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アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは“元祖バカ外人”マッドマン・ポンド、日本への想いです!
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あの日あのとき、ああしていれば、きっと今頃は……と後悔することが誰しも生きていれば一度や二度あるはずだ。
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あの日あのとき、ああしていれば、きっと今頃は……と後悔することが誰しも生きていれば一度や二度あるはずだ。
2014年4月28日後楽園ホール。この日、72歳の誕生日を迎えたグレート小鹿の試合が行なわれていた。小鹿は星野勘九郎と稲葉雅人と組み、沼澤邪鬼&塚本拓海、そして、6年ぶりに来日した“元祖バカ外人”ことマッドマン・ポンドと対戦した。
自身の誕生日記念試合ということで、得意技のアイアンクローでポンドを仕留めようと考えていた小鹿であったが、久しぶりに来日したポンドは、観客が自分の活躍をもっと見たがっているはずだと思い、その見せ場である小鹿のアイアンクローを拒んでしまったのだった……。
マッドマン・ポンドは、1969年6月24日米イリノイ州の田舎町フローラ出身。20歳でデビューし、IWAミッドサウスやJCWなどのインディー団体で活動していたところ、アブドーラ・ザ・ブッチャーの推薦を受け、2000年の夏、大日本プロレスのリングに上がる。当時、大日本プロレスは、ザンディグ率いるCZW軍が猛威を奮っていた。CZWと仕事をするようになる以前の大日本プロレスは、マイク・サンプラスが外人招聘係となっており、元ECWのムスタファ・サイードや、タワー・オブ・ドゥームなどを連れてきたものの、正直なところ、パッとしなかった。そこに現れたのが、ザンディグ、ワイフビーター、ニック・ゲイジら、残虐なデスマッチを得意とする、ウルトラバイオレント軍団CZW軍だった。ポンドは、ゲイジやワイフビーターらのように、ザンディグ門下生というわけでもなかったし、それまでCZWには、わずか数試合しか参戦したことがなかったのだが、CZW軍の一員として来日することになった。<会員ページへ続く>
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