第128号 2015.4.14発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第124回「日本は主権なき従属国である」
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na85さんの通り、ゴー川柳がよかですね(なぜか博多弁)。句会とは気づきませんでした。
日本は米国の植民地ですらなかった…。わかっていても、ついつい他者(この場合は米国)の動向を気にしてしまいますね。「アメリカについていけば100年安泰」の頭の人なら、いつアメリカと日本が合体するか、気をもんでいるところでしょう。
ところで、「アメリカについていけば100年安泰」や「アベノミクスを3回唱えれば景気回復」なんて自称保守がくだらぬことを言っておりますが、あれはつまり、法然の浄土宗の「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土へ行ける」を曲解したものではないかという疑問が出てきました。
あの時代は法然や親鸞、道元、日蓮と鎌倉新宗教が起こりましたね。
蒙古の侵略がアメリカのTPPと重なるが、いったいどうすればいいのか力無き者には歯痒くて仕方ありません。
平和で豊かな時代、例えば米国に守られながら経済発展のみ目指せばよかった高度成長期なら、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人をや」でいいでしょう。不況に入っても未だ平和なら、禅的に一つの道を極めながら政治的に無関心でもいいでしょう。しかし、政治・外交・軍事的な荒波が押し寄せたなら、日蓮の立正安国論が必要となります。しかし今はニセモノの日蓮宗が売国政府の片棒を担ぐ時代ですからね。
だからゴー宣密教金剛乗が必要 na85
>>84の材木さんの歌、上手いと思った na85
>>46
見ましたが少し予想と違うものでした。
GHQ洗脳史観は間違いないのですが、
巧みにアメリカの無法と悪意を隠した
属国ホシュに都合の良い内容になっているという印象です。
また妙に左翼史観が混じっていて、
『天皇の名のもとにはじまった戦争』
と完全な間違いではない巧妙なナレーションで
天皇が勝手に戦争をはじめた、
戦前は天皇に政治権力があり、戦後は無くなったというように
受け取れるナレーションは本当に悪質です。
>>90
完全左の左翼、特に教育に左翼の思想が入った(かつて「日教組」と一括りにされていた)人を釣っておいて、実は戦後民主主義万歳米国追従天皇なきナショナリズムな右の左翼(いわゆるポチ保守)をも釣っていくという、巧妙なやり口ですね。
どちらの陣営からも叩かれたくないから、双方の顔を立ててお茶を濁そうということでしょう。最後に来るのが「戦争は悲惨だ」「二度と繰り返してはならない」のお定まりの言葉でしょうか。
国民は無力でいろ、というメッセージをNHKさんは間接的に発しているのではないでしょうか?国民にニヒリズムを与え、権利だけ主張する割に当事者意識がない国民を増やしてどうするつもりでしょうか。NHKさんは。
>>85
>諫議大夫さん
どうも、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした^^
そして、どうもありがとうございますw
平日にコメント欄などは、拝見しているのですが、コメントは考えを整理して週末くらいにと思っていおりまして、ただ先週末は、ちょっと土日とも飲んだくれてて、いやいや、忙しくて、中々コメントをさせて頂けないでおりました^^;
そんなんだから、ついつい「しゃべクリ」もギリギリの投稿になってしまいます・・・^^;
みなぼん編集長様、申し訳ありませんm(_ _)m
お邪魔致します。
「ミス・ユニバース~」のブログを読みました。
簡潔な文章の中に、言外に「アイヌ問題」とも絡めての見識を述べられた一節、
改めて、やはり小林先生は信頼に足る!と思います。
小林先生ほど(人の属性としてある「差別心」は認めた上で)
人を分断に導きかねない「差別」意識、行動を嫌い、
注意喚起を促しておられる方はいないと思います。
幕末に西洋に植民地化されそうになった日本が
明治維新を経て独立を保ったのは武士階級の活躍に
よるところが大きかった事を考えると、今の
日本が本当に独立国としてやっていくには
日本に暮らす僕達全員が武士道精神を宿すのが
必須だと、道場に参加して今回のゴー宣を読んで
改めて考えが強まりました。
大竹まことさんのラジオ聞きました。とってもおもしろかったし、わかりやすかったです。よしりん先生がブログで書かれていた、自分には「パトリ(郷土)」への帰属意識がないから保守ではないのでは?という疑問は、私も共感を覚えます。静岡から上京してきて、静岡への愛着はあるものの、帰属意識と言えるまでのものはなく、生活の場としてはすっかり遠のいてしまったという感じです。
それに対してよしりん先生が、自分を中心に考えると違う、みたいなことを言われていて、ああ、そうなんだぁと思いました。感覚として、郷土への帰属意識を常にもっていることは大切だと改めてわかりました。今の私の生活の場所、仕事場、家庭について考えたとき、グローバリズムが野蛮に進むことはこれらを崩壊させることにつながるということが、よしりん先生の話を聞きながらひしひしと感じられました。
大竹まことさんの受け答えにとっても好感を抱きました。よしりん先生の考えや立場を聞いて、大竹さんが、今の日本人がこれだけのことをいうなんて、清々しい!みたいなことを言われていましたよね?私の生活はゴー宣と共にあるので、そこまでではありませんが、フラットに偏見なくよしりん先生の言葉に触れると、そういうのが素直な感想なんだろうなぁ、と思いました。聞いてて気持ちがよかったですし、わかりやすかったし、とってもよかったです。金曜日のデイキャッチも楽しみにしています!
切通先生のブログを読みました。
民主主義とは、国民主導主義なのだと気付かされました。
今、国家が危うくなっている事。国民でいる権利が危うくなっている事。戦後ずっと、実は日本では国民が育って来なかった事。国民が居なければ、民主主義は成り立たない事などを、身近な人に生き生きと語れるよう、言葉を磨いていきたいと思います。
武士のように言葉を武器にしていきたいです。
渡辺麻友の「戦う書店ガール」は私も楽しんでいます。大島優子の「ヤメゴク!」がやや現実感に欠ける設定である分、よけい書店ガールを楽しめている自分がいます。私は優子唯一推しなのに…嗚呼。
第1回の書店のポップ是非論は大変興味深いです。書店員の付けたポップが例え売り上げに貢献したとしても、作家の伝えようとした主題とは違うものを紹介している場合があるわけですが、逆にポップの紹介文を押し付けがましく感じた客が購読を控える場合も当然あると思います。
また、炎上ネタを常に探しているようなSNSクレーマーが書店で偶然見かけたポップに反応し、ポップを付けた書店よりも作品や著者に噛みつくことだってあるでしょう(作品を読みもせず)。ネットのレビューによく見られるあれです。
こんな世相ですから、書店員の思いを押し付ける結果につながるポップは受け入れられにくいでしょう。とくに、意見は要らないけど解説だけは欲しいというのがトレンドですから、内容の簡潔な解説よりも書店員個人の思い入れを含んだ紹介文のポップ(どちらかと言えば意見に傾く)は歓迎されないかもしれません。
こうなってくると書店のポップライターは、無難な解説に留まるモノだけ書く人になるか、意見を書いても圧倒的に支持されるタレント性を身に帯びるかしかないでしょう。つまり、極端に簡略化して言えば、池上彰になるか小林よしのりになるかです。天然系お嬢様キャラの渡辺麻友は、物語の中でも徐々にタレント性を帯びていくのだろうと推測しますが…。
意見の押しつけを嫌いつつ解説だけを欲するという現代のトレンドは、聞く耳を持たず議論も噛みあわないという大衆の習性と合致しています。上から目線の押しつけを感じたら不愉快になるわけです。
まゆゆドラマから民主主義の陥穽につなげてみた na85