日本の政治情勢は今、危機的状況にある。そう思って最近、「21世紀の戦争と平和」(徳間書店)を上梓した。
私以外の多くの著名人もそう感じているようだ。例えば、「元祖プレイボーイ」と呼ばれ、作家であり作詞家の野坂昭如氏は昨年12月9日に亡くなる2日前、TBSラジオでこう発言していた。
「たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない」
「花の画家」の異名を持つ日本画家の堀文子さんも昨年、NHKテレビで「日本が危険な瀬戸際。物事が崩れはじめると、ガラガラと崩れちゃいます。ですから、崩れる前に、騒がないといけない」と危機感を募らせていた。
さらに天皇陛下も昨年1月、「本年は終戦から70年。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考え
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米国に追従する人が、世の中で、勢力を得、いつの間にか追従国家国民の様相を呈している。精神も蝕まれ、米国化が当たり前のことになり、日本人の精神が希薄化し、「忍耐力」が欠け、すぐ切れてしまう。理性のかけた衝動的方向に動きやすくなっています。
追従するのが一概に悪いとは言えないが、平和憲法と真逆の方向を目指す日米同盟安保条約「戦争を想定した協力関係」が幅を利かし、中国、北朝鮮に対峙する方向として、国民の意識を惹起させ、「交戦権を認めない」憲法の精神を忘却させようとしている。このような状況が進めば、米国のかく乱戦術(ウクライナで実行されている)によって、戦争の道を歩みかねない。米国にとって、自国の領土でなく、自国の兵隊が対応するのでなく、何ら自国の実害に及ぶものでなく、従順な日本人が喜んで戦争をする姿を見て、作戦が米国の思う通りに展開し満足感を覚えるのでしょう。「YES」「NO」が言えない国の関係は正常でなく、主従関係、隷属関係といえる。あまりにも不平等な地位協定に、我々日本人は隷属を意識しているか。意識していないのでしょう。世界では当たり前の沖縄の問題が、本土の問題として自覚できなくては、救いようがない。
日本の政治家たちは、「反省」という言葉を知らないようだ。
第二次大戦で悲惨な結末を味わったにも関わらず、「なぜ、あんな戦争を始めてしまったのか」「なぜ、戦争に負けてしまったのか」など、一度として反省をしていない。
だから、再び戦争をして、力尽くで他国を侵略しようと考える輩が出てくるのだろう。
イラク戦争でも、各国が反省をして、あの戦争は誤りだったと考え、政権が代わるなどしているが、日本だけは全く反省をしていない。
原発事故が起こり、多くの国民が被災しても、原因調査もできない内に、再稼動を急いでいる。
アベノミクスがうまくいかなくても、その検証や見直しをせずに「第2の三本の矢」を放ったり、「新たな判断」で逃げようとしている。
舛添都知事が不祥事を起こしても、「辞職した人を、これ以上追求するべきではない」として、原因究明も、政治資金規正法の改正もしようとしない。そして「舛添要一さんしかいない」と懲り返し訴えていた人物の責任も問わない。
こんな事を続けている限り、日本の政治は一歩も進歩するはずがない。いや、進歩どころか、退歩しているのだ。
孫崎先生のおっしゃる複合的相互依存関係の構築しか道はないと私も思います。
米国好戦派に煽られ資金的にも潤沢な安倍氏とその一味とそれをよいしょする朝日以下知性を気取った大メデイアは留まることを知りません。
あのマルコムXが黒人運動を統一しようとして即暗殺されたが、戦争を遂行したい支配層は反戦の統一行動を最も嫌う。この傾向は今も変わらない。今後、日本で大メデイア、官憲、その他翼賛系諸団体は潤沢な資金的バックを受けて統一の切り崩しを図るでしょう。
しかし、支配層には阿保みたいに見える日本国民は意外にいざとなったらしっかりするんじゃないでしょうか。建国以来今も続くテロ国家米国とは根本的に違う。硝煙の臭いを嗅いだら政府や新聞、テレビがいくら大合唱しても日本国民は身を退くと思います。
孫崎さんの情報分析はていねいで分かりやすい。国家の中枢で仕事をしてきた人が、その情報分析力を国民のために役立てている。こういうことは、日本の歴史でもいままでなかったことだ。
危機的な時代だからこそ、本物のリベラルがあらわれる。
そして、ネットがその力を支えるものとして機能している。ネットは社会システムを根本的に変える要素として機能しつつある。