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8
九十九は、その獣の正面に立っていた。
無数の首が持ちあがり、無数の眼が九十九を見ていた。
しかし、同時に、同じくらいの無数の首と口が、
げええ、
がああ、
血肉の塊(かたま)りや、何かわからないどろどろとしたものを吐き出し続けていた。
幾つかの口が、体内に溜っている毒素を、赤黒い鶉(うずら)の卵ほどの大きさのものにして、吐き出しているのも、これまでと同じだ。
だが、それらは、この獣の無意識がやっていることのように見えた。
たとえば、それは、心臓の脈動のようなものだ。
たとえば、それは、肺の呼吸のようなものだ。
あるいはそれは、歩行のようなものだ。
心は何か別のことを考えていても、それらの臓器や脚は、自分の動きを続けることができる。
しかし、その獣の本体、その意識は、今、はっきりと九十九に向けられている。
「久鬼、おれだ。九十九だ」
九十九は言った。
と――
その獣の中心あたり。
獣毛に覆われた部分に、何かが盛りあがった。
そこから、せりあがってくるものがあった。
ゆっくりと、月光の中へ――
それは、人の身体であった。
水中から、人が、だんだんと頭を持ちあげてくるように、人が、上体をゆっくりと起こしてくるように、その姿が見えてくる。
頭部。
顔。
肩。
胸。
腕。
腹。
裸体である。
白い肌をした、男の上体の裸体。
知っている。
他人ではない。
それは、久鬼であった。
久鬼の身体が、今、獣の体内から生(は)えてきたのである。
久鬼は、眸を閉じていた。
この間にも、獣は、肉を吐き出し続け、毒素を吐き出し続けている。
その獣の吐き出したものが、獣の周囲に溜ってゆく。
もの凄い臭いだ。
血肉を吐き出せば、吐き出したその分だけ、獣の身体は縮んでゆくようであった。
毒素を吐き出せば、その分だけ、獣は元気になってゆくようであった。
げえええ、
があああ、
ち、
チ、
ち、
くるるるるるる……
るるるるるるる……
獣が、低く喉を鳴らしている。
久鬼の上体が、その獣の中心に、真っ直ぐに立った。
体液にまみれて濡れた髪が、白い額に張りついていた。
ゆっくりと、その眸(め)が開かれてゆく。
潤いのある、美しい黒い瞳が露(あら)わになった。
その眸が、九十九を見た。
しかし、まだその眸は、何も認識してはいないようであった。
「久鬼……」
九十九が、つぶやく。
久鬼のその眸に、わずかな光が宿った。
「九十九……」
久鬼の唇が動いた。
「わかるか、久鬼、おれだ……」
九十九は、穏やかな、低い声で言った。
浅く、一歩、前に出る。
ぎる、
ぎるるるる……
いくつかの首が、頭部を持ちあげる。
「どうして、ここに……」
久鬼は言った。
おまえを助けるために……
九十九は、その言葉を口にしようとした。
しかし、口にできなかった。
助けるといっても、九十九にはどうしたらよいのかわからない。
その方法を持っていなかった。
このまま、久鬼玄造たちの来るのを待って、さらに麻酔弾を打ち込んで、久鬼をあの保冷車に収納するのがよいのか。
それが、できるのか。
問われて、九十九は、途方にくれた。
「おまえを、救いたい……」
それだけを言った。
正直な気持ちだった。
どうしていいのかはわからないが、それだけは、間違いがない。
ああ――
もしも、ここに真壁雲斎(まかべうんさい)がいてくれたら。
雲斎なら、どうするであろうか。
しかし、今、ここに雲斎はいない。
初出 「一冊の本 2013年9月号」朝日新聞出版発行
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何十年ぶりの邂逅だろう。人生、紆余曲折あって一巡りした出会いと言っていいのでは。
この二人が言葉をかわす時に出会えるとは。間に合ってよかった。
九鬼のたった一人のツレだよね
九鬼は、どうなる。
九十九はキマイラを倒せるだろうか。
曼荼羅変まであと何年かかるんだろう・・・
感慨深いなぁ。この二人が見えるのを読むのは。