天皇陛下の生前退位に関する安倍首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の初会合が17日、首相官邸で開かれた。
座長は今井敬経団連名誉会長である。首相動静―9月30日は「7時22分、東京・紀尾井町の日本料理店福田家。今井敬経団連名誉会長らと食事」とあるので、有識者会議で生前退位をどのように扱うか、安倍首相と今井座長の間で密接な協議があったと考えていい。有識者会議の主要方針は安倍首相の方針と考えていい。
生前退位の問題は天皇陛下がビデオ・メッセージを出された。
その要点を見てみよう。
・即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
・既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていく
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天皇陛下のお言葉を斟酌すれば、皇室、さらには、天皇にも一人の人間としての人権を、個人として認めてほしいということと理解できる。孫崎さんの視点は、同じ視点で見ておられると思う。
継承が基本になっている国家国民のシンボル(象徴)に個人としての人権を全面的に認めるか、制限を加えるとしたらどの程度にすべきかが、問われることになる。提起されている問題は。継承を拒否できる生前退位を認めるかということであり、継承と人権のかかわりをどのようにするかという問題になる。人権を優先させれば、継承制度が現在のままでよいかという問題につながり、複雑な方程式を解くようなもので、皆の意見を聞いていけば、円環的な堂々巡りに終始し、解決に時間がかかるし、結論がなかなか出ないことになるのでしょう。多数決で決定すべきものでなく、果たして議論の結末が付くかどうか。ほとんど期待できないでしょう。自ずから、限定して議論せざるを得ないのではないか。
孫崎先生の記事を読みますと「歴史は繰り返すのかな!」との感慨にふけざるを得ません。
大正デモクラシーの象徴でもあられた大正天皇から昭和天皇に代わる節目に私はタイムスリップした気分に落ち込むんです。日本はあの当時の日本に戻ってはいけないと私は切に思うばかりです。当時の軍部は大正デミクラシーと大正天皇の非軍国的振る舞いに嫌気がさしていました。その結果、昭和天皇は幼少時から軍事教育を受けられたのです。
この度、天皇陛下が「平和憲法の象徴としての役割を終えたと思うので、できれば、健康のうちに全ての役職から身を退きたい」との生前ご退位のご意向を表明されたにもかかわらず安倍首相とその周辺の反応が曖昧ですっきりしない。困惑せざるを得ないのは私だけでしょうか。
続く
天皇はすでに今から6年前の平成22年10月の参与会議の場において、「80歳をメドに譲位」の意思を表示しておられた。にもかかわらず、先のビデオメッセージを受けて、政府はやっと大慌てで「有識者会議」なるものを設けて検討の構えを見せ始めた。しかし、そのメンバーは安倍氏寄りの顔ぶればかり。いかなる基準で選定されたのかもはっきりしない。
明らかに、「一代限り」の特別法でお茶を濁そうとの姿勢が見え見えである。
「恒久的な制度化」を望む国民の多数の気持ちとは、明らかにかけ離れている。
「原発」といい、「TTP」といい、どうして国民の多くの意向とはずれた道ばかりを、政府は歩もうとするのか?
それでも国政選挙の場では、自公の候補者が多数選ばれて、「民意」を反映しない政治がどんどん進んで行く。
いったいどうしたら良いのだろう。
>>2
続き
文豪大仏次郎は「天皇の世紀」を著し、日本が第二次大戦で崩壊した直接的な要因を明治維新の成立過程に求めました。哲学者梅原猛はそのエッセイで「天皇は日本が建国されて以来平和の象徴で在り続けた。明治維新以降、軍部が天皇の権威を利用して戦争を遂行した」と述懐していますが、かかる見解に私は賛同しています。
歴史を振り返って見ますと、天皇が軍の統帥権を保有し、戦争と言う国事行為に巻き込まれたのは明治憲法下の時代だけです。2676年の歴史を誇る日本は明治憲法下の時代以外は豊臣時代の朝鮮征伐を例外として対外的には平和でした。
天皇制はあくまで平和の象徴として存在し続けてもらいたい。天皇陛下の生前ご退位は難しい課題ではありません。「おつかれさま」と簡単に何故言えないのでしょうか。
わたしは正直、この問題にはあまり興味がありません。
女系天皇問題もこの問題もどっちでもいい。
まあ、興味のある人同士でケンケンゴウゴウやってください。
決まったら教えてください、ってかんじかな。
天皇は「職務の負担を軽くしてくれ」とは言っておられない。「高齢と健康上の理由から、また象徴天皇の重さから、生前退位を行いたい」と希望されている。この天皇の自らの出処進退がなんで政治的発言なのだ。国政について減を挟んでるわけではない。自らの出処進退についてさえ、まともに検討されないなら、まさに政府(すなわち安倍首相)の政治的な奴隷である。
1946年2月、米国務省外交官エマーソンが、東京・GHQからバーンズ国務長官宛てに書いた長い報告書の中で、『新憲法の、天皇は単なる”お飾り(figurehead)”になると思います』と述べている。(「圀破れてマッカーサー」:西鋭夫p418)
米国から見た、象徴天皇制の位置づけである。しかし、今上天皇は、かつての元首天皇制(現人神として祭り上げられ官僚や軍人に利用された面も多かった)を反省の上で、”国民とともにあり、国民に寄り添う””象徴的な人間”として貫いてこられた。その延長線上で、「これ以上、象徴天皇を全うできない」という趣旨で、生前退位を提起されたわけである。
象徴天皇を全うした”人間”としてあるいは”個人”として、ぎりぎり最低限の希望を表明されたわけである。
このしごく当たり前の”希望”を袖にする安倍晋三という人格は、逆に、いかほどの「政治的な邪心」を抱いているのだろうと思う。単純に”生前退位”を行う特別法を作ればいいだけの話を、意図的に面倒にして、戦前回帰の『天皇の政治的利用』の思惑がプンプン匂う。
90%の国民が「生前退位は当然だ!」と思っている。米国はじめ海外(欧米)の常識からみても、生前退位は当たり前の話だ。なんとも胡散臭い有識者会議、安倍晋三の”落としどころ”。必ず、国民は黙ってはいない。必ずしっぺ返しをするぞ!
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全く同感です。