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「親米保守を呪縛しているオカルト信仰」小林よしのりライジング Vol.107
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第107号 2014.11.4発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第105回「岡崎久彦氏の問題点は、今も親米保守を呪縛している」
土井たかこを批判したら、何人かの人から「死者の悪口を言うな」とのリプライをもらった。他人に人格を説く人たちに聞きたい。政治家は死ねば批判から免れるというのか。もう一つ言いたい。他人に品格を要求するくらいなら、あなたたちも私も批判するな。
岡崎の訃報を伝えた10月28日の産経新聞には『知性と気迫備えた侍』と題する評伝が載ったが、これがものすごく奇妙なものだった。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
配信ありがとうございます。仕事終わりで読みます。
1か? na85
残念。たぶん二番だ。よし!読ませて頂きます!
6番かな?
お早い配信ですね。
わたしのプロフィールがなぜかここ最近朝青龍と同い年になってますが、もしかしてコピーペーストをそのまましているとかと勘繰ってしまいますが…。
面倒なことをしていると自分では分かっていますが、壇蜜と同い年辺りから少し遊び心を入れようと思った訳でして。
またまた3番バラバンバンバン
三番サンバ♪♪
3番だった!
しかし、自称保守派なんてのは所詮産経新聞程度の知恵しか持ち合わせていないから、こういったオカルトに走るのは必然かも知れないですよね。
男系原理主義、親米保守、オカルトが同居するとは目も眩むような恐ろしさですが、やはり知性の欠如が招くものには根底で通じるものがありますね。
共通するのは『見たいものしか見ない』という姿勢でしょうか。
これではアメリカや中国の現実主義に対抗していけるはずもない。
3番への道は遠かった(泣)
こんなことなら、昼飯大盛りにしなければよかったよ……(笑)
9番ですね。
あと、コメント載せてくれて
どうもありガチョウ〜!
配信お疲れ様です。
まず百田の件ですけど、ここまで来ると「自称ホシュ」すら通り越して「ホシュバカ」とでも言った方がいいかもしれないですね。百田は放送作家時代「探偵!ナイトスクープ」で「全国アホバカ分布図」という企画を世に送り出して確かに面白かったのですが、それを追求し過ぎて自分が「バカ」になってしまったということでしょうか。それにしても百田が構成をしていた頃にナイトスクープの司会者だった上岡龍太郎は典型的な護憲論者で、PKOの派遣が決まった頃に大阪の番組で容認論者だった浜村淳とケンカになりかけたこともあったようですが(映像も見たことあります)なんでそういう番組から百田みたいなのが出ちゃったんですかね。
岡崎久彦の件ですが、スプーンにしろ割り箸にしろ「オウムと何がどう違うの?」って感想しかないですね(笑)
日本酒のことも「安酒を大吟醸に化けさせた」って堂々と書いてる新聞がなんで朝日を袋叩きにしてるの?って感想です。そういえば高森さんが先週ぐらいに書かれていた「宝島」の今月号を連休中に読みました。そりゃ朝日も大概ですけど、読売といい産経といい毎日といい「アンタらが朝日叩きしたらアカンわ」って思いました。まだそんなに日が経ってない読売の「iPS細胞」とかかつての産経の「江沢民死去」なんか朝日の慰安婦や吉田調書以上の初歩的ミスだと思いましたが。
飲食店なんかじゃトイレに行くこと「レコーディング」って言う隠語もあるそうでしゅ。
知らなかったー
早い時間の配信、最高です!昼休み、お弁当を食べながら読みましたが、今週の「しゃべらせてクリ!」はひとまずスキップしました。弁当を食べながらこれを読む根性がなくてすみません。家に帰ったらゆっくり読ませていただきます。
雑誌か何かで読んだことがありますが、ものによるとは思いますが、車に載せるチャイルドシートというのは、それに座っている子供にとって、非常に快適なシートのようです。みなぼん編集長、よしりん先生専用のチャイルドシートの開発が必要かもしれませんね(笑)
オカルト宴会芸に対する先生の指摘ってまさしく「オカンのツッコミ」ですね。
「なあなあ岡崎さんてすごいねんで。気功の力で、安酒を吟醸酒に変えられるねんで」
「アホかあんたは。そんなことできるんやったら今ごろ酒屋さんやって大儲けしとるわ!」
「でも実際味が変わったんやって」
「酔ってるから味なんかわからんだけや!酒なんか思い込みで味変わるわ」
「あと、力入れずにスプーン曲げるし、蕎麦で割り箸割れるんやで。すごいやろ」
「そんなもん昔からあるただの宴会芸や!だいたいそんなことできて何の役に立つねん」
「この力を解析すればやがて核融合がどうとか・・・」
「わけのわからんこと言うてる暇があったら買い物でも行ってこんかいな!お母さん忙しいねん」
先生は何かと「父性」で例えられることが多いですが、実際はこの世の中にツッコミを入れ続ける「社会のオカン」だったんですね。
でも主婦もヘイト運動にハマってるという昨今、オカンのツッコミという文化は失われつつあるのかも・・・
木蘭さん、「ひどく落ち込んで、引き籠っていた」わりに、練習着が本気過ぎて、笑った。
写真を4倍の大きさに拡大してみたら、表情は写っていないけれど、必死さが伝わってきて、さらに笑った。
配信ありがとうございます。岡崎さんが気功にハマっていたことは知っていましたが、こんなクソ真面目にオカルト信奉していたとは知りませんでした。
オカルトにハマる人って現代の科学について批判的な人も多いなあと感じます。もちろん、科学の発展の為にはいろいろな説があって良いのですが、科学に対抗するにはオカルトだ!では話になりません。
アースハートに関して、ハマッていた人は職場にいましたが、気を入れれば、味は変わるとか野菜は大きくなるとか本気で言っていて気持ちは悪かったです。
科学に立証されないオカルトは懲り懲りだと実感しました。
安酒が大吟醸に変わると言われると、妄言吐いてる人に対しては憐れみを、それを紹介している人には怒りを覚えます。
味が変わるってのはよしりん先生がおっしゃる通り、温度が変わったり酸素と交わることでも変わるわけで、主観に過ぎません。
気ってプラシーボ効果の事でしょうから趣味やプライベートならともかく公の場でやるのはキ○ガイですな。
宗教の所為にはしないけど、日本におけるキリスト教の人口ってそんなに多くはないはずですよね。
けれど我が国の保守派のキリシタン率はそんなに少なくはないなと思ってしまいました。
みなぼんさん、ご返事有難うございます。
歴史教科書から天皇や皇室の影響を殺ごうとする箇所はいくつかありますよね。
これはよく議論されてますが、例えば源頼朝が幕府を開いた時の年代が建久3年(1192年)から文治元年(1185年)になるケースがそうですよね。
厳密に考察しようものなら年代は当てになりはしないのかも知れませんが、幕府は天皇が征夷大将軍として認めなければ初めて幕府として認められないのに、征夷大将軍じゃない肩書きで鎌倉幕府の開始って、余りにも歴史における天皇の位置付けがおざなりとなっていることが分かりますよね。
ただ単に、力が強ければ天皇の影響力なんてどうでも良いんだと言う、「ガクシャセンセイ」たちの幼児性が垣間見えます。
幸福の科学が学校作り捲くってますが結局文科省から認可されなければ「学校」として認められないのと同じじゃないですか。
影響力が強ければ幸福の科学の学校は学校なんですかと。
百田は「死者に鞭打つ」という言葉が肯定的な意味を持つと本当に思っているのでしょうか?都知事選の応援演説で他候補を「人間の屑」と罵りましたが、ご本人こそこの言葉にふさわしいですよね。
産経新聞はもはや新聞ではないですね・・・こんなオカルト妄言を書いている連中がどうして朝日を非難できるんでしょうか。産経に比べれば朝日の方が百万倍マシな報道機関ですよ・・・
よしりん先生、大人向けのベビーカー、「車椅子」なんてどうですか?
ドーモ、ヨシリン=サン、配信オツカレサマデス。
ゴー宣を全て読んだわけではないですけどやっぱりカルトはコワイ!
…はさておき。「天皇」についてあれこれ物思いに耽っている不届き者の俗物ですが、
血族の絆は強いけど血族以上の繋がりの薄い縄文の女尊男卑社会(本から得た妄想)に自らが指導者となり味方を増やして大きくなっていくシナの男尊女卑社会の奇跡的な融合が「天皇」という存在だと妄想しています(まぁ母性>父性なのは確かでしょう)。
でなきゃ列島民をシラし(父系要素)、万民分け隔てなく思いやる(母系要素)存在にはなりえないと思います。
先生は現実的に「天皇」という存在が形作られるとしたらどんな感じになると思いますか?もちろん天皇の起源が現状神話にしか見いだせないことは承知してます(だったはず)。
こんにちは、レディー・ガガです!って違うかっ!
ここ数回の「ザ・神様」の脱線ぶり、毎回面白いです。
泉美さんの「ガガダンス」のエピソードを読んだ後、僕の頭の中で高樹澪の歌「ダンスはうまく踊れない」が流れてきました。
スプーン曲げのくだりでビールを吹き出してしまいましたがな。
腹がねじ切れるぐれぇ笑っちまいましたでよ。
オカルティストってば、なまらけっちぃでや(とても可笑しいです)。
そんな笑い者にすべきオカルティストが政権のブレーンであった事実にゾッとします。
そして、その呪縛に未だに囚われている安倍内閣のヤバさに戦慄します。
親米自称保守の危ういことが書いてあるのに、オカルトが出てきた笑った。笑った。
しかし、「イスラム国」と戦うようになれば洒落になりませんね。
アメリカのことをいくら再考してみても、1回でも中東方面と後戻りできないので、早めに手を打たないと大変ですね。
わたしは今まで、岡崎久彦氏を、「胡散臭い保守」「遊就館の記述を変えさせたとんでもない人」だけ認識していましたが、今回のゴー宣で岡崎の「裏の顔」をはじめて知りました。そしてまだ四十九日も済んでいないひとに甚だ不謹慎で失礼と思いながら、彼のオカルト遍歴を知ってとても大笑いしました(笑)。
岡崎はどうやら進むべき道を間違っていたようですね。マジシャンになればウケたのに(笑)。
いっそゼン○ー北京さんに弟子入りして、自らの出身地をもじって「ゼンジー大連」という芸名で売り出せばよかったのにね(笑)爆笑大ウケで、違う形で人気が出たかも(笑)。
岡崎はタイやサウジアラビアの大使をつとめていたが、芸人として親善大使になっていたほうが「害はなかった」かもしれませんね。
しかし、「気功」とか、「割り箸割り」とか、「スプーン曲げ」とか、「安酒を大吟醸」とか、何ですかもう。挙句の果てに「スプーン曲げ」からいきなり「常温核融合」なんて、話飛躍しすぎ!宴会の余興じゃないんだから!
大使として赴任したタイやサウジアラビアでまさかこんなふざけた余興やってないか心配になってきました(案外、やっていたりして…)。
自分で保守を名乗る人が、胡散臭い宗教に入っていたり、入信とまではいかなくても関連本に名を連ねたり。そういうのをわたしは何度か見てきましたが、岡崎がまさかここまでするとは思ってもみませんでした。
しかも渡部昇一氏まで!嗚呼!
しかしこんなオカルトの人を大真面目に起用する安倍政権はふざけていますね。このごろの安倍は、自分と少しでも違うことを言われたり、ツッコまれたりすると、すぐキレやすくなることが多いが、安倍がオカルトな人間を囲っているのでしょうか?
ヤフコメは相も変わらず安倍礼賛。安倍は本当、「信じたい言葉しか耳に入れたくない」のでしょうね。
「安倍政権はカルト」がますます現実味を帯びてきそうです。
今日は勉強しながら、国会答弁のニュースを聞いていたら
安倍晋三が【事実であります。】
を口癖のように何度も繰り返すものだから、
そのフレーズだけ妙に耳にこびりつきました。
今週のゴー宣『親米保守を呪縛しているオカルト信仰』について。
当の本人たちは「騙す・騙される」の感覚すら無くて
【事実であります。】
と思い込んでいるのが、とてもタチ悪く感じました。
「スプーンに気が入れば曲がる。事実であります。」
「安酒が大吟醸に化ける。事実であります!」
「全世界の平和と秩序をアメリカが単独で維持するようになる。事実でありますぅ!」
「アングロサクソンについていけば日本は100年安泰。事実でありまぁすぅぅ!!」
オカルトに引っかかりやすい人が集結しているのが『保守派』で、
それに支えられているのが今の政権なのですから、
それこそ「アホみたいな国とアホみたいな政治家」だと
思わざるを得ませんでした。
Vol.107の配信、ありがとうございました。
「岡崎や産経新聞を厳しく批判している「反米保守」の誰かさんの存在が苦々しくてたまらなかったのだろう」←この「誰かさん」って小林先生ですよね、爆笑です!!
昇天した奴隷犬岡崎号はもう置いておくとしても、産経は、生業とプライドを捨てているとしか思えませんね。「諸君!」もこんなインチキ記事を平気で載せるから廃刊に至ったのでしょうか。自称保守共の自然科学に対するナメっぷりは、まぢでイカレてると大爆笑してしまいました。
それにしても、こんなオカルトにすら本人達は至って真面目というのが、いかにも日本人らしいといえばそうかもしれませんね。日本人の集団は、誰もが無理筋と分かっていても誰もが方向転換を言い出さずに破滅に至る、誰もがいつか大惨事を招くと分かっていても誰も止めない、といった話は割と身近です。しかも全員真面目。何だかほとんど同じ心性の気がします。オカルトか集団思考のいずれかに陥りやすいのでしょうかね。
『ザ・神様!』の、「かわいらしい48人の人魚たちに囲まれ」たなら、男としてはもう、時の過ぎゆくままに身を任せる以外にありません(笑)
「わかるわー」以降にある、笑える表現の数々がツボです。懸命に足を上げる木蘭先生のシュールな姿と「撮影者の心遣いで、股間にぼかし」の表現に大ウケでした(じつは拙者、誕生日がガガ様と同じ3月28日です)。
そういえば中学生の頃、動画サイトどころか、家にビデオすらも無かったのに、ムーンウォークやフラッシュダンスやブレイクダンスの真似ができていたのは何故だろう(@_@)?
Q&Aの回答にあった、
「鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし」
今号のゴー宣とリンクしているようです。ライジングは勉強になるなぁ。
高森先生の「道徳・不道徳・非道徳」に共鳴しまくり、「予備的な頭の体操」どころか頭のギアが5速に入り眠れそうにありません。
「ある程度の権力的統制」とは、端的には法律のことでしょう。法律は人々の生活や思想をこと細かに定める訳にはいかないので、それを補完する道徳が必要になります。高森先生の仰る通り、法律と道徳が補完関係になければ、社会はとても成立しそうにありません。
法律は「常識」に基づいて「非常識」な行いを規制するために定められる一方、道徳は良識や慣習などに基づいて産み出され、場合によっては標語や基準のような形で明文化されるのでしょう。おそらく、前者は固定的かつ他律的に強制されるのに対し、後者は柔軟かつ自律的に推進していくべきものでしょう。
自律的に推進される性質のものに「教育」というある種の強制力を作用させることは、一歩間違えばかなり危険な選択になるはずです。自分では物事を考えられなくなってしまうからです。
たとえば、広島の土石流災害で、役人達は何も考えずに済み、何の責任を負わずに済む「基準」という道徳にも似たルールに極めて忠実に行動し、却って被害を拡大させたフシがあります。
少し冷静に考えれば自明なのですが、被災した庶民は、役人達にルールの遵守を求めていたのではなく、役人達がルールを破ってでも自分達を守って欲しかったと期待していたはずです。当の役人達も、本当は市民を守りたかったと思っているはずです。道徳教育を誤れば、こういった人々の思いを無碍にする危険がります。
高森先生が最後に仰った「人間が不道徳に振る舞い得る可能性と、コインの裏表」とは、こういった不条理を包摂して仰っているのではないでしょうかね。つまり、道徳を守ることによる悪(不道徳)もある、道徳を犯してでも行うべき正義はある、それらを教育することは可能か? 可能ならどう教育するか? ということでしょうか。
配信お疲れ様です。
オカルト信仰の拡大という解釈は刺激的です。この言葉を目にして、私は呉智英氏の「オカルト馬鹿につける薬」と題された文章を思い出しました。
「信じる人間が別にもう一人出てきたら、すでにそれは妄想ではない。」
「二人以上で妄想の山を築きはじめたら病気じゃないのだ。」
これでは自称保守派は端から見れば病人だらけになってしまいます。
「SAPIO」最新号を買いました。始めの2ページが鮮烈です。永田洋子とくるとは……。
帰りが遅かったので、またじっくり読むつもりです。
配信ありがとうございます。
多分ですが、岡崎って人は統合失調症にかかったんじゃないですか?
在りもしない妄想に取り付かれる。
よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信、ありがとうございます。
まず、岡崎久彦氏のご冥福をお祈りいたします。
よしりん師範のバランス感覚はいつもながら素晴らしいと感心いたします。故岡崎氏への弔意から入り、故土井たか子氏への百田の罵倒を批判し、そこから岡崎氏との過去の論争を振り返り、産経が掲載した岡崎氏の生前の武勇伝(笑)と与太話を徹底批判し、その御仁がブレーンを勤めていた安倍政権をも一刀両断する、その論理構成は、これぞゴー宣という感じです。
岡崎氏の親米論はもう論評する気も起らないので酒場の与太話のほうについて。
テレビのバラエティーに登場するような外気功(人がおおげさに吹っ飛ぶなど画的には面白い)を、紹介された渡部昇一との『諸君』の対談では、体内で発生する電磁波のようなものだと言っていました。確かに生物の細胞は微量の電磁波を発生しているようですが、人間の身体の全細胞が直列に結ばれて電磁波を発生させたとしても、それで人が吹っ飛ぶほどのエネルギーになるのか?と問いたいですね。ましてや常温核融合のヒントにつながると本気で思うのか?と。
渡部昇一は石原結実(ゆうみ)氏と対談したりして東洋医学にも理解のあることを言っていますが、スプーンを曲げるとか、割りばしの袋で割りばしを折るなどの、タネが知られたハンドパワー(笑)と同列に扱ったのでは完全に逆効果でしょう。産業経済新聞やそのバックに居る経財界の意向で、現在日本で唯一の正当医療として君臨する西洋医学の牙城を守るために、そして大嫌いな中国に由来のある東洋医学を貶めるために(笑)、わざとやってるのか?と詰問したくなります。悪貨が良貨を駆逐するとはこのことです。マジックのタネは絶対に結実しませんし、話は違いますが♂の胤(たね)にも特に価値はありません。
私は、東洋医学は信じる方なのですが、これは漢方薬を飲んだ患者や鍼灸を受けた患者という、相手があってこそ、つまり相手の気が感応してこそ成立するものだと考えます。一方的に人や物にエネルギーをを送り込んで、時に破壊的な影響を与えるなどを信じるのは、超能力や魔法を信じるようなものです。
しかし、こんなオカルト呪い師がブレーンを勤めていた妖怪の多数集う一団に日本を差配させ、それを国民の多くが支持しているとは…嗚呼。
さて、おーい!ヤマサチー!?(笑)。木蘭さん?毎回紹介されるエピソードも面白いですけども、単行本をつくる時きっと構成に苦労しますよ。
「ボカシが入っています」と「反転してんぢゃん!!」に大笑いしました。
見たいモノしか見えない、景色が反転した世界で微睡む時間はもう無い na85
今週も配信有難うございますm(__)m
「自称保守教」信者を見分ける方法は「逆・踏み絵」だということが分かりました。
即ち、死者を踏みにじる(罵倒する)ことができるのが「敬虔な」「自称保守教」信者です。
アメリカ様のために国柄を破壊することを「教義として信仰している者共」に品格を求めることは無駄なのですね。
カルト信者を正気に戻すことは困難です。私の現場ではこれ以上「信者を増やさない戦い」にシフトしようと思います。
配信お疲れ様です、今号のオカルト話はなんだか失笑するしか無いなぁと思ってしまいますね。
オカルトに良いオカルトも悪いオカルトも無くインチキはインチキですし、不親切ですし、
大昔のユリゲラーや清田少年が如何に誠実だったのか分かります、だって有る程度インチキを許容する範囲が互いに有りましたから(笑)
テレビやネットや二次元の中だけの出来事を、
真実だ!本当だ!と、触れ回る事は余りにも馬鹿げて居て不誠実でカルトでしか無いのに、
だったら証明して見ろ!出来ないだろ?みたいな話にすり替えて居る連中は空想科学の中で、ユートピアの中でネバーエンディングで遊んでろ!ですねえ(笑)
岡崎久彦氏には色んな意味でお悔やみ申し上げるしか有りませんね。
武井壮やMr.マリックやヒクソングレイシーを見習え!と思ってしまいます(笑)
ありがとうございました。
岡崎氏については以前からどうしようもない爺さんだとしか思っていませんでしたので、訃報に触れた際も「ついに死んだか。」以外特に感慨はありませんでしたが、たとえ心の中だけでも、さすがに死人に罵声を浴びせるような事はありませんでした。これもゴー宣で学んだおかげでしょうか。ありがたや、ありがたや・・・。私は死後の世界を信じる者ですので、岡崎氏がこれから英霊たちと向こうでもし逢う事があったら大変だろうなと要らぬ心配をしています。生前の行為は死後に取り消せませんからね。あっ、オカルトは信じてませんよ。ユリゲラーも好きでしたがエスパー伊東の方が好きかな。
岡崎氏の話題や読者投稿コメントを見て、とんでもない人だったんだなぁと感じつつも、故人を悪く言ってしまっているのではないか?良心の呵責に悩みつつ複雑な気持ちで読みました。
こういう風に感じられるのは死者を決して穢さない日本人の美徳が精神の根底に根付いていると言えて、素晴らしい事だなぁとか思いましたが、自分の事をこんな風に書くのも気持ち悪いので、単に自分がいい子ちゃんぶりたいだけだという結論にしました。ただ、そういう日本の美徳は誇りをもっていいなと改めて思いました。私は関係ないですけどね!
配信お疲れ様です
私もまず岡崎氏のご冥福をお祈りすると共に 百田氏や2ちゃんねらー、ネトウヨといった方々には道義もへったくれもないんだなと思いました 本来人を批判するときは相手の言い分を理解したうえで、それはわかるけど やはりあなたの意見は間違っているというのが本当なのに 彼らはただ自分の『好き』か『嫌い』でしか判断能力がないものだから 自分の敵は例え死んだって徹底的に罵倒していいんだと勘違いしているのです 言ってる内容などはどうでもよくて ただ彼らは自分たちの存在誇示とうっぷん晴らしに相手を叩きさえできればいいと考えているのです それこそ自分たちが毛嫌いしてる中国の文化じゃないですかね?
よしりん先生だって相手を批判するのは『慈愛』があるからです 間違ったことであれば 親しい人間であれど 間違っていることは正さねばならないからです 単に自己満足のために人格攻撃をしてるのとはわけが違います 日本が侵略戦争に巻き込まれるかもしれないのに それを否定しないのはおかしいですから 意見と人格は別物だと思いますが それを一緒にして否定する最近の習慣がおかしいですね もっとも両方おかしい人もいますけど 在特会の桜井氏の橋下市長との会談見ましたけど もうめまいがしそうでした よくもまあ 大の大人があんなこと正気で言えるものだと どうせなら本を置くよりは保険や葬儀社のパンフレット置くとか ケンカになったら 周りの人間も『まあまあ 二人とも落ち着いて はい 後はこれで決着つけて』って包丁を渡すという よしもと新喜劇なノリがほしかったですね(笑) あれじゃあ ただの痛い大人ですから あ はい 私はすぐ帰ります
岡崎氏のオカルト趣味は知りませんでしたが どうせならよしりん先生が描いた愚連隊姿してほしかったですね あの革ジャンに指にU・S・Aって刺青してる絵すごい好きだったんですよ 『親米だ壮年愚連隊』かっこいいですねぇ ああいう風に茶目っ気たっぷりに描いてもらえるなんて岡崎氏は幸せだなぁと思いました 草葉の陰で本当に正しかったのはどっちだったのかと見てわかってもらえるといいですけども
配信お疲れ様です。
岡崎久彦氏のオカルトへの昏倒ぶりは、笑えるというよりは只呆れる他ありません。 名も通った大人がこんな宴会芸もどきを真剣に語るとは情けない限りです。正直知りたくはなかったですね。産経新聞の読者も抗議しなかったのでしょうか。
岡崎氏の従米ぶり、というかデタラメぶりはこの記事を読むとよく解ります。
「自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」安倍首相のブレーン・岡崎久彦氏に聞く集団的自衛権 http://huff.to/1kgekiz
記者に「何故憲法改正の手続きを取らないのか」と問われ、「ならあなたやってみなさいよ」と返す辺り、飲み屋で酒のんでホステス相手に説教するオヤジみたいです。なんで産経はこんな人を今でも「エレガントなサムライ」なんて評しているのか理解できません。顔からしてエレガントじゃないのに。
よしりん先生のプロフェッショナルとしての覚悟、かっけえっす。
私もブログ拝見して、頷くばかりでした!
プロフェッショナルとは如何に不況だろうが、消費税がガンガン上がろうが、
クオリティの高い内容の濃ゆい面白い美味しい物を提供し、プレゼンし、
その商品作品を作り上げるのに四六時中全力疾走投球し、
自分の身を切り売りする覚悟で入魂して作り上げて世に出す、
そして、それが売れたらどんな批判を浴びようが誹謗されようが全てプラスに変えられるのだと私個人もレストラン経営していて思いますから。
不況だの消費税だの他人の責任転嫁する位ならば死ぬ気で働いて良い料理を作り上げて売り上げたいです!
先生かっちょいいっす!
まず、みなぼん編集長、いつもQ&A送るのに名前書き忘れたりして、2回も送っちゃって、お手数かけてすみません。カッコも、半角( )より全角( )の方が良いのかな、文字化けしなくて?つい癖で半角にしてしまって。次回から気を付けます。感想コーナーも、沢山(中略)とか使ってまで載せていただいて、恐縮です。載せづらい書き方ばかりですみません。勝手に略していただいても構いませんのに^_^; 要点が詰められてて、こうやって書けばいいのかなと勉強になりました^_^;
2回目の投稿にして初めての採用の「しゃべクリ!」は、先週先々週のr-ver2.0さんのパクリです(笑)。勝手に使ってすいません。でも採用されて嬉しかった〜。笑いの才能ないので。
「ゴー宣」の感想は、もうちょっと頭の中を整理出来てから、後で書きます。スロースターターなので…。よしりん先生や常連読者の皆さんの頭の瞬発力の良さが羨ましいです。
しっかし、木蘭さんって、なんて面白い人なんでしょうね(笑)。ハタから見てると、チャップリンの喜劇のような人生ですね(笑)。改めて、よしりん先生、すげ〜人つかまえたなァ(笑)。
新刊情報に『天皇論』文庫版が入ってないですけど、本当に今日発売されますか?Amazonに頼んじゃったので、送付されたらメールが来ると思うんですけど。田舎なんで、明日以降かな?
考えてみたら、自分も、あんなに足を投げ出して乗れるベビーカーに乗った記憶がありません。青空を見ながら風を感じながら、ガラガラ進んでもらえるなんて、最高の贅沢かもしれません。ただ足が出てると、落っこちそうで不安じゃないのか、気になりますが^_^;
しゃべクリ、Q&A、感想コーナーのコンボ制覇は初ですが(笑)、コレ出来てる皆さん、凄いなぁ。才能と運がありますね。常連の皆さんが盛り立ててくれてるおかげで、ライジングも面白くなってるんですよね。自分の好きな、ラジオ番組みたい。コール&レスポンスがいつまでも続くように、今後も自分も書ける時間がある時は、及ばずながら助力させていただきたいと思います。
年末進行で社長もスタッフの皆さんも大変そうですが、『大東亜論』2巻目も『ゴー宣SPECIAL』も『卑怯者の島』もこちらも首を長くして我慢して待ってますので^_^; 、今月は気張ってください。寒くなって来たので、風邪をひいて周りにうつさないように、お互い気を付けましょうね。
ライジングの感想ではなくて恐縮なのですが。。。
『天皇論』文庫版、購入しました!
いつも単行本派で今回初めての文庫版GETなのですが
文庫版は老化した手首に優しく、ポケットにしまえなくもなく
無知蒙昧なネトウヨの皆さんに出会っても、
いつでもそっとこの御本を授けて
蛮族から日本人へと昇華させてあげられると思います。
文庫版のあとがきで修正されたポイントが明示されていたので
最初から再読し、そのコマに辿り着くのを楽しみに
読み進めたいと思います!
文庫版の『天皇論』を買うべきかどうか、すごく悩む。
単行本を持っているのに文庫本を買う行為は「不道徳」には当たらないだろうか?
なかなか踏ん切りがつかない。
しかしながら、文庫版は一体どの箇所を修正したのか気になってたまらない!!
そしてなにより、あの『天皇論』を新鮮な気持ちで読めるのは魅力的であり贅沢だ。
これは、Q&Aに相談したいくらいの悩ましい問題。
どうしよう。
無条件で購入したいですね、文庫版「天皇論」
修正ポイントなどは、文庫版の場合、作家さんが自ら明らかにするなんて先ず聞いた事が無いのに、
それを明示してくれるなんて余りにも親切だし、また楽しみが増える訳だし、一粒でいや一冊で何度も楽しめる訳ですからね(^○^)
本日「文庫版 天皇論」を買いに書店に行ったが見当たらず。SAPIOがやっと本日発売なくらいなので予想はしていたが、福岡市はよしりん先生の地元なのにと思うと何だか歯痒い。なかなか見つからないのでもしやと思い、以前ゴー宣シリーズの単行本が置かれていた思想・政治コーナーに行ってみたら、ゴー宣は1冊も無く、なんとネトウヨ、バカホシュの本と嫌韓中のヘイト本だらけ。しかも、在特会の桜井の新刊を表紙をこちら向きにして飾っている!こんな店二度とくるもんか!と心の中で叫びつつ帰ったのでした・・・(悲)
そういえば松井やより氏が亡くなった時もゴー宣では(確かトッキーさんかな)追悼の意を示してましたね。だいたいのゴー宣読者にとって、土井たか子氏や岡崎久彦氏はいい印象が持てないとは思いますが、小林先生は死者を冒涜する事はないだろうなと思ってました。もう新たに発表する事もなく、激烈に批判しても反論してこないし、論争相手が亡くなるっていうのも。小林先生のにっくき論敵とはいえ、何となく虚しいものを感じます。まあ私個人とは無関係な人達なんですが。
靖国論争では保守の人達は「日本人は死ねば皆神様」というシナとは違う宗教感を強調しますが、もはやそれに説得力がなくなって来てしまっていると思います。ネトウヨはいわずもがな、名のある作家でさえも、彼らの蔑むシナ的な宗教観に限りなく近づいているのですから。靖国擁護の論理だって破たんしてしまいかねません。
ちょっと前に見たテレビで「UFOは既に古代から来ている。優秀な日本人の歴史に介入したり見守ったりしてるんです!」という意見に対して大槻ケンヂが「あなたそれじゃネトウヨみたいですよ?」って突っ込んだのを見て爆笑したのを思い出しましたが、愛国とオカルト、あるいはイデオロギーとオカルトって相性がいいのかもしれませんね。
狂っていても、狂気さがあれば白を黒と押し通してしまう事が出来る例となってしまいました。
狂わないと世の中変えることは出来ないんでしょうか。
雷神宮歌会テーマは「箸」「味」「躍」「車」です。
私は昭和45年生まれですが、小学時代に道徳の授業は週1時間有りました。
内容は殆ど覚えていないので、在り来たりな内容が多かったのでしょう。
一つ覚えているのが、親と友達とダブルブッキングの約束をしてしまった少年の話です。
結論として、親と先に約束したのだから、そちらを優先すべきとの事でした。
でも私はそれが疑問でした。
先か後かがそんなに大事なのか。
友達とは遊ぶ約束、親と何の約束をしたかは覚えていませんが、その約束の内容にもよるんじゃないでしょうか。
又、親との約束を破っても親子関係は変わりませんが、友達との約束を破れば友達で無くなるかも知れません。
そこから苛めが始まり、果てには自●に追い込まれる事も。
こういうのはケースバイケースで、一つの答えなんか無いと思います。
花子さんの鋏の話も、何故紙切り鋏が無いのか、との疑問が。
小学生なら必須アイテムの筈です。
買い与えなかったなら、布切り鋏を使われても、親は叱れないですよ。
道徳が教科化されたら、私は進級する自信が有りません(涙)。
よしりんは私たちにとって善の規範です。
よしりんの生き様こそが道徳だと思っています。
今週も配信ありがとうございます。
道徳の授業で覚えている話ですが、日本人がイギリス?の女王に招待された晩餐の席で、知らずにフィンガーボウルの水を飲んでしまった。するとその日本人に恥をかかせないために、女王もフィンガーボウルの水をのんだという話です。
子供の頃はその女王の配慮には気持ちが動かず、その人が一度も手を洗っていないのなら、きれいだから飲んだって別にいいじゃない?という感想でした。(女王は一度手を洗ったのに飲んだのかな?とそこも気になるポイントです)
それよりも年に一度道徳の授業時間に「同和」の授業があり、ものすごく重々しい雰囲気だったのを覚えています。
授業内容はすっかり忘れています。
小学校の道徳といえば、担任教師に職員室へ呼び出され、「お前は性根が腐ってる」と怒鳴られたことを思い出します。
時は19世紀、イギリス王室での晩餐会に招かれたアフリカの王族が、食事の際に手を洗う為に使用するフィンガーボールの用途を知らず、飲み水と勘違いをし、器に入っている水を飲み始めてしまいました。
それを見た貴族たちは失笑したのですが、客人に恥をかかせてはいけないと考えたビクトリア王女は自らも同じようにフィンガーボールの水を飲みました。
失笑していた貴族たちは後進国の有色人種を見下すように笑い者にしていたことを恥じて、王女に倣って皆でフィンガーボールの水を飲みましたとさ。
めでたしめでたし。
この話は真のマナーとは、人に対する思いやりであるということを学ばせる為の教材だったようですが、当時の俺は大変にひねくれており、『話を読んだ素直な気持ちを記してみましょう』というプリント用紙に、「周りの貴族たちはただ権力者に媚びているだけだし、アフリカのおっさんも正しい知識を知らないままだから、また別の場所で恥をかくと思う。ビクトリア王女は自己満足にひたる偽善者だと感じた」というようなことを書いて提出したら、職員室へ呼び出され、こっぴどく叱られました。
普段から教師の指導方針の逆張りをしていた問題児であったので余計に強く叱責されたのだと今となっては思います。
そんなわけで道徳の時間は苦手でした。
他の教科も苦手でしたが。
なぜか、「たんけんぼくのまち」の歌を記憶しています!
♪知らないことが おいでおいでしてる でかけよう 口笛吹いてさ
びっくりしようよ あららのら 調べて納得 「うん、そうか!」 おもしろ地図を見つけよう
たんけん はっけん 僕のまち
もくれんさ~ん、覚えてますか~?
よしりん先生~、「短剣朴の町」、大爆笑ですよ~。
道徳の授業で、「塙保己一」の生い立ちと業績について学んだ方、いらしたら教えてください。わたしと同じです。
みなぼん編集長、感想コーナーの最初か最後に、
※文章は一部、抜粋して掲載させていただくこともございます。ご了承くだ
さい。
って明記したら、(中略)とか(後略)とか書く手間が省けて、時間の短縮
になるのでは?自分も長文を編集していただいて心苦しい部分もあるので、
次回からコレ、ご検討ください。
Q&Aコーナーですが。「しゃべクリ!」、確か初回はよしりん企画の全ス
タッフで選考したって言ってたような。毎回茶魔のツッコミが上手くって、
よしりん先生サスガだな~って思ってたのですが、最初からみなぼん編集長
と二人三脚で書いてたのかなぁ?最近はネタにまつわるトリビア的なものが
増えて、よしりん先生よくいろいろ知ってるなぁ~と思ってたんですが、そ
れはみなぼん編集長っぽいかも。でも、よしりん先生が言いそうだなぁって
答えもあるし。次回のお題のコマも選んでるんですよね!みなぼん編集長が
一人でやれてるとしたら、凄いです。結局内緒でいいか(笑)。
高菜漬けが好きって、福岡の人ですね、やっぱり。うちの親も好きだけど(
笑)、自分はあんまり食べないです。こんにゃくが好きってのは、どこかで
聞いた事あるような?ライジングだったかな?(笑)寿司ネタしぼれないっ
て、早く答えられる質問考えたのに、考えさせてしまったでしょうか。
3つの質問を読んでて、なんか質問してた本あったな、と思って、ホコリだ
らけの本棚の奥から『ゴーマンガ大事典』を持ってきて読んでました。懐か
しい。トッキーさんの次の連載何だか分かりませんが、よしりん先生の『ゴ
ー宣』以降の出版物(あるいは関連書籍)を一冊ずつ紹介していく、という
企画はいかがでしょうか?どの本にどの内容があったかだいぶ忘れているし
、トッキーさんのオタク性を大発揮していただきたい。本音を言うと、よし
りん先生のゴー宣関連本はほぼ買ってるはずなんですが、どれを買ってない
かがもう分からないんですよね(笑)。なのでよしりんオタクとしてはコン
プリートしたいので^_^;、それを見ながら穴を埋めたいってのがあるんです
。『よしりん戦記』以後も増えましたし。もしよろしかったら、今後ご検討
ください。
ラジオですが、使い方分かりましたかね、よしりん先生?「radiko(ラジコ
)」というアプリで、ラジオ聴けます。「radiko.jpプレミアム」というの
に月350円+税を払って加入すると、全国の主要ラジオ局の放送が聴けます。
まぁ系列局だと同じ時間帯だと同じ番組の場合もあるでしょうが、福岡の局
も聴けますよ。NHKなら、「らじる☆らじる」というアプリで聴けますよ。
道徳ですか…まったく覚えてない(笑)。まじめに授業聞いてた方だったの
に。花子さんのハサミやチョーさんってのは、言われてみれば、かすかに聞
いたことあるような…。高校では、一学期に一回かな、同和教育の授業があ
りましたね。道徳…何やったんだろ。でもたしか、教科書的な冊子、ありま
したよ。
「たんけんぼくのまち」は確かに道徳の授業で見た記憶がありますね。歌までは憶えていませんが・・・
私の時の道徳の授業はほとんど関連のテレビ番組を見ていた記憶しかないですね。放送時間がちょうど授業の時間帯で普通に教室にあるテレビをつけて見たりとか、ビデオを見るために視聴覚室で授業したりとか。
また番組自体はほとんどがNHK教育でしたが、昔は民放でも平日午前中なんかはローカルでそういった番組をやってました。今のテレビ朝日やテレビ東京が元々「民間教育テレビ局」として開局した関係でそれらの系列局だとよくやってた記憶があります。
僕は大阪在住ですが、大阪で道徳教育といえば「にんげん」を取り上げないわけにはいかないでしょう。
小学校・・・たぶん高学年の頃(僕が今41歳なので、ちょうど30年ほど前)だと思いますが、他の教科書と一緒に配布された、「道徳」の時間用の副読本が「にんげん」でした。
(今Wikiを見てみたら、これ、大阪だけのものだったんですね)
中身は同和問題や在日問題や反戦をテーマにしたお話がいろいろ載っているのですが、その内容たるや小学生にはトラウマものの生々しさで、僕は子供ながらに嫌なんだけど怖いもの見たさでこっそり読んではへこんでいたことを思い出します。(ゴー宣読者の皆様なら内容はおおよそ想像してもらえるかと思います)挿絵や表紙絵のなんともいえない不気味さもそこに拍車をかけていました。
ただ、記憶違いでなければ、結局その本は「道徳」の時間に使用されることはなく、「なんか怖い本もらったけど結局使わなかったな。いったいなんだったんだろう」と思ったことだけは覚えています。
そもそも、「道徳」の授業の枠があったことは覚えているけど、そこでどんなことをやったのかはまったく記憶にない・・・
あと、高校生の時に全校(三年生だけだったかも?)で、在日コリアンのお婆さんによる一人語り芝居を見に行くという行事がありました。
お婆さんがつたない日本語で、在日コリアンがいかに差別、迫害されてきたかという歴史を語るのですが、高校生が大量に集まって、しかも特に興味もない芝居を無理矢理見させられればどうなるかは歴然、そりゃもう客席が静まることは最後までありませんでした。
終演後お婆さんがマイク片手にまた出てきたので何かメッセージでも語るのかと思いきや、ものすごく流暢な日本語で「こんなマナーの悪い観客は初めてや!ふざけるな!」といった調子で延々説教を始めました。思わず(つたない語りはあくまで芝居かいな!)と心の中で突っ込んでしまいました。(いや、実際声に出したかも)
僕はどちらかといえば学校では「いい子ちゃん」で、なんでも真面目におとなしくこなしていく方の生徒でしたが、その時は「うるさかったのは確かにあかんかもしれんけど、僕らも来たくて来たわけじゃないしな・・・そんな怒られても・・・」という気分になったのを覚えています。
学校で道徳を教えるとなると、どうしてもある種の強制を伴うことは避けられないわけで、そもそもそういう教え方が道徳的なのかどうか、という疑問が湧いてくる思い出でした。
チョー(旧名:長島雄一)さんはワンピースに出てくるブルックの声の人ですよね。
「しっらないーことーがーおいでおいーでしーてるー」
「でっかけえよおー」
「くちぶえふいてさー」
「びっくりしようよあららのら」
「調べて納得」
「うんそうか!」
「おもしろちずーをひーろーげーよおー」
「たんけん!はっけん!ぼっくうのまっちー!」
この歌もチョーさんが歌ってます。
小学校3年くらいの社会科に順当する教育番組でしたよね。
小学生の頃風邪で休んでたときはこの番組とかをよく観てましたね。
おーいはに丸くんとか、できるかなとかつくってあそぼとか、なんか今思えば懐かしいものだらけです。
NHKてこういうような名作ばっかり放送するから捨て置けないんですよ。
子供ながらでしたが、何年も使い込んだ着ぐるみが段々汚れて煤けて弛んで来ているのが目に見えて分かってくるんですよ。
NHKなのに着ぐるみの予算くらい確保出来なかったのかなと思っていました。
ゴン太くんは茶色ですから目立ちませんがにこにこぷんは「ひどい」としか思えなかったですね。
ゴロリも下半身は茶色にして汚れを目立たないような工夫をしていたようですがそれでも工作とかの作業をこなしますからやっぱり汚れが目立つんですよね。
フジテレビのポンキッキに出てくるムックとガチャピンの方がまだ汚れが目立っておらず綺麗に保っているなと思いました。
ふなっしーもあれって結局みんなが子供の頃観ていた記憶を引き出しているんじゃないかと思うんです。
あそこまで人気出ないでしょう。
道徳の授業はなんだかよく覚えていないですね。
教科書は学校に置くようにしていたし、内容もなんだか分からなくてこれが果たして効果なんかあったのかしらと思っていました。
国語の教科書の方がよっぽど道徳めいていたような内容でしたよ。
小中と道徳の授業って何だったっけと思い返しているんですが、新聞作ってたり、行事が多かったりしてたのでその準備だったり、外出てサッカーやドッジボールしてたり、考えさせるような時間なんてなかったですよね。
切通さんの新しい本を昨日買いに行ったが、どこにもなかった。紀伊国屋書店のような大きな本屋にも、町のちょっとだけ大きな本屋にも。
少しずれるかも知れませんが、体育祭で「エッサッサ」をさせられた人っていますか?
体育教師が日体大出身だとそれを児童生徒にさせたがるんですよね。
私の場合は、そういうような学校だったために「集団としての規律を養わせる」意識が特に強かったんですよ。
道徳は個人の倫理などに向き合わせるような授業だったかもしれませんが、少なくとも私の所の場合、そんなものよりも「足を引っ張らないような教育」が施されましたね。
この前に運動会の話ではないですが、そんなものばかりでした。
個人的な恨みとかはもはや学校にはないですが、今思えば学校教育って(自分のところに限っての話ですが)個人の意思なんか押し殺して集団規律、集団行動を身に付け教えさすものなんですよね。
丁度、今号のSAPIOが10段ピラミッドや鎌倉幕府成立のことについて取り上げてますね。
偶然かどうかは分かりませんが。
昭和45年生まれです。
道徳の授業は、週1で一時間ありました。
教室の後ろの書棚に、薄い道徳の教科書が並んでいて、各自一冊ずつ持って来て授業が始まるという流れでした。
NHKの教育番組を見る日もあり、見終わった後に話し合いをしてきました。番組は必ず、どちらが正しいのかという疑問を投げ掛けて終わってた様な記憶があります。
高学年の頃だったか、番組の主役が春男という名前で、信じられない様な事ばっかしやらかすヤツだったので、授業が終わってからも春男ネタでみんなで盛り上がってました。春男ありがとう。
薄っぺらい教科書は、公共物だったので、好き勝手に落書き出来ないもどかしさがありました。
よしりん先生のブログで、「定規で背中を掻く」とありましたが、あれは「定規」ではなく、「物差し」ではありませんか?
よしりん先生の勘違い?
定規で背中を掻いたら、背中が血だらけになるか、よくてミミズ腫れになりますよ。
物差しで背中を掻くならわかりますが、定規で背中を掻くのはちょっと違うのでは?
定規はその用途から、文字通り線を引く、製図の用などに使うと思うのです。従って角が鋭利にできているのです。物差しは、読んで字の如く、物の長さを測る道具ですから、別に角が鋭利でなくても用途としては事足りると思うのです。
だから、よしりん先生のおっしゃる「定規」というのは、「物差し」の言い間違いではないでしょうか?
私は国旗掲揚も国歌斉唱もした事がないでお馴染み大阪育ちで
道徳の授業は同和か反戦平和だったような気がします。
今でもよく覚えているのは反戦平和【原爆】の回です。
戦前の日本は悪だった、戦争は悲惨だ原爆でこんな酷い事になるという
内容でしたが私と友人は教師の目論みとは逆の感想を持ちました。
「空襲や原爆でよくも無残に殺してくれたな」
「経済大国なんやろ!? 今アメリカと戦争したら勝てないか?」
「勝てるやろ! どうやったら戦争出来るんや!?」
「絶対復讐せなあかん」
と怒りに燃えながら帰宅したのを今でもよく覚えています。
ある意味、道徳が芽生えたのかもしれません(笑)
休み時間ホントーにやる事がなくなると、道徳の薄っぺらい教科書を持ってきて、みんなで笑いながら読んでた覚えがあります。
道に迷いぽつねんと過ごしてた六年の頃、教室の後ろでちょこねんと道徳の薄っぺらい教科書を開いてみたら、なんだか救われてしまった記憶もあります。あんなに笑ってたものが、とても崇高なものに思えてきて。宗教的な感覚のような…。
以来、休み時間に道徳の薄っぺらい教科書をぽつねんと読み、みんなからきょとねんとされて、暗黒の森の奥へと迷走して行きました。
道徳の授業でもう一つ思い出したのが、確か森鷗外の小説だったか、誰か文豪の作品が使われた記憶があります。
あらすじは、江戸期、父親が廻船問屋だったが、舟が難破して、その余波で横領が発覚して、疑いをかけられた父親の連座で、娘と息子たちがお上に取り調べられることになったけど、あわや罪を被るところが、娘の言葉「お上の言うことに間違いはございませんから。」の一言で、難を逃れた。と言う話が記憶に残っています。
わたしの道徳の授業の思い出その2でした。
私は昭和54年、大阪生まれです。
道徳の授業は【にんげん】という本を使っていました。
その内容は『平和学習(いわゆる日本の戦争犯罪)』 と『同和教育』と『公害問題』と『障害者について』のテーマがほとんどだったと記憶しています。
私は同和教育の『牛の敵討ち』がとても心に残りました。
飼い主を突き殺してしまった牛を、村の広場で敵討ち(処刑)するというお話。
牛を『敵討ち』するわけですが、遺族は自分の手を汚したくないという理由で『村の者(被差別民)』が代わりに牛を殺すことになるのです。
牛は槍で何度も突いて殺すことになるのですが、初めのうちはギャラリーの村人は「コロセ、コロセ!」などと大盛り上がり。
ところが牛がなかなか死なずに、必死になって逃げ惑い、徐々に弱っていく姿を目の当たりにすると、村人たちの心は処刑執行人である『村の者』に憎悪の感情を抱くことになるんです。
そして、牛が力尽きて死ぬ。
その静まり返った広場で村人がポツリ。
「村の者な、むごか。あげなことせんでもよかろうに」
私はこの話に衝撃を受けて、
「いつか必ず人類を滅ぼしてやる!!」と、
心に決めたものです(苦笑)
今から思えば、この話は、私がゴー宣との出会いを果たした【差別論】に関心を持ったキッカケだったのかもしれません。
個人的には「オカルト」とされる現象には非常に興味があります。UFOも幽霊(超リアル)も見た事があるので、「妄想だ」と断定はできなくなりました。
しかし、作家の故・コリン・ウィルソンのような、極めて論理的に超常現象を研究している人達もいますが、やはり解明されていない事象に強引な解釈を与えて、妄言で社会を惑わす人達(悪名高いエーリッヒ・フォン・デニケンのような)は問題だと思います。奇人変人が増えるだけならまだしも、ナチスがオカルティズムにどっぷり浸かっていたように、権力によってオカルトが政治や戦争に利用されるのが、最も恐ろしいと言えます。
岡崎久彦氏のそうした逸話(?)は初めて知りましたが、逆にオカルト方面の人達が、政治論を展開する例も少なくありません。「幸福の科学」が原発を推進したがっているのが、いい例でしょう。
川内原発の再稼働問題で「安全性が確認された」との事ですが、何がどう「確認」されたのか全くわかりません。人間が決めた「安全の基準」に、「現実」が従ってくれると思っているのでしょうか?まさに妄信、オカルトです。原発推進派は全員、幸福の科学の信者に違いありません。
先ほど、文庫版「天皇論」、三宮の紀伊國屋書店で購入しました。750円+税にこのボリューム!
読み応えありそうです。
さて、カレー千衛兵さん、聞いて驚いてください。わたし、文庫版ともとの本との違いを比べるために、
なんと、たった今、わたし、三宮のジュンク堂書店で、もとの「天皇論」、購入してしまいました!1500円+税で!
ね、なんてバカでしょ(笑)
これから読み比べます。
私の娘は大阪の公立小学校に通う現役小学1年生です(笑)
「わたしたちの道徳~小学校一・二年」という教科書を使っています。
中身を全て読みましたが、個人的には
『道徳』というより『修身』という印象を受けました。
さっき直接子供に話を聞いてみると
「道徳なんて当たり前の話ばかり」だそうです(笑)
では、その教科書の目次だけを紹介しますね。
①自分をみつめて
(1)きそく正しく気もちのよい毎日を
(2)自分でやることはしっかりと
【読みもの】小さなど力のつみかさね~二宮金次郎~
(3)よいと思うことはすすんで
(4)すなおにのびのびと
【読みもの】お月さまとコロ
②人と ともに
(1)気もちのよいふるまいを
◆せかいの「こんにちは」「ありがとう」
(2)あたたかい心で親切に
(3)ともだちとなかよく
(4)お世話になっている人にかんしゃして
③いのちにふれて
(1)いのちを大切に
【読みもの】ハムスターの赤ちゃん
(2)生きものにやさしく
【読みもの】虫が大好き~アンリ・ファーブル~
(3)すがすがしい心で
④みんなとともに
(1)やくそくや きまりを まもって
◆きまり カルタ
(2)はたらくことのよさをかんじて
(3)家族にやくに立つことを
(4)学校の生活を楽しく
(5)ふるさとに親しみをもって
【読みもの】ぎおんまつり
チョーさん、懐かしいです。w
ONE PIECEの単行本に紹介されてたのを
見て興奮してました( *´艸`)
私は社会の授業で見て、地図を作ったような…気がします。
「さわやか3組」は道徳の授業で見たような…。
そのくらいうろ覚えで、道徳の授業内容はほとんど覚えていません。
楽な時間だったことは覚えていますけどw
今までは道徳の時間は担任になる教師の裁量次第であったのが、必修科目となることで俺が小学生の頃に体験したような雁字搦めに模範解答へ誘導されて、そこからはみ出す者は性根が腐敗したファック野郎と面罵されるようになるのでしょうか。
そうだとすると、ちょっとイヤだなぁ。
俺が小学生高学年の頃、道徳の時間に生真面目に教材を使い指導する担任教師は学級会も大好きでした。
それぞれに問題を抱えた児童ばかりを集めたクラスであった為か、ほぼ毎日学級会が開かれていました。
学級会は道徳の時間の実践編として、クラスで起きた諸問題を児童たちが話し合い、解決へと向かわせる体(テイ)で進められていましたが、実態は担任教師主導の糾弾会でした。
表向きは民主主義でありながら、その実態は恐怖政治。
その体験があるせいか、学校や家庭での道徳教育や修身教育というものに拒否反応を示してしまう現在のボキだす。
マトモに道徳教育に向き合ってこなかったボキですが、そんなに反道徳的な人間にはなっていないと自負しているのですが。
人前で女の生尻を揉みしだいたりしないようにしているし。
道徳って、人間関係を築く内に自然と身につくもののような気がしないでもないのですが…。
配信、ありがとうございます。
ウン十年前、中華料理屋でウエイターのアルバイトをしていた頃から思っていたのですが、「スプーン曲げ」って器物破損じゃないでしょうか?岡崎さん、そのスプーン曲げの芸?どこかのレストランでやったようですが…。その店が業務の為に使用しているスプーンを使用不可にしてしまう行為は、営業妨害にも当たると思われ、さらに他人の物を破損させてはならないという小学生でもわかりそうな「道徳」にも反しているように思え…。
オカルト好きな私から言わせてもらうなら、スプーン曲げなんて今どき「ムー」だって「ほん怖」だって扱いません。それを論壇誌が扱うなんて周回遅れも甚だしいと言わざるを得ません。まあ、アングロサクソンについてゆけば100年大丈夫なんて理屈自体がスプーン曲げ並のオカルトとしか言いようがありませんが…。
道徳の授業よりも、国語の授業で人の生き方とか、運命とかを学んだことの方が多かったような気がします。今でも一番印象に残っているのは、中2か中3のころに教科書に載っていた「夏の葬列」という話です。人の行いや運命の残酷さに愕然とし、家に帰ってから布団の中で読み返して泣いたことをよく覚えています。
道徳って授業でやるよりも、さりげない読書の中や日々の生活から得ることの方が多いのではないでしょうか?「北方三国志」「鬼平犯科帳」そして「ゴーマニズム宣言」と。
天皇論、今日、購入しました。土日を使って読みます。
道徳ってなんじゃろ?って考えて見ると、要は狭義(教義)の強制では身には付かないモノだなと、
深夜までヘトヘトに成るまで働いて帰って来た私には感じるのです。
現在進行形の常識観念が=道徳観や道徳心かなぁ…とか、捻くれ過ぎかなぁ?
本来ならまずは岡崎氏のご冥福をお祈りすべきでしょうが、「気功の話」がおかしすぎて、それどころじゃないです!も~、先生のイ・ジ・ワ・ル♪
しかし、岡崎氏がこんなトンデモな人とは思いもしなかったですね。しかも、記者も渡邊氏も騙されてる…。言論人がこんな怪しい芸を披露して、気功の力なんて言ったら、信用がなくなるだけだとおもうのですが、皆、なんで気付かない?「王様は裸だ」と言える人の必要性を痛感します!
daiさん、ありがとうございます。雷神宮歌会テーマ:「箸」「味」「躍」「車」。これに「道」を追加させていただきます。
○英国の フィンガーボウルの 逸話より 箸使いこそ 我らがエートス
○出汁の味 判らぬ世代 増えた故 添加されたる 人工の味
○大躍進 文革などを 批判した ホシュ派が今は 全体主義か
○若者の 車離れを 嘆いても 団塊が見るは トヨタの株価
○人生の 道程(みちのり)歩む ためにとて 道の徳(のり)など 習うべきかは
○二度三度 鋏のルール 破りしは 金融緩和の ことにも似たり
道徳教育の記憶がほとんど無い na85
私も歌いますか。
箸持てぬ 世代問わずに 数多居り 歪でさえも 上から目線
薄味と 胸を張っても 塩っぱさは 関東よりも 実は上なり
岡崎氏についてあまり知らなかったので、驚きました。こんなオカルトがまかり通っていいんだろうかと思いましたが、原発推進も男系固執もアヤシイ信仰のようなものでしたね…(^_^;)
道徳の授業内容はほとんど覚えていません。
教育番組を見たり、なぜか「スクールウォーズ」を見たり(担任がこのドラマが好きだったようです)、運動会や合唱コンクールの前は、その練習時間としたり、自習だったり…自由に使える時間という扱いでした。時々、教材を使っての話し合いもやりましたが、「何を発言してもいい」と言いながら、先生の中での模範解答が決まっており、私はそれを察して先生の喜ぶ答えを言っていたような気がします。
昨晩はひさびさに長風呂したら眠くなってしまい、夜中に目が覚め、テレビつけたら、『朝生』やってて、タイトル見たら「女性が輝く社会とは?!」だって~~!!うわ~~最初から観たかった~~。いや、どうせ期待してないですよ、内容なんか。あんな出演者でゴー宣道場のようなクオリティなんか持てるわけない。そうなんだけど、今の一般の認識みたいなものが垣間見えるじゃないですか。・・・まぁ、最後の1時間半くらいは録画できたからいっか。しっかし一番ムカムカしたのは、竹田平民(ネットで知った呼び名ですw)が出てたんですよ!!!テレ朝のキャスティングなんて元から信用してないけど、あまりにも酷くない!?なんでこのテーマで竹田を呼んでんの??女性のことなんか全く考えてない人間でしょうが!!!侮蔑してる奴でしょうが!!! あー全部録画したかった。そして、竹田の発言部分だけ飛ばして観たかった・・・。
雷神宮歌会テーマ:「道」
○七五三 神の手から 離れても 道すがらの お祝いの声
『七歳までは神様の子』という言葉を聞いたことがあります。
詳しい意味や言い伝えを、私は知らないのですが、
七歳まで子供の成長を見守ってくれた神様に、
感謝の気持ちを表すのが日本の「道徳」なのでしょうね。
でも私は、神社への道すがらにお祝いの言葉をかけてくれた地域の人達にこそ、感謝をしたいです♪♪
「子供を見守ってくれる」ことは、本当に有り難いことです。
配信ありがとうございます^^
私も、産経新聞を購読していたころ、今回の岡崎氏の「正論」を読んでました^^;
すかさず、小林先生が「ゴー宣」でこの件を批判されていたのも覚えておりますw
それにしても、こんなにとんでもない「インチキ野郎」だったとは、驚きです・・・・
そして、そんな人間を「侍」と称する産経新聞・・・・
どんだけ目が腐ってるんだ?
今回の「泉美木蓮・熱血ダンス甲子園!!」、たった2週間でダンサー並の筋肉をつけられたことに、驚きです^^
その「熱意」と「集中力」は、是非とも見習はねばと思いました。
今回は、ちゃんと神様の話に戻ってきたので、ほっとしましたわww
それにしても、あの宮沢りえさんの前で披露するとは・・・もーすごすぎです。
そして、宮沢りえさんの「紙の月」を観に行こうかな~とふと思う土曜の午後。
連投失礼します。
私が小中学生だったころ、「道徳」の授業がありました。
まあ、大体、投稿されているみなさんと同じように、「教育テレビのドラマ」や道徳の教科書を読んでおりました。
私は基本的に公然とTVが観れると喜び、道徳の教科書の本を「読み物」として、楽しく読んでいました^^
その後、特に感想を言い合ったりは、しなかったので、「道徳の授業=TVが観れて、本を読める時間」と思ってました。
そもそも、「道徳」が何の意味かもわかっていませんでした^^;
あと、みなさんがどうかはわかりませんが、私のいる地域では、中学校の1年時は「道徳」の授業があります。授業の始まるときに先生が「先生は、人にはいろいろ考え方があるか、強制はしません。好きな意見を言って欲しい」と言うのを聞いて、はじめて「道徳の授業の意味」を知って驚きましたww
こんなんでいいでしょうか^^;?
こんばんは カレーさんの短歌 共感します。
子どもは 「授かるもの」。
うちに生まれてくれたことに感謝し、
日本人の一員になるよう、大切に育てます。
自分のペットではなく その人格を尊重して。
(それが難しい。カレーさんは わかってくれますよね!?)
子どもを育てること、
社会人であれば 部下を教育すること、
それは 自分を成長させることでもあるんですね。
私の地域も道徳の授業は土曜にやってたのですが、さして思い出なんて無く、「道徳の授業?そんなことより今夜はドリフだ。」という感じでした。身も蓋もないね。
正直道徳の授業そのものには懐疑的です。答えありきで道徳を教えてもさして意味は無いと思います。むしろ童話や絵本に触れる時間を増やした方が良いのではないでしょうか。
後藤です
もういっちょ
雷神宮歌会テーマ:「道」
その先は 見えない道ではあるけれど ともに歩まん 手を携えて
よしりん先生、今日のブログは、「低気圧で睡眠不足で」とありましたが、本当でしょうね。
前後の文脈を考えると、「低気圧」というより「低血圧」のほうがしっくりくると思うのですが、
本当に「低気圧」のせいなんですね?
もう、昨日の「定規」といい、最近の先生のブログは面白すぎます。
女性の活躍ということで、興味深い漫画を発見しました。
https://twitter.com/yugamico/status/529494102589468672
そしてこれはこの漫画を描いた人の覚書です。
https://note.mu/yugami/n/n0d818ff80403
たぶんこれ、殆どの皆さんが存じ上げているかも知れませんが、かなりの人々が共感得ているようですね。
元々あったネット上の呟きを漫画化させたものですね。
何故少子化対策が進まないか、と言う問題点を洗い浚い分析しています。
>>97 ごっさん
コメント、ありがとうございます o(^o^)o
「日本人の一員」にするために育てる。
そうですね。七五三を終えた今日の私達の気持ちを
言葉にするなら、きっとそういうことだと思います♪
親としても人としても、まだまだ未熟者の私が「人を教育する」とは、自分でも照れ臭く、居心地悪く感じる時があります。
しかし教育というのは、パブリックマインドとプライベートマインドが交差する所にあると考えますので、
これからも、多くの人達の力を借りながら、必ず全うしたいと存じます☆
>>99 ごっさんへの雷神宮返歌
○携える 手のぬくもりを 感じつつ 星を数えた 冬の帰り道
配信ありがとうございます。
岡崎氏の言動は病的に米国追従でしたから、もしかして工作員なのか?と想像していました。しかし、何て事は無い只のカルトだったのですね。
良いオカルト?って言うか、ある程度個人で楽しむ分には問題ないし、使い方によっては有益なのかなとは思います。
例えば、血液型性格判断。全く科学的根拠は無いですし、信じている?のは日本人だけみたいですから(もはや日本の文化)、まあ、一種のオカルトですよね。でもこれで、話が弾む場面が結構有ります。信じている信じていないは別にして、よしりん先生やもくれん師範も面白可笑しく話に入れます。こういった場合は寧ろ効用が有る訳でして、逆に「オカルトだ、けしからん」と思う方がどうかしています。それに、合コンで血液型の話題で盛り上がっている時に批判するような男は確実にモテません(分かっちゃいるんだけど、どうしても突っ込んでしまうB型の僕)。
しかし、それが大真面目の特定の血液型排除になったり、血液型で閣僚を決めたり、政策に反映させたりしたら大問題でして、岡崎氏の様に、オカルト(本人にとっては科学)は素晴らしい→アメリカの千年王国が来るぞ→総理のブレーンになって国の政策に取り入れてあげよう、と頭の悪い論法になったら、もう笑えない所か本当に恐ろしい。
最近、「江戸のしぐさの正体」(星海社新書 〈著〉原田実)という本を読みました。
限がないので簡単にいうと「江戸のしぐさ」とは江戸商人の行動哲学にされているらしいのですが、実際は江戸の実態にそぐわない行動様式で、存在しなかった風俗を捏ち上げ、懐古趣味で道徳やマナーを説くと言う代物です。この本は、それを批判し、誰がどの様に創造して広めていったのかも説明しています。
なんとこの「江戸のしぐさ」は、平成26年度の道徳の教材として用いられているらしいのです。オカルトが大好きなTOSSという教育団体が自民党=安倍晋三ラインの支援を受けて、教育現場へ浸透させています。
安倍政権はどんどんオカルトじみて来ていますね。
20年程前に刊行され、オカルトを揶揄した「トンデモ本の世界」は衝撃的でした。ここまでオカルトが出回っているのかと。「トンデモ~」と言う言葉が使われる様になったのはこれ以降ですよね?
次回のゴー宣道場のゲストは岡田斗司夫さん。どこまで関わっていたのかは分かりませんが、この本を執筆なされた頃の「と学会」メンバー。どの様に話が進むのか興味深いです。
安倍政権が推進している道徳教育へのオカルト介入の真偽、それは恐るべき害となるのか、コメント欄での皆様の書込みの様に無駄に終わり、道徳の教科書がトンデモ本大賞を取る位で済むのか、次回のゴー宣道場でこの辺の話が聞ければ嬉しいと思います。
今週も楽しく読ませて頂きました。
文庫版「天皇論」も、Amazonではなく、昨日の仕事帰りに、行き付けの書店で購入しました。国内に、公への気づきが広がるように、一人でも多くの方に、手にとって頂きたいです。
それから「ダビンチ」も買って、宇野氏の評論も読みました。よしりん先生への洞察は勿論、ネトウヨについての分析や、「物語」と「情報」についての見解も、全て同意できる訳ではないにせよ、非常に納得せざるを得ませんでした。
そして、岡崎氏は「戦争論」発刊後のシンポジウムで、よしりん先生方と登段されていたので(生よしりん先生も、この時に初めて見た)、正しい信じられる先生なのだろうなぁ…くらいに思っていました。しかし、その後は、今週のライジングの経過どおりの振舞いと知り、微塵も納得できず、残念に思っていました。ただ、お亡くなりになった旨にて、ご冥福を祈りたいと思います。
最後に、道徳については、私も木蘭さんと同世代ですが、担任の先生が、教室でNHK教育テレビを観せてくれたり、教科書もあったけど内容は覚えていないし、「授業の合間の息抜き」みたいな感覚が残っています。私の小学生の頃は、外では集団登校の規律を乱すとか、人様の畑を荒らすとか、掃除の時間にホウキでチャンバラやって遊ぶとか、「いたずら」ばかりやって(それがまた楽しかった)、担任でもない先生にまで叱られて、でもそれらが「道徳教育」だったのかなと思いました。
しかし、歴史認識や公の感覚などは、大学に入るまで、全く知らないで来てしまったのは(しかも、よしりん先生の作品と、偶然に書店で出逢い、認知できた経緯)、これは学校あるいは家庭か、「道徳」も含めた、教育の落ち度だったのか?とも考えました。
今週も、配信ありがとうございました。
私は、道徳の授業してたのは覚えてますが、内容は全く覚えてません。結局、道徳的考え方に目覚めたのは、学校の図書室で読んでた「はだしのゲン」や「ズッコケ3人組」「漫画日本の歴史」といったエンタメ作品が最初だった気がします。あ、コロコロコミックの各作品にも影響を受けました。もちろん「おぼっちゃまくん」にもw
当時、私、親の金でワガママ放題する茶魔が凄い嫌いだったんですよねwそして、そんな茶魔に振り回される柿野くんや、茶魔にあまり媚びず我が道を行くびんぼっちゃまの方を応援していたのを覚えています。
今思うと茶魔を嫌っていたのは、持たざる者の持っている者への妬みからくるものだったのかな?と。当時からこんな共産党みたいな事を考えてたのかとちょっと苦笑しますが、とにかく物事の善悪について色々考えるきっかけになった作品の一つだったように思います
「ゴー宣」
高学歴の人間ほど簡単なトリックに引っかかりやすく、超能力とか盲信しやすいとトリックの本に書いてありましたが、東大法学部卒の岡崎久彦氏も御多分に洩れず、そのような方だったのですね。
秀才だったのでしょうけれど、なんで日本の秀才はこうも簡単に日本の国柄を外国に恥ずかしげもなく売り渡せるのか、不思議でしょうがありません。
戦後の左傾化の影響なのか、偏差値の高い人間は古い価値観を迷信のような無駄なものとごっちゃにしがちなものなのかよく分かりませんが。
ゴー宣を読みこなす、高偏差値の人間が日本の中枢に溢れかえる日が来ればとそう願わずにはおられません。
「ザ・木蘭」
やらなきゃいけないことがある時ほど、脱線してしょうもないことにばかりかまけて時間をなくし、後々、激しく後悔することがありますが、大昔から日本人ってそうだったんだなぁとホッとしました。
しかし、レディー・ガガのダンスにのめり込み、完璧を求めるために、わざわざ動画をプロに頼んで反転させてもらうまでする木蘭さんの生産性に全く繋がりのないこだわりに凄みを感じました。
これが作家(=クリエーター)という職業の人間の性なのでしょうか。
airmanさんの『ザ・木蘭』の感想文が面白かったです(⌒▽⌒)
私はトンチンカンな感想になりますが、
「レディー・ガガってやっぱりすごいんだなぁ」と思いました。
『人がドン底に落ちた時に、
下の底をポーンと足で蹴り返すものがエンターテイメント』
という誰かの言葉を思い出しました。
『ザ・木蘭』も、
ドン底に落ち込んだ人を蹴飛ばしているのかもしれませんね(^O^)
スプーン曲げ、やってみました!
スプーンを指先に乗せてバランスが取れるところで曲げてみたら、簡単に曲がる!!あまり簡単すぎて、正直ビビったのですが、この程度のことでスプーンを無駄にしたくないので、ちょっと曲がったのを確認したら直ぐに元通りにしました…。
これで僕も気功…、もとい、常温核融合の使い手ですね♪(笑)
「ゴー宣・暫」や「中流絶滅」を読みながらふと
主張したいことを書くのがネット民
主張しなければならないことを書くのがよしりん先生
なんだなと思いました。
【天皇論】について『文庫版ではなく完全版である』というみなぼんさんの言葉に目を開かされました!
恥ずかしながら方針変更!私も買うことにします☆
【天皇論】が世に出た後も、皇統の問題は解決せず、
「日本から天皇がいなくなる」という最悪の恐怖を回避するための時間が、残りわずかとなってしまいました。
そんな状況だからこそ、「原点に立ち返ること」は大切なのかもしれないですね。これからも色んな場面で『論争』と『説得』を続けるためにも、それが必要なのだと感じました。
明日、本屋さんに行きたいと思います♪
>この方は、AKBを熱烈に応援されている方なのですが、
>「同じCDを何枚も買うことに比べたら、ちっとも不道徳じゃない」
>と、私は声を大にして言いたい
ギャフン!!(> <)
な、なぜ私がAKBの同じCDを何枚も買っていることを、
みなぼんさんが知っているんだ!?
否!否!この私が「AKBを熱烈に応援している」などと、
そんな『らしくない』ことは『心のプラカード』にも書いたこと無いですし、私は頭部が『不器用太陽』な中年として、AKBに対しては『控えめI love you !』な気持ちがなくもなくなくないだけです!!
・・・ふぅ。 誤解はとけたでしょうか?
歌会「箸」で思い付きました。
・割り箸の 切れる折れるは 容易くて 見たことがない 曲げてみる奴
スプーン曲げより難しいのではないでしょうか。
HKT48の握手会で、NMB48のCDをぶち壊すなんて、あいつらは絶対ファンではない!
何故あんな事が出来るのか、全く理解出来ない!
『百田がやったことは「批判」ではなく、訃報への「罵倒」である。要は「
売国奴が死にやがった」と言ったのであり、「ザマーミロ!」と言ったに等
しいのだ。』
まだまだ自分の言葉で主張出来ていない自分には、毎回よしりん先生の言葉
遣いは本当にためになる。これが言いたかった言葉だ。
『世界史的な「アメリカ帝国」が完成する』なんて誇大妄想を口にした時点
で、頭がイカレていると瞬時に気付くが、そうか。正しく分析すれば、オカ
ルト・カルト脳の人かぁ。分析と定義付けが素晴らしい!
矢追純一や丹波哲郎のようなエンタテイメント性すらない。気功とやらを真
に受け、故人エピソードにのせるとは。気味が悪い。
恐米隷米、皇統男系絶対盲信。
そんなオカルト・カルト脳の人をムラの頭脳のように誉めそやして、甘やか
して来た産経自称保守論壇。そのオカルト・カルトが蔓延してしまった。今
ココで故岡崎氏をしっかり批判しておく事は、絶対に必要な事である。この
オカルト・カルトに自衛隊と皇室が破壊されないよう、出来る事をしたい。
『天皇論 完全版』を読んでいるが、誰も信じていないかもしれないが、奇
跡を信じて、皇室の存続を祈りたい。これは、オカルト・カルトではない(
笑)。
雷神宮歌会テーマ「道」
○鱗粉に まみれた街灯 眺めつつ 暗い部屋への 帰りを急ぐ
生前の岡崎久彦のアメリカびいきは思い返せばカルト信仰を
思わせるものでしたが、まさか本当に信者だったとは驚きです。
オカルト信仰の情熱というか妄執は本当に厄介です。それが
間違っていても見もせず聞きもせず、省みることすらせず
ただひたすら邁進していく様は自分が恥をかく程度なら
まだいいですが、それが周囲に悪影響を及ぼすほどだと
危険極まりないです。ネトウヨのヘイトスピーチや
バンザイノミクスと揶揄される金融緩和など、今や日本は
オカルト信仰に覆われているように見えます。
僕たち人間って簡単にオカルト信仰に転ぶものなのですね。
岡崎氏はゴー宣の中だけでしか知りませんでしたが、ゴー宣で書かれていた以上にトンデモない人なのですね。
そしてそのトンデモさは自称保守やネトウヨの人たちの共通の特徴というのにも完全に納得です。
早くそのトンデモの人たちが「新たに皇族となる旧宮家子孫」を本気で探してくれることを望みます。
そうすれば無理だと明らかになって女系公認しか道はないとわかりますから。
でも反知性主義の人たちはそれでもわからないかもしれないですけど。
幻想を信じるだけだからオカルトなんですね。
それと【保守】は【反米】であるので、【親米保守】という言葉はあっても【反米保守】って言葉はそもそもおかしいですね。
保守の異端である、というかそもそも保守ではない【親米保守】といわれる人々、産経新聞にはわからないのでしょう。
政権与党はじめこんな人たちばかりが蔓延っているとは残念な世の中です。
なんとかしたい!
日本人の女の子は簡単に引っかかる!? 米国人男性のトンデモ ナンパ術が物議
http://newsphere.jp/national/20141109-1/
たいへん下品な記事ではありますが、ここで言及されている女の子たちと親米保守の姿がかぶって見えました。
道徳の授業の記憶は、教育テレビを見たくらいしか残っていません(汗 そんな授業よりも、家族や市井の人々と接して培った経験や、よく練られた漫画や小説や映画などのフィクションの方が、圧倒的に道徳観・倫理観の形成に寄与していると思います。
本来の道徳であれば「善いことを行う」のが本筋だと思うのですが、学校の道徳教育や昨今の組織研修では、要するに「悪いことをしない」あるいは「何もしない」が限界ではないでしょうか。こういった教育に忠実なだけで世の中が良い方に向かうはずはなく、何処かで誰かが真剣に考え、暗黙のルールも含めた様々なしがらみを、覚悟を決めて和を乱してでも突破できる者(小林先生は典型ですよね)がいなければ、社会は成立しないでしょう。
しかるに、道徳教育でルールや空気に従順な子羊ばかりを育てても無意味なことは自明で、むしろ、法律やルールの枠組みを取っ払って、時空や状況に応じて物事の善悪を真剣に考えられる狼を育てておくことが重要になるはずです。『大東亜論』の頭数の話と一緒ですかね。
問題は、法律とは異なり、場合によっては暴力や人殺しが肯定され得る道徳を、学校の先生が正規の教科として躊躇なく教えられるか、また社会がそれを許すか、という点でしょう。本質的には善を教えることと悪を教えることは同じでしょうから。
道徳教育は、学校に全権委任するのではなく、家庭や地域社会や会社組織やフィクションなども含めた全方位からの文化形成が適切に思います。それを統括しうる基準軸はたぶん皇室以外には無いでしょう。
不作為の責任が問われた薬害エイズ事件を扱った『脱正義論』をはじめ、『大東亜論』など小林先生の思考の足跡を思い返さずにはおれませんね。
先生の本日のブログを読み、改めて道徳心や道徳観とは他人頼みでは無く自分から変わらないと何の意味も無いと、
自民ガーと民主党の現在の在り方も併せ見て痛感しますね、民主党は変わろうとして居る、現代の価値観を見て、道徳観念を持ちながら、排外主義と決別しようとして居ますね、
対する自民ガーは寧ろ排外主義を煽り奉る様に仕向けて居ますね、どっちがマトモか比べりゃ分かるモノですが、
自民ガーを信心するアホはそんなモノには見向きもしない様で呆れるばかりですね、やれやれだぜ。
フィギュアスケートの羽生結弦選手は、在特会と違い、物凄く偉いと思います。日本人の美学・道徳心、そして闘争心を体現してくれました。お若いのに…。心からの感謝と共に、1日も早い回復、そして復帰をお祈り致したい。
ぶつかった中国選手は、とてもじゃないが許せない。然るべき制裁措置をとってもらいたい。
琴の字が間違ってますね。
事と読んで下さい。
多分ニセただしさんも分かってて書いていると思いますので。
突っ込んだほうがいいのかなと思いましたが、突っ込んでしまいました。
youtubeで映像をいろいろ見ましたけど、交通事故でいうところの「両者の前方不注意が原因」って感じですね>この前の羽生の事故
フィギュアオタクのウチのオカンも「アレは中国側が自国の大会で日本人選手を優勝させないように(中国の選手が)わざとぶつかった」と言い張って聞かないのですが(笑)それならそれで違う方法とるでしょうしね。少なくともフリーの直前練習でわざとぶつかることはしないでしょ。
それにしても事故当日や翌日の「羽生の執念が」とか「意地の滑走」とかいう文言が並んだ報道ぶりはウンザリしましたね。選手の安全はどうでもいいのかと。
叢叡世さん、中国選手はホントに悪意が無かったのですかね。もし、そうなら、制裁云々は過剰な書き込みでした。早まってしまった事、反省します。
ただ、羽生選手の行為は、称賛されて然るべきじゃあないかと思うのです。
あっちゃんさん、そういう感じですか。
それに伴う煽りすぎの報道など、問題もあるのかも知れないですが…、羽生選手が、まず、ぶつかった相手の中国選手を心配した事、これは日本人の美学・道徳心を体現してくれたと思うのです。
そして、賛否両論あれど、怪我した身体で本番に挑んだ事、これは日本人の闘争心を体現してくれたと思うのです。
工作と言えば、韓国はどうしようもねえなあ…。
仁川アジア大会ではバレバレの工作をしてまでメダルが欲しいのかと思ってしまいます。
向こうには道徳なんてないんですよ。
大統領からして「公」の精神がなくて「私」しかないんですから。
私の知っている韓国人でさえもその大会に関して憮然(がっかり)としてましたよ。
叢叡世さん、羽生選手が無理を押して出てきたのは、自身の誇りの為だったのだろうと思うのです。プロの誇り・意地かと。
選手生命が終わったと思ったという状態から、また出てきたのは、あの若さにして、死に花を咲かせようとする武士じゃあないかと。
それから、中国が、自国の選手を体当たり要因にする事はあり得るというのが私の感覚です。
韓国、あと中国もですが、道徳心が育たないというのは、その通りだと思います。あと今の日本も…。
国のトップが公を体現出来ず、私ばっかりじゃあダメですよね。