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  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】ネット民は日本の最下層だ! 「だが、それがいい」第18号

    2013-01-28 07:00  
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    もうネットなしの生活には戻れそうにない無銘のマサフミです。
    前回に引き続き大阪市立大学大学院特別講義「岡田斗司夫と、これからの豊かさを考える」後半の模様をお届けします。

    先ごろ川上量生氏の言葉として押井守氏に引用された「日本では最下層の人間が全部ネットにぶら下がってる。これが日本の特殊事情だ」という発言が物議をかもしました。
    小林よしのり氏は『道徳の時間』対談で「日本という国には“庶民”がいなくなって“大衆”ばっかりになっちゃたよ」と発言されました。
    講義後半ではこのお二人の発言を受けとった岡田斗司夫が何を考えたのかを見てみましょう。

    私も最下層民ってことですね。
    何をするでもなくネットを覗き情報を集めては、事件や有名人を見て批判したり揶揄したり悪口を言ったりしてしまいますからね。それは情報に左右されている大衆の姿でもありますね。

    やっぱり最下層民も大衆も嫌だなあ。どうせなら庶民よりもやっぱり上流階級がいいですよね。そんな上流階級が本当はどのようなものだったのかは、ぜひ書き起こし全文で御覧ください。
    上流階級、本当にそれがいい?

    それでは後半の模様をお送りします。まずはハイライトからどうぞ。


    ************************************
    日本には「最下層民」なんていうのが今のところ存在しない。そこにあるのはただ単にだんだんだんだんお金が少なくなっていった中流だけなんです。みんなちょっとでも上に上がろうとしちゃうんです。だからみんな苦しいんです。 下層階級とか最下層民なんてちょっとでも上に上がろうと努力したりなんかしませんよ。ちょっとでも上に上がるとは働くということですから。働くよりは生活保護をくれ、酒をくれ、博打させてくれしか考えないものなんですね。どの国の最下層民も。

    【1:09:56~1:12:55】

    でも今の日本の「下流階級向け」っていうふうに川上さんが言ってるようなものについて、メディアはどういうふうに言ってるのかというと「いかに負け組にならないのか」「いかに自己啓発するのか」、あと、「どうやれば安く済むのか」っていうような、まだ上昇志向があることばっかりなんですね。そういうことからも、 日本には「最下層民」なんていなくて「貧しくなった中流があるだけ」だっていうのが、僕の考えです。

    で、ここまでは「下層」の話でした。「日本には最下層民がネットに集まっている」に関して僕が思ったのは、そうではなくて「貧しくなった中流」しかいないからだというのが答えです。みんな人との関わりが大事で、人に遅れるのが嫌です。何せ、中流ですから。 みんなが持ってるものを自分も持ちたいと思う。それが中流の行動様式ですから。
    だからスマホやパソコンや携帯という情報機器を持って、周りの情報を得ているんですね。

    その結果、 酒とか博打などのお金がかかるストレス解消策ではなくてネットの悪口というお金のかからないストレス解消法を見つけただけなんですね。 これもおそらく酒や博打に比べて同じ程度には有害なんですよ。ネットで人の悪口を言うっていうのはその程度には有害なんですけども、でも酒や博打程度には楽しくて、酒や博打よりは遥かにコストがかからないんですね。

    だからといって、ネットで人の悪口を言うことだけ考えてだらだらしてるやつもあまりいないところが日本のおもしろいところです。だって 日本で人の悪口ばっかり言ってる人たちというのは必ず2ちゃんねるとかどっかで「こんなことやってて俺は駄目なんだよなあ」というふうに、自分自身を卑下するようになります(笑)。それは最下層民の行動様式ではないんです。 だから、すねた中流がいるだけなんです。貧乏な中流か、貧乏な結果すねた中流がいるだけであって、日本は徹底的に中流国家であることは変わりがない。

    「いやいや、そうでなくて上流階級はいるでしょう。経済の格差はこんだけあるんだから、上流階級はいるんじゃないのか」というのに関しては、じゃあここから話します。ここまでは「下層」に対して光を当ててきました。じゃあ上流っていうのは何なのか。

    【1:12:55~1:15:01】

    「上流階級」の前に、日本はじゃあさっき中流と言いましたけども、どんな人たちがいるのかというのに関して、ついこの間、僕、小林よしのりさんと対談しました。そこで出て来た話をさせてください。

    小林よしのりさんは『ゴーマニズム宣言』というマンガで一時期すごいブームになりました。その前は元々『おぼっちゃまくん』っていうマンガで少年ジャンプで一山当てたマンガ家ですね。20世紀の終わりぐらいに『ゴーマニズム宣言』っていうので大ブームになって、あとオウム真理教と徹底的に戦って、現在は言論活動のようなマンガを描いておられます。

    で、彼がこの間対談した時にすごくおもしろかったのが、 「いつの間にか日本という国には“庶民”がいなくなって“大衆”ばっかりになっちゃたよ」とおっしゃったんですね。 すごくおもしろかった。僕はそんなふうに考えたことがなかったんです。「“庶民”と“大衆”との差は何ですか?」と訊いたら、「いや、簡単だ」と。小林さんは原子力発電所反対だからこれを例にとるんですけども、「例えば原子力発電所を考えてみよう」と。

    生活実感としてどうかというと、高度成長時代に原発なんて1つもなかった。1970年の大阪万博の時に初めて東海村で原子力発電所の雛型が完成したわけだ。ということは、高度経済成長っていうのはいつまでかっていうと1968年とか69年なんですね。つまり日本が1番活気があって経済成長したことに対して原子力発電所っていうのは何ら寄与していない。役に立ってない。じゃあその後はどうなのか、現在はどうなのかっていうと、現在の家電ってどんどん省エネ化してるじゃない。どんどんどんどん省エネ化していって、昔のタイプの冷蔵庫とか昔のタイプのエアコンに比べて50%とか70%しか電気食わなくなってる。僕らの社会というのは徐々に徐々に、実は何年か前から電気をあまり使わない社会になりつつある。で、現に今年の夏なんて、原発稼働がゼロになっちゃった。ゼロになって結局困ったかというと困ってないじゃない。こういうのが「庶民の知恵」だ。というふうに、小林さんは言いました。

    「庶民」というのは何かっていうと、それが客観的かどうか、科学的かどうかっていうのを考えないんですね。現に自分たちの経験と照らし合わせて、「高度成長時代の時は原発はなかった。だから今いるかって言われたら別にいらねえんじゃね?」と実感できることだけで考えて、現に今家の電気代というのはどうなっているのかって、それだけしか見ない。

    今年と去年と、5年前10年前と比べて電気代はどうだったか。確かに明らかに下がってるんですね。僕自分で電気代払ってますけど。下がってるんですね。
    ということは、僕らの生活というのは徐々に徐々に電気を使わない方にいっていると。これが「庶民」の自分の足元しか見てない時の考え方です。

    でも、今、学校の先生とかがどういうふうに教えてるのかというと「原発に関しては是非あるんだけども原発を止めてしまうと電力不足で困る」というふうに、中学とか高校の先生でも教えちゃってる。それを小林先生は批判します。何でかというとそれは「庶民の知恵」じゃないだろうと。 中学とか高校の先生なんて「庶民」じゃねえか、と。なのに何で自分の家の電気代とか自分が子どもの頃の経験に照らし合わせた自分の足元からの発言っていうのができなくなっちゃってんだ。 何でかっていうとみんな「大衆」になっちゃったからだと。

    「大衆」とは何かっていうと「マス」だ。「マス」とはどういうことかというと、扱われやすくなった民衆のことだ。と、小林さんは定義します。 「民衆」っていう人々の大きい状態があって、それぞれはみんな自分の生活実感があるんです。例えば大阪の人と東京の人は考え方が違う。東京の人に受けるようなことをやっても大阪では受けなかったりする。農家で受けるようなことをやったら都会では駄目と言われる。都会で受けるような政策を言ったら農家では反発される。それは当たり前だと。何でかというとそれぞれが「庶民」だからですね。自分の生活実感があるから「そんなことやられたら農家は困ってしまう」「うちは困る」っていうふうに「庶民の知恵」として反対するわけです。

    ところがそういう 生活実感から人間を切り離して情報だけで扱えるようにした状態。それが「大衆」だと、小林さんは定義するんです。 「大衆」っていうのは何かっていうと大衆向けの報道機関、マスコミってやつですね、「マス」ですから。マスコミに与えられた情報っていうのをそれが本当だと考えてそれを合理的に呑み込もうとする人たちっていうのは、塊として動くと。だからいきなり何か「反対だ!」っていうふうに言ったら動き出す。ネット右翼が騒ぎ出すとネット右翼の方に行くし、今なんか「竹島問題だ!」と言うと竹島問題の方に行く。それは何でかっていうと 自分の生活実感として近所にいる中国の人、韓国の人、俺の友達の中国人、韓国人というふうに考えずに、いきなり情報で得ただけの「韓国とは」「中国とは」という知識だけで判断しちゃう。この状態を小林さんは「大衆」というふうに呼んだんです。

    僕は何か「これはおもしろいな」というふうに思ったんです。僕のそれまでの発想にはこんな考え方がなかったんですね。「庶民」対「大衆」なんていう対立軸がなかった。

    では、小林さん。「知的大衆」っていう言葉どう思いますか?っていうふうに訊いたら、
    「“大衆”は知的なものに決まってるじゃんか」 というふうに言ったんですね。

    「知的」っていうのは何かっていうと情報でコントロールされやすくなった状態で、さっき僕が話した「人」が「人材」になるのと同じく、「民衆」が知的になって「あっ、俺はもう“庶民”じゃないんだ」もしくは「何も知らないんじゃないんだ。情報弱者じゃないんだ」というふうに自覚を持った状態が「知的大衆」なんですね。
  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】大学は原発と同じだ! 反大学!脱大学!卒大学!?第17号

    2013-01-21 07:00  
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    大学受験の季節になりました。今でも試験の夢にうなされる無銘のマサフミです。
    今回は昨年11月に行われた大阪市立大学大学院特別講義「岡田斗司夫と、これからの豊かさを考える」前半の模様をお届けします。
    大学での講義にも関わらず「大学は無駄じゃないのか、それどころか社会にとって有害ではないのか。まるで原発のようなものだ」という物騒な問題提起で始まります。
    大学は本当に無駄なのか。親や学生自身が多額の授業料を払ってまで行く必要はないのか。それともやっぱり行ったほうがいいのか。
    センター試験が終わったばかりの今からでも受験をやめるべき?
    あ、でも私はそんなことまで偉そうに言える立場ではないんですよね。
    私も大学生だったことがありました。でも親の補助金じゃぶじゃぶ使うは、あと一年、あと一年って成果もなしに居続けるは、結局卒業もできなかったって本当にひどいですね。
    これからどうしたもんじゃろ。
    では講演前半の模様です。まずはハイライトからどうぞ。
    ************************************
    あと、ここら辺は言いにくいんですけど、 僕にとっての現在の大学の問題点ですね、「巨大である」「無駄が多い」。それ以外に「有害である」と思います。
    大学があるだけで利益があった時代もあると思うんですけども、今は大学というものが存在するから社会の中によくないことが起こってると僕は感じます。
    これはこれまでに言った大きな仕組みの話ではなくて、すごい身近な個別の学生の話なんですけども、日本の生徒って高校生ぐらいまでは比較的真面目なんですね。不真面目なやつもいることはいるんですけども大体みんな毎日学校には来るんですよ。
    毎日学校には来て、理由もわからずとも先生の言うことを聞いて、一応クラスで1時間だったら1時間の授業中座っていて、終わったら帰るっていう生活を繰り返しているんですね。
    そして夏休みになったら休む。でも始業式が始まったらちゃんと学校に来る。そうやって学校には毎日来るっていう規則正しい生活をやっている。
    これが何かっていうと、ぶっちゃけ言うと元々は工業社会を前提にした「人」というのを「人材」にするための仕組みなんですよね。 学校教育というもの自体が教養を与えるという表の目的と、人間を人材化するという裏の目的があります。「表と裏」って言っちゃうと何かまるで人材化するというのが汚いことに聞こえるんですけど、そうじゃありません。

    明治時代以前の農耕社会の日本っていうのは、いわゆる朝起きたら働き出して、その日の働きが終わったらおのおの家へ帰るという、大変時間的にルーズって言ったらルーズな社会だったんですけども、これが明治以降、大量生産の工業社会になると朝同じ時間に全員が同じ場所に出勤して、同じ服を着て、同じ作業をするっていう大量生産、工業社会の中の一員にならなきゃいけないようになりました。
    そうすると「人」っていうのでは駄目で「人材」にならなきゃ駄目なんですね。「人」が「人材」になるためには読み書き算数ぐらいはできなきゃ駄目だ、とかですね。あと基本的な、合理的な思考みたいなものも身につけてなければ駄目だ。簡単な会計計算みたいなものもできなきゃ駄目だし、できれば料理とか工作とかそういうふうなものも覚えた方がいいよねって、それはどれも「人材」になるために必要なことなんですね。
    僕らの教育システムっていうのは、ある一面人間の知的好奇心とか学びというふうなものを伸ばすというのがあるんですけども、それと同じぐらい重要なものとして1人の人間、いわゆる西洋人が考える野蛮な状態から文明人の状態に持っていく仕組みとしてある。 朝起きたらちゃんと働きに行って、夜帰って来て寝るという規則正しい生活を続ける「人材」に持って行くための仕組みで、そうやって高校生までかけて一応子どもを「人材」に近いところまで持っていった、その先に大学という場所がある。
    これ賛否両論あると思います。「そんなことしたら駄目だ、子どもをもっと自由にさせるべきだ」という意見はあると思います。豊かな社会であれば子どもをもっと自由にさせても構わないという話にもなるんでしょうけれども、僕がいる大阪芸術大学という、言い方は悪いんですけども底辺校に近いところではどんなことが起こっているのかっていうと、大学ってものが有害なものになりつつある。
    それは何かと言うと、 高校ぐらいまではちゃんと学校に行っていた我が子が、大学に行くと少しでも授業を取らなければ得だというふうに考えるようになる。 授業に出なくてもレポートさえ出せば単位がもらえる、そんなクラスがあればそこに参加して単位をもらうようになる。授業中でもとりあえず先生の監視がなければこっそり出て行って外で友達と喋るようになる。
    確かに高校でもそういうところはあるんですけども、それはかなり底辺高校でないいとないんですよ。でも日本の大学では東京大学、京都大学、大阪大学をはじめとしてどんな頂点の大学であっても学生たちの大半はこのように少しでも授業を取らない方が得だ、そして ちょっとでも興味がない授業であれば脱け出して外で友達と喋ることがまるで経済的に正しいかのように振舞うんですね。
    その結果、「人材」というものがボロボロになってしまう。 それまで苦労して育成してきた、言っちゃえば朝ちゃんと起きて夕方まで学校にいて帰ってきたら自分の休みになるという、ある程度の規則性を持った 「人材」としての育成を作ってきた状態が、大学に行くことによって駄目になってしまう。
    だから結局大企業にしても、まあ中小もそうなんですけど、企業が学生を面接する時には、まずそいつが「人材」としてまだものになっているのかどうか、まだこいつ朝起きられるのかどうか、まだこいつ約束したことが守れるのかどうか、そんなことからチェックしなければいけなくなってしまう。ここまできちゃうと、エリート養成時代の大学だったら「ま、エリートなんだから優秀で真面目なんだけどもたまにはそういう外れたやつもいるよ」というふうなことで済んだんですけども、ほとんどの人間が大学に行くようになってしまった今や「人」を「人材」にせっかくしたのに、もう1回駄目にする。こういう機能を現に大学は持ってしまっているんですね。
    だからどの大学でも教員やっている方は同意してくれると思うんですけども、大学の1年生で入って来た4月、5月の学生たちっていうのはすごいやる気に溢れてきらきらしてるのに、3年生、4年生になると何であんなにやる気がなくなるのか。それはカリキュラムが悪いのか、うちの大学のやり方が悪いのか、それとも最近の学生が悪いのかっていうふうに考えちゃうんですよ。
    でもそうじゃないんですよ。 大学という仕組み自体が実は有害なんですよ。有害なんだけども、すごく少しの人にちょっとだけ教育を与える時はこんな仕組みがあっても何とか作動してたんですけども、大部分の人が行くようになってしまったらこの有害さの方が大きくなっちゃったんですね。 大学っていうのはある種いいものなんだけども、あり過ぎると社会悪になると。そこまで言ったら言い過ぎかもわからないですけど、そういうことに気がついた方がいいと思うんですね。
    大学は巨大過ぎる。無駄過ぎる。有害である。
    それに対抗して、僕が考える……ってことはないんですけど、じゃあこれの逆やればいいんじゃないの?
  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】岡田「俺はいいひとじゃない」書籍制作秘話を全公開!第16号

    2013-01-14 07:00  
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    今回は『「いいひと」戦略』制作の裏側を公開します。
    本書はマガジンハウスで行われた講演がベースになっているのですが、書籍にするには数万字ほど足りませんでした。そこでライターである私・批評のヒロユキ(竹内寛之)と書籍リーダーであるマクガイヤーのリュウタロウとで、夜な夜な打ち合わせしていたのですが、一向に埒が明きませんでした。かくして、東京某所に岡田とFREEexメンバー、そして担当編集者の天田さんをお呼びし、編集会議を行うことにしました。
    編集会議では、ホリエモンや橋下市長のキャラクター上場の話、そして岡田の「俺はいいひとじゃない」という本の根幹を揺るがすような発言まで飛び出しました。いいひと戦略の有用性を語る岡田自身がそんなことでいいんでしょうか?(実は、いいんです) 
    また、もともと公開する予定のなかった会議なので、単行本には載せられなかったネタまで出てきます。ここまで内輪話を明かしちゃっていいのかなぁ……。妙に心がざわついているのですが、今回もど〜んと公開しちゃいます。
    それではハイライトからどうぞ。
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    リュウタロウ:キャラクター上場の実例として岡田斗司夫を出すとして、ガイナックスを退社してから作家デビューしたときは、上場にはまだ届いてなかったんですか?
    岡田:本来ならガイナックスを退社するときにキャラクター上場できるチャンスだったのに、あそこで才能だと思ってしまった。次に、物書きとしてやってために才能をどんどん伸ばそうとしたから、延々苦しい戦いを強いられることになった。そこで開き直って、 コンテンツが大切だと思い込んでオタキングexを作ったんだけど、途中で「あれ、これキャラクターだわ」と気がついて、現在方針転換したという流れ。
    リュウタロウ:で、コミュニティとしてのFREEexを作ったと。
    岡田:FREEexじゃなくてクラウドシティでいいんじゃないですか。っていうのは、クラウドシティの市民の人たちも読むから、クラウドシティが何のためにあるのか、分かるようにすればいい。
    リュウタロウ:そこで3Cの話を出せば大丈夫そうですね。
    岡田:大丈夫そうですね。3Cってかなり分量あると思うんだよ、説明しようとしたら。ただ、『いいひと戦略』でそこまで語って意味があるのかな……。これ(3C)って、上場しないとなかなか作れないですよね。まぁ、でも、上場しなくてもミニマムな形で3Cってできるのかな……できるな、うん。
    リュウタロウ:どう、ヒヒョユキくん、大丈夫そう6章? 実際に書くのヒヒョユキくんだから。
    ヒロユキ:このあいだ(の打ち合わせで)3Cとか入れたじゃないですか。で、シンセのトモカズさんの話を伸ばして……、たぶん行けるんじゃないかなぁ。
    岡田:うん。ここ(いいひと戦略)で書くのは具体的ステップで、ここ(キャラクター上場)では何を目指しているのかを語る。これ(イヤな人戦略)をやってる人がこれ(5、6章)を読んで憧れられると一番いいわけですよね。こんなふうになれればいいなと。そんなの無理じゃないか。いや、実は江戸時代とか近代以前にも例があるんだ、現代でもやってる人はいるんだって形で示せばいい。ホリエモンのビジネスサクセス本みたいなもんで、こうやれば金を稼ぐことができるとか、こういうふうにすればビジネスに成功することができるみたいな夢を、ここ(6章)でちゃんと語ることだと思うんですよ。ある人にとっては「自由」に見えはずだし、ある人にとっては「成功」にも見えるはずです。
    リュウタロウ:キャラクター上場の実例として、ホリエモンも入るんじゃないかって話が出ていたんですが。
    岡田:入ります。 ホリエモンはコンテンツなり才能で勝負しようとして敗れて、キャラクターに切り替えてからメルマガで稼いで大成功しているわけ。
    リュウタロウ:では、収監されたのもキャラクター強化としては正しいと。
    岡田:大変正しい。キリストは死んで三日で生き返ったけど、ホリエモンは一年半かかる。
    岡田:あと、キャラクター上場の実例で、今のうちに橋下市長を書いておくのもいいと思うよ。つまり、大阪維新の会を「キャラクター上場の集団」として捉えるかどうかですね。あそこには明確なコンテンツ、つまり党の方針みたいなものもないけど、公約みたいなものは結構左右される。これをビジネスモデルみたいだという人もいるんだけど、キャラクターだと考えればもっとはっきりする。 橋下さん以外の人がどんなに「維新の会の公約を守ります」とか「維新の会の理念を理解しています」と言っても、おそらくそれにはあまり影響力がない。
    リュウタロウ:橋下さんの話で思い出したんですけど、5章のBの「改良点を提案する」っていうのはイヤな人戦略じゃないかってところで、なんとなく分かるんですが、もうちょっと少し詳しく語って欲しいです。
    岡田:はいはいはい。あのね、改良点を提案するっていうのは、オレオレKK*戦略なんですよ(*元クラウド市民)。以上、説明終わり。
    会場:(笑)。
    岡田:では、オレオレKKがなぜイヤな奴なのかを考えればよろしい。っていうのは、オレオレKK君がやっていること、もしくはオレオレKK君が「俺はこんなこと言ったのに」ってところだけ見れば、完全に「いいひと戦略」のはずなんですよ。でも、僕らにはそうは見えない。なぜ彼がイヤな人に見えるのか、ちゃんと説明すればいい。
    【00:23:25】
    リュウタロウ:『いいひと戦略』の方で足りないのは、社長自身の実例かなというのが一つあったんです。『いつデブ』でいうところの「メロンパンで泣いた話」とかが必要だなって。
    岡田:却下。
    リュウタロウ:え〜(笑)。
    岡田:リュウタロウが一番最初から食いついてきて、行けるかな〜と思ったんだけど、そこを当て嵌めようとすると、この本全体の軸がブレないかな。
    リュウタロウ:たとえば、伊集院光がラジオで『いつデブ』を取り上げたときの話とか入れられませんか? あの後、『ひとり夜話』か『遺言』のどっちかで社長が「伊集院光が謝ってきたらすぐに許そうと思ってる」って言ってて、なんか「いいひと」だなぁって思ったんですけど。
    岡田:それ、ここに嵌められるかな? 個別のエピソードでは言えるけど、ここに嵌めるのはすごくしんどい気がする。
    リュ:その結果、キャラが解脱したっていう。
    岡田:あ〜、それやると完成形の俺は「いいひと」じゃないといけなくなるじゃん。
    リュウタロウ: えっ!? そういう立ち位置で書いているんじゃないんですか?
    岡田:(うな垂れながら出口ドアの方へ……)
    リュウタロウ:いまだ再加速状態ということですか? 僕、「いいひと」が書いてると思ってたんですけど。
    岡田: 俺は「いいひと戦略」を通り抜けて、キャラクターとして上場しているから、もうこんなもんやらなくていいんだよってヤツだよ!
    リュウタロウ:そうなんですけど(笑)。
    岡田:去年の何月かくらいに「いいひと」になったけど、もう大丈夫って話(笑)。
    リュウタロウ:いやいやいや、「いいひと戦略」の軌道に到達し、キャラクター上場までしてる岡田斗司夫が書く『いいひと戦略』って意味ですから。『いつデブ』を伊集院光がラジオで取り上げたのが数年前のことなので、「数年前は再加速とか巡航の状態でした」って説明できると思うんですが。
    岡田:え〜、な〜んかしんどいな、な〜んかウソがあるな。「いいひと」じゃないな。「いいひと戦略」をとってはいるんだけど……。
    リュウタロウ:オタク大賞で悪口言うの止めたとか。
    岡田:あ〜、それは戦略だよな。
    ……実例、必要ですか?
    ヒロユキ:うん。
    岡田:え〜。
     
    リュウタロウ:いや、そうすると、岡田斗司夫がキャラクター上場してFREEexを作ったって話に上手くつながると思うんですけど。
    岡田:え〜、うん……。
    メンバー:戦略ですしね、あくまで戦略の実例ってことで。
    リュウタロウ:そうそう。オタク大賞を止められたのは、「いいひと戦略」だって言われるとすごい納得なんですが。
    岡田:いや、そういうことじゃ……。
    メンバー:たぶんこの戦略自体は、一般人がこうやった方が受けるよって話で、キャラクター上場の過程を受けてこうなってますって例ではないって話をしたいと思うんだ。
    岡田:あ、そうですね。つまり、ここ(キャラクター上場)に行ってる俺が言うから通用しなきゃダメな気がするんだけど、ホリエモンがこれを言ってるとしましょう。 ホリエモンが「いいひと戦略」の結果、ここ(キャラクター上場)に行ったのかといえばそうじゃないよね。ホリエモンは上場してから「いいひと戦略」の方が得なことに気がついて、そちら側に切り替えつつある って言った方がいいんじゃない? 俺もそうなんじゃない?
    リュウタロウ:あ〜。
    岡田:上場してから、「しまった! 若い頃からこうやっときゃ良かった!」って話ですわ。
    リュウタロウ:そっかそっか。で、上場してからも、助走、離陸、上昇をやるにしても、一般人の教科書には成り得ないからっていう。
    岡田:いや、それはなるよ。話としては、これをとったから私はこうなんですって本ではなくて、この位置(キャラクター上場)にいた私は、これ(いいひと戦略)にやっと気がつきましたと。後輩のみなさんに、これを先に教えておきたい。 俺とかホリエモンとかひろゆきみたいな、特別な運みたいなものを持っていて、たまたまここ(キャラクター上場)に行けたらそれでも構わないんだけど、普通の人はこれ(いいひと戦略)を考えるのがもっとも効率的なはず ですよ、という言い方だよね。
  • 【岡田斗司夫のニコ生では言えない話】嫌な人になる努力をサボろう!一年の計はいいひと戦略にあり第15号

    2013-01-07 07:00  
    220pt
    あけましておめでとうございます。
    昨年は岡田斗司夫に格別のお引き立てを頂きありがとうございました。
    今年も昨年同様、岡田斗司夫とFREEexをよろしくお願いいたします。
    読者の皆様のご健康を祈念すると共に、「いいひと」同士の新しい出会いの一年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

    昨年お送りした前半に引き続き、「いいひと」戦略セミナー後半の模様をお届けします。
    前半はハイパー情報化社会、相互レビュー社会では「いいひと」が生きていきやすい社会になるという話でした。それを受けて後半では具体的な「いいひと」戦略の中身について考えます。
    ぜひ今年の目標には「いいひと」戦略を加えてみて下さい。まずは「嫌な人」になる努力をサボること。
    今年一年、読者の皆様が「いいひと」に囲まれ、また皆様が周りの方々にとって「いいひと」でありますよう、重ねてお祈り申し上げます。

    それでは講演後半の模様をお届けします。まずはハイライトから。無銘のマサフミでした。

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    「いいひと戦略」の具体的メソッドっていうのを説明しようと思ったんですけども、その前にちょっと自分にとって嫌な話をしなければならないんです。「いいひと戦略」ってのを僕が発見した際にですね、大反省したわけですね僕は。
    「しまった、俺の今までの人生なんだったんだ」 って。
    俺の今までの人生でほとんど「いいひと」って言われたことがないんですよ。
    最近、朝日新聞の人生相談で、なんかこう頭の中からひねり出してガーって回答やってると、「いいひと」って言われるようになってですね、俺53年間で初めて「いいひと」ってこの1年くらいで言われるようになったんです。
    それまでの人生はというより、たぶん僕の今の基本ポジションってそんな「いいひと」ではないと思うんですね。
    だからこうやって「いいひと戦略」って話すのにふさわしいかどうかわかんないんですけども。
    ただ、「いいひと戦略」ってのは素のいいひととかですね、子供の頃からいいひとって言われた人には、こういう戦略として浮かばないんですね。
    そうじゃなくて、「それは素直に考えればいいのよ」とか「周りの人を許せばいいのよ」っていうですね、ディテールしか出てこないですよ。
    もっとちょっと根本のところから、何でそういうふうにしなきゃいけないのかっていうのを、僕みたいにいろいろ自分なりに頭もいいつもりでやってきた人が、なんでこんなうまく行かないのだろう、そうか!俺「いいひと戦略」とってなかったからだ、って気づきがないとなかなかつかまえられない。
    というわけで、 逆に、「嫌な人戦略」ってのを説明します。
    「いいひと戦略」の逆です。
    これもダイエットと同じですね。
    ダイエットで痩せるために何をすればいいのかっていうのは、あまりに意味が無い。
    そうでなくて、自分の行動というのをレコーディング、記録して、自分がどれだけ太る努力というのをしているのかわかれば、自然に太る努力を避けるようになり、体重が徐々に徐々に減少する。
    その結果、得られた、体重が減っているという事実に自分がわくわくして、結果的に痩せるようなことがやりたくなってしまうというのがレコーディングダイエットの基本的な考え方です。
    レコーディングダイエットというのは、メモをすれば痩せるというものではないんですね。
    そうではなくて、自分の心理っていうのをいかに「俺ってこんなに太ることに頑張ってたんだ。でもそれって望んでやってるわけじゃないよな。じゃあ、それをちょっとさぼってみよう。太る努力をさぼってみよう。あら、効果が出てきた。面白いぜ。」っていうこの面白がり方がレコーディングダイエットの根本のコツなんですね。
    じゃあ「いいひと戦略」も同じです。まず「いいひと」になるためにはどういうふうに考えるのでなくて、今自分が悪い人、「嫌な人」になっているのかっていうのを考えてみればいい。
    で、 「嫌な人」になる努力ってのがですね、よりによってこれまで自分がね、これが効率がいいとか、これが正しいとか、この方が戦略的にいいと思ってたことばっかりなんですね。
    いわゆるさっき言った、視野が狭い状態です。
    悲観的な人、ネガティブな人っていうのは、悲観的であったりネガティブであったほうが後のダメージが少ないという短期的な視野で考えているだけなんですね。
    でも、自分の人生を長期的な視野で考えてみると、1年365日のうち、だいたいをネガティブに考えてることになってしまって、そうすると人生50年のうち45年ぐらいをネガティブに考えていることになるから、いや、前もってネガティブに考えているからこそ実際のダメージが少なくなったってダメージの少なさより、ネガティブなことを考え続けていることによるダメージの方が多いっていうことになってしまう。そういうことには視野を長期的にしないとなかなか気が付かないんです。
    それと同じように「嫌な人戦略」を自分が知らず知らずのうちにとっているっていうのは、やっぱり僕が短期的にしかものをみていなかったからなんですね。
    例えば僕は人の欠点を探すのがすごくうまいです。欠点を探すのが。
    で、ここから先、意外なんですけど、改良点をみつけて提案するのもうまいです。
    一見いいように思えますよね。ただし、覚えておいて下さい。 なにかの改良点を見つけて、こうすればいいんですよって言ってあげることは実は「嫌な人戦略」です。 意外なことに。
    次にですね、 本人に言ったら傷つくだろうから陰で言うのも「嫌な人戦略」です。
    善意があるとか悪意があるとか、関係ないです。
    陰で言うってことは「嫌な人戦略」として正しい。正しいっていうかですね、「嫌な人戦略」になっちゃいます。
    あとは、当たり前ですけど 悪口で盛り上げるというのもそうですし、悲観的、否定的になるっていうのも、それが自分自身のことに関してなるのは勝手なんですけども、人のことに関して悲観的になったり否定的になったりするのも「嫌な人戦略」になっちゃうんですね。
    そうすると、「嫌な人」と周りの人に思われてしまってすごく損です。
    あとですね、これも意外なことですけど、 面白い人とか、頭のいい人とか、気の合う人ばっかりで集まるというのも「嫌な人戦略」です。
    良さそうに見えて逆なんですね。さっき言った改良点みつけて提案する、とかですね、これもですね一見いいことのように思えるんですけど、逆なんですよね。
    この「嫌な人戦略」を説明してから、「いいひと戦略」の具体例を1個ずつやっていきます。