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ども。きょうも暇な海燕です。暇だから仕事をすることにします。
というか、パソコンの前に座ると指がかってに記事を書いているんですね。
テーマとコンセプトを決めないまま思いつきで記事を書くと薄い記事になるので良くないと思うのだけれど、頭から思考が漏れ出て指が動くことはいかんともしがたい。
お前の頭には穴があいているのか、と思われるかもしれませんが、あいているのですよ。で、そこから思考がだだ漏れになっているのです。困ったものです。
それにしても、この日常の暇さをどうにかする術はないものでしょうか。
いや、いまも積読と積み映画は山になっていて、その意味では「忙しい」という言葉すら使いたくなる状況なのですが、だからといって毎日毎日、本ばかり読んだり映画ばかり見て過ごせるかというとむずかしい。
ノンフィクション系の本はまだしも、映画は感情移入して見て初めて価値を持つものですからね。1日に何本も見ることはできそうにありません。だから、どうしてもいつも暇な時間ができる。
毎日たっぷり8時間眠るとして、それでも1日は16時間あるんですよね。
このうち2,3時間くらいは仕事(ブログの執筆)に使う必要があるとして、まだ13時間前後は残る計算になる。この13時間をどう使うかが課題です。
13時間。
一切無駄に使わなければ、本を2,3冊に映画を2本くらいは十分に消化してまだ余る時間ではある。
しかし、それは机上の空論。じっさいには、毎日そんなにコンテンツを消化していたら疲れ切ってしまいます。ブロガーに休日はありませんし。
だから、毎日本を1冊、映画を1本、漫画を数冊くらいは消化するとして、あとの時間は他のことに使いたい。
が、この「他のこと」が思いつかない。
まあ、毎日1時間くらいウォーキングする必要はあるでしょう。夕飯を自炊する場合は、そこにも1時間程度は費やす。
食事にも朝昼夕合わせて1時間以上はかかると思います。そのほか諸々の雑務でも時間はなくなるはずではある。
それでもまだ毎日4,5時間は余る。もっと余る日もある。この余った時間をどう使うか。いつも迷うところなのです。
じっさいには、ベッドに寝転んでスマホをいじっているうちに時間が過ぎているということが多いのだけれど、それはさすがにもったいない気がしてならない。
もっと有効に時間を使う手はないものなのでしょうか。記事の執筆でも、コンテンツ消化でもない第三の道はないのか。
いや、ほんと、何かいい暇つぶしはないですかね? ネトゲとかかなあ。
でも、
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コメント
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集まりに参加するといいと思います。
アウトプットとインプットのバランスが偏らないようにすればいいかと。
どこかに出向いて人と話してくる時間にするといいと思います。
海燕(著者)
東京だとイベントいっぱいやっているんですけれどねー。新潟だとなかなか。ないことはないけれど。
海燕さんのこういった記事を読むと、気になることがあります。それは、真性のひきこもりについてです。
海燕さんは自称ひきこもりですが、実際にはある程度の労働とコミュニケーションを取っています。それでも、時間の使い方に悩んだり、たまった趣味を消化しきれずにいます。
これが真性のひきこもりだと、どうなるでしょうか。彼らは時おり、皮肉をこめて羨ましがられることがあります。
しかし、「ひきこもりの才能」がない限りは、毎日が地獄のように感じられているのではないかと思うのです。
何らかの役目や使命を持っていないと、人生ってけっこう辛いかもしれません。自分に何かを課すのを常に自分で行うというのは、かなり大変な作業なんでしょうね。
海燕(著者)
ひきこもりの専門家である斎藤環さんの著書によると、ほんとうに部屋から出られないような重度のひきこもりの人は、やることがなくても退屈を感じないそうです。常に自責の念にさいなまれて退屈を感じる余裕がないからです。それは辛いでしょうね。「ひきこもりは仕事しなくてよくて楽している」みたいな考え方がいかに的外れかわかります。