第329号 2019.9.17発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…クリーンで、潔癖で、「悪」や「闇」や「裏」のあるものを忌避するのが正義、それが「正しい人間」とでも言わんばかりの風潮が強まっているのではないだろうか?前回に引き続き、母・京子の若かりし日の物語から、人は教科書通りに生きるわけではない、いろんな生き様があるのだということを考えてみたい。
※「ゴーマニズム宣言」…喫煙、シートベルト着用、労働組合活動、女性の人権、貧困…現代のドラマや映画等を見ていると時代考証的に明らかに嘘がある描写が多い。いくら創作とはいえ、現在の感覚を、それが存在しない過去にまで適用させて描写してしまうことには、疑問を感じざるを得ない。なぜこのようなことになっているのか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!表現の自由死守のために不自由展の再開は必要?左翼の絶対善の対象は今後どこに向かう?竹島を取り戻すには何が必要?自衛隊員でもない人間が旭日旗を掲げるのはどうなの?人はどうして執着してしまうの?ヘイトスピーチを減らす方法は?ジャンヌダルクや神風連の乱…先生は神託って信じる?今でも日本車は嫌い?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. 泉美木蘭の「トンデモ見聞録」・第140回「人にはいろんな生きざまがあるという話2」
2. ゴーマニズム宣言・第341回「今の価値観を過去に適用する愚」
3. しゃべらせてクリ!・第286回「原始人チャマ・サピエンス危機一髪!の巻〈後編〉」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第140回「人にはいろんな生きざまがあるという話2」 リンカーンコンチネンタル・リムジンのお迎えで、筒袖に段袋といういでたちの男たちが「押忍押忍押忍」と整列する屋敷に案内された私の母・京子、18歳。壁に日本刀がずらりと掛けられた「100人殴り込んで来ても、ダイジョーブ!」といった様子の玄関をくぐり抜け、鉄火場を横目に、極道家族の住まいへと手を引かれてゆく。
ベッドつきの洋間をあてがわれた京子は、銀の食器がずらりと並ぶダイニングで豪勢な食事を楽しんだあと、その晩、子供たちを引き連れて、海辺で開催される花火大会へと案内された。
花火大会は、このヤクザが毎年催しているもので、地域住民たちの大きな夏のお楽しみだった。
特に花火がよく見える港の周辺にはテキヤがずらりと並んで、集まった住民たちをにぎやかし高揚させている。たこ焼きや焼きそばを焼いたり、小さな子供にりんご飴を手渡して頭をなでてやったりしているのは、組が世話をしている若い衆だったり、昔から友好関係を築いてその花火大会を縄張りとしているテキヤの集団だったり、縄張りの外から商売をしにやってくる馴染みの露天商だったりするらしい。
京子がたこ焼きの香りに惹かれていると、極妻は、従えていたカンカン帽の荷物持ちに「たこ焼き、買うてきてくれる? 〇〇はんの焼いてるやつね。それと子供らに、わたあめ」と命じた。
「京子ちゃん、たこ焼きはね、上手に焼く職人さんと、そうでない人がおるんよ。いま、一番おいしく焼いてくれる人から買うてくるからね」
お祭りの露天でたこ焼きを買っても、どうも焼き過ぎてボールのようになっていたり、とろみがあるのかと思ったら生焼けだったり、あまり「おいしい!」と思えた記憶がなかったが、当たり前だが、技術に差があるのだ。
極妻によれば、特にわたあめは、相当長年の経験を経て「職人芸」と呼べるレベルの技を持った人でなければ、美味しく、見栄えよく、ふわふわ、かつ満足のゆく密度に仕上げることができないものらしい。入りたての若者が2年や3年練習した程度では、とてもじゃないがモノにはならず、テキヤ集団の親分級の人が、露店の花形として良い場所を陣取るという。
そうこうするうちにカンカン帽がお遣いから戻る。
子供たちは大喜びで職人芸のわたあめにかぶりつき、そして京子が口にしたたこ焼きは、ふわふわとろとろの美味だった。それ以降、母は、露店で食べ物を買うときは、テキヤの熟練具合をよくよく観察してから選ぶようになったらしい。
花火大会は大盛況、露店も大繁盛だった。
ヤクザや、後ろ暗い過去を背負っている人たちは、日頃は一般社会の人々からは「付き合いたくない」と思われがちで、なんとなく避けられている存在だ。しかし、「ハレ」の場面においては、その感覚も一時的に解かれて、「お祭り会場を一緒に盛り上げるために必要な一員」としてふわっと受け入れられているところがあったと思う。
見るからにヤクザと思われる人物が商売しているわけではなくとも、この会場のテキヤを仕切っているのはヤクザで、売り上げの一部は上納されており、自分が露店で買い物をすることが、ヤクザに金を流すことにつながっていると多くの大人がわかっていた。けれども、「まあ、今日はお祭りなんだし、それがヤクザさんの食い扶持なんだから」と、ひとまず置いておく感覚があったわけだ。
一般社会には馴染まない、どこか異質な空気感をまとった人々が演出する非日常の舞台こそが、人々に「ハレ」を体感させ、わくわくさせているところもあると思う。
一方、現在は、ヤクザのイメージがあまりに悪すぎるのもあって、「反社会勢力、許さない!」「反社会勢力とつきあいのある人間も、許さない!」という徹底排除の感覚のほうが圧倒的に強くなっている。夏祭りの露店からは、ヤクザや、ヤクザとつながりの濃いテキヤは締め出され、「クリーンな商売人」だけが露店を出すべきで、ヤクザには1円たりとも金を流してはならないという圧力が高まっている。
ちなみに、最近の露店は、やたらと国際化している。
コメント
コメントを書く配信お疲れ様です。台風ばかりで疲れますね。
現在の価値観を至上として過去を裁くという人は、同様に未来の価値観に裁かれることでしょう。とすると、より進んだ未来から裁かれるような今の自分たちに、なんの価値があるのか、となる。常識人はそのあたりを直感的に悟っているから、その時はそのようにしかならなかったんだ、と暗黙の内に諒解する。現代人が、しばしば過去を否定することで、みずからの生の足元を掘り崩しつつも優越感に浸るのは、倒錯的であるとしか言いようがありません。人類の進歩というのが、無限に他人に後ろ指を指し続ける、また自分も指され続けることでしかないというのなら、そんなのまっぴらごめんだと思います。第一、そこには救いがない。親が子に、またその子も自らの子に糾弾され続けるような社会に、未来なんてものはありません。
人間は不完全なままに生まれ、不完全なままに死にます。そこに例外はありません。そして、そんな人間たちが作る社会も永遠に不完全なままです。無論、段階的改善は必要ですが、所詮は人間のやることなので限度がある。改善はしばしば改悪となり、革新は新たな特権や格差を生む。その繰り返しです。無論、徐々に社会を良くしていくことは重要です。しかし、現代人が、過去からみた未来人たる自己の特権に酔い、過去の過ちを不寛容に糾弾するとき、また新たな過ちを犯しつつあるとは言えないでしょうか。
ライジング配信ありがとうございますvv
木蘭さんの「トンデモ見聞録」、第139回「人にはいろんな生きざまがあるという話2」について。
極妻さんはすごく筋の通った人だなと感じました。ヤクザの世界の後ろ暗い部分を、闇を分かっているがゆえの、潔さ。
世間知らずの清廉潔白な正義の味方面してる方々より。はるかに好感が持てます。
実際のところ、悪人を相手にするほうが気が楽だしやすいと言えます。悪人は「自分は決して正しくない」と分かっているのですから。
善人は「自分は完全に正しい」と信じ、疑うことなどありません。善意を盾に、相手に反論を許さない。善意がときに悪意よりも恐ろしい凶器となる所以です。
今の日本社会がクリーンさを執拗に求めている様は、小野不由美さんの十二国記シリーズに出てくる峯王・仲韃と似ていると感じました。仲韃は「その者が自分に見せる態度、聞かせる言葉が正義に適っていれば、それでその者は潔白だと思い込んでしまうところがおありだった。自身が表が潔白ならば裏もそうに違いない、と思い込んでしまわれるような人の好いところがおありだった」と家臣に評されていました。
それゆえに仲韃は一分の汚れもない国を作ろうとして、些細な汚れすらも許せなくなり、親の看病のために収穫前の畑を離れただけで死刑、髪飾りをつけて出かけただけで死刑にされ、60万人もの民が殺されるにまでなっていまいました。
小さな過ちすらも許せない完全に穢れのないクリーンな世界を追い求めた結果の大虐殺。
正義は悪よりはるかに暴走しやすく、ブレーキがほぼ効かない。性質の悪い存在です。
少しお邪魔します。
>>97
まず最初に、言はずもがなのことを記しますが、「大躍進」・「文化大革命」・「ポルポト派」なども同根なのでしょう。
『銀河鉄道999』にも、「二重惑星のラーラ」という同じような趣旨の話があったように記憶しています。
加えて、『戦争論2』に描かれている、向井千恵子さんの元夫という人は、自分が「正義」の立場であると思い込み、「戦犯の娘」という「巨悪」の象徴である妻を「断罪」したつもりになった、と解釈することもできるのかな、と思いました。
こういう人たちは、「無自覚」に自分が「善人」であると思いこんでいて、自身に「誤謬」があるとは気づいていない。だから、他者を裁く権利があると「無意識」に思いこんでいる。だからこそ、「デビルマン」の牧村家の家族を虐殺する大衆のように恐ろしい。
ナチスの党員が個々人としては普通の人で、ヒトラーの命令のもとでユダヤ人虐殺など残虐性を向きだしにする行動の源は、こんなところにあるのか、とも感じました。ナポレオン軍のスペインでの行為(「マドリード、1808年5月3日」)などについても。
「十二国記」はアニメになったので、興味を持って文庫本を揃え、夢中になってよみました。このライジング投稿欄のどこかにも、(昔、別のハンドルネームを使っていた時に)安倍夫妻によんで欲しい本としておすすめしたいというような趣旨のことを投稿しました。
峯王仲韃の話は、「風の万里 黎明の空」ですね。私の好きなエピソードです。
そういう投稿をしている自分も、どこかで自分のしていることが善意にもとづいてやっていることだという勘違いや傲慢さがあるのかもしれないです(とりわけ、昔の投稿にはそれがあったように感じます)。「正義」を振りかざしている、あるいは「正義」など常識で論外だという前に、自己の行為を見つめ直してみる謙虚さが必要なのではないか、ということを、肝に銘じなければならないのでしょう。
今号のコメント欄でも、少し出しゃばりすぎました。内省します。
ゴー宣「今の価値観を過去に適用する愚」を読みました。想像力が無くなっている人が多いとは、日々、思う事が多いです。さっきも、仕事の現場で、そんな話をしていました。想像出来ないのか、想像する事が嫌なのか、どちらも有りそうですね。
『なつぞら』でのタバコの件は、全く気付きませんでした。確かに、あの時代の大人の男達は、パカスカ吸っていましたね。吸っていない人が珍しかったんですよね。
そういえば、宮崎駿はヘビースモーカーですね。
『ちゅらさん』のシートベルトも全く気付かなかったなあ…。見方が浅いですね。
時浦さんのブログを読んで、『ワンピース』のサンジの描写が貴重だと知り、驚きました。今、タバコを吸うシーンを描けなくなっているんですね…。
サンジは料理人なのにタバコを吸うのはどうなんだろうと、ずっと思ってきたんですが、複雑な心境になります。見る人に影響があるのなら、やはり描かない方がいい気もしますが。
映画やドラマで、タバコをかっこ良く吸ったり、ビールや日本酒を美味そうに飲むシーンを見ると、自分もやりたいなあと思う事は有ります。でも実際、最後は自分の意志ですよね。
ゴーマンの最後の言葉、プロフェッショナルならではの言葉には、シビレました。
トンデモ見聞録
最後切なくてジーンρ(・・、)ときました。
極妻さん、京子ちゃんと仲良くお付き合いしながらも、若頭さんとくっつかないようにとかあちらの世界に引き込まないよう気を付けていたんですね。
いつか別れがくることも覚悟していたんでしょうね。
((T_T))
木蘭さんがお勤めされていたお店のなぎら健壱似のオーナーさんも、女の子達を守り、店の外でばったり会っても知らないふりをしてくれる気遣いがあって…
((T_T))
たまらんです
ゴー宣「今の価値観を過去に適用する愚」読みました。
『なつぞら』にタバコのシーンが無いことに気がつきませんでした(^_^;)
明らかに不自然なはずなのに。
『いだてん』観てますがタバコ吸ってますね~
『あまちゃん』のシートベルト、これも多分気が付かなかったです。
私が免許取ったころは運転手もシートベルトしてませんでしたね~ガソリン90円台でした。懐かしい。
以前『オモクリ監督』という毎週ひとつのテーマに沿って主に芸人がVTRを撮って発表する番組があって、『クレーム』というテーマの時の千原ジュニアの作品が面白かったです。
ドラマの設定で、若いお父さんが横断歩道の反対側で自分の娘が轢き逃げされてしまうのですが、赤信号ですが車がきていないのに、青になるまで待ってから娘の元へ行ったり、娘を車に乗せて病院へ向かうときに娘にもしっかりシートベルトをしたり、運転前に車の点検をしっかりやったり(笑)
制限速度キッチリで走ったりするという…最後は、それでもクレームの電話を入れる千原ジュニア演じるおばちゃんのシーンで終わりました。
なかなか考えさせられる作品でした。
トンデモ見聞録に登場する、木蘭さんの御母堂とお付き合いしてた極道の奥様は
気持ちの良い、潔い人だなと感じました。自分がどの世界で暮らしているかを
常日頃から自覚していたからこそ、分を弁えた態度で接していたんだろうなと
思います。
今は人権の拡大が声高に叫ばれ、ネットで気軽に意見がいえるせいか、
線引きができてないように伺えます。それは結局、人付き合いの上で
自分の醜い姿を相手に晒してしまいかねない事態になるように思います。
自分は人付き合いが苦手ですが、できるだけ分を弁えていきたいと思います。
今の価値観を過去にさかのぼって適用することはできないことは
戦争論を読んで学びましたが、今回のゴー宣を読んで改めて普遍的な
ことだと思いました。
大衆娯楽作品に昔の価値観を入れるのも、その通りだと思います。
自分もヤクザなど、実際に付き合った経験はありませんが、漫画やTVで
その存在は知りました。
昔の価値観を知っておかないと、それこそ慰安婦問題のように歴史の縦軸の分断が
また起きると思います。
NGT48事件の本当の敵は、新潟商工会議所の佐野氏、加藤氏、本間氏、小熊氏だ!
こいつらは、娘を使って利権を守ろうとしている。
娘も娘なら、親は最悪だ!
一億五千万円の税金を返せ!
そして、NGT48は解散しろ!
関西ゴー宣道場設営隊ホームページ管理人のカレーせんべいです。
ホームページの【掲示板道場】に、
『スクラップブック オブ よしりん情報収集室』を開設しました♪
https://kansai-gosen-dojo.jimdofree.com/掲示板道場/スクラップよしりん室/
「小林よしのりに関するネット記事の情報」があれば、どうか教えてください☆
「ネット記事のスクラップ(切り抜き)」として一覧表にしていきます♪
※BLOGOS・J-CASTニュース・ガジェット通信など、ブログを転用しただけの記事は対象外とします。
皆様からの情報提供をお待ちしています\(^o^)/
私も、国連で独演していた少女に異様さを感じていました。なので小泉進次郎の「セクシーに」があまりにも少女と真反対の素っ頓狂ぶりで笑ってしまいました。