今、DAN BROWNのINFERNOを読んでいる。
DAN BROWNの小説は、筋と関係なくいろいろな事実がでているのが面白い。それが彼の本が世界的人気を持つ理由であろう。
INFERNOの中で、心理学の「否認(否定) (denial)」が出てくる。
「「否認(否定) (denial)」は、一般的に、防衛機制の一種。外界の苦痛や不安な事実をありのままに認知するのを避ける自我のはたらき」と記述されています。
DAN BROWNは「人間のマインドは防御システムを持っていて、脳が扱うのにあまりに大きすぎるストレスがでてくると、その存在自身を否定する」と記述しています。
多分これが今、日本の人に起こっていることでないでしょうか。
「原発事故の最も深刻なのは地震である。福島原発の事故は地震関連でも生じている。地震の危険が存在する以上、原発の再稼働は出来ない」
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いわゆる「疾病逃避」という状態ですね。日本人には一番理解されない(したくない)概念なのでよく「甘え」と表現されます。この用語を日本社会の病巣として適応することは正鵠を射ていると思います。
日本人が英語圏の人間と同じ社会体制を形成しているのに合理主義を毛嫌いする証左の一つです。なぜならこの精神疾患を治療するためには合理的に現状を受け入れ、外部と自己を認識し、スケジュールを組み、行動していかなければなりません。マクナマラ戦略そのもの。
ここには日本人の大好きな「精神(思考放棄)万能主義」が介在する余地がないのです。考えない限りその問題は存在しないという日本特有の「甘え」戦略は本人に治す意思と周囲の協力なくして快癒はありえません。
しかしスノーデン氏同様、鳩山氏への日本人の態度を考えると治す意思があるのかどうか。城外から迫る危険を知らせると処刑され、近臣どころか市民全体で追従を求める国なぞ滅びるのは時間の問題だ。日本人は直ちに「医師」の言葉に耳を傾けねばならない。本当に直ちに。
この類のお話は孫崎さんの仮説に「多分そんなところだろうなァ」と毎度頷いていますが、それでも「なんで日本はそんな人ばっかりなのだろうか?」と思うことしきりです。
前の戦争で負けたとき、もう「大本営発表」には懲りたハズで、更には3.11で国民は「大本営発表」を決定的にバカにするようになった。漸く日本も中東/ラ米並みに、いよいよ大衆が目覚める時が来た...とまァ、そうは全然ならないワケですが。
今日日、猫も杓子も年がら年中スマホにご執心で、彼らと意識の中に広大な地平線が続いている孫崎さんとを比べると、想像力/予想力に雲泥の差があると思います。TPP、原発、憲法を自公のヤリたい放題にさせたらどうなるか、具体的にイメージできるのが孫崎さんで、からっきしピンとこないのがダメ大衆。もうイルカとゾウリムシくらい違う。今度そういう人を孫崎さんのスタジオに招いて、インタビューしてもらいたいです。
>>6 p_f氏へ
インタビューの予想 ハクスリー『すばらしい新世界』より
“君は自由になれたらと思わないか、レーニナ?”と彼は尋ねる。
“言っていることがわからない。私は自由で、最高に素晴らしい時間を自由に過ごせる。今は皆が幸福なの。”
彼は笑った。“そう、‘今は皆が幸福だ。’子供達は五歳の時からそう教えられる。だけど、何か違う形で自由になりたいとは思わないかい、レーニナ? 例えば、皆と同じ風にではなく、自分だけのやり方で。”
“言っていることがわからない”彼女は繰り返した。
>>7
件のご引用ありがとうございます。
ウィキでチェックしたところ1932年の小説ということですが、痛烈ですね。
「言っていることがわからない」と繰り返す相手に、孫崎さんが「なるほど、なるほど」と、取り付く島がなくなる図が目に浮かびます;)
孫崎氏のコメントは何を言おうとしているのか、はっきりしない。その1つの理由は本を完全に讀了していないせいかもしれれない。讀了し、考えをまとめてから、insinuation でなく、はっきりと主張すべきだ。伝えたい notion があるならば。
権力は向こう側でCIAと同様あらゆる手段を独占している。反権力側の我々の手段はせいぜいが「口コミ」。反権力側に居る人間は何時もあらゆる場所で常に大きなハンデを背負わされている。一方で、「民主国家日本」では両者対等に北朝鮮などとは違い、自由に論戦が可能だという錯覚を持たされている。事実はウソで民間でも役所でも自由にものを言えば組織の人事中枢から睨まれ、処刑こそないものの出世など不可能になりヘマをすればクビになる。孫崎さんは我々読者に「口コミ」でも「ネット」でも何でも良いから拡散し喚起してくれ!と切望している。私にはそんな風にしかみえない。今後も孫崎さんには元気よく正確な情報を以て旗振りを続けて貰いたい。即ち、孫崎さんメルマガが『なにを言いたいのか…』が、良く分かりますよ。 (^_^)
「分ける」この言葉の考察は愉快ですね。デカルトしかり。キリスト教しかり。「分けます」。これと趣きが違うのが、仏教の特異な点です。
「分かれる先の教え」例えば、分別とか・・。頭では無理なんです。納得不可能なんですね・・。欧米の著書に『妙好人』なんぞ、見たことも聞いた事もない・・・!