もちろん、それでもどうにか生きていけるから、そういう状況になっているという面もあるだろう。ただ、これからの世の中はますます世知辛くなることが予測されるから、「働くことが苦手」といって済ませられる状況は、どんどん減っていくのではないだろうか。そのため、今からちゃんと働くということを身につけていないと、いざ働かなければならなくなった時に、最悪の場合路頭に迷ってしまうということにもなりかねない。
そこで今回は、就職に失敗する若者たちというものを考察しながら、「人はどうすれば上手く働けるようになるか?」ということを考えてみたい。
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全く仰るとおりで素晴らしいです。
私が就職した職場では、サビ残・休出、お客さまからの理不尽な謝罪と要望を解決する等が日常でしたが、希望の職種だったので「こんな私でも間違いなく世の中の役に立っている」と平気でした。
その後転勤になり、とてもホワイトな職種になりましたが…お察しください。
これからの若者は、会計のようなマクロな視点を身につけて、マクロとミクロの板挟みの中で答えがない問題に取り組むための「知恵」を育んでいかなければ、働くことが苦手なままになり、たいした働きにならないということでしょうか。
知恵が育まれてないからすぐ死のうとするんですよね。
うまくいっていた時代のやり方を教える。
ただ、ピークを超えると、だんだんと弊害が出始める。
そして、その方法が上手くいかなくなり始めたときに、教育方法を考え始め、試行錯誤を始める。
しかし、教育は急に方向転換できないので、社会と教育にはタイムラグがあると思うのですが、
いわゆる、ゆとり世代は、社会と教育のタイムラグの時代に育ったということでしょうか?
>>1
コメントありがとうございます。
ブラックでも充実感がある、というのは非常に重要な視点だと思います。
>>2
そうですね。マクロな視点というよりもメタな視点で、よそで用いた解決方法を違う局面に「応用」「転換」する技術、知見を育んでいく必要があるのだと思います。
>>3
本当にそうですね。問題を解決する醍醐味を知らないままでいるのはいかにももったいないと思います。
>>4
まさにそうですね。教育にも経済政策にもタイムラグがある。その狭間に生まれてしまった者ははっきり言ってピンチですが、しかしピンチは同時にチャンスもあるので、それを活かすと大人物が生まれるように思います。そういう素地も、ゆとり教育世代は持っているのですね。すでにその萌芽は、そこここに現れていると感じます。