私は「安倍政権は戦後の政権で最悪である」と判断している。それはこの政権が実施しようとする政策を見ればあまりにも明らかである。
① 集団的自衛権を実施しようとしている。集団的自衛権は日本を守る権利ではなく、米国戦略に自衛隊を差し出すシステムであり、憲法学者の95%が違憲とみなしている。
② 原発の再稼働を実施しようとしている。原発の最大の問題は地震に耐えられないことである。原発建設で地震対策の根源は「これ以上大きい地震はこない。それに耐える」として設定した基準地震動が川内原発は620ガル、伊方原発は650ガルである。他方熊本地震では最大1580ガル、熊本でも843を記録している。とても再稼働できる状況ではない。
③ 安倍政権では報道への圧力が増大し、国境なき記者団の発表する2016年の「報道の自由度ランキング」は日本は対象の180カ国
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夢なき社会というが夢なんてどうでもいい思う
バイトでも十分に満足できる生活が味わえる社会がいい
夢は見つけられる人の方が圧倒的に少ないのが現実
つまりは生活コストをどんどん下げていくシステムをこれからは構築していく政党に投票すべきだと思う
>>4
金に目がくらんで、金がなければ生活できないから誰かにええように利用されてまう
家族を守らねばとかいって、日本を追い込む方に加担しても間接的に守れてないんやけどね
もうね
日本脱出するしかないんじゃないですかね
日本人も面倒くさがりで思考停止しているから、これはヤバイと思っても、立ち上がる気力が失せている
もうどうにでもしてくれ、が空気かな
腐っとるなw
マスコミを制する者が権力を制するという事でしょうか。
報道内容の信憑性はともかくとして、
おそらく投票日までマスコミによる自民優勢との報道が相次ぐのでしょう。
そのような事前の自民優勢との報道に失望・興醒めして、
選挙に行かない方々が少なからずいるのではないでしょうか。
そのような事も一因となって、投票率も低投票率となるのではないかと思います。
若い層ほど拝金主義がひどい。日本はこの傾向がつよく、「世の中は金」だと言ってはばからない痴愚な青年が多い。
権力や富がハイエナによって食い荒らされる時代であることをよく反映している。
いつの間にか指導者層からライオンが追い出され、ハイエナばかりになった。
私事だが昨日は忙しかった。朝、ジャックアンドベテイでシチズンフォーを観てスノーデンの気迫に改めて感嘆し、ランチタイムで英国のEU離脱を知り、英国の人民パワーの健在に安堵した。そして、夕刻、新進気鋭の社会思想家である白井聰氏の講演を聴いた。
白井氏は丸山真男の「戦後、戦争指導者のうちの誰一人として<私が戦争を始めた>とは言わなかった。むしろ<自分は内心反対だったのだが>と全員が言う。ならば誰に責任があるのか?彼らによれば誰にもない」といった不条理によって日本の間違った国家指導はより一層無残なものになった」という文脈を提示し、この文脈は今も尚健在で旺盛化しつつあると言うのだ。それはこれからも続き永続敗戦体制はゆるぎなく強化されていく可能性が濃厚だと言う。実に淋しい結論だった。
白井氏は官僚、マスコミ、産業界の上層部、労働組合、多くの無関心層が既に安倍体制の強力な意思と行動で押し潰されていると見ており、状況はかなり厳しい。
続く
>>16
続き
来る選挙で2/3以上を獲得したら、安倍体制は災害対応のみをアピールし国家緊急事態条項の追加による部分改憲を行い、その後、有事の発生(自作自演もある)から憲法停止に進み全面改憲に向かう。
7月の選挙は最後の戦後民主主義の選挙になるかもしれない。自民党改憲草案への全面改憲は国民投票を経由しないで行われるということだ。宏池会も公明党も民進党も「内心反対だが、全員がそうなら」の心境にある。
日本の未来は実に淋しい。国民投票という民主主義の基本を根底に抱く英国民が羨ましい。
犬HKの子供番組を観るがいい。子供に対して、つねに、つねに、「よい子のみんな~」と呼びかけている。
「よい子のみんな」をビルト・インされて育った大人が、「みんな」で自殺する鯨となるだろう。
日本人に「個」がないわけではない。計画的に「個」を消去されて育てられているのだ。
テレビを観て、いつも「キモイ」と思う。
なぜなら、どの人も、どの人も「良い人」をやっているからだ。キモイね。
昭和30年代のNHKの番組(これは犬HKではなくNHKの方だが)では、横山大観が、スタジオでだ、煙草を吹かしながら、酒を飲みながら、語っていた。
文化があった。
これと地続きのことなのだが、昔は、宿直の先生のところに行くと、酒があった。
修学旅行にエロ本をもっていってもどうということもなかった。
いつの間にか、誰のためにもならない、息苦しい、不自然な世の中が出来上がっていた。
司馬遼太郎が生きていたらと思うね。
戦争反対とか、そういうことを言ってもらいたいんじゃない。
今の人間には「臓物の匂いがしない」とかそういうことを言ってもらいたいんだ。
司馬は、たとえがんを宣告されても自分はああそうですか、と死ぬ準備を進める、医者の面倒にはならないと言っている。
そして、ほぼその予言通り、別の病気でだが死んだ。
司馬と言えば、『竜馬がゆく』『峠』『坂上の雲』などが有名だが、デビュー当時の『梟の城』は司馬の心そのものを描いたものに思える。主人公の伊賀忍者・葛籠重蔵は、新聞記者の司馬の分身なのだ。
闇に生きる忍者は、世と言う闇に自らを溶かしこんで、「個」としての生活なく生きる新聞記者の「心」を描いたものだと『手掘り日本史』で言っている。
そういう目でこの作家を見直して見ると、ようやく今の時代に生きる人間像、つまり、ニヒルな、たちさまよう生き霊たちをさきどりしていたのだとも言えるかもしれない。
また、逆に、百年前の漱石を読むと、『坊っちゃん』にしろ、『三四郎』『それから』『草枕』にしろ、彼らには少なくとも「心」がある。
文学をばかにするなかれ。文学は、心を失った日本民族の記録である。