から味付けまでそのシェフが居ないとその味が決まらないみたいな処が他のスタッフから見ると業務が滞る!みたいに言われて来た話です。あくまでもホテルの調理場の話としてです。
お客様からしたら本来ならばそのシェフの味が好きだから来ている訳で、そのシェフが作ってないなら価値無し!で終わりのはずなんですが、
其処はシティホテル、大組織、調理スタッフも10名くらいは軽く居る、それが1人のシェフの為に右往左往するなんて無駄だ!みたいな料理置いてけぼりの話にすり替わる。
それって私から言わせたら「いや、お前らがそのシェフの味を盛り付けを再現するくらい洗練して腕を上げれば良いだけやん?」で終わる話なんですよね、
要はスタッフ全てが属人化すれば良いだけ、そのシェフがスペシャリティとして出しているメニューでも、実はその下のスーシェフが作っているなんて当たり前の事。
お客様を騙している訳でもなんでも無くて、その味がシェフの味で、それと寸分違わぬ味付けと盛り付けが出来ていればオールオッケー!
つまりは属人化だ!マニュアル化は駄目だ!なんて、仕事が出来ないバカの僻みでしか無いってこってすよ、ワシら職人で無くても、
必ず大組織の中でも向き不向きがあり、適材適所が存在し、その小さな組織体の中で属人化は必ず有ります、そしてその方が必ず円滑に仕事が進む確率の方が高くなります、その小さな組織体の集合体が優秀な巨大組織を創り上げると考えるならば、属人化はウィンウィンじゃねーのかな?
と、今号のゴー宣を読んでガッテンガッテンしちゃいましたねえ、母恵夢垂れ流してるより仕事自分の現場黙々頑張れよな、ってその辞められた門下生さんに贈る言葉としまして終わりにしたいと思います。
俗人化と標準化と分けていますが、実際には対して変わりません。職人の世界も素人を鍛えて、技術を上げベテランと同じように仕事できるようにします。その意味で、辞めた門下生の意見は間違っていません。問題は、昔は先輩が後輩を鍛えながら、仕事に対する責任感なり、やりがいを自己の内面に形成できたのが、西洋型の自由経済によって、内面を鍛えるプロセスを破壊されたことが大きいでしょう。
配信お疲れ様です。台風の後は体が重い。気圧の影響は馬鹿になりませんね。
標準化と属人化の考察、まさにその通りだと思います。突っ込みどころのない名文ですね。
自分で標準化を図ろうとしたことのある人なら分かるはずです。そんなに現実は簡単じゃありませんよ。ある時点で図った標準化が、もう次の年には無効になっていたりする。よって、結局は個々人の適応能力に頼る部分が大きいのが「仕事」というものの実態ではないでしょうか。まして、専門性が高い仕事は模倣困難です。だから、人手不足が起こる。第一、標準化を図る能力だってそうそう替えの効くものじゃないのだから、最初から矛盾しているのですよ。極度にルーチン化された雑務ならいざ知らず、よしりん企画の仕事をそれと同じにするとは、非礼極まりないですね。
ふと、エンデの「モモ」を思い出しました。徹底して時間の無駄を省き、整然と管理された世界を推進する灰色の男たち。彼ら近代合理主義の権化は、人々に時間の節約こそが幸福への道であると説いて回ります。旧市街の家々は取り壊され、余分なもののいっさいついていない新しい家が立つ。家を作るにも住む人に暮らし良くなどしません。全部おなじに作ってしまう方が安上がりで時間も節約できます・・・・。「モモ」に語られる地平線の果てまで同じ光景が立ち並ぶディストピアこそ、現代の我々の暮らしの一端に他なりません。時間の節約を考えたら、真っ先に浮かぶのがこうした「標準化」です。そして、人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていく。浮浪児で円形劇場の廃墟に住まう少女モモは、彼らの陰謀に立ち向かい、そして・・・。
まあ、読んでない方は読んでみるべきだと思います。児童文学の傑作のひとつです。
小林先生が辞めてしまえば、よしりん企画という職能集団がなくなるだけ。
漫画を標準化で出せるなら、パワポに入っている画像を組み合わせておけば?って話ですよ。
ね?
埼玉県Aカップ問題(『月曜から夜更かし』情報)と言うものが存在します。しない?
『月曜から夜更かし』を元にすれば、埼玉県に来ればマイノリティーではなくなるので、その女性記者の友人には、埼玉県に移住することを勧める手もあります。
埼玉県の女性に猫背が多いという事実は無いと思うので。
私の妻も平均的な埼玉県女性ですが、生き辛さは感じていません(叩かれた)。
木蘭師範の紹介してくれた記事は、実はツッコミ待ちのギャグなんじゃないでしょうか?
とても興味深く読ませていただきました。また、うならされました。
知らないうちに自分がどれだけ資本主義的な効率のみで物を考えていたのかを思い知りました。
私は在宅ワーカーです。標準化の最も進んでいる職種だと思います。
「かえのきく人間」であることを常に感じながら仕事をしています。
なので、今回の記事の
>どんなに標準化が進み、誰でも交換可能となった職場であっても、決して「属人性」がゼロになることはない。
>そうなれば、標準化された中で働く者でも、自分は替えの利かない「属人性」のある人間になろうと努力していくはずなのだ。
この箇所には胸が詰まりました。
私は部品ではない、人間なんだと、
そういう「人間の仕事がしたい」と望んでいたのだということに今さらながら気づかされました。
だから、頼られるとうれしい。難しい仕事を振られると燃える。
何でこんな単純なことがわからなかったのかと思いました。
小林先生は天才なので、正解まで最短距離を最高速度で到達されます。
私のあほをさらしてなさけなかですが、
私はブログ記事だけでは「何でここに到達したのか」と
ついていけないときがあります……すみません。
今回のライジング記事では、
ブログでは私には理解できなかった部分、理解が浅かった部分を
ゆっくり丁寧に書いてくださっているのでとてもよく理解できました。
もくれんさんの記事を読んで思い出しました。以前、モデルの冨永愛さんをお見かけしたことがありましたが、威風堂々とした8、いや9頭身に度肝を抜かれた覚えがあります。胸は、控えめであったと記憶しています。彼女は背が高いことに疎外感を感じた時期もあったそうで、月並みな話ですが、結局当人がどう生きるかでしかありませんね。
そもそも、多様な個性を圧殺して、弱者というレッテルでひとまとめにしてしまうことこそ、非人間的な試みであると恥じるべきなのでしょう。ふたたび、現実はそんなに簡単じゃありません。
配信ありがとうございます。
「属人化」というのは耳慣れない言葉でしたが、マンガ業界を例に出すと「分業システム」のことなのかと、割とすんなり腑に落ちました。
告白しますが、以前、マンガの制作現場における分業を確立したさいとう・たかを氏について批判的な文章(「スタッフの技術が止まってしまう」云々)を読んだときに「あれ? よしりん企画はどうなのかな?」と心配をしてしまったのです。それから、ちょっと引っ掛かっていたのですが、今回よしりん先生自らの解説と考察により払拭されました。
「そうか。一般とは違い、職人の集団なんだよな。工房なんだよな」
「SPA!」を買い、「サンデー毎日」も買いました。しかし「FLASH」はコンビニで下に置いてあったのを買ったら前号でした。なんて骨体。
組織に属している時は「標準化」されていても、独立開業したら「属人化」せざるを得ないし、実際、そうなりたかったし。
「歯車」は嫌だった。なので、金のやりくりは大変だが満足している。
子供にも「自分がいないと仕事が回らないような人になるか、そのような職業に就くように。」と教えてきました。
果たしてそうなってくれるかは今後次第ですが。
しかし、少し意見が違うくらいで、門下生にまでなっているのに辞めなくてもいいと思うけどな、個人的には。
公のために議論するのがゴー宣道場のはずだから。
悔しいのはわかるけど、人間丸ごと否定されたわけではないのと思うけどね。
信念。
重みのある言葉だ。
ライジング記事も門下生は信念を持って発言したらしい。
それ故の退会とは潔いと思う。
自分も一年程前に、経営について、よしりん師範に噛み付いた事がある。
その時は確かに自分なりの信念があったのだが、実は己の浅はかさによる餓鬼の駄々でしかなかったと気付く。
恥ずかしくて死にたくなるが退会はしなかった。
恥を抱えて生き抜くのみだ。
いや、恥は抱えて生きるのだ!
そうやって己を誤魔化して、ライジングを楽しんでいます。
今週もライジング配信ありがとう御座います!
『属人化と標準化を考察する』拝見しました。
すごく分かりやすく整理させていて
漫画家であるはずの先生がどうしてここまで
深く考察できるのかと驚愕しました。
自分の頭が整理されて大変勉強になりました。
随分前にトヨタの屋台方式だったでしょうか?
一番「標準化」されそうな工場生産において
個人個人の創意工夫を促して
工員のモチベーションをあげ、
結果製品の生産性と品質向上に繋げるような
生産方式が騒がれていたはずなんです。
ところが何故今さら、
門下生さんが「標準化」を激賞して
時代と逆行し、信念とまでなってしまうのか
ちょっと不気味だなと感じました。
もしかして派遣の影響なんでしょうか?
ネットビジネスが増加した結果、
例えば電話サポートなどは派遣社員を
大量に動員して成り立っている現実があるようで、
まさに標準化が全てという仕事環境のようです。
非正規が増え続ける今の社会の現状を
表しているとしたら深刻な宿痾となるかもしれませんね・・・
追伸)
しかし何で退会!?
納得できないなら論理的に反証すれば良いし、
間違ってれば修正すりゃ良いだけだし、
それが社会人としての成長やんか・・・
生まれたままの姿で成功する奴なんていないのになー
職場で「標準化」、「見える化」を慎重に検討している者です。
職人集団である「よしりん企画」の標準化を考えてみます…
個人の能力に依存させず、業務毎に以下の組織編成を考えます…
ネーム班、ギャグ班、アンケート係、レクリエーション班、秘書課、校閲係、車両係、渉外専門官、営業部、経理部、出納係、写真係、警備班、調理班、政治部、人事部、法務室…
「経理部長、今年度のギャグ班とレクリエーション班の使途不明金については…」
「うむ、前年度同様、適正価格を超えた額については割り当てられん。名誉会長の時代ならいざ知らず…」
「そのギャグ班ですが、昨年度に引き続き、退職者が2名出ております。」
「アンケート班同様、人件費削減でいいじゃないか。そういえば君は知らないかもしれないが、昔、ゴー宣同場企画室なんてのもあったな~。」
…(後略)
…なんとなく、三流の組織ができそうなところで、あきらめます。
なぜ標準化がもてはやされるのかを考えました。
勤めている会社で私の業務を見た新入社員が「こんな激務では将来家庭を持った時にまともな生活ができるとは思えない」と言って退職しました。
不景気な時代に産まれた若者は、日々淡々と仕事をして一定の収入があると満足してしまうようです。
基本的によしりん先生の意見に同意ですが、属人化のデメリットも考慮して頂きたいと思います。
よく先生がブログで、ポカQさんが体調不良で休んでることを報告されています。
私から見たらかなりの頻度のような気がします。
ポカQさんは絵の技術がすごく、替えのきかない属人であるとは思いますが、激務と属人化がセットになった場合一度亀裂が入ったら修復不可能な状況になってしまうのではないでしょうか。
先生の作品は毎回楽しみにしていますが、それは今のスタッフのプロフェッショナルな仕事あってのことだと思うので。
よしりん企画の業務方針をとやかく言える立場ではないですが、ただ一つ言いたいのは「ご自愛下さい」ということです。
肉
失われた30年!
半分、青いを批判する奴は、だったらお前が代わりに描いてみろと言いたい!
今週も配信有難うございますm(_ _)m
「若者」の多くが安倍・自民党を支持している理由の一端を垣間見た思いです。
「新自由主義」にすっかり洗脳され底辺への競争に参加することに意義を見出しているのでしょう。
私は平凡な生活を送る一職人として、よしりん先生の仰る「現場をとれ」の意味を再認識させて頂きました。
泉美師範の見聞録からは、傷つき方に市民権を与え「絶対最強弱者」を作ることが「傷ついていると思っている人」を置き去りにした商売や運動につながっていく構図なのだと思いました。
今回のゴー宣は注意深く読まないと極論に走ってると読み違えてしまいそうですね
「標準(マニュアル)化のメリットもそれを必要とする場所があるのも理解している。しかしそれだけではいかん場所も場面もある。そのひとつがうち(よしりん企画)なのだ」
と言ってるだけで全否定してるわけでは無い
我が現場は仕事の性質上、似たような仕事でも毎回のように上司も部下も変動するし、昨日どころか5分前と言ってることが変わる上司(ハズレ)を引かされることもある
管理する派遣会社がそもそも正確な勤務先住所を社員に伝えてこれない、派遣先と連絡連携が明らかに取れてないなという場合もある
その意味では「マニュアル化さえできてないじゃないか、統一しろ」と思わされることも多いし、マニュアルによってようやく「替えの利く部品になれる、社会の最低ラインに立てる」ようになって救われるという者もいるでしょう
しかし職能集団たるよしりん企画でそれができるとは思わんし、人の低下→質の低下を招くだろうから意味が無いし必要ない
同様の事は日本中あちこちの現場に斑模様のように言えることで、マニュアル化の中に属人化、職能の中のマニュアル化(セオリーとかコツと呼ばれてるのではないか)が入り組んでるから、一斉に右へ倣えとは行かないはず
…というところまで全部含んだ上での今回のゴー宣なのだとわかっておかないと、またしても誤読によるいらん衝突に繋がってしまうでしょうね
よしりん企画も出来得る限りのマニュアル化は(マニュアル化と呼ばないレベルで)とっくにやってるんじゃないかなあ
「インクは同じ物を使う(耐水性にしないとカラー原稿が滲む)」とか「机は並べる(原稿の手渡しがしやすい)」とか
それでもさらに必要ならそれこそ「漸進的に進める」しかないでしょうね
というわけでその門弟女性も退会する必要はなかったろうに。言葉の行き違いなのかなあ…まさに「傷つくところじゃないですよ!」ですな
マニュアル化とか普通に考えておかしいですよね。マニュアルはもちろん必要です。新人は、まずマニュアルで学んで基礎を覚える。まずはそこが仕事の第一歩。そこから経験や自己研鑽で応用力を身につけていって職人になっていく。仕事なら当たり前の過程です。だから、わざわざマニュアル化を強調するのって、その基礎習得で成長するの止まっていいよって言われてるみたいで違和感バリバリです。といっても、基礎覚えたら経験積んでいくうちに応用力が付いて職人になっていくものだと思っていました。昔は。でも実際はマニュアルに拘ってる子って、そのマニュアルすら習得していなかったり、そこから全く応用力が無く、勤めだして2年近くたってるのに、いまだに新人5か月みたいな初々しい子が…あ、いかん、ただの職場の愚痴になってきた。まあ、ようは言いたいのは「標準化」なんて基礎の過程なんだからわざわざ言う必要は無く、むしろ「属人化」こそ推奨していくべきだと思うのですよ!
風邪ひいて頭ボロボロなんで書いてる事支離滅裂になってたらすいません…
Q&Aの朝生が最近面白くない理由って話。答えは簡単、最近、よしりんが出てないからやで。
まあ、冗談はおいといて、実際の話、まともな正論できっちり論破してくれる人がおらんと、バカが言いたい放題の番組とかイライラするだけで見る気しないですね。
よしりんの場合、正論のうえに話が面白いし最高やで…また見たいなぁ…でも忙しくて、あと体力的に、もう無理なんだろうなぁと思うから無理は言えない。だから昼の番組出て欲しい。まあ、テレビ局が怖がって使わないでしょうけどw
もくれんお嬢様もMXの番組とかで話面白くて好きだけど、やはりお嬢様だから毒足りなくて物足りない。けど毒あったら番組に呼ばれないだろうから、あれが正しいのだろう。
会社では、ミスると再発防止策としてアラ探しをして
属人化から標準化へ、と責任を取りたくない、分散したい対策としてマニュアル化が促進されます。
経営者の論理もそうですが、労働者側も責任感のない
人が増えて、どんどんやりにくい事になってます。
権威主義、そうですよね。
ラグビーの五郎丸歩が亭主関白振りなことを言ってのけても誰も反撥しませんでしたし、北原みのりはそんな五郎丸を待っていたと言う始末でしたし、何なんでしょうかね結局。
町山智浩がよしりんに絡んだのか〜
この方の映画批評や、アメリカ在住のアメリカ文化論は
すごく面白くてよく読んでます。
よしりんに安易に絡んだ批評家はことごとく
狂って自爆するだけに、ちょっと町山智浩が心配になります。なんで、よしりんの言ってる事分からんのだろうか。
木蘭さんの新シリーズ面白かったです。
記事にある通り「スーパーモデル」は胸の小さい女性ばかりですよね。胸が大きいスーパーモデルとしてパッと思いつくのはHadid姉妹ですが、確か妹のBellaが「モデルとして胸が邪魔している」という風な発言したくらいトップモデルにとって大きな胸はマイナスとなりますよね。
胸の小ささで悩んでいる女性は、スーパーモデルのSNS見て欲しいです。胸が小さくても思わず目を奪われる色気を発揮しているので、その辺を参考にしてコンプレックス解消に励んだらいいと思います。
更新お疲れ様です。
一部存在する批判コメント見て思ったんですが、小林先生の主張をマトモに理解できてないと思います。
少なくとも「標準化」という効率至上主義に走って「「個」の否定」を絶賛するのはどうかと。
今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
仕事の「属人化」という言葉は、正直今回のことが無ければ、
私にとってはあまり耳にしない言葉でしたが、
「標準化」「マニュアル化」の対義語であるということを学べました。
私自身は、現在は「標準化」を求められるところで働いておりますが、
20数年前、印刷業界に初めて入った頃(現在は別の職種ですが)の会社では、
従業員が数人しかいなかったこともあり、誰一人欠けても仕事が回らない職場でした。
しかし、それでも、よしりん企画のような職能集団、あるいは伝統工芸などを伝承していく職場と比べると、
だいぶ違いがあります。
私がかつていたところでは、業務は新しい人に引き継いでいきますし、
社長や役員は同族経営でしたが、それでも若手に引き継いで行って続いてきていました。
それに対して、よしりん企画や、伝統工芸などの職場では、小林よしのり先生、あるいはその伝統工芸を伝えている当人は、
誰にも替えが効きません。
スタッフの皆様も長年培ってきたものがありますから、新しい人がすぐ受け継げるようなものではないと思います。
私は趣味で漫画を描いて来て、実際にプロになっている友人もいるので、漫画制作の現場のレポや体験談などに興味を持っておりますが、
かつてNHKでやっていた「漫勉」は、良い番組でした。
あの番組を通して見ただけで、プロの漫画家の凄まじさを感じることが出来ました。
職人の世界と、それ以外の職業人の世界とは、全然違います。
職人はマニュアル化とは一番無縁の存在です。
しかし、職人以外の社会の中でも、マニュアル化が徹底されて、誰が欠けても支障がないようなシステムの中でやっていったら、
働く人たちの活力は減退していってしまう、ということは、記事を読んでよく分かります。
それぞのメリット・デメリットを見た上でも、思います。
自分の実体験と重ね合わせて考えても、確かにそうだなと思います。
完全なマニュアル化など出来ないからこそ、マニュアル化を徹底しようとしている業務でも、
咄嗟の対応力を試される時は多々あり、
そこで働く人の遣り甲斐がそこに生まれる、確かにそうだと思います。
かつての小泉政権も、現在の安倍政権も、大企業の経営者には都合の良い政策を打ち出して来ています。
自民党以外の政党が政権を獲っても、そこら辺は変わりなかったように思います。
共産党が取ったらどうなるのかは分かりませんが・・・(でもそれは嫌だなあ・・・)
それを雇用される側が拍手喝采で支持するのもおかしいですし、
他にいないから、別にそれでいいや、で支持するのも、自分というものが無さすぎると思ってしまいます。
野党は野党で、確かに問題はあるのですが、
有権者自体に根本的な問題があるように思えてきます。
ブラック企業への批判も「「やり甲斐搾取」のブラック企業」という指摘は、確かにそうだなと思いました。
ブラック企業に対する批判は多くの人からなされてはいますが、
よしりん流の批判は、目から鱗です。
標準化が進んだ業務でも、属人性がゼロになることはない、つまり、
人が人を相手にして業務を営んでいる以上、人の判断が最終的には働く、ということですね。
そして属人性を持った日本型の経営が崩れ、やがてそれが中間層の崩壊になっていったのも、
アメリカに倣え!倣え!とやってきた末にあるということ、
これをリアルタイムにそれを見て来た小林先生の論評だけに、ひしひしと説得力を感じます。
「少しはネットを離れて、リアルな自分達の足元を見なさい」これも痛烈です。
自分もインターネットの恩恵を享受しているというのはありますが、
距離を置くということは大事ですね。
なんでもかんでもネットやスマホに頼り切りではいけません。
外国人労働者=移民という認識も、確かにそうですね。
中小企業・零細企業もそうですが、一番分かりやすいのはコンビニエンスストアですね。
外国人がレジにいることは、結構日本中で普通な感じになりつつあるのではないでしょうか。
職能集団であるよしりん企画の代表でもある小林先生が、
職能集団、職人さん達だけのことではなく、
広く一般的な組織人・サラリーマンのことまでを考えて、
この論評を書かれているという、それ自体に「公」を意識します。
先生の御父様は確か、郵便局員でしたね。
私は郵便局でバイトした経験がありますが、
局員の人達は本当に大変そうでした。
パートさんでも長くいて結構重要なことを任されている人もいて、
これならパートさん待遇じゃなくて社員で良いのでは?なんて思ったことも。
郵便局の仕事も、ある意味「標準化」を求められる仕事なのかなと思います。
しかし、小泉政権を担いで日本型雇用をぶっ壊して、
安倍政権三期目で、今度はどれだけのものが破壊されていってしまうのだろうと危惧を強く覚えます。
「他にどうせいないから、今の政権で別にいいや」とニヒリズムに浸って高見猿を気取って、
今の自分が良けりゃなんでもいいや、では、
そのうち今の自分すらもズタボロになっていってしまうと思います。
先祖や子孫のことまでを含めた民主主義としての第一歩で、まずは自分の足元を見るところから始めなければなりませんね。
>クリリンがやって来たさん
いつもしゃべクリのネタを始め、書き込みも合った時は読ませて戴いております。
私も恥をかいたことは数知れず、ライジング掲示板でも指摘を受けて恥ずかしい思いをしたことも多々ありましたが、
生来のよしりんファンなので、今もまだこうしてここにおります。
「おまえは本気か?」「おまえはどうなんだ?」という、読んでいる己に対するツッコミは、昔からありますけど、
それを受け止めていくファンでありたいです。クリリンがやって来たさんはどうですか?
「トンデモ見聞録」読みました。
記事に向かって全力で心のハリセン、凄い例えですね。でも適格だし笑っちゃいました。
なんでもかんでも「弱者認定」「生きづらい社会」「社会の責任」にするんじゃない!という例の中でも、
一番笑えちゃう例ですね。
「悩める人に寄り添いながら、その首を真綿で締める」という表現にも唸りました。
そうそう!それ寄り添ってねえから!って思いますよね。
確かに言われてみれば、スーパーモデルと言われる人達は、胸小っちゃい人多いですよね。
男の自分から見たら、スーパーモデルと言われるような女性は「カッコいいなあ」とは思うけど、
「自分とは違う人種って感じがするなあ」と思ったり、
あと姿を見てドキドキするっていうのも、他の女性よりも少ない気がします。
なんかパーフェクトウーマン!って感じがしてしまって。
でも、ふとした女性らしさというのがあって、それを感じると、
モデルとか他の職業の人とか、容姿とかも関係なく、色っぽさを感じる時がある、というのはありますけど。
男も巨乳が好きな人ばっかりじゃないし、微乳(可憐乳)が好きな人もたくさんいますし、
スラっとしている人が好きな人もいれば、ぽっちゃりしている人が好きな人もいますし、
それはもう、人それぞれとしか言いようがないですからね。
グラビアアイドルとして活躍している人も、需要があるから活躍出来るということですしね。
むしろ一律じゃないからいいのに、と思っちゃいます。
追伸:Q&Aありがとうございます。
確かに「思い出を壊されたくない!」って思っちゃう人も多いと思うので、
小林先生が仰っていることも凄く分かります。
あと、自分がリアルタイムで聞いて来たというのもあるんですが、
昔の曲の方が、一緒に口ずさみやすいんですよね。
私が生まれる前の曲とかも、口ずさんでみると、歌いやすかったりしますし。
最近の曲も嫌いな訳じゃなくて、ちょくちょく聞いてはいるんですが、
DA PUMPのUSAとか、口ずさんでみると滅茶苦茶難しいですよね。
若い人には「ちょっと懐かしい感じ」と受け止められているみたいですけど、
自分的には、節の取り方が難しい曲が増えてきて、
だんだん口ずさむのが難しくなっちゃってます(汗)。
他の方々の質問では、カジさん、がんTさんの質問が印象に残りました。
しゃべクリは、皆さん面白かったのですが、クリリンがやって来たさんと、らっこフェスティバルさんの投稿はツボに嵌ったのが結構ありました。
いつも長文ですみません。お目汚し失礼致しました。
今週もお忙しい中配信ありがとうございます。
「以前も、若者のためを思って日本型雇用は守るべきだと主張していたのに」
そうでしたね。懐かしく思い出しました。
もくれん師範の記事は楽しく読ませていただきました。
Q&Aは「成長」と「慣れ」の違い、質問もお答えも深い。
ドラマの質問は私だけの時もしばしばなのに、
「半分、青い」は皆さまけっこう見られてたのですねえ。
来週もドラマの質問をさせていただきます。
町山氏のツイッターをチェック。そこから朝日新聞デジタルの
オピニオン欄「耕論」をクリック。なんと!有料会員コンテンツに
なってる!昔は無料会員でも読めなかったっけ?
よしりんは金になると気づいちゃったか、朝日さん!
ということで車で新聞販売店へ。夕方前に行けば、
昨日の新聞でも150円で売ってくれる(もっと前の日のでも
在る場合もあるし、安くしてくれる場合もある)。
ついでにコンビニへ行き、SPA!とFLASHもゲットん。
えーと、トッキーさんが朝日新聞「耕論」を紹介したブログ、
「松田大悟」になってますよ。松浦大悟氏です。
あの『新潮45』立ち読みもできませんでしたが、
彼は一応、杉田の間違いを訂正していたようですね。
彼は細野豪志氏の派閥に居た人で、少し期待してた人です。
あと、よしりん先生の『もうひとつの立憲フェス』ブログの会場、
たぶん「POATAL」ではなくPORTALですよね?
みなぼん編集長よろしくです(^^;)
配信お疲れ様です。
「私が死んでも、代わりはいるもの」とは、何かのアニメの台詞だったような気がしますが、実際に会社から「代わりはいる」等と言われたらモチベーションが下がるのが普通のはずでしょう。
仕事は属人化ではなく標準化されたほうが良いとか、そこら辺のネトウヨが言うのならまだしも、ゴー宣読者、それも道場MLまで参加する程の人から出てくるとは、情けない限りです。第一、属人化という言葉自体が、マイナスイメージを植え付けるためだと思います。言い換えれば専門家、スペシャリストですからね。
スペシャリストが居なくなったら会社が立ちいかなくなるというのなら、それはトップの采配や育成方針の不手際です。そうならないためにもスペシャリストが仕事に打ち込むことが出来るようにするのがトップの役割であり、決して仕事内容をマニュアル化して、欧米式に「誰でも出来る」と改変するのが解決策では無いと思います。
今頃戦争論がパンドラの箱という発言があらわれたのも、戦争論検証シリーズにのっかったかのよう。
だがそれをいうなら、
おこっちゃまくんという企画・オファーした宝島こそネトウヨの生みの親という屁理屈もいえてしまうのでは。
しかし『新戦争論1』今回改めて再読すると、
戦争論の反応や分析をかなり明確に振り返ることができる。
せめて左右の大衆的知識人には『新戦争論1』を
読んで思想してもらいたい。
それにしても、『新戦争論1』は
冒頭のSFや、沖縄の少女シリアスな自決、エンディングの実験的映像といい、漫画作品としてとても面白いことを再認識した。
『新戦争論』シリーズ、埋もれさすにはもったいない。
町山智浩もまた「ネトウヨの生みの親論」に嵌ってしまったクチでしたね。
一応町山の当該の呟き。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1046987071108407296
この人に最早論考すると言う感覚はないのでしょう。
本当に呟きです。
※個人の感想です
を本当に呟いているだけです。
映画評論家としても駄目駄目だということも暴かれてしまいましたし、世の中を変えることが出来ないと自ら言ってしまっているようなものです。
https://togetter.com/li/1237219
『万引き家族』も観ないで評論してしまったことを突っ込まれているようですし、言論人として駄目なんですよはっきり言って。
言い訳して見苦しいし。
安倍首相が第四次改造内閣を、「全員野球内閣」と命名したとか。笑ってしまいます。
「全員野球」なんて言葉、今どきプロ野球はおろか、高校野球やリトルリーグだって使わないでしょう。僕が安倍改造内閣に何が命名するとしたら、「全員草野球内閣」ですね。
あと柴山昌彦文科大臣が教育勅語を「現代風にアレンジした形で、道徳に使える」と発言し、批判されてるそうですね。さすが、自分の頭髪やTwitterのアイコン写真を「アレンジ」してただけあるな、と思いました。
香山リカもアレだし町山智浩も最早アレだし、こんなのが立憲民主党の周辺をうろちょろしていると非常に迷惑なんだよなあ。
よしりん先生のブログ
『朝日新聞、インタビューの波紋』を拝見しました!
「人権は自然権だとは考えていない。人権は
国家がなければ守れないと思っているから、
国家を重視します。」
これは今となっては自明じゃないですか!
よしりん先生はずっと前から言ってた事ですが、
イラク戦争、シリア内戦を経験した今なら
誰でも「その通り!」って言えるでしょう!
読書して勉強してなくても!
やっぱり左翼ってネトウヨの裏返しで
馬鹿なのでしょうか?
完全無欠な人権さまが、
人々のためにシリア軍やロシア軍を蹴散らして
人権を守ってくれると信仰しているんでしょうか?
よしりん先生の言葉に反論するには、
国家という仕組み以外で
人権が保証できると証明する必用がある!
馬鹿じゃない左翼の反論に期待したいですね。
無理か。
配信ありがとうございます。
しかし全く漫画界に関与したことのない
私ですら漫画はマニュアル化なんかできないなんて分かる話なんですがねえ…
その門下生様は漫画家、絵師なんですかな?よく分かりませんが。
あと先生が町山が言うパンドラの箱を開けたというのは「一部の保守派の論が一般層に伝わった」ということでよろしいんですかね?
まあそこに生長の原理主義、幸福の科学などのカルト連中が侵入したことは事実なんですが、それを戦争論のせいにするのは
おかしいでしょ。
よく戦争論は誤読されたと言われていますが、正確にはカルトが都合よく利用したというのが正解でしょうな。
あと昔からの疑問として「なんで親米保守は戦争論を持ち上げたのか?」というのがありました。
だって普通に読めばアメリカに対しての憎しみを抱くでしょうに。
まあ自分の本が参考文献にされて
日の目を見たんで利用してやろうかと
いう魂胆が働いたんでしょうかね?
だったら最初から戦争論の中身を批判していた連中のほうがまだ「健全」ですね。
まじめに社説で批判してくれた朝日新聞はなんと真摯なんだと思いますな。
個と公が戦争論の本質だと何回も言っても伝わらず、ただ「小林よしのりは朝日新聞を批判した、批判された」という一点でもって自称保守派は同志扱いしたんですなあ。
だから、911以降は雪崩のごとく保守派が先生批判に転じました。
朝日を批判するうちは味方
朝日の考え?に少しでも賛同したら敵
極めてカルト的ですなあ(゚∀゚)
職能集団をマニュアル化、つまり標準化する事は不可能です。全ての職能を標準化する発想自体、常識と違い理解出来ません。機械化出来る仕事も人がすれば変わります。
同じ道具、同じ茶で点てても、人が違えば、味も違うようになります。また、水を焼けば湯の出来ると普通、考えますが、実際は違います。薪で風呂を沸かす時、人が違えば湯相の良悪は違い、誰が湯を沸かしたか見ていなくても当てる事が可能です。これには工夫と経験の属人化の必要です。不出来な己には無理でした。しかし、機械的作業も中身の無いコンテンツにするのでは無く、志しで人を通せば個性化出来る例の一つです。
これから辛辣な書き方を許してください。
今回の退会者の人は、日常生活が標準化されきった生活しか体験されて来なかったのではないでしょうか。
標準化された生活にやりがいを見付けられず、見付けようとせず、また、見付ける事を知らず、これを体感で教えてくれる人に恵まれ無かったかと思います。それで、毎日が辛くて希望を見出せで無いのではないでしょうか。
しかし、やりがいの有りそうな充実した有能者は、嫌でも目に入って来ます。そうした世界は在ると判っても、羨ましくて認めたく無い、だから、やりがいある生活は無いと否定して、全ては標準化されなければならないになってしまったかと思います。つまり、退会された人は、思考が唯物化、共産化しているのではないでしょうか。悪しき平等の原理主義です。
同時に、無意識的に強い転生願望が有ると思います。転生の望み先は、きっと標準化された世界では無く、自分の能力は誰よりも優れていて、みんなから羨望の眼差しで見られ、金銭、容姿、体格、品性、頭脳、名誉に恵まれ、好みの異性に囲まれて、最高の生活状態を望むはずです。
自然に生きているなら、こうした妄想は健全です。実は誰にでも有る心理です。一方、実際は現実と妄想を分けて、現実を受け入れ、これを乗り越えて望みは遠くても近づいて生きたいと願うのも普通です。しかし、そう出来無いのは、この世の現実と自分の理想と対峙させられない為、原理でしか価値観を構築出来無いと見ます。
もっとも、理想的に恵まれた者が現実にいて、これを使いこなす器量に欠け、知性も感性も行いも増長慢になって、醜態を晒して、天性の恵みを台無しにしているのも多いです。
各自の能力は、LGBT と同じく生まれ持ってしまったものです。何を望もうと天性は変えられません。与えられた中で、どう生きて行こうとするかです。
成長しようとせず、目を閉じた裏しか見ず、遥か遠くへ行こうとしなければ、世界は暗くなるだけです。己の頭蓋の中に閉じこもっては駄めぇ。
偏狭過ぎるのが問題です。トンデモ見聞録と今回も重なりました。人の能力格差に、勝手に傷付いて世を呪う「過剰に思い込むような病的な被害妄想」かのようです。
高い職能(属人化された)生活も、その人にとっては必死な日常生活に過ぎません。これは、趣味の延長が仕事のようで羨ましくても、これはこれで苦難です。生きて行くなら日常生活以外は有りません。他にする事は無いはずです。日々の生活のいちいちを大事にしないと、道理の通らぬ妄想に生きがいを求めるように成り下がります。
自然に在るべき世界は、自分の妄想に合わせなくてもよいはずです。改革の必要無いものを歪曲してはなりません。了見が狭過ぎます。これを信念とは言いません。上から目線で済みません。白状すると、実は己も大した事は無いんです。徒然に日々を暮らすだけで精一杯です。
退会者の論理の転倒は明らかです。誤りを認めて戻られてもよいと思うものの、仔細は解らないので、まず御当人と、次に、よしりん企画の判断に御任せします。まい、そのままかな。
コンビニでFLASHと朝日新聞を買いました。
辻説法面白かったです。
似顔絵が皆さんそっくり!
小杉の透け感(σ≧▽≦)σ
小日向文世好きです。カッコいいし品があります。
ハゲなんて全く気にならないですね
(*´ω`*)
朝日新聞のインタビュー記事読みました。
人権、保守、国家、言論、言論誌、読者等についても語られていて、良い記事でした。
これに絡んでくるって、本当におバカさん。
出た!『謝罪しろ』
(*ノ▽ノ)
よしりん先生ブログで、インタビューの冒頭部分を省かずに掲載されたことを記者さんに感謝されていますね。
本当に謙虚なゴーマニストですね
( ´∀`)σ)∀`)
"謝ったら死ぬ病気”の患者が門下生にもいたとは...
患者対応で精神力を削られる小林先生もさぞ大変だったでしょう。
漫画もそうですが、そもそも創作・表現活動の分野に
“標準化”という発想が馴染まないことは当たり前だと思ってましたから、
よもやそんなことを言い出す人がいたとは驚きですね。
今までのゴー宣でも、漫画の制作は職人技であると先生は仰っていたわけですし、
何より自分自身で創作活動をすればオリジナリティへの拘りは少なからず抱くはずですから、
仮にゴー宣を読んでなくとも、日常のいたる場面を通じてそのことには気づけたはずです。
単に引っ込みがつかなくなって「信念に基づいて」なんて言ったのでしょうけど、
もし本当に信念に基づいた発言だったとしても、感性に全く基づいてない発言と言えるでしょう。
美術館で絵を見て「こんな絵だれでも描ける」
コンサートで音楽聞いて「こんな曲だれでも書ける/演奏できる」
そうなってしまったら楽しみも有り難みも全く無くなってしまいます。
また仕事の面から見たとしても、
「余人をもって替え難い」仕事をするのがプロというものですし、
組織の風土や方針はどうあれ、一個人としてそういう気概をもって
仕事にあたらなければ成長することもあり得ないでしょう。
TPO次第では標準化が奨励される場面もありましょうが、
少なくとも今回のライジングの件では、只々虚しく聞こえるばかりですね。
相撲協会も老朽化してますが、
貴乃花もねえ…
なんかオカルトにハマってしまっているようで残念です。
『門下生メーリングリスト』の中で議論になった「属人化と標準化」について、今週のゴー宣を読んで、頭と心の整理がつき、勉強になりました。
私の仕事は経理(経営管理)で、業務プロセスや組織体制の標準化を進めています。
またプライベートにおいては、「地方ゴー宣道場推進隊長」や「門下生メーリングリスト管理人」として、《新規参加者をチームの中心に据える》という方針を決断し、その為に古参・常連たちが培ってきたノウハウや失敗点・反省点などを共有できるよう文書化(可視化)を、全身全霊ですすめてきました。
それゆえに「属人化を回避し、標準化を進めること」が公私共に身にしみていたのかもしれません。
今週のゴー宣を読んで『盲目的な標準化の先にある落とし穴』を突きつけられた感覚です。
今週のゴー宣は、小林よしのり先生の
>フリーの職人の立場からだけ属人化の重要性を唱えているのではない。
>「公」のために、多くの組織人、サラリーマンなどのことも考えた上で言っている。
という部分がとてもよく伝わりました。
『公論を目指す』とは一体なんなのか?
もう一度、よく考えたいと思いました。
まあどちらにしろ
現代社会ではマニュアル人間なんか
生きていけないでしょうな。
ブラック企業に居酒屋甲子園なみに
洗脳されて、やりがい搾取をやらされてしまうのがオチです。
個人の自立、個人の自由というのを
全面的に出さないとヤバイというのが
ありますね。
政府や会社は自分の身を守ってくれない。
社会保障だってあてにするな
自己防衛をせよ
がキーワードになりそうです。
あと柴山文科大臣が教育勅語には一部普遍性があるという発言が波紋を広げてますが…
なんで帝国主義時代の明治に書かれて
戦前でも改訂しようという動きをあった
勅語を神棚に祀るんでしょうかね?
まあGHQに廃止されたというコンプレックスからでしょうが。
現実には厳しいとは思いますが、そんなに
教育勅語が欲しいならば
今上陛下に作成して貰えば良いと思います。
奴らがそれを主張しないのは
今上陛下は戦後民主主義的だとか
バカにしているんだなと思います。
本当に不敬な奴らです。
件の門下生は結局「自分の経験」からしか学べなかったんでしょうね。「歴史から学ぶ」という事ができてればまだ分からなかったのかもしれませんが。
私の現場は俗に言う中小企業ですが、どんな仕事にも責任感、創意工夫というのは大事です。標準化、マニュアル化に走ったら責任感がついてこないですし、「個」としても成長しないでしょう。
(実際そういう人、私の現場にもいますし。)
それに標準化、マニュアル化を至上命題にしたら「技術の継承」ができなくなるんですが件の彼はそこまで考えなかったんですかね。
拝見いたしました!
よしりん先生の「標準化・属人化を考察する」おそれいりましでございました。
現実としては未経験者にとってはある程度のマニュアル化は必要です。ですがそこからプロとしてやっていくためには
いかなる職業でも属人化はしていかなければなりません。(そういう意味では「よしりん企画はプロの集団」ですから、それをマニュアル化してどうするんでしょうか?)
…だったんですが、現実にはマニュアルが固まりすぎてそこから外れたことができない、すなわち応用や工夫が全くできない人は多いんですよね。詰め込み教育時代の時もその後のゆとり教育時代の時も「知識はあるのに応用ができない」ってのが問題になってたりしますからねぇ。
それには教育課程での勉強の姿勢も影響してますね。結構多いのではないでしょうか?「勉強=知識の暗記」と勘違いしてる人。そして「人の言うことを聞く=自分で考えることをやめる」と思ってる人。
そして、もくれん先生の今回の、爆笑させていただきました!今回のSPA,FLASHと合わせて見るべきですね!(いやほんと名作!)
人間なんて一長一短なのに、勝手に傷ついて、改善したり開き直って決して前向きにならない。
勝手に排除されたと受け取って、最終的には「自分を排除した社会」に抗議したり恨んだり復讐したりして生きていく。
そこに「なにくそ!」とふんばって生きる力はないし、
「被害者である」ことを武器にして「これ以上の被害なきよう」それ自体を消滅させるために規制していく。
なにしろ「いじめの原因になるから」という理由で『あだ名禁止』の学校まで出てしまったのですから!(ってことは「貧ぼっちゃま」は完全にアウトですやん!(笑))
…こんな人たちが増えたのは「いじめの定義」の帰結だと以前書きました。
「被害を受けたと思い込んだだけで『いじめという犯罪が成立する』」
「被害者は100%正しい、加害者は100%悪い、何もしない傍観者も同罪」と。
これを幼少期の頃から学校などでさんざん詰め込まれ、さらには事件が起きるたびにTVなどでコメンテータが力説。
自覚なくとも、いつのまにか宗教のお題目のように遺伝子に刻みこまれてしまったのではないでしょうか?だからこそ、
「自分が『傷ついた=いじめられた』となったら徹底抗議」
「被害者である(=いじめられた)自分様は100%正しい」
「100%正しい自分様に対し『おかしい』という奴等(=いじめ加害者)は100%の悪」
…となってしまうわけです。
何しろ自分勝手な理論であっても「100%正しい」ということが保証されると絶対引きませんよ。昔からある宗教テロなどがまさにその例。
そして「自分は絶対正しいのに世の中が悪い」「自分がこうなったのは自分のせいでなく自分をいじめた世の中のせい」と主張してテロ行為をやる事件が次々と日本でも起きてるではないですか。新幹線内にしろ低脳先生にしろ。
オウムにしても「自分は被害者である」ことを自分たちで強調してテロしてるんですから。
さらには誰もが弱者に転落してしまった場合、あるいは不幸に遭遇した場合、その
「被害者は100%正しくそれを助けなかった人間は100%悪の犯罪者である」と理論にしがみつかないと保証できますか?
どっからどうみてもそれは被害妄想なのですがそれは「いじめの定義」によって正当化されてしまいます。
また、やぎ氏のコメントから行きますと、「いじめの定義」が定義として認められたことが問題なのです。
残念ながら「いじめの定義」の怖ろしさを理解していないといわざるをえません。
何しろ「いじめられたと主張した人間が100%正しく、加害者及び傍観者がすべて100%悪の犯罪者」なのですから、
適用されれば「いじめ被害者の意見がすべて正しく、加害者や傍観者の意見はすべて間違い」ということになり、
やぎさんの上げた例の結果としては全員暴行恐喝障害教唆隠蔽などで逮捕ということになり、学校も隠蔽そして犯罪放置として教師も逮捕そして廃校でしょう。ですが今のところそうなることはなく、(当たり前ですが)
だいたい嫌ですよそんな世の中。
しかし、その思想を信じてしまったバカな人たちがそこに脅迫したりいやがらせしたり襲撃したり…実際大津では教育長襲撃が起きています。何しろ「いじめ被害者は100%正しく、加害者とそれに味方するものは100%悪い」のですから、イコール「100%悪の加害者に制裁する自分は正しい」と言う事になるため、そういう人の歯止めが全くなくなるのです。
…こんなのばっかになってしまった人が「圧倒的な力」を手に入れた場合、どうなるかは考えるまでもないでしょう。
「誰もが「傷ついた」と主張する社会」というのはそういう人か増えた証拠でもあります。
たしかに「いじめの定義」は一時的には被害者を救ったでしょう。
しかし結果として『被害者真理教信者・依存症患者』を大量に増やしてしまったのではないでしょうか。(そういう意味で「いじめの定義」に関する話は結果論なのでやぎ氏の主張とはもともと論点がずれています。)
よしりん先生ははっきりと「傷つくという主張は甘え」と書いています。
だから「どんな境遇の人間も「なにくそ」と戦うしかない」と。
その「戦う意志を棄てて『傷ついた』と主張」して自分に都合のいい世界に依存して甘えて逃げるようになってしまってはおしまいなんです。
>>61
退会者にも全国推進隊長にも、察する心の足りずに申し訳ない事をしました。過ギタ事を長文で書き過ぎました。説多も説過も罪ですね。かえって逆効果です。
ただ、先生がひと文、丸々費やされたのは、口を突ん出す以上、最低限の常識有る覚悟の要ると言う事でしょう。コメントでも、一人ひとりが試されていますね。気安く駄文しか書けない己も恥じ入るべきです。全国推進隊長の心痛、逆に痛み入ります。こじれて退会に到ってしまった人にも謝ります。喧々轟々の火に油を注いでしまいました。
過ちをする可能性は誰にでも有ります。何も悪く思いません。ライジングの内容を摂取しただけで充分です。お気持ちを察せず、大変に申し訳ありませんでした。心、穏やかになれますように祈っております。
己の罪を棚に上げて、私からも皆さんに御願いします。これ以上の論難は停止くださるように請い願います。
私は、ネットの視野狭窄に陥っていました。論難は過ぎるとリンチになります。今回は、人を必要以上に苦しめてしまいました。深く恥じ入り、悔悟し、反省します。
改めて、退会者と全国推進隊長、関係者に謝罪申し上げます。御容赦を願うのは、こちらの方です。
>>62
前号では、あなたの言う事を丸ごと否定はしていません。それなのに、話が伝わらないのは、あなたが偏り過ぎているのです。「過剰に思い込むような病的な被害妄想」です。
>「自分が『傷ついた=いじめられた』となったら徹底抗議」
>「被害者である(=いじめられた)自分様は100%正しい」
>「100%正しい自分様に対し『おかしい』という奴等(=いじめ加害者)は100%の悪」
100%!100%!100%!
これを自分で繰り返しておきながら、それを誰かと考えてはいないようです。
「いじめの定義」だけで解決出来れば、何年も多額の費用と、苦しい時間と、貴重な人生を犠牲にして、裁判を闘う必要はないです。「いじめの定義」の欠陥については、すでに言及して有ります。
「傷つくという主張は甘え」に事実誤認が激しいです。そういう事は、もちろん有りますけどね。しかし、全く関係無い「他」方面の事例をつまみ上げて来ても説得力皆無です。話す内容の分別の要有りです。苦情のいじめられの話をしているのでは有りません。あなたは、これに苦しめられているか、苦しめられたトラウマでも有るのですか?すると、あなたが徴兵の害を説いても、あなたが教官になれば、逆の事をしでかす憂いがあります。
100% 傷付いて、異常な狂信的苦情者になっているのは、何処の誰か具体的に当てはまる人がいます。よくよく究明してね。
今週も配信ありがとうございます。
自分は会社員時代ずっと標準化の仕事をしていました。
かっこいい自動車を作りたいなーなんて思ってバブル期に
自動車会社に就職しましたが、エンジンをどうやって組む?
というようなまさに誰でもできるようにする仕事。
人を使うか機械を使うか、人ひとり分の仕事を当時2000万円の
機械でできれば機械にする、という基準でした。
そのために専用機を設計製作する。
めでたく一人分の仕事を自動化終了です。
製造ができて当たり前なので、失敗は許されません。
とりあえず製造できるようになったら1秒でも時間短縮しろ!
そのために何か考えろ!です。
やればやるほど人を減らす仕事なのでやりがいはどうかなぁ?
独立前最後の会社ではISO9001取得をほぼ一人でやりました。
これはまさに中小企業が今までの慣習でやっていることを
「品質管理」の名の下に標準化してゆく作業。
どのように生産して品質検査して出荷するのか。
その際の確認書類や承認担当責任者は誰なのか。
ハンコの欄が4つくらいの書類をたくさん作って記録を残す。
やっている際中に気が付きましたが、これ経営者が変わっても
書類一通り読めば業務内容が細かいとこまで丸わかり。
取得している会社は乗っ取りやすそうだな、と思いました。
そんな仕事を20年続けてようやく脱サラして独立。
自分の店の珈琲の焙煎は他の誰にもできないので、
自分が倒れればおしまいです。
ただ20年培った「標準化」の仕事は開業時大いに役立ちました。
なんでも自分でやらなければならないので、自分で自分の仕事を
「標準化」しています。
ですので妻でもパートさんでもすぐに手伝えます。
妻はさらなる費用削減を常に考えています。
収入は半分になりましたがやりがいは倍増ではききません。
「属人化」なんて言葉は知らなかったのですが、
とてもいい意味だととらえましたよ...
属人化と標準化の論議は本来ならば現場で働く方々から上がって来た事案を検証するところから始めないと道を見失い違えてしまう可能性が極めて高いと考えないと行けないんですよね、
件の門下生の方はもうどうでも良くて、経営者側から現場に押し付ける標準化が問題なのだと自分の身に置き換えて思案しなければ行けないともう一段掘り下げて考えないといけないのだと思います。
仕事現場と経営者現場のディスカッションが無いと双方に悲惨な結末しか訪れないでしょうね、仕事現場は人材を失う、経営者現場は信頼を失う、しかし経営者現場側はそれを顧みたりそれ程の問題だと気が付かない、寧ろ社内の風紀を乱した人間を総括した!となる、(あくまで私の経験からの話体験談からの話)それが今後どれだけの劣悪な環境を作るかを見失う把握出来ない、と言う未来が待ってます。
あ、長えな、この辺でやめときますね。
あと、付け加えるならば、よしりん企画はトップダウンで決まる訳だから、先生が駄目だ!と言えばそれで終わり、なんですよね、
それが中小企業の社長の面目躍如やん、それに対してどうのこうのは、越権行為だし内政干渉だし、ビジネスの世界的にみてもモラル欠如なので論外って事で終わりだと思います。これって以前も有りましたし、今後も必ず起きる事案だと思います、
ストーカーアンチも含めてね、未だにウルトラアンチは設営隊長さんや地方の隊長さんや門弟さんをdisって居る訳ですからね、あんなん恫喝だし名誉毀損でしょ、出過ぎた事かも知れませんがね。
胸の小さい女性がマイノリティー?
それじゃ自分はマイノリティー偏執になるのか?
いや、そんな人いっぱいいるはず!
そういうことを言っているのではないな・・・
小学校の卒業アルバムになぜか「短足ベスト3」
なんてコーナーがあって(今じゃ考えられないですね)
自分は堂々?2位でした。
その時まで自分が短足だと知りませんでしたよ。
なのでこんなランキングがアルバムに残るなんてショックですよ。
でも特にコンプレックスにはならなかったなあ。
だって特に気にしていないんだもの。
今では低重心で腰を壊しにくくていいかと思ったり。
胸のせいにしていますが、本当の原因は違いますね。
もくれん師範の書かれている通りだと思います。
世間のせいにすれば気は紛れますからね。
そんなことで傷ついていたらとても生きていけませんよ。
社会は厳しいじゃないですか。
仕事のできない人間に社会は容赦ないですよ。
本当つまらないこと気にしないで生きてください。
修学旅行の夜の“恋バナ”で「ウッフン、ドキドキ~」なのに、木蘭師範の“濃いバナ”は流石に刺激が強すぎますわあ…
僕ちんまだ花も恥じらう17だから……(*´ψψ`*)、てのはただのキモい冗談ですが、
今回の『よしりん辻説法』のように、私も分身できれば道場に応募したのですが………m(_ _)m。
ていうか、自分的にはあと3体は身体が欲しい時期がそろそろ到来ですが、皆様は如何でしょうか?
配信お疲れ様でした。今日はまだ余裕がありまして。f(^^;
例えば、お笑い芸人をマニュアルで量産できるかってことですよね?
マニュアル化なんていったって、世の中には何故かどうしても人並みにマニュアル通りにできないという、要領の悪い人間もいるものです。
私も実は、恥ずかしながらそういうタイプで、
学校のクラスやクラブ活動、バイト先等では、“裸の大将”的な特殊な人扱いされて、劣等感を感じてきました。
ですから、今の生活や仕事においても、何か一つでも「これだけは負けねえよ(`~´)9」というものを編み出さなければ、人生やってられませんぜ。
勿論、よしりん企画の皆様方もそうなんでしょうなんて、失礼なことを言っているわけでは決してございませんので、どうか悪しからずご理解下さいませ。
「自分の人生から培った信念に基づく言葉ゆえ、修正することも反省もすることもできない」ですか……、うーーーん………(´・・`;)、
変わった方ですな…。
木蘭先生の記事の女性もひょうきんな人?(´・・`;)
顔もスキルも人格も、他のものは人並み以上に備わっているのに(標準的)、このちっパイだけがよお…という人なのか、
何にも取り柄がない私……、せめて、せめて胸が、胸さえポヨヨ~ンならあああ!(属人的)という人なのか、
そこがちょっと判然としないところですが、
その退会していったという方共々、ちょうどいい言葉を発見してあるんですよ、これが。フフフ。しかも二つ!
今号も配信、有難うございます。
仕事の属人化…やはり耳慣れない、違和感のある言葉です。私も融通のきかない人間だと言われますが、臨機応変が大事、ということは理解しています。
あまり人の経験を語るのはよくないのですが、ある人の会社での体験談を語ります。
その人は毎月会員におくるテストを作成しており、そのための印刷会社との交渉も、上司から任されたばかりでした。二ヶ月ばかりたったある日のこと、出社したら、とある同僚の社員から
「きょうから自分が印刷会社との折衝をします」
と言われました。その人は寝耳に水だったそうです。
その時、その人は過去のテストとともにくばる資料を見つけ、現行の資料と比べてカットされている箇所があったので(その回のテスト範囲の序文みたいなものでしたが)、復活するといった作業を印刷会社に依頼していました。そして、そういうことは、上司の人が依頼していたところに、引き続き頼んだ方がすすめやすいとも思っていました(去年までの版があるから)。
そのいきなり交替すると言い出した人は、「自分は上の人と話をした。自分だけ手があいているので、何かできないかと話をした」と言っていたそうです。そして、「今の印刷会社は経費がかかる。自分はもっと安上がりな印刷会社と交渉したことがある。そちらの方に変更したい」とも言ってきました。
その人は、「ならば、自分が今やろうとしている序文の復活作業も継承してくれますか」と頼みましたが、一目見て、「面倒臭いから嫌だ」と言いました。
その人はとても不満だったそうです。自分がやろうとしている、そのテストの完全化をいきなり横からはいられて否定されたようで、思わず「仕事をとられた」と面と向かって言ってしまったそうです。
「そういう問題じゃないでしょう」と言いかえされましたが。
テストを作る作業の方は、その後もその人が担当したのですが、その交替した人との関係は今いちしっくりこなかったそうです。
確かにその人の言ったことも幼いと言えば幼いのですが、これも仕事の属人化でしょうか。それとも、その人の社会性がかけているのでしょうか。
あまり職人性とは関係ない話のような気もしますが、いちおう記してみました。つまらない話でコメント欄を汚してしまい、すみません円。
あと、町山とかいう人の呟き、少し見てみました。
パンドラは「あけてはいけない」という言葉に好奇心をそそられて箱をあけてしまい、そして悔悟しました。よしりん先生が『戦争論』で記されたことはそのようなキンちゃん、じゃない禁断の箱の中身だったのでしょうか。少なく見積もっても大東亞戦争に対する視点の一つであって、その町山という人は「うぐいすの宿」あたりと勘違いしているのではないでしょうか。彼こそ「ウォー・ギルト・インフォメーション」に陥っているように見えました。
問題は、それを拡大解釈、あるいは自分の都合の良いように解釈した側にあるのだと思います。まさしくアテネ市民を惑わしたという罪で死罪に処せられたソクラテスと同じような話のように感じられました(勿論、この場合、よしりん先生はソクラテスになる必要はないです)。
それに、箱の中にはかけがえのない「希望」が残されたのです。よく使用する言葉を否定的に使われて、少し不快に感じましたので、記しました。
標準化はうちの会社でも言われていることですが、受注生産が基本なので標準化できるのは電卓的なツールを作ることくらいまででそれ以降は職人技で培うしかないのかなと考えています。
全自動は賛成できないというよりそもそも不可能だと思いますが、生産性を上げるツールとしてのマニュアルというのは必要かなとは思っています。まぁ結局匙加減になるわけですが。堕落も孕んでいますし。
今週も配信ありがとうございます。
「属人化」と「標準化」という言葉は初めて知りました。
「属人」って「属国」に見た目が似た熟語だから、奴隷のようなネガティブな意味かと思ったら、そうではなかったんですね。
要は、替えの利かないプロを目指せ、さもないと経営者から簡単に切られるぞ、労働者が「標準化」を両手を挙げて支持するのは、自分で自分の首を絞めるようなものだぞ、という論旨なのだと思います。
全くその通り――といいますか、当たり前すぎて、議論の俎上に上がっているという現状に驚きです。
小林先生としては、こんな分かり切ったことで『ライジング』の一号を費やすのは不本意だったのでは、と想像さえしました。
コメント欄には、「マニュアル化したってよい」「マニュアルは必要」という書き込みが見受けられたのですが、マニュアルそのものを全否定する記述などどこにもありません。
仕事の基礎を学ぶ時はマニュアルが有効である場合が多いことは、分かり切っています。
そうではなく、そのマニュアル通りのままの仕事ぶりで、「会社の中の歯車」という状態に甘んじることを、労働者の側が望むというのは感覚的におかしい、ということですよね。
ここで思い浮かんだことが2つ。
1つは、「会社の中の歯車」的な仕事は、モノによっては将来的にAIに取って代わられる可能性があるのではないか、ということ。
話題の書『AI vs. 教科書が読めない子供たち』を読んだ限りでは、AIはビッグデータとネット検索をベースにした演算処理は得意中の得意(というか、それしか出来ない)なので、マニュアル化された作業を任せるにはもってこいであるようです。
実際、みずほ銀行では、個人に対する与信審査をAIに任せて、大幅な時間短縮を達成できたそうです(実験的な取り組みかもしれませんが)。
経営者にとっては人件費をカットできるし、労働時間を気にすることもないので、いいことずくめです。
ちなみに同書では、AIが普及した社会の「最悪の結末」として、人手不足であるにも関わらず失業者があふれている状態――何故なら、AIには出来ない仕事を任せられる人材が見当たらないから――に言及しています。
「マニュアル化」にこだわる社会に、未来はあるでしょうか。
もう1つは、「替えの利かないプロ」というのは、先の国会で議論されていた「高度プロフェッショナル」に属するものも含まれるのだろう、ということ。
結果的に「高プロ制度」は見送られましたが、あれは要するに「高プロ」の労働時間を増やすことで、それ以外の労働者が「高プロ」となるためのスキルを学ぶ機会を減らし、数少ない「高プロ」の長時間労働・数多く存在する「歯車的労働者」の標準時間労働という状況をつくりあげることで、人件費を抑えよう、という経団連らの目論見だったのではないでしょうか。
こう考えると、労働者がマニュアル化を積極的に支持するのは、やはりおかしいと感じます。
「マニュアル化もアリ」ではなく、「マニュアルは属人化に到るためのひとつの道具」ぐらいに考えるのが正しいのではないでしょうか。
ただ、日本人はマニュアルが好きなんだろうな、と思います。
「個」が弱いからなのか、「皆と同じ」という方向へ流れていきますからね。
リスクも背負いたくないですもんね。
でも、そういう状態こそが「奴隷根性」なのではないか、とも思います。
私が最初に抱いていたイメージと逆で、「標準化」の方が「属国民」に近かったのですかね。
本日3回目。
木蘭さんの記事をよんで
逆に、胸が大きくて困る、という意見がなぜないのか、エロ漫画ばかりよんでいる私は不思議に思いました。そういう話、結構いっぱいあるんです(似合うブラがない、好奇の目線で見られるなど)。これって、セクハラですか?
徒然草の件の歌、中学の時に、担任の先生との交換ノートでクイズに出してみたことがあります(解説は料理番組風にしました)。
辻説法、読みました。
人頭に光りあれ、ありましたねえ。
懐かしく拝見しました。
当時もそのぐらい良いじゃないかと思っていました。
私は「恩師の二人」がハゲなので元々ハゲには良いイメージでした。
まずは小さい頃から行っていた習字の先生が、
戦場体験者で怖かったのですがハゲでした。
「頭を使っていればハゲる」「はげると風格が出る」
「通りすがりにハゲをバカにされたが何ともない」
ということを常に聞かされていたのでむしろハゲたいと思っておりました。
随分前から薄くはなるのですが残念ながらいまだにはげられません。
部活の怖いイケメン先生は結婚後、私が卒業した後ではげました。
いさぎよくつるっぱげにして子どもに「ブルース・ウィリスみたいやろ?」と言っていました。
中学生には「激しい、はげますは禁止。言ったらしばく」と言い、
オバキューならぬ○キューと言われて親しまれて!?いました。
我々卒業生は「先生を見習ってはげたときはいさぎよく」と言い合っていました。
そのような環境にいたのでよしりん先生のおっしゃることがすんなり受け入れられたと思います。
ハゲは絶倫、そうですか。私はむっつりですが、
はげてないせいか最近はあんまり。
その点ではあまりハゲをうらやましいとは思いませんが。
いずれにしてもはげにマイナスイメージはない、
ごまかすのはイメージ悪い。文科大臣とか・・・・・・。
配信、ありがとうございます。
自分は毎回、全てのコメントに目を通すわけではないのですが、今回は変なコメントが多い気がします。
俺の単純な考えですが、小林先生は今までゴー宣において、膨大な知識と情報、またはその分析を提供してくれています。
それだけでも知的において俺自身、先生には到底かなわないと認めざるを得ません。
その先生から、せっかく非難という薬を貰っているのに、なぜ意固地になって短気になってしまうのか。
自分の方が知的な訳ではないだろうに。
「自分の人生から培った信念に基づく言葉ゆえ、修正することも反省もすることもできない」
それなら一旦、自分の考えと先生の非難を照らし合わせ、自分自身で熟考すればいい。
時間をかければいい考えが思い浮かぶ事もある。後になって間違いに気づく事すらある。
何も先生は悪意があって非難している訳ではないのだから。
また、プラスになる真の人物は自分を非難し、間違いを指摘してくれる人物だと思う。
先生もどうでもいい人間が相手なら、非難すらしなかったかも知れない。
先ず、行為の根本的な考え方を、自分自身で考えた方がいいと思う。
非難=自分の意見に反対ではなく、自分のために反対してくれているという捉え方が出来る様に。
ゴー宣の単行本の装丁、一番最初に出したゴー宣の単行本の装丁を
復刻して作る、ってパターンもありますよね?
『ゴーマニズム宣言』のロゴだけでも、いっちゃん最初のを使うとか。
復刻ブームだし。昔買った人が懐かしんで買うかもだし・・・。
とかも考えたけど、もう遅いか。デザイン出来てるか。
新しいデザインの方がいいかな。ゴー宣のデザインはどんどん
進化していってるし。
「アベノミクス」も結局、外圧で失敗を認めるのでしょう。アベノミクソならまだ救われるのですが取り巻き全部がクソですから絶望的です。
Vol.287の配信、ありがとうございました!
お墨付き商法・規格認定詐欺が公然と跋扈する世の中ですが、よしりん先生のお話に、まるっと100%同意です(≧▽≦;!!ちょっと意外でしたが、いまは「マニュアル化」に肯定的なイメージが先行しているんですね。(+_+;
会社勤めしてたとき、課長から「お前を使うのは、ノラネコを家の中で飼うようなもんだな」とあきれ顔で言われた(ノ∀`;くらいなんで、マニュアル類の袋の中に入れられると、たぶん勝手に破って出てってしまいます(それでも、リスペクトする人には割と従順で、現場の職人さん達や、おば様・お姉様方にもよく可愛がられました。^^;)。
製品や部品なら均一でないと困るんで、マニュアルとか規格・基準類は当然必要。でもその対象が人間となると、コレは人間の生存理由や尊厳にも関わるんで、厳重に要警戒ですね。個人的には、基準とか論理に従順であればあるほど、整備すればするほど、バカ化が進行する(標準化=バカ化とほぼ同義)と思っています。
昨今もて囃されている基準・標準類や論理は、本来、前提(入力)が間違っていると、間違った結論(出力)がそのまま機械的に出てくる性質のものです。でも、それが忘れ去られ、前提の検証や、気づきや想像力,思考力,柔軟性,その他人間特有の優秀な能力をすっ飛ばしてしまう副作用が、あまりにも大きすぎます。xx;
事故やミスを防ぐためにマニュアルをさらに分厚くしても、似たような間違いが繰り返されるのは、さらに人間のバカ化が進むからでしょう(友人の品管のプロですら同じこと言ってます)。合理的なバカ脳(笑)が、原発にいくら安全対策を施しても、絶対に安全にならないのと同じですね。
そもそも、こういう標準化志向って、どんなバカな奴隷でも、ルールの檻に閉じ込めておけば、それなりに労働力にできる、といった奴隷支配文化の由来じゃないですかね(´・ω・`;;?
たいてい、檻に捕らわれた、何も考える必要のない奴隷の方が楽なんで、しかも大勢いる檻の方が安心なんで、人間は自ら進んで(喜んで)、危険な自由を捨てて安全な檻の中に縛られに行く、企業や社会の風潮がそうならなおさら。そして、どんどんバカになっていく...『新・堕落論』的なものを感じずにはおれません。
ちなみに、経団連のルール「企業行動憲章」は、笑いごとじゃないんですが爆笑モンです。よくもまぁ、こんな大ウソ大ホラ大風呂敷を掲げて、平然と良い人のフリをしておれるな、この食い逃げジジイ共が!(笑)、ってくらい恥知らずにもほどがあります。もう子供や若者は、ガチで呪っていいよ。b^^;
月に代わってお仕置きカワイイもくれん先生の『トンデモ見聞録』、爆笑してしまいました(≧▽≦;!!
この記者、「『心や体にまつわる苦悩という多様なニーズ』への対応」を社会に訴えるのに、その具体例が、一体なぜ可憐乳コンプレックスになるんでしょう!!こんな事例だと、社会全体が「んなモン、ほっとけ!」となって、逆効果なんじゃないかなぁ〜(笑)
(可憐乳も太るのも、全く気にする必要ないです!!)
『SPA!ゴー宣』にも「傷ついた」話がありましたが、いい歳こいた大人が、自ら「傷ついた」とか言うのはものすごい恥辱、周囲から腫れ物のように配慮されるのすら屈辱、だと思うんですが、違うんですかね。^^;?
杉田みおっさんとか、マイノリティを故意に痛めつける傷害罪みたいなのは別として、下らんことで一々「傷ついた」とか言うのは、自らを弱い人間と認めるようなもんだし、そんなものを大きく扱う記者がいるのも、社会全体が幼稚園並みの純粋ピュア社会になっているんじゃないでしょうか。(´・ω・`)
『よしりん辻説法』めちゃウケました(≧▽≦;!!海外でもナメられない、貫禄のある年の取り方をしたいです!!
『SPA!ゴー宣』、最近読んだ本で、母親の子に対する無償の愛や自己犠牲は、人工的,後天的なもの(社会から押し付けられたもの)、といった考え方があるのを知りました。
清く正しい純真無垢な母性愛、家族のために自己実現を諦める美しい自己犠牲、といった幻想道徳(世間的圧力,感動道徳)に苦しめられる真面目な女性は多いと思っていますが、よしりん先生を育てた御母上のリアルな冷酷非情さを見れば、そういう幻想はなおさら捨てて構わんと思ってしまいました。(^^;
今の時代、貧困と天変地異に翻弄され、みんな政治批判をする余裕がないんだよね。
私も災害に遭った不安をキッカケに収入を増やす行動を始めたら、とてもとても忙しくて、極悪アベ政権がしてる悪事を気にする余裕がなくなってきた(汗)。
副業もね、前と同じことしてても、今は超不景気のために収入が減るんだよね。。だから、お仕事の量を増やさないといけなくなっちゃうの。
今の政権を滅ぼしたいのなら、野党はまず、このことを意識しなきゃ。一見分かってるように見えるけど、実際はちっとも分かってないと思うな~。だから国民は、立民にも失望しちゃったんだと思う。政権批判だけしてても何の役にも立たない。
今の日本の多くの人は、ただ貧困に喘いでいるのではなく、自ら収入を増やす行動をしているはず。政治が役に立たないから。だから忙しくて時間がなく、政治批判をする暇がないと私は思う。
どうしたら、この事態を打開できるのか?。。と時々考えるけど、忙しくて深く考察する暇なし。
今回のライジングと関係ないお話をしちゃいましたね。
最近、あまり感想を書けないけど、ライジングもブログも時間を作ってちゃんと読んでいますので☆
配信ありがとうございます。
標準化は今の経営論のトレンド、と言うか主流ですから、門下生の方は当然の事を言ったつもりだったのでしょう。それを批判されたので「ワケワカメ」、「着いて行けん」となったのでしょうね。
実際、私の夫が経営に参加している弱小会社でも標準化が進められているそうです。
誰でも替われるなんてやり甲斐とかどうなの?と聞いたら、「今の人達はそう言うのは望んでない」、「休みとか残業無しとかが重要」、「休めないと直ぐにブラック認定して辞めていく」からリスク管理のうえでも標準化は重要なのだそうです。つまり「現時点ではウィンウィン」なのだとか。言い方が引っ掛かったので将来的には?と聞いたら「AIがやる。そういうソフトを売る会社は大儲け」だそうです。何そのディストピアは!
もちろん標準化出来ない仕事は有るわけで、そういう仕事を任せたい人は、標準以上の仕事が出来る人だとか。
正に先生の指摘通り。
そういう人には積極的に正社員の声をかけるのだけれど「大抵、望んでない、と断られる」そうです。子供の学費を稼ぎたい主婦の方とか、夢を叶えるための資金を貯めている方とかで、ずっと働く気がないとか。う~んミスマッチ。
つまりこのまま行くとこの国は、慢性的な人手不足でありながら失業者が溢れる超格差社会となるのでしょう。
この事実に若者が気付かないのは、やはりバカだから?
いえ、単純に現場での経験が足りないからでしょう。多分…。
こんにチワワ!
よしりん師範のゴー宣を読みまして。
属人化と標準化は対立する概念ではなく、両方合わせて100の仕事ですよね。
職場や職種によりその比率が変わるわけで、標準化の比率が高けりゃいいという職場もあるのでしょうが、標準化の目的は最低限の品質を保つためのものであってそれ以上のものではないと思います。
よしりん企画の場合、商品はすべて創作物なので品質の基準はよしりんはじめスタッフの皆さんのプロとしてのプライドで納得できるもの以外は公表したくない、ということになろうかと思います。
これはプロの矜持であって、やりがいとか使命感(ある意味そうなのだろうけど)とかいった綺麗事では片付けられないですし、よしりん企画の皆さんが件のメーリスに激怒、というのは当然と思えます。
僕はメンドくさがりなので標準化の比率が増えすぎると手を抜いてしまうとおもいます。
何事もバランスが大事です。
しかしまあウルトラアンチ様は
小林よしのりの劣化コピーですなあと
思わず嘆息
世の中には、胸が小さい事にコンプレックスを持って、夏は猫背になってしまうという女性がいるそうですが、胸が大きいからと言って良いことばかりとは限らないでしょう。
重たそうだし、男からヘンな視線を向けられるし(私のことじゃないよ)、ブラはゴツいのばかりで(なんで知ってるとか突っ込まない)、年をとったら垂れてエライことになりそうだし、木蘭さんの記事にもありましたが、パリコレの女性モデルはスレンダーが多いのです。
男の私が言うのもなんですけど、胸の大きさだけで女性の価値は決まらないと思います。
コンプレックスを個性に変えることができれば一番なのですが、ネット社会では逆にこじらせるばかりかもしれません。
《10月6日配信 門下生チャンネルの番組表》
◆《新番組》【VS門下生(あき編)】
・第1回「ゴー宣読者による差別論」
https://www.youtube.com/watch?v=WG4bghdq6c8&t=0s&list=PLWOOmgQXPZkyoerNmtE15sHZJk5eaboC8&index=2
平成30年6月3日。関西設営隊顔合わせランチ会の直前。
関西設営隊に志願したばかりの「あき」は、障害者福祉サービスの事業所長。
自らも自閉症でイケメン(顔は母親似)の息子を持つ障害者の父でもある。
この日、初対面であるカレーせんべいとガチ対談!
障害者と社会の関係性。
ハゲネタなど『身体的な特徴をギャグのすること』は本当に悪なのか?
笑いとイジメに関する考察。
「傷つくこと」と「傷つけること」を子供にどう伝えているのか?
ゴー宣読者同士が『差別論』を真剣にぶつけ合う!
たとえ意見が対立しても、お互いに学び合え、新しい意見に昇華できる!
そんな門下生同士の対談をお聴きください o(^o^)o
・第2回「ネトウヨになった親父」と「障害者福祉、現場の葛藤」
https://www.youtube.com/watch?v=YVZO0_J-kwc&index=2&list=PLWOOmgQXPZkyoerNmtE15sHZJk5eaboC8
前半、議論は差別論から一転。ネトウヨ問題へ。
親父がネトウヨになっちゃった!友達2人も気がついたらネトウヨに!
説得を試みるも、再会すればまた元に戻るの無限リピート状態!!
「人間同士の繋がり」VS「ネットの情報共同体」。門下生はどう闘う?
後半、外出専門の障害者福祉サービスという現場を持つ門下生あきの現場の苦悩。
その社会的な意義を確信しつつも、ヘルパーが我慢している現実が存在する。
向き合うのは障害者だけではなく、その家族の思いも、複雑に絡み合う。福祉という仕事の光と影。
クルクルと軽快に回転する2人の論点が、議論のウネリを作り出して止まらない!
盛りあがる第2回を聴いて欲しいんじょ〜。(阿波弁。)
・・・
「ゴー宣読者同士は、初対面でも議論ができる」と経験から実感しています。
明日10月7日は、関西設営隊新規志願者の女性3名と、エレガントな収録を予定しています♪♪
「ゴー宣」という共通言語を持つ者同士。
礼節をわきまえて、現場からの声を交換し合うような場を、
みんなで創りませんかo(^o^)o
《ゴー宣道場門下生志願の連絡窓口》
chiho.gosen.dojo@gmail.com
門下生チャンネル、早速見ました。
ハゲの話や標準化の話もこの時点で少し出てきましたね。
「差別ネタ」も含めてこのときから。
以前からゴー宣で語られてきたテーマだったのですね。
初対面でも共通の話題で語り合えるというのは良いですね。
配信、ありがとうございます。 №86、88をまとめました。
「属人化と標準化を考察する」を読みました。「よしりん企画は『職人集団』である」の一言で答えが出ていると思います。荘子の車輪職人の話を思い出しました。車輪をつくるにあたってノミやキリの基本的な使い方は「標準化」「マニュアル」で学べるにしても、木目の見方、削り方などの職人芸はマニュアルでは伝えきれないものだと思います。絵のかき方も同じで、その人でなければできない、その人でなければ弟子に伝えることができない、ということではないかと思います。
「標準化」で思い出したのは戦国時代の「足軽」でした。武芸などしたことのない農民に胴丸や槍、時として鉄砲をあたえて、使い方を教えて最前線へ送り出す。その足軽が戦死したり重傷を負ったりすると、すぐに新しい足軽に交代させる。用済みになったらポイっと放り出されて、新しいのと交換。そう考えると「標準化」で果たして仕事のクオリティを向上させることができるのか?人を幸せにできるのか?かなり疑問です。
「お嬢さん、それ、傷つくところじゃないですよ!」読みました。
そういった一部の人の「思い込み」や「ひがみ」をいちいち真に受けて、TV局が自主規制がかけるようになるとどうなるのか?そうなったらおそらく、そういった一部の人々を傷つけないためという名目上、女性が登場するバラエティーやドラマはみんな全身モザイクが入ったり、生放送では出演する女性は全員ブルカを被るなどという珍妙な事態がおきそうな気がします。モザイクだらけのAKB番組ってって見たいですか?(笑)
どうでもいい話ですが、私はどちらかというと胸の小さくて背の高い女性が好きでした。学生時代、バイト先にそんな女性がいまして、ブランド物のスカーフを誕生日プレゼントとして渡したことがありました。そのとき、彼女の笑顔の一言、「ありがとう、ねえ、これいくらした?」…千年の恋も一気にさめました。そんなもので彼女の気を引こうとして私も私でしたが…(笑)。見た目も大切なのだろうけど、やはり一番大切なのはその人の人柄や立ち振る舞いではないかと思います。
駄文失礼しました。
こんにチワワ。
退会していった門下生、そして胸の小ささで人生を投げて黄昏ている女性に、
僭越ながら、たまたまちょうどいい言葉がありましてv(^^)。
「人間は完全なものにはまだ及ばないのだ。
人間は己自身の尺度で努力はする。そして良き種を蒔きはするが、蒔けるのは己に与えられたものだけ。」
―ブゾーニ作曲 歌劇『ファウスト博士』より(ゲーテのとは別物)―
何の励みにもならないでしょうが、ちょうどいいのがあったよな―、なんてただ単に…。
もう一つ。これは、「若い者はわしら年寄りの話をちゃんと聞かねえんだよ」とぼやいていた塗装屋さんに、試しに言ってやった一言。
「そんなの悩みのうちに入んないっスよ」
そこから、「悩みっていうのは、、、」と、「立憲的改憲」の話に雪崩れ込ませると。
ちょっと強引でしたが、どこまで通じたやら…f(^^;)。
私は、自身の研究のアイデアが出てきた時、いつでもどこでもメモれるように、“ポケット手帳”を常に持ち歩いているのですが、
そこに、「ゴー宣道場」等で、「立憲的改憲」を人に話す時に使えそうなネタをメモしておいて、
咄嗟の時でも、それをアンチョコにしながら話せるようにしております。
スマホよりも手軽だし、「ググっているのか?」みたいに思われなくて、いいと思いますよ。
「何をそんな基本的なことで“どやっ”みたいに…」って?
「ちっ!初心者が!もっと悪魔的とも言える上級テクを教えてやるぜ!」とか、
どなたか呼応して頂けたらいいなあ・・・なんて思いまして。A(^_^;)
なんか、お二人に送る言葉というのとは、ちょっと違ってきてしまいましたが、よくあることです。
そんなの悩みのうちに入りませんよ。
それよりその「もうひとつの立憲フェス」とかで、どのように立憲民主党に喝を入れるのでしょうか?
お願いしますぜ。(`^´)9
ごめんしゃい。頭ん巡りの悪か、やギ 、未だに思っています。「あの人の言う事は毒々しくて嫌だ。」と言う時とか、毒を嫌悪感に繋げてしまう事って、やっぱり有ると思います。
でも、オドレラ正気か!?で語られている内容は、内容で理解しなきゃいけないんだよね。これを分かった上で書いてます。誰にでも有る間違いで気を落としちゃ駄めぇよ。畜生家畜に言われても説得力ないね。
公論を優先すれば間違いを指摘されたら、堂々と受けないとね。誤りを認めて戻って来ればいいのさ。通り名を変えてもいいんだよ。メーリスの人だって、コメントの人だって一緒だよ。もし、戻って嫌味を言うのなんかいても、その人こそ公論で無く、口論を求めてる冷やかし者ん。簡単に傷付くなと叱る先生ピャンの前で、間に入るやギ でした。おねのい、やギ をぶって。
関西、読売テレビの番組報告です。
「朝生ワイド す・またん」
月曜日には野村明大のニュース解説で「沖縄知事選挙」を
取り上げませんでした。
木金担当の辛坊治郎は文書改ざん事件で
「事実なら少なくとも大臣の首は飛ぶ」と
何度も言っていたのに、大臣の首が飛ばなかった後は
「大臣の首が飛ばないのはおかしい」といったことは
何一つ言いません。
今回の内閣で留任までしたのに何も言いません。
続いて本日の「あさぱら!」は
新内閣の布陣、新閣僚の失言等々あるのに、
ぶち抜きで「半端ないおっさん特集」でした。
この番組は安倍政権に都合が悪いことがあると
政治の話題をせずに特集で済ますという傾向があります。
番組や局の姿勢が、無理矢理にでも持ち上げようがないときは
「スルー」という方針なんでしょう。
「今までの女性閣僚は片山さつきの1/2、1/3」、
「男性閣僚は片山大臣の1/2、1/3」だそうです、
ぐらいは言ってくれたら良いのにと思っていましたが。
さすがに支持している政権と本質がそっくりでした。
仕事あけのおはよーぐると。
属人化・標準化についてのよしりん先生のあとがきで若者について書かれてましたが、
これについて「若者のバカさ」が見に染みます。
世間知らずというのもありますが、社会に出る前の若者って自分を「上位に位置するもの」と思い込んでますよね。
自分が「才能のある」と思い込んでいる、「使う側」だと思いこんでいるからこういう意見になるんだなぁと。
そいえばびっくりしたぁ。
ひさしぶりに来たらやぎ氏に「病的被害妄想患者」「狂信的苦情者」にされてたわ。
今回のゴー宣見て感じ入った
「いじめの定義」の真の怖ろしさを理解してない方々に説明しただけなんですけどねぇ。
「被害者が100%正しい」云々の話は自分が決めつけてるわけでなく
「いじめの定義」がそうなってるだけの話なんですけどねぇ。
「親切に説明した方をバカにするならまだしも、『精神病扱いして非難する』」
って行為、やってる事おもいきり「いじめ」ですよ(爆笑)っていうより名誉毀損罪で告訴から逮捕?(笑い死に)
そういえば「いじめの定義」が法で導入されれば「いじめは撲滅」できるんですよね。最悪の形で。
いじめ被害者は正しいことは定義によって確定されて、
いじめ被害者が「いじめ」と感じたら加害者や何もしなかった傍観者は『逮捕されるべき犯罪者』になるわけですから。
加害者、傍観者、隠蔽した教師など全て教唆恐喝犯罪幇助隠蔽などで逮捕すればいいだけです。
100%悪い事が確定した犯罪者の言うことなど聞く必要はないわけです。いじめ被害者の発言は100%正しいのですから。
いじめというものは「加害者という犯罪者が存在しなければ」そもそも成立しないのですから。
無論「いじめられたせいでこうなった」などの復讐などをを口実にして被害者が犯罪を犯した場合、
その責任は「いじめが犯罪者をつくった」ということで『犯罪幇助や犯罪教唆罪』にあたることになるわけですよ。
…というように「いじめの定義」は完全にテロや通り魔などを正当化するはめになりかねない、おっそろしい定義なんですよ。お~こわ。
…そんな世界を望みますか?
それなのにね~。
現実はちょっとしたことでも流すことなく
「傷ついた(=いじめに遭った)」として抗議して自主規制をかけさせたりする行為が次々と起きているようにそんな世界に向かっているような気がせざるをえません。
今回のSPAとFLASH、もくれん師範のブログを見ると。
もう、「弱者真理教の言論テロ」はもう起きまくっているわけです。
これに関してはよしりん先生のブログでの「泣き女」見て「あっ!」と。
こういう「自分は被害者」を強調して反論をポアしまくって…かなり危険な状態になっているのを認識せずにいられません。
幼い頃から学校やコメンテーターの発言で聞かされまくった「いじめの定義」の影響が芯にあるようにしか思えないんですけど。もしかしたら「自虐史観」もこれが根っこにあったりして。
「いじめの定義」は『弱者真理教』の最後の砦である。なんちゃって(笑)
>>99
「いじめの定義」の欠陥は認めています。
極論として遊びで言っているのかな?
ごめんね、真面目に書いていたら正気を疑う。それとも、夜勤明けの酒が入っているのかな。
社会悪は「いじめ定義」の欠陥が原因ですか?常軌を逸した いじめや、暴力調教問題、それにまつわる自死や殺傷被害、隠蔽工作の問題、また各襲撃、テロ事件も「いじめ定義」の欠陥 が原因ですか。
>>62 でも書いてらしたですね。
オウムテロや、大津教育長襲撃の時に「いじめ定義」が有ったですか。新幹線殺傷事件でも「いじめ定義」が関係しているのですか。「いじめ定義」が無ければ、皆、発生しなかった事件でしたか。
確かに、非常識な被害者意識、権利意識の蔓延は問題です。しかし、狂った事を言う猛烈な苦情者を問題にしているのでは無いです。いじめや暴力による殺傷、自死について問題にしています。色々な問題を一括りにし過ぎです。一括りの関連性で考えなけれなならないものもあります。しかし、非常識な被害者意識、権利意識の蔓延による問題とは分けて考えるべき案件です。
「いじめ定義」だけをつまみ上げて、何故、普遍的な性悪根性の元締めにするのが理解しかねます。とんだ原理主義です。大丈夫ですか。支離滅裂です。
いじめ対策基本法は、機能していないのが実態です。図々しくて被害者意識のしっかり詰まった「いじめ定義」の有っても、公正な調査どころか、死傷者が出ても、杜撰調査、無調査、隠蔽、封殺、法の抜け道を使う、公文書の改ざんを複数、平気で行う、それを法廷の証拠にする、このような森本加計を先に行く公的権力の悪事が、大いに問題となっています。
被害者が死んでも遺族は死ぬ以上に苦しみ、被害者本人が生きていても PTSD などで非業の地獄の中にいます。愛しき者の死の現実や、PTSD の地獄の実態を知らないのではないですか。
権力の方が「いじめ定義」より強いのです。均衡は、まだ取れていません。
このような状態なので、第三者委員会による公正な調査を促そうという目的が「いじめ定義」で、暫定的なものと捉えるのが自然です。「いじめ定義」は理念法の中の一部だけで、未だ有効になっていません。
従って「いじめ定義」の悪用は別問題として考えるべきです。「いじめ定義」に狙いを付けて、これを憎み、世の悪の根源とする苦情者になるのは、女性専用車両は、男性差別と騒ぐのと同じです。これを狂信的苦情者と言っているのです。早く、自己に気付いてください。
提案します。「この件については(強調)」これから各々、自由に書けばいいです。互いに反応して言い合わないようにした方がいいですね。干渉し合うのは不毛です。己は勝手に違う話を書いて批判を仰ぎます。そちらも勝手に御書きください。この提案は駄めぇ?
お互いに離れあっていきましょう。脱線させて失礼しました。
小林先生、みなぼんさんが体調不良になるたびに、「はじめてのお使いの子供の気持ちがわかる」的な事書いてます。
そろそろ馴れても良い位じゃないかな、と思いますけど。
ライジング配信ありがとうございます。今回も投稿採用して頂きありがとうございました!
私は病棟看護師なので、日勤夜勤とシフトで動いています。今日は休みですが、いつもと変わりなく病棟はまわっています。
実際に私の替わりはたくさんいます。
しかしながら仕事内容は(検温・投薬は別にして)マニュアルがあって無いようなものでして、スタッフ全員が「患者さんが退院してから、地域で生活していくにはどんな援助が必要か」を考えて行動しているのですが、各スタッフ思考・切り口が大幅に違うようで独特の動きをします。またそれが患者さんに影響を与えているのか(と信じたい)「いろんな考え方があるのですね」と言ってくださることが多く、退院してからも「○○さんの話がよかった」と各スタッフを訪ねてきてくれたりします。
先生のおっしゃる、[標準化された中で働く者でも、自分は替えの利かない「属人性」のある人間になろうと努力していくはず]同意します。
そして、もくれん先生の「お嬢さん、それ、傷つくところじゃないですよ!」
当院の入院患者さんに、LGBTの方々少なからずいらっしゃいます。皆様生きづらさをかけてらっしゃいます。
そして、「~だから私はこの世の中では生きてはいけない…」と過剰に思い込むような病的な被害妄想に至って、本当に深刻な精神病を発症してしまっている と思われる方々も少なからずいらっしゃいます。
ここに来るまでに、なんとかならなかったのかなと思いながら援助しています。この方であれば「胸が小さくてもいい。自分に向き合おう」という思考になるよう、粘り強く標準化された中で属人性の強い「濃い」スタッフで日々働いています。
次回のライジングも楽しみにしています。
門下生チャンネル、拝見しました。
障碍は特徴だ、という言葉、カウンセリングの先生からも言われています。自分の場合は知的な障碍ではないのですが、当事者、といえるのでしょうか。そういう人も見てきましたし、中には絵が得意だという人もいたりするのですが。
自分も、少し自分の障碍について、マイナス面のことばかり記してきましたが、いじられて当然みたいな感じで、対応してゆけたら、と思います。
(と言っても、今は失業中で、ほかに話す相手もいない状態ですが)。
とりあえずは、一人でも寂しくない人間を目指してみたいです。
インターネットの害悪を窺うこともできて、興味ある放送でした。ネットなんて顔も見えないし、責任もないから、全部を信用するものではないでしょう。
続きを楽しみにしています。
››102
皆様生きづらさをかけてらっしゃいます
→皆様生きづらさを抱えていらっしゃいます
失礼しました。
門下生チャンネル、
初めて参加させていただきました。
やはり門下生のお話は勉強になります。
まだ見られたことがない方も、
是非今UPされている分をご覧ください。
あなたの探求心を満足させ、
人生を変えるかもしれないものがそこにあります。
ライジング感想、改めて記します。
「属人化と標準化を考察する」
会社などで標準化や仕事のマニュアル化が必須とされるのは、人間は過失を犯す動物だ、という事実に基づくのでしょう。則ち、何千万とか何億とかのお金が流れる作業で、個人の誤認による失敗があった場合、責任をとったり埋め合わせができるのか、ということなのだろうと想像します。
しかし、その標準規範やマニュアルや手引き書、手順解説の段階で、作成者などの勘違いや、未知の事態への配慮不足などが現れる場合もあり、その場合、現場責任者や個人の裁量が必要とされるわけです。
結局のところ、人間が完全ではなく、どこかかけているからこそ、この問題が生じるのでしょう。ありふれた言葉ですが、ケースバイケースと言うしかないのでしょう。しかし、人間は機械ではないので、各自の判断を優先することも肝要だろうと言えるのではありますまいか。
機械というのは融通がきかないもので、ビデオでも録画時間のセットを勘違いすると、番組が途中でもそこまでしか録画してくれません。機械はそういう判断はしてはくれません。だから、AIとか開発されているのでしょうけれども、それもどこまで人間の誤認を補ってくれるのでしょうか。
そのような機械のようにすることが、人間を、社会全体を幸せにしてくれるのでしょうか。
私がプレイした戦争趣味レーションPCゲームで、上官と、君主とどちらの命令を優先するのか、という選択肢が出たことがあり、正解は、上官の方でした。当たり前のようなことを記しましたが、これだって、絶対ではなく、大部分の場合においてでしょう。それこそそれぞれの能力の差なのだと思います。
以上、とりとめのないことを記しました。
「お嬢さん、それ、傷つくところじゃないですよ!」
胸の話については先に記しましたが、人間は他人の予想もつかぬところがコンプレックスになっているところがあったりして、複雑です。私も、「空気」問題のほかにも「睡眠」問題で傷ついたりします。睡眠はそんなに快楽なのだろうか、人間の行動範囲を狭め、不意に訪れる刺客のような感じがしています。
思うに、人が生活することは、誰かをおとしめるつもりがなくとも、傷つけ合ったり、誤解し合ったりすることの連続なのでしょう。褒めたつもりで言ったことでも、不快な気分になったり、とか、仕事を軽減化するつもりで代役をかって出たとしても、その人にとってはその仕事に力を入れていることがあった場合、餘計なお世話ととられることもあり、個人はそれぞれ異なっているので、こんなことが、というところで相手の心証を悪くすることもあります。
しかし、そのことを恐れていては何も進まないのだろうと判断します。なるべく誤解をさせないようにする工夫は必要ですが、まずは動いてみないといけないのだと言えるのではないのでしょうか。安倍政権の不正や失政に対して声をあげ、立憲的改憲の必要性を訴え、天皇陛下の気持ちに添って、天皇制を永続させるためには何が必要かを考え、実施することが大切でしょう。
巨乳の話で終わってしまってはいけないと思いましたので、少し堅苦しく記してみました。
ところで、やはり記しておきます。話は変わるのですが、鷲尾さん(ボードレールさん)という人はどうしてこの場から離れてしまったのでしょうか。私はカレーさん同様、あの人は最後までよしりん先生のために貢献してくださる方っだと思い、一時この場をはなれていました。いきさつをご存じのかたがいたら、教えてください、と一往記しておきます。
また何か記すかも知れませんが、とりあえず、次号を期待します。みなぽんさんがはやく恢復しますように。お大事に。
いちおう、誤字修正をあげておきます
趣味レーション→シミュレーション。何だか間違って覚えていました。
最後の方の「方っだと思い」→「っ」を省く
老婆心ながら記しておきます。
結構な罵詈雑言が含まれたコメントが散見されますが、勘違いしちゃいけませんよ。
自分は「公」について考えているつもりなのでしょうけど、そこまで感情的になっている状態は完全に「私」の世界ですから。
私は正しいんだよっ! って、強弁しているだけですから。
『ゴー宣』『ライジング』の読者で、アンチやネトウヨではないからといって、何書いてもいいってもんじゃあありません。
自分が私的な感情を吐き出しているだけだということを、自分で認識できていないという状態は、アンチやネトウヨとほぼ同じです。
ちなみに、小林先生や師範方、トッキーさんらもブログで辛辣な表現を使われることがありますが、それは「公」に供するべきプロとしての政治家や知識人らに対する批判であったり、社会に対する皮肉(ユーモアが大事)であったりするので、読んでいて何ら不快感を感じることはありません。
素人同士の罵り合いを、なんで見せられにゃならんのか。
公的空間としてのマナーを守って下さい。
「相手に言われっぱなし=負け確定」なんて、誰も思ってない(というより、関心がない)。
「本当にこれを今書かねばならんのか?」ということを、反芻してみる(脳を介する)余裕をもって下さい。
こんにチワワ!
もくれん師匠のトンデモ見聞録を読みまして。
拗らせてますね〜、小胸さんも記者さんも。
小胸さんは本気で褒めたとしても素直に受け取らず却ってバカにされてるとか感じてそう。
だいたい人に好感を持つかどうかは、人間性や距離感の相性とかの総合的なものであって、胸のサイズで判断してる男なんてほとんどいないと思うけどなぁ(ですよね?男性諸君!)。
その僻み根性が人間関係をややこしくしてるんじゃないかな。
その現実を受け入れていかなきゃぁ、だよ。
記者は記者で友人をバカにしてるんじゃないか?
そもそも小胸で生き辛さを感じる女性に関してトランスジェンダーの記事に載せるかね?
いろいろ間違えてますね。
木蘭さんの記事の文の「本当に深刻な精神病を発症…」が、色々な事に当てはまっていて空恐ろしくも感じます、某人(もう誰とか書く必要も無く奴ら)なんか正にそうだし…
自分を勘定に入れて生きろよ、マジで、じゃ無いと世の中からはみ出たまま生きる事になるわ、旦那も擁護しているようで妻を◯◯ガイ認定しているようなものだし。
社会的弱者やマイノリティを曳けらかしても鬼と悪魔のこの世間誰も助けてもくれないですからね。
ライジングの配信、ありがとうございます。
今回の記事で、よしりん先生は、仕事に高い意識とやりがい(=やる気)を持って臨むことの大切さに主眼を置かれているのだと受け止めました。
「標準化」が持て囃される背景には、構造改革の頃から流行ったと思われる「自発性」「自己責任」「OJT」といった言葉に踊らされて、社内での教育体制が崩壊してしまったことへの反動があるように思われます。
教育体制の立て直し自体は必要だと思います。
しかし、社員のやる気と合わさって初めて能力の向上は望める訳で、単にワークフローを整理するだけでは、何の成果も上げられないでしょう。
教育体制は、社員の仕事に対する意識付けまで含めて行われるべきだと思いますし、社員の側も、仕事をより深く理解する積極性が必要だと思います。
「松下型経営」を取り上げられたところでは、高度経済成長が望めないのに、そんな経営戦略が現代において実現可能なのだろうか、と疑問に思いました。しかし、待遇面というよりも、濃密な人間関係の中で、信頼関係とやりがいを生み出す育成環境に目を向けられているのだと理解しました。
共同体が失われつつある日本では、仕事は単に生活費を稼ぐ場としてでなく、公共心の発露の場として、一層重要な位置を占めていくと思われます。
仕事への意識が軽くなってしまっては、いよいよ日本人は社会との関係性を実感できない、砂粒の個と化してしまいます。
他者への貢献感が無ければ幸福感は得られない、と聞きます。
仕事への意識は、人生を幸福に過ごせるかどうかにつながる問題だと思います。
人の仕事を見て、〜を売る(作る)しか能の無いとか蔑みを言う者がいます。野球なんか同じ事の繰り返しで、つまらんと言うのは己で反省しなければなりません。
野球にしても、売るにしても、作るにしても(筑紫市場の様子を見ても解るように)それだけでは無いですね。
例えば、魚、野菜にしても種類が有ります。これに関する目効きは文字や言葉では言い表せません。それを料理したりするのも細かい知識と、体感でしか習得出来ない技能が要るわけで、五坪くらいしかない店舗でも、裏から目を凝らせば、見渡せない創造の世界が広がってるかのようです。
どの職の現場も素人目で簡単に言ってはならないです。無味乾燥なものなんて無いと思います。
職能の標準化、属人化も別ながら、同時に並存するのが普通ですね。
牛のおっぱ〜いも、山羊のおっぱ〜いも、人間のおっぱ〜いも、必要な時に役に立てばいいのであって、人間の場合は粉ミルクの有って、家畜のように〆られなくてもよいわけです。
畜生家畜の場合、食の役にも立たなければ、毒を仕込まれて処分されるだけです。
めぇ〜〜〜!モウッ!毒に嫌悪か〜〜〜ん!
(こん間のオドレラへの返っし言でないよ。)
今号のゴー宣を読みまして、天皇陛下のことが思い浮かびました。