0ff55adcaa4a4171c84d87e89d41a3778e1d4216
咲間“不良先輩”ヒロトという格闘家がいる。プロ戦績は決して恵まれたものではなく、プロデビューは35歳と遅咲きだった彼が格闘技に打ち込んだのは、人生を償う理由があった。格闘技に出会ったのは違法薬物により収監された先の刑務所。格闘技に出会わなければ
希望が持てなかったのだ。このたび格闘技のジムをオープンする咲間“不良先輩”ヒロトにそのヘヴィーな人生を振り返ってもらった。

人生ドン底からプロ格闘家へ!次の目標は自分のジムを出したい!
https://camp-fire.jp/projects/view/230772


【1記事から購入できるバックナンバー】

【チャーリー徹底解剖】RIZIN海外事業部・柏木信吾12000字インタビュー

新生UWF解散・至近距離の真実……冨宅飛駈15000字インタビュー

都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される■斎藤文彦INTERVIEW

「GSPの日本人スパーリングパトーナー」が語る英雄の真実■赤沢幸典

佐山聡に鉄拳指導された当事者が語る「地獄のシューティング合宿の真実」

Uのミライを見た女――高岡左千子「私は運気からUWFのスケジュールを組んでいたんです」

運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>

【2万字超えの激白】山本喧一インタビュー「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」




――
咲間さんは“不良先輩”と呼ばれるくらいですから、昔は相当悪かったんですよね。

咲間
 話を聞いた人がドン引きするぐらい悪い世界にいましたね。でも、何か不良伝説があるわけじゃないんですよ。ヤンキーはヤンキーなんですけど……たとえると三田佳子の息子に近いのかなって。

――
覚醒剤絡みで何度も逮捕を繰り返している三田佳子の息子さん。

咲間
 立派な親に甘やかされてて、犯罪を犯して……っていう。自分の場合は更生できましたけど、だからってかっこいい話じゃなくて情けない話です。いまの世の中は薬物の問題って誰にでも起こりえることだと思うので、自分の過去を話すことで薬物の怖さを知ってもらいたいですし、格闘技と出会えたことで人生が変わったことを伝えることも格闘技の恩返しなのかと。

――
咲間さんは今度格闘技ジムをオープンするにあたりクラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/230772)を行なってますが、そこでも過去について触れてますね。

咲間
 クラウドファンディングは、パラエストラ八王子で練習をさせていただいていた金原(正徳)さんに勧められたんですよね。昔からジムは出してみたいとは思ってたんですけど、選手の格が追いついていないというコンプレックスがあって。川尻(達也)くんもジムをやろうとしてるけど、実績はまるで違うじゃないですか。 とりあえずクラウドファンディングをやることにしたんですが、自分の経歴を洗いざらい書かないと、人の心は動かせないだろうなと。そうしたらまあまあ反響があって。 ビタ一文、集まらないぐらいの感覚だったんですけど、本当にありがたいです。

――
咲間さんは現在41歳ですよね。先ほど「格闘技と出会えたことで人生が変わった」とおっしゃいましたが、格闘技はいつ頃始めたんですか?

咲間
 31歳のときですね。

――
だいぶ遅い年齢ですね。

咲間
 はい。刑務所から出所してから格闘技ジムに通うことになって。

――
なるほど。それまでは格闘技は何もやってなかったんですか?

咲間
 格闘技の「カ」の字もなかったんです。一切興味もなかったですし、魔裟斗選手や山本KID選手とか有名な選手ぐらいしか知らなくて。 DEEP、修斗、パンクラスの存在も知らなかったですね。

――30代を過ぎてから、しかも出所後というのが異色ですね。

咲間
 バックボーンといえるものは、刑務所の中で運動する時間が30分間だけあるんですよ。そのときにやる腕立て伏せです。

――バックボーンは刑務所の中の腕立て伏せ。30分間しかできないんですか?

咲間
 それ以外の時間に運動すると懲罰なんですね。いまでも格闘技のバックボーンは何かと聞かれると「刑務所の室内運動」ってふざけて言うんですけど(笑)、それは間違いではないんです。30分の中で最初は腕立て伏せ15回から始めて、それが30回になって、50回になって100回になり200回になって……その200回を5セットできるようになったり。ここを出たら格闘技をやるのが唯一の希望だったんです。格闘技という目標がなかったら出所しても絶望のまま生きていたかもしれないです。格闘技が自分の人生を変えてくれましたね。

――
中には何年いらしたんですか?

咲間
 3年半ですね。執行猶予期間中に違法薬物で逮捕されて4年4ヵ月の実刑を食らったんですが、模範囚ということで刑期が早まりまして。

――
執行猶予期間中に再び……。そもそも咲間さんはどうして犯罪に手を染めてしまったんでしょう。

咲間
 10代の頃、上京して専門学校に通って音響の勉強してたんです。演者の方もやりたいなと思って歌の専門学校にも通ったんですけど、生活費を稼ぐためにパブのウエイターをやろうと。時給もいいので面接に受けに行ったら、その店はじつはホストクラブだったんです。ホストクラブは求人誌に広告を出せないみたいで。そのまま働いてくれってことになって3年近くホストをやるんですけど、生活が昼夜逆転するし、夜の世界が楽しくなっちゃったこともあって専門学校もやめちゃって。そこから転落人生が始まったんです。 ホスト、キャバクラのボーイ、SMクラブの受付をやったり。デリヘルやソープランドでも働いて。 

――
夜の世界でやることはやりつくしたというか。

咲間
 全部やりました。でも、一時期はその世界にいたことが、まともに見えるほど落ちぶれていきましたからね……。それはクラウドファンディングでも書きましたけど、ホストをやってるときに覚醒剤をおぼえて……19歳の頃ですね。ホスト仲間に勧められて始めたらハマってしまって。初めて逮捕されたのは19歳の頃なんですけど、傷害罪でクスリは関係なかったんですよ。渋谷の道玄坂の道路が封鎖されるぐらいのケンカをして。

――
大捕物ですね。

咲間
 こっちは3人で相手は1人だったんですけど、凄く強くて3人がかりじゃないと歯が立たなかったんですよね(笑)。そのときは罪状が傷害なので尿検査はされなかったです。 示談も取れて初犯だったので略式罰金刑で済んで。もう改心なんてしなかったです。

――
クスリで捕まったのはいつなんですか?

咲間
 26歳のときですね。傷害罪から7年ぐらいあいだが空いたんですけど。

――
それは7年もクスリ漬けの生活だったということですよね。破綻はしなかったんですか?

咲間
 破綻はしてたんですけど……自分が破綻してるとは思ってなかったんです。 体重も49キロしかなくて。

――
うわっ。

咲間
 身体はガリガリ。26歳で逮捕されたときはキ◯ガイが街を歩いてるようなもんですよ。本当にヤバかったと思います。

――
自分がどんなふうに暴れていたか覚えてますか?

咲間
 ところどころですね。けっこうヤバいことをやったなというのは覚えてますけど、そんな細かくは思い出せないです。目が合った相手や、身体がぶつかった相手を引きずり回したり……。

――
……周りの友達から心配されなかったんですか?

咲間
 周りもクスリをやってるんですよ。

――
ああ、なるほど。

咲間
 そうなってくると、良識のある人間はつるまないじゃないですか。

――
仕事はされていたんですよね?

咲間
 25歳頃までは折り合いをつけていた、という言い方は変ですけど。六本木のディスコで黒服をやっていたときは、薬と仕事をなんとか両立させてましたけど。結局両立なんかできないんですけどね。ある日、仕事もやめて24時間ずっとやってる感じになったんです。仕事をしていれば、仕事をして寝て……という1日のサイクルがあったんですが、昼も夜も関係なくなると、なんでもありになってきて。

この続きと、IGF旗揚げ戦、中嶋勝彦vs鈴木秀樹、中西学引退、RIZINカメラマン…などの3月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「9万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ 


この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事90円から購入できます!