『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の上映が3月8日に決まったそうですね。おそらく会議に会議を重ね、熟考の上にも熟考を経てこの日に決まったものと思われますが、予想よりだいぶ早い。初夏あたりになるんじゃないかと思っていたので嬉しいです。

 あとはこのままコロナが収まってくれることを望むばかりですが、そうはうまくはいかないかもしれませんね。

 さて、ここでいままでの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を振り返ってみましょう。『序』、『破』、『Q』と三作続いてきたわけですが、この構成はそのまま「起承転結」の「起」、「承」、「転」であるように思えます。

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 いままで出ている情報によれば、『シン・エヴァ』が「結」になることは確定的であるようなので、この四作で物語は綺麗に「起承転結」を構成することになるかもしれません。そうなると良いのですが。

 いままでの三作のなかでおそらく最も評価が高いのは『破』のクライマックスあたりでしょうが、最もショッキングであったのは間違いなく『Q』でしょう。

 主人公でありながらヒーローであることを拒絶しつづけてきた碇シンジが、その主人公の座から追放されたとも見ることができる衝撃的な展開の連続は、絶賛とともに激しい拒否反応をも呼びました。

 まあ、いまどきのアニメにあるまじき「鬱展開」が延々と続いているわけで、「こんなのってないよ!」な反応が返ってきたことはむしろ自然にして当然といえるかと思います。

 いくら調教もとい訓練済みの『ヱヴァ』ファンたちといえど、さすがにあの苛烈な展開はそうそう受け入れられないことも無理はないところかと。

 ただ、もちろんそこで物語が終わるわけではないわけで、『シン・エヴァ』ですべての伏線が回収されて綺麗なエンディングを見られたならば、『Q』を否定していた人たちもくるっとてのひらを返すであろうことは予想できることです。アニメオタクなんてそんな人種だ。

 いやまあ、『シン・エヴァ』までじつに10年もかかったために、いままでてのひらを返すチャンスもなかったのですが。

 この10年間で、日本の社会情勢はよりいっそう深刻化し、また、エンターテインメントの世界もだいぶ様変わりしました。ぼくたちが「新世界系」と呼んでいる作品群もすでに古くなり、次の世代の物語が登場して来ているのが現状です。

 『鬼滅の刃』は