基本的な考え方は、大橋巨泉氏と同様であるので、「MU(ムー)のブログ」より引用する。
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スリカエやコジツケに満ちた安倍首相の集団的自衛権会見
この男に祖国を任せて良いのか
(週刊現代6月7日号:大橋巨泉の今週の遺言)より
去る5月15日、安倍晋三首相は記者会見を行って、集団的自衛権の説明
に懸命だった。ボクは旅行中の宿の部屋で、全容を見た。紙芝居のような
パネルを使って、「平易に叙す」ことを心掛けたようだが、その内容たるや、
「大ウソ」や「スリカエ」に満ちていて、見ていて気持ちが悪くなった。
率直な感想は、「この人は本当に悪い人だな」である。
まず日本人の母子らしい人が乗った米国の船を《防護できない》としたパ
ネルを出した。これを指しながら首相はいう。「紛争国から逃れようとしてい
るお父さ
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嘘,コジツケ、すり替えは、現在は社会現象化している。法律に抵触すると問題があるが、法に抵触しなければ,嘘、コジツケ、すり替えをしないまじめに生活している人は、すべて不利になる。このほかに、徒党を組む人、声の大きい人が有利になる。安倍総理が、集団的自衛権を説明している内容をそのまま学校で学生に説明することが果たして許されるのであろうか。とても民主主国家とは言えず、日本人の特性を利用した独裁国家にほかありません。集団的自衛権を議論する前からマスコミが雁首並べて、総理の応援団化していては何をかいわんやである。
NHKはじめすべての報道機関が報道しており、社会的に認知しなければならない報道ということになる。政府が、一方的に公共放送を利用して持論を展開できるのは、民主主義を悪用したものではないか。報道するのであれば、同じように反対意見も同じ時間をかけて説明すべきではないか。
この国はついに狂ってきました。問題はあるが、国会で多数決で決まったことであればまだ許されるが、国民が反対しているので、何としても考え方を変えさせようとして、総理自ら、誤解を解くという名目で、電波を利用するなど、民主主義国家とは言えない。北朝鮮と同じ全体主義国家である。
大橋巨泉、なかにし礼、菅原文太、野坂昭如らは頑張ってますよ。
若し、仮に石原裕次郎が生きていたら、「兄貴、俺たちが求めていたのはもっと恰好いいものじゃないか」みたいなセリフが聞けそう。
国民の現役組と家庭のテレビフリークは殆どが安倍親衛隊かそれに同調するもの。ゴマスリしなくてよい世代は次世代、次々世代の為にもう一度汗をかかねば。
平素、私が感じていることと同じことを大橋巨泉さんも仰ってくれましたか。
思うに、今の首相は、その議論をテレビなどで聞いていて、とても論理的で常識的な思考の持ち主とは言えません。ただ個人的な趣味や信念を国民に押し付けようとしている、世間知らずで危険なお坊ちゃんに過ぎません。
何故か今の社会は学歴などを問題にしてはいけない雰囲気がありますが、私は学歴も人物を判断する際の大切な要素の一つであると思っています。彼の出身大学は成蹊大学で、決して偏差値の高い大学ではありません。しかも、小学校から大学までずっと一貫校で来た方なので、入試というものを経験しておられません。人は幾度も受験勉強を経験することでそれなりに成長して行く側面があるのですが、彼は学生時代から甘やかされて育ち、恐らく身を入れて一生懸命勉強したこなかったのでしょう。法学部卒といいながら、彼の憲法論など聞いているとお粗末そのものです。
こんな方に大切な政治や日本の行く末を任せ切りにしていて、果たしてよいものでしょうか? 心配で堪りません。
いろいろ感じてるに違いない筈なのに、唯々諾々と彼の命じるままに従っている、彼の取り巻き達の不甲斐なさにも腹が立ちます。
やっぱり学歴にはあまり触れないほうがよいとおもうよ。
かれの知性に問題があることはかれの支持者のあいだでも周知の事実。
でもそれは安倍のドメスティックな属性で出身大学の偏差値にはあまり
関係ないと思う。
かれはたとえば慶応大の出身でも比較的容易にありえたはず。
安倍晋太郎がなにがなんでも息子の慶応のお受験に努力すればね。
小泉純一郎も息子を母校に入れなかった。
関東学院大学は成蹊よりさらに偏差値が低いけど息子には安倍より
ずっと知性をかんじる。
ま、安倍より上だといわれても本人は喜ばないだろうけど。
それよりその安倍に取り入ってゴマをすってる取り巻きたちの学歴は
すごいはずですよ。
安倍よりずっと見下げ果てた連中でしょう。
今朝、目覚ましかけてそれでもうとうとしながら、やっと文化放送「お早う寺ちゃん活動中」を聞きました。
交渉事はお互いの譲歩がどうしても必要です。北方領土、えいやっと真ん中に線を引いて3島返還でどうでしょうか?
それならロシアも乗ってくるような気がするのですが。
(歴史も、細かい事情も何も知らない一国民の感想です)
さらに学歴の話。
人間は受験でみがかれるというのはそれなりに同意できる話です。
もっとも6・3・3・4制度の申し子である我が身を振り返れば
磨かれたところでたいして光らない人間もいると認めざるを
得ないのですが。
それにしても成蹊であれ慶応であれ小学校から大学まで内部進学
というのは誠に志しが低いといわなくてはなりませんね。
当然、本人でなく親が、ですが。
それにはふたつの問題点があります。
ひとつは子供が自分の同類と小学生から高校生までを過ごすことです。
ずっとおなじ顔ぶれで出会い別れもなく。
人間形成がなされるもっとも大切な時期に。
もうひとつはまったく学力の担保がないことです。
慶応出身でも分数の掛け算ができるかどうか保証がない。
日本最大の製造業の社長に幼稚舎から慶応というひとが就任したとき
おいおい大丈夫か、バランスシートは分かるのか、グラフは読めるのか
と友人と話したことを思い出しました。
政治家の場合問題となるのは最初のほうでしょう。
6・3・3・4であればクラスに教師の息子もいれば豆腐屋の娘もいます。
それが出会いと別れを繰り返すのです。
それがどれほど大切か。
小学校から大学まで成蹊ではまわりには会社役員の子やらのハイブローの
均一の境遇の子ばかり。
安倍のような学習能力と想像力の低い男には政治家となる場合、最悪の
環境といえるでしょう。
それであんな最悪の政治家ができてしまいました。
学歴を無視する気持ちはありませんが、それ以上大切なことは社会性獲得のための、自己否定体験ではないか。
私も、思春期は、自我との戦いでした。自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。数年間は、どうしたら、自我から抜け出せるかの戦いでした。自己を殺すというか、忘れるというか、脱却するというか、自己否定が進めば進むほど、親とか先生の言葉ががよく分かるようになりました。
仲間同士の話は会話にならず、すぐ取っ組み合いの喧嘩になったのが、自己否定によってクラスの中で皆が議論する雰囲気が出てきたように記憶しています。私たちの年齢の人は皆このような環境の中で成長してきたのではないでしょうか。
今の社会的指導者は、この自我脱却のステップを踏んでいないのではないか。体験不足による社会性欠如の方が、学歴より問題が大きいと見ています。
首相の学歴に触れることをタブー視される向きが多いようなので、こだわる訳ではありませんが、もう一度だけ書かせていただきます。
日本ほど表向き、学歴を重視することを憚る国民も少ないのではないでしょうか? 恐らく、かってあまりに学歴偏重に走りすぎた時代が続いたことへの一種の反動でしょう。 でも、就職試験でも何でも、本音の部分ではいまだ出身大学を気にする風潮は無くなっていません。採用に際し、大企等業で広く採られていた指定校制度も、表向き撤廃されているようで、その実、それに近いことが今も行われているのは、やはり学歴重視のやり方にそれなりの合理性が認められるからにほかなりません。だからこそ、世の親たちは子供がまだ小さいうちから、競って塾通いをさせたがる訳です。
他国の状況はと言えば、韓国・中国などはもとより、欧米諸国でもいわゆる偉くなる人たちは皆、立派な学歴の持ち主
です。例えば、アメリカの歴代の大統領を見れば、殆どがハーバード大学卒(オバマ、ブッシュ親子、ケネディ、フランクリン・ルーズベルト、セオドル・ルーズベルトほか)か、イエール大学卒(クリントン、フォードほか)で占められています。イギリスの首相はどうかと言えば、やはり大多数がオックスフォード大学卒(キャメロン、ブレア、サッチャー、ウイルソン、ヒース、ヒューム、イーデンほか)で占められ、他はエディンバラ大学卒(ブラウン)、ケンブリッジ大学卒ぐらい。メージャーのように、高校中退という方もいない訳ではないが、ごく稀です。
そこで日本ですが、田中角栄氏首相のように経済的に貧しくて上に進めなかった方は別にして、安倍氏ように名門に生まれ、その気になればどこへでも行けた方の場合は、やはり少し出身大学を少し気にせざるを得ません。
その安倍一族ですが、晋三氏の兄の安部寛信氏は東大(法)卒、弟の岸信夫氏は小学校から大学まで慶応ですから、何故
晋三氏のみ小学校から成蹊なのかは多少、不思議といえば不思議です。