(号外 2019.9.10発行)
【目次】
1. ゴーマニズム宣言・第340回「セカンドレイプ魔・小川榮太郎」
2. 泉美木蘭の「トンデモ見聞録」・第139回「人にはいろんな生きざまがあるという話」
第340回「セカンドレイプ魔・小川榮太郎」 日本人は、未だに近代人にはなっていない。
野蛮人としか言いようのない、知性も品性もない人間が「知識人」の扱いで「言論誌」に論理のかけらもない文章を載せている。
しかもその内容が、レイプ被害者を侮蔑・嘲笑する「セカンドレイプ」以外の何物でもない代物なのだ。
こんなものが平気で流通しているということだけは、決して海外には知られたくない。
「月刊Hanada(10月号)」に、自称文芸評論家・小川榮太郎の『性被害者を侮辱した「伊藤詩織」の正体』と題する文章が載っている。
詩織さんは性犯罪被害者のまさに当人なのに、その人をつかまえて「性被害者を侮辱した」とは、一体どういうつもりだろうか?
まあ小川の目的が、詩織さんをレイプした容疑で逮捕状が出ていながら、逮捕を免れたジャーナリスト(元ジャーナリストか?)Yの擁護にあることは、読まなくてもわかる。小川もYも、共に安倍政権の提灯持ちである。同じ提灯を持つ者同士、お仲間意識も連帯感も相当に強かろう。
文章は冒頭、熱海のホテルにおけるYの様子の描写から始まる。
詩織さんがYを訴えた民事訴訟の裁判が行われた日、小川がYを熱海に誘ったそうで、小川は「人生を賭けた裁判の疲労は並々ならなかっただろう」とYをいたわっている。
そして小川は、Yの父親が事件のショックから体調を崩し、昨年亡くなったことに触れ、「私も先年、父を亡くした。レイプ犯の汚名を着た息子が孤立するなかで、病重くなり続けた氏の父上のことを思う都度、私は何度いたたまれぬ思いにかられたことだろう」と、深い同情の気持ちを表明している。
案の定、完全にYの味方をするつもりで書いている文章である。
ところが信じられないことに、小川はこれだけYに肩入れしたすぐ後に、ヌケヌケと「が、この件に情実は、絶対あってはならない」と言ってのける。
そしてさらに、「私は山口氏を『信じる』という選択は、この件では全くするつもりはなかったし、してはならないと思っている」「私は、山口氏を信じるのではなく、証拠資料、証言を通じて、より真実に近い当日の出来事を知りたいと思った」と強調して、中立・客観的な立場でこの件を論評するかのような態度を装うのだ!
一体、どのツラ下げて?
あれだけ、Yと個人的に親しいことを自ら明かし、Yの無実を願って死んだであろう父親に同情し、Yが父を死に追いやるような親不孝をしたのではないかとは露ほども疑っていない心情を吐露している人物が、今さらこの件を中立の視点で検証するなどと言ったところで、どこの誰が信用するか?
この客観性皆無の頭の悪さには本当に驚く。フリチンで街中を闊歩しながら、「私は露出狂ではない!」と叫んでいるようなものである。
Yはホテルの自室に詩織さんを連れ込み、性交したことは認めている。
そこで争点は、その性交がレイプだったのかどうかに絞られる。
レイプか否かを決定づける最大の要件は、「合意の有無」である。
合意なく行われた性交はレイプ。それに尽きる。
ライジングVol.307(
https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar1743157)や『ゴーマニズム宣言』第50章「レイプ裁判の判決がおかしい!」(「SPA!7月2日号」)で詳述したように、現在の日本の裁判では「抗拒不能」(抵抗・拒否できない)という要件が過剰に考慮され、理不尽な判決が連続しているが、あくまでも第一に考えなければならないのは、というより、唯一考慮すべきなのは、「合意の有無」であると言っていい。この認識は、今日の世界的な潮流として定着しつつある。
ところが小川は信じられないことに、最重要の要件である「合意の有無」を「密室のことで、判定のしようはない」とあっさり放り出し、完全に論点から切り捨ててしまうのだ!
これでは話にならない。小川は法的・社会的にレイプがどう定義づけられているのか、特に最近はどう考えられているかを一切調べようともせず、完全な無知のまま、「合意の有無など言っても意味がない」と決めつけているのだ。
小川は「新潮45」の廃刊号となった昨年10月号に載せた、杉田水脈の「LGBTは生産性がない」発言を擁護する文章でも「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」と開き直り、LGBTを「全くの性的嗜好」と完全に間違ったことを平然と書き、LGBTよりも「痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう」とまで暴言を吐き散らした。
議論の前提として必要最低限の知識すら知ろうともせず、完全無知のまま、自分の思い込みだけで平気で誤りを書きまくることを常とする小川榮太郎には、根本的に物書きの資格などないのだ。
小川は、Yが詩織さんをレイプしたとされる2015年4月3日の詩織さんの行動について、いちいち批判を加えていく。
その日、詩織さんは靖国神社の奉納相撲の取材をした後、砂埃を浴びた服を着替えるため自宅に寄り、待ち合わせ場所の居酒屋に時間に遅れて着いているが、それに小川はこんな難癖をつけるのだ。
コメント
コメントを書く大阪生放送をタイムシフト視聴で見ました。最高に面白く大変勉強にもなる内容でした。
YouTube動画も1週間で再生回数1万回突破これからさらに伸びていくと思います。
YouTube小林よしのりチャンネルは今後1年以内に再生回数10万回突破動画も
何本か出てくるくらい盛り上がってきそうなのに相変わらず動画本数少なく
チャンネル登録者数が低調なのがもったいないです。成功のチャンスを自ら放棄
してる運営のやり方とか一体どうしてこんな状況になっているのでしょか。
小林倉持コンビの番組をYouTubeゴー宣道場チャンネルの方に上げるのとか
まったく意味不明です。小林さん人気を盛り上げるには
YouTube小林よしのりチャンネル動画本数増やしてチャンネル登録者数
増やして行くことが一番大事ということは誰でも分かると思うですが。
スタッフさんの中に成功を望まない人間がいるということなのでしょうか。
そうだとするとすべての辻褄が合うような気がします。
よしりん先生のブログ「0.1ミリでも前進する覚悟」を読んで、実は私も最初は違和感を覚えました。
でも、あらためて考えてみると、よしりん先生のスタンスは当初より何も変わっていないのだ、と納得することができました。
安倍加憲案に関して、よしりん先生は以前に「国民投票となると反対票は投じられない。自衛隊の存在を否決することは出来ない。過半数の国民も賛成票を投じることになる」とブログで書かれていました。
加憲案が国会で発議されると数の力で国民投票にまで押し切られる可能性が高いので、何とかそれを阻止するべく始めたのが『ゴー宣道場』の憲法シリーズだったはずです。
この時点ではまだ枝野幸男氏の力を信用していたし、結党当初の立憲民主党に期待をかけてもいました。しかし、その当てが外れてしまった。
山本太郎氏も共産党と組んでしまったため、野党が「立憲的改憲」を提議する可能性が極めて低くなってしまった。
だったらあらためて『ゴー宣道場』を通じて、国民的議論を喚起するしかありません。
「安倍政権の下でも、議論を通じて立憲主義を根本にした、良き改憲はできるのだ!」という一文は、その決意表明でしょう。
では、安倍加憲案に賛成票を投じることが「0.1ミリの前進」に繋がるのでしょうか?
もちろん「次善の策」とも言えないお粗末な改憲案ですが、それでもそれを推すのは何故なのか。
安倍加憲案が否決されることが、「護憲派の勝利」に繋がるからです。
「護憲派の勝利」こそが、最も避けなくてはならない最悪の結末であるからです。
安倍加憲案可決は、その後の議論の持って行き方によっては、10年後や20年後には「立憲的改憲」が可能になる余地は見出せます。
しかし、「護憲派の勝利」が実現すると、恐らく50年や100年単位で改憲が不可能になってしまうでしょう。
野党の体たらくに、その懸念を見出すことはさほど難しいことではありません。
そもそもからして、「立憲的改憲」の実現には、相当な困難が伴うのだろうということは、山尾志桜里氏の対談本『立憲的改憲』を読んでも理解出来ます。
「理想」とする理論的な下地や問題意識があっても、では現実的にそれをどのように実現することが可能なのか、という点に関しては、一筋縄ではいかない議論が必要でしょう。
私が思い当たったのは、天皇陛下の「生前退位」の実現です。
「理想」はあくまで皇室典範改正でしたが、結果的には退位特例法で落ち着きました。
ただし、将来への布石として、付帯決議をねじ込むことに成功しました。
その文言の作成において、大変な時間が費やされたのは『ゴー宣道場』で馬淵澄夫氏が述べられた通りです。
つまり、議論を重視する「回復の民権」には相応の時間がかかる、という大前提が存在した上で、「護憲派の勝利」を避けるためにも少なくとも今の野党は全く当てに出来ないという状況が加わったため、ならば安倍加憲案が国民投票にかけられれば、布石としてやむなく賛成票を投じるしかない、ということではないでしょうか。
やはりよしりん先生のスタンスは変わっていません。
ただ、議論を停滞させてしまった野党の力不足は予想以上のものであったということ、そしてこの国に巣くう護憲派の勢いは侮れないのだということが、新たな認識として加わったということなのだと思います。
ブログを読んで思ったのは、先生は改憲発議が近々あると読んで次の戦いに移行した、と言うことではないでしょうか。
国民投票は究極の二択。つまり、改憲を支持するか、護憲を支持するか。
そして、どちらが勝ったらより早く次の改憲発議が出来るのか?
九条信者が勝ち誇る世界か?改憲アレルギーが薄まった世界か?
先生は最低最悪の改憲でも、こちらの方が次がある、と考えたのではないでしょうか?
元々先生は、(アベ加憲が)発議されたら終わり、立憲的改憲の道を示して発議を止めなければ、と言っていました。そして、実際にそうなったら賛成せざるおえない、と。
先生は変節などしていない。
我々も、この究極の二択に、腹を据えて向き合わなければならないと思います。
伊藤詩織さんレイプ疑惑裁判を詳細に取材されている
木蓮さんに裁判経過の動画をぜひ上げてもらいたいです。
山口氏擁護動画ばかりの状況で伊藤詩織さんが気の毒です。
九州hp ものけもの更新です!
【エッセイ】養蜂日記その1「今日も働く、そして食べられる」
https://kyushugosendojo.jimdo.com/%E3%81%8A%E5%95%8F%E3%81%84%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A4-%E9%A4%8A%E8%9C%82%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%81%9D%E3%81%AE1-%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%82%82%E5%83%8D%E3%81%8F-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B/
今回はエッセイ、養蜂家でもあるゾウムシ村長のミツバチ観察記。
ミツバチは意外と人間くさいです。
小川榮太郎の伊藤詩織さんに向けた文章は
よくもこれだけ人を貶めることができるもの
だと呆れてしまいました。
しかも、自分を情は厚いが物事を客観的に
判断する目を持っていると自己評価みたいな
ことを書いてるので、自分が誹謗中傷を
書いているとを自覚しているように受け取れます。
こんな文章を掲載することを許可した花田の
判断にも呆れます。
こんなことしてる人たちが慰安婦問題を批判しても
周りに信じてもらえるとは思えません。
トンデモ見聞録に登場した母上の行動力は
凄いと思いました。
次回でお邪魔したお宅で何があったのか
ドキドキです。
小川のセカンドレイプは本当に酷いですね。
反吐が出ますが、一方でやっぱり山口がバカだから仲間もバカばっかりなんだなと納得ですし、どんどんバカを晒せばいいとも思います。
「フリチンで街中を闊歩しながら、「私は露出狂ではない!」と叫んでいるようなものである。」で爆笑しました
(* ̄∇ ̄*)
木蘭さんのおばあさま「これからは自由恋愛と車社会の時代」と言って今では当たり前にあるあのタイプのラブホ作っちゃうってスゴいですね!
おかあさまの話しもめっちゃ面白いです。
続きが楽しみ~~((o(^∇^)o))
あっ、続き今日だ~~嬉しい~~
ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
ゴーマニズム宣言第340回「セカンドレイプ魔小川榮太郎」について。
小川氏が何を言ってるのか、さっぱりわかりません。
性犯罪被害者を侮辱しているのはY氏であり、Y氏を擁護する小川氏です。
Y氏の肩を持つのは、そうすれば安倍政権に目をかけてもらえるからでしょうか。だとしたら安倍政権の終わりと同時に小川氏はY氏を見棄てるでしょう。利害で繋がったお仲間意識は、それがなくなったと同時に消え失せるのです。
下着のデザインがレイプの原因だと本気で思ってるなら、小川氏がメーカーに「レイプの原因を作った」抗議すればいいでしょう。まともに取り合ってもらえないでしょうけど。
Y氏を擁護するために無茶苦茶でしかないことを言ってるだけ。信じていれば現実が自分の望んだとおりになるとでも思っているのでしょう。
読んでるだけで虫唾が走るセカンドレイプ記事が掲載されている雑誌が売られているのは、需要があるからです。そのことに怒りしかありません。
>>101
皇族のご結婚というのは、ごく最近までご自身で決められることではありませんでした。男系で過去に未婚だった女帝が未婚のままだったのは、当時の事情があったのです。
推古・皇極・斉明・持統・元明天皇は天皇または皇太子の未亡人で既婚者でした。
元正天皇の場合、当時であれば結婚する場合相手は皇族になります。元正天皇が結婚すれば、その当時即位が予定されていた聖武天皇から配偶者の皇族に皇位が移る可能性があったこと、または元正天皇が聖武天皇の母親代わりをしていたことから結婚しなかったとされています。
称徳天皇が結婚されなかったのは、母親の光明皇后にまだ男児出産の可能性があったこと、元正天皇のときと同様に結婚すれば配偶者の皇族に皇位が移る可能性があったためとされています。
現在男系固執派が男系継承維持のために「悠仁さまにたくさん男児が生まれるのを待つしかない」と言い張っているのと同じようなものです。
明正天皇・後桜町天皇の頃はお二人だけでなく女性皇族の多くが未婚のまま生涯を終えられました。
女帝だったから未婚だったというより、皇女だから未婚だったのではとされています。
よしりん先生の「女性天皇の時代」、高森先生の「歴史で読み解く女性天皇」より。
ゴー宣「セカンドレイプ魔・小川榮太郎」を読みました。武士の時代から始まった男尊女卑の因習を敵と戦わないで済む哺乳瓶の中でトコトン男の自分に都合良くねじ曲げまくって解釈しても通用すると思っている連中が、今の日本には、まだウジャウジャ居るのでしょうね。まさに、野蛮人ですね。武士の生き様を学んで、少しは見習ったらどうかと思います。
中立を装いながら登場して偏りまくった言質をこれでもかと垂れ流しまくり平気で居られる小川榮太郎、そこを突かれると平然と怒り出す小川榮太郎。恥ずかしくないのか?!と思います。醜過ぎます。
同類で集まってヒソヒソキャッキャッとあることないこと語りあってみっともなく盛り上がっているのでしょう。公私の判断も付かなくなってるから、それをどうどうと書いてしまっても違和感も持たないのでしょう。
下劣で醜悪な最低の日本の恥部ですね。
トンデモ見聞録「人にはいろんな生きざまがあるという話」を読みました。めちゃくちゃ面白かったです♪♪♪ つ、続きが気になる…あっ! もう読めるんだ!
ありがたや、ありがたや♪
夜中に読ませて頂きます♪