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米軍海兵隊が支配する国、日本、 パッカードという人物がいる。米日財団理事長「日米関係の最大の問題は海兵隊の論理が米国国防省の論理になり、それがホワイトハウスの論理になることだ」。そして日本側はそれを受け入れる。
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米軍海兵隊が支配する国、日本、 パッカードという人物がいる。米日財団理事長「日米関係の最大の問題は海兵隊の論理が米国国防省の論理になり、それがホワイトハウスの論理になることだ」。そして日本側はそれを受け入れる。

2016-12-21 07:59
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 パッカードという人物がいる。米日財団理事長。ジョンズ・ホプキンス大学

高等国際問題研究大学院(SAIS)学院長、国際大学学長を歴任した。ライシャワー駐日大使の特別補佐官、米国の中で主流を歩んできた人物である。

 鳩山政権下、普天間基地の「最低でも県外」発言で日米間に緊張があった時、

彼は次のように述べた。

「日米関係の最大の問題は海兵隊の論理が米国国防省の論理になり、それがホ

ワイトハウスの論理になることだ」

 米国の同盟国、ドイツやイタリアで駐留米軍の論理がすべてに優先すること

はない。イタリアで米軍が自己を起こした時には、地元配慮が最大の考慮用件

であった。

 オスプレイの辺野古沖事故で沖縄県民が大変な憂慮をしている。

 この中で、米軍責任者が「(事故が起きたのは居住区でなく海上であったこ

とに)沖縄は感謝すべきである」と発言し、今回のオスプレイ飛行開

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同じ敗戦国のドイツとイタリアが、地位協定を改定して米国と対等な関係をつくったのに、日本だけは占領状態のままである。
これは、日本政府には「国民のための政治」をしようとの考えではなく、「米国に言いなりになっていれば安泰」という風潮を信じているためだ。
なぜ、そんな風潮が生まれたのか。第二次大戦中に「鬼畜」と罵り、「悪人の集団」と喧伝していた米国に負けて、それまでとは正反対の民主主義が導入されたため、それまで正しいと信じていたものが全否定される中でも、情報を発信しなくてはならない政府幹部、特に外務官僚たちが保身のために自分の考えを隠して、米国の言いなりになることに決めたためだ。

それが、戦後の教育を受けてきた現在の官僚にまで引き継がれ、首相の頭脳役であるべき官房長官までが思考停止になっている。
そして司法も、最高裁長官の任免権を持っている首相に厳しい判決を出したら、自らの出世の道をなくすことになってしまう。
厚木基地の騒音訴訟に続いて、沖縄の基地建設訴訟でも、公正さより「法と証拠に基づかない」政権従属判決が繰り返されているのはそのためだ。

この国は、永遠に米国の植民地に甘んじるつもりなのだろうか。

No.1 96ヶ月前

孫崎先生のご結論に感服いたします。

思いますに、米軍に基地を全面的に提供し、その維持費の大半を所得の低い大衆から搾り取った血税で賄い、差し上げて、自衛隊の指揮権までをも日本は米軍に委ねている。私は三島由紀夫を尊敬し信奉する人間では絶対ないですが、彼の自衛隊が置かれた状況への憤慨は理解できるから不思議です。先日も触れて、重複しますが、この破廉恥極まりない魂を根こそぎ抜かれてしまった日本人の心的状況は、戦後70年というけた違いの長さこそ違いますが、ナチスに屈服したヴィシー政権とフランス国民の4年間続いた心的状況と同じだと思っています。フランスが解放されたのはナチスが降伏した後でした。

米国の支配層の未だ主流にあるナチズム由来のネオコン・シオニズムと呼ばれるカルトが力を失わない限り、今の日本の不条理は続くのではないかと私は悲観的です。従って、日本のリベラル民主主義の運動は米国及び世界中の反ネオコン・シオニズムの運動と連携して行かざるを得ないと考える次第です。

No.2 96ヶ月前

日本には、隷属ということが、恥ずべきことであるという、倫理基準がない。一人一人の人間の存在性の価値は、時、場所などによって差別されるものではない。独立した個性は、各々尊崇すべきものであるが、日本では、集団体制の中では、没個性が、あるべき姿として尊重される。くるっているのであるが、皆狂っていることに異論を唱えない。くるっていることが正常なのである。学校のいじめも、どうすれば解決するかわかっているが、抜本的対策を講じず、傷害事件、死亡事件に発展すると、うわべの解決で、事件処理をしてしまう。抜本的解決には向かわないのです。津久井事件も同じであり、常時、暴言、暴行が起きているのに、解決策を講じず、障害、殺人事件になって初めて、警察が動き、表面的な解決で終えてしまう。公立での、いじめ、暴言、暴行解決に向かわず、同じことを繰り返すのです。一人一人の人間が、尊重されていない福祉に程遠い野蛮国なのです。

No.3 96ヶ月前
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