よくいわれることだが、小説においては、かならずしも物語が唯一の本質ではない。しかし、それは普段読書しないひとや、物語性を重視した作品を中心に読んでいる人には、納得しがたい言い草かもしれない。そんな方も、レーモン・クノーの『文体練習』を読んでいただければ、非物語中心的な小説の面白さをわかっていただけると思う。
ある日の正午頃、モンソー公園のあたりを走るほぼ満員のS系統のバス(現在の八四番)の後部デッキで、私は非常に長い首をしたひとりの人物の姿に注意を引かれた。リボン代わりに編み紐を巻きつけた柔らかいフェルト帽をかぶっている。
暁の女神のばら色の指がひび割れを起こしはじめる時刻、放たれた投げ槍もかくやと思われんばかりの素早さでわたしは乗り込んだ、巨大な体軀に牡牛のごとき眼(まなじり)を備え、うねうねと蛇行する道を行くS系統の乗合バスに。戦いに望まんとするインディアンのごとく鋭敏にして正確なる我が目は、その車中にひとりの若者の存在を捉えた。駿足のキリンよりもなお長き首を備え、中折れのフェルト帽に編み紐を巻いたその勇姿は、まさしく文体練習の主人公そのものであった。
昼はちょいと過ぎでたんだけどよう、やっとこ、Sに乗ったのさ、そいで、もち、金を払ってよう、したら、間抜け野郎がいやがってよう、首ばっか長くって、ばっかみてえなもん、かぶってよう、紐巻いてんだぜ。
ねえねぇ、この前さぁ、お昼にぃ、バスとかのぉ、うしろのぉ、デッキでぇ、変なやつをぉ、見たんだけどぉ、首がぁ、すっごく長くてぇ、帽子とかにぃ、編み紐みたいなのをぉ、巻いてんのぉ。むかつくじゃんん。
バスはゆくゆく
バスはゆく
S系統の
バスはゆく
通りを抜けて
くねくねと
ガタゴトバスは
揺れてゆく
日差しも暑い
昼ひなか
お客を乗せて
バスはゆく
帽子かぶった
年若い
首なが男を
乗せてゆく
ああバスはゆく
バスはゆく
正午太陽在中天 巴里猛暑御見舞
貴賎不問是発汗 乗合大車揚砂塵
頭部看板其名S 後部開放台混雑
吾見奇天烈若者 小生意気青二才
其首細長如麒麟 其帽子周巻編紐
ある日 前から後ろから お昼に 前から後ろから バスの 前から後ろから 後ろの 前から後ろから 混んでる 前から後ろから デッキで 前から後ろから リボンの 前から後ろから 代わりに 前から後ろから かぶった 前から後ろから 長い 前から後ろから 首の 前から後ろから 男が 前から後ろから
コメント
コメントを書くウンベルトエーコも文体練習やってたね
>原文はホメロスの『ホメロス』『オデュッセイア』を意識しているらしい。
『ホメロス』ではなく『イリアス』だろうな。推敲頑張れ。
むしろ訳者が凄い
同じストーリーをいろんな画風で描く漫画版もあったな。
こういう試みは好きだな
ちょっと待て、文体模写といえば清水義範が日本にはいるだろうが。
前後ォォォン!
>>9
そういや清水義範が似たようなことやってたね。
ひとつの文を太宰治で書いたり夏目漱石で書いたり。
小説家ごとの「背後で爆発が起きて振り返る」 とか
冨樫優太は高校の卒業式の日に「みんなとお別れしたくない」と言い泣きながらMAHO堂に立て籠もりました。