A:事実関係
朝日新聞が24~25日に実施した緊急世論調査でも内閣支持率は47%になり、ほとんど動かなかった。相次ぐ閣僚の失言、森友学園や加計学園の問題が噴出しても大きく崩れていない。
強さの背景には支持層の広がりがある。
2012年12月に政権に返り咲いた第2次以降の年代別支持率(平均)をみると、20代が最も高い。30代以降も若いほど高く、60代にかけて下がる「右肩下がり型」になっている。
小泉内閣以降の集計で、20代が最も高い内閣は初めてだ。安倍内閣も第1次では20代が最も低い。高齢になるほど高い「右肩上がり型」で、今とは対照的だ。
職業別でも第一次より、事務・技術職が15ポイント、製造・サービスなどの従業者が12ポイント上がり、労働者層を引き付けた。自民党への支持が高い農林漁業者や自営業層に迫る勢いだ。(29日付け朝日新聞(「安倍一強」崩れぬ支持率)
B:
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続き
こういう日本人の全体的な傾向を私は新型の全体主義と呼びたいのです。あの有名な大哲学者であるハイデッガーの弟子であったハンナ・アーレントはヒトラーの第三帝国とスターリンのソビエトに全体主義のプロトタイプを観察しています。この二つの全体主義に共通してあるのは使われた手段としての恐怖です。人々は有無なくそれに従った。現在の日本人の大半が国家予算と金融の大盤振る舞いで潤っており誰でもが射幸にに余念がありません。このような風潮では安倍氏と安倍夫人との昵懇の度合いがものをいうのです。倫理や良識は吹き飛んでしまいます。全体主義を全うするには恐怖とは逆の射幸心をあおるだけで十分なのです。但し、この先に何の光明もない。下手すれば、地獄もあり得るという想像力は毛頭あり得るわけがありません。寂しい限りではありますが、例え少数派であっても、警鐘だけは鳴らしていかなければなりません。津波は退くときに甚大な被害をもたらすというのですから、なおさら、今警鐘を高く鳴らさねばなりません。
ま、加計学園の件は、基本的に利権争い、利権の付け替えにすぎないことは、国際医療福祉大学の医学部新設の件を隣においてみればわかるでしょう。国際医療福祉大学には、文部科学官僚の天下りだけでなく、朝日新聞大物OBも職を得ている。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/177554/1
http://www.iuhw.ac.jp/daigakuin/faculty/health_welfare/journalism/
そういう世間のことに疎くて、投票とデモ以外に政治参加をしたことがないような人が、深い勘違いをして大理論を展開するんでしょうね。
>>7
何を言っているのか分かりませんな。あなたの言っている政治参加とは保守系で利権志向の先生方のお先棒を担ぐことでしょうか。
>>8
難しくて理解できなければ、背伸びしてわかろうとしなくていいんですよ
今日の先進民主国家の政府はどこも例外なく、集めた税金を再分配し、許認可によって権限を分配する機能を果たしています。
それは別の言い方をすれば利権の分配であり、政治参加とは要するに利権の分配のあり方を自分に都合のいいように変えていこうという運動ですね。これはなにも自民党だからではなく、仮に共産党政権になっても同じことです。
しかし選挙というもっとも消極的な政治参加と、デモという利権分配に与るための民主的手続き以前の単なる意思表明に終始していては、この政治参加=利権分配というリアルに対する感覚がまったく育たないわけですね。逆に小さくとも自分でなにか具体的な利権を得るための手続きに参加している人たち、たとえば都市の中小自営業者などは、この感覚がとても発達しています。
ところで、官僚にもメディアにも民主的基盤はありません。
選挙で選ばれる国会議員、その多数党でつくる内閣の内閣総理大臣こそが、国会でのチェックをうけつつ、民主的基盤をもって利権分配をする正統性があり、その政治責任を国民が評価して次の選挙での当落を決める。これが憲法が想定する代議制民主主義です。官僚、メディア、内閣総理大臣の三者のなかで、選挙の洗礼を受ける内閣総理大臣こそがもっとも民主的です。
その一方で、じつは官僚もメディアも、彼ら自身は政治参加=利権分配というリアルをよくわかっていて、かれらなりの方法、たとえば政治参加=利権分配というリアルをよく知らない、投票とデモくらいしか政治参加したことのない人たちに言論で影響を与え利用するといった、代議制民主主義とは別の方法で、政治参加=利権分配というリアルを我が物にしようとしているわけですね。
>>10
厳しい発言ですが、相手にわかるか、疑問です。現在のリベラルは経済的には得るものを得て、米国を悪にして政治的発言をしているにすぎず、社会的弱者の側に立っているのではなく、発言がすべて空虚に聞こえます。自己反省しないのがリベラルの特質であり、ますます、国民から遊離していくというより、消えていくのでしょう。
>>10
そして全体主義になって滅びる。そういうことなんですよ。
>>11
そして全体主義になって滅びて行く。
>>11
>>現在のリベラルは経済的には得るものを得て
エスタブリッシュメントになっている人たち、たとえば大学教授とか大新聞の中の人とかは、まさしくそうだとおもいます。
その一方で、「意識はリベラルなのに、実際には経済的パワーや知的パワーを持たない人たち」は、せめてデモに参加し、そのなかの一部は、陰謀論を信奉する。「おまえらは知らんだろうが、実は世界はこうなっているんだよ。どうだ、エヘン」というわけですね。
難しい理屈は分からないが、今、若者は非常につらい生き方を強いられている。身の回りを見ても、あまりいい話は聞かない。娘が離婚して帰って来たとか、職場で倒れて鬱になり引きこもっているとか、夢をもって就職したが全く休みが取れず過労死寸前とか、この数年、周りの話は悪くなるばかりだ。親の収入も余裕がなくなって大半の学生が、学資ローンを借りている。就職と同時に、500万円以上の借金を抱え、月々の返済が始まる若者も多い。とにかく、先行きの不安と当面の生活の不安定さに戸惑っている若者が多い。これは、やはり格差の広がり(分配の不公平)が大きく影響している。若者に、”ヘル・コリア”ならぬ”ヘル・ジパング”と言われる日も近いかも。”まず飯にありつかねば!”と言う意識は、身に危険の及ぶことは、”見ざる聞かざる言わざる”を旨とすべし、と言う処世訓を身に着ける傾向となる。また、
親兄弟、世間も、若者の自立=経済的自立、と言う不文律で、若者を包囲しているのが日本。
しかし、「若者の自立=経済的自立」と言うドグマは、本当はもうとっくに崩れている。
これから、さらに有名無実化するだろう!
かつて、私の叔父が、甥っ子(叔父の息子)が結婚したとき、『これからは俺たちの時代とは違う。息子の生活を親が支えるの当たり前』とびっくりすることを言った。
今思えば先見の明があった。ただ、最近の親は、支えられなくなって、親子共倒れの時代が到来しつつある。
横道に逸れたが、今、若者がわき目も降らず、「何とか自立して一人で食っていけるようにせねば」と思うのは健全な話である。
しかし、もっと突き詰めれば、今の世の中、ホントにいつまでも「一人で食っていける」のだろうかと自問し、考えることがさらに大事である。
また、”生きる”って?自問自答する余裕(煩悶)も必要。世間と没交渉の”引きこもり”の方には、自問自答の方も多いが。
さて、世論調査で、若者に政権支持が多くなっている傾向についてだが、世間の風潮(若者の自立=経済的自立)が強力に支配的であるから、特に、職場環境や世間の暮らしを見て、厳しさを肌で感じている。
テレビや新聞、週刊誌での情報など、破天荒な生き方や、ハチャメチャな人生を称賛するものは殆どない。
まして、経済的自立と関係なく、個性だけを称賛するものもない。以前に比べてとても少なくなっている感じがする。
経験の浅い若者であればあるほど、自らで獲得した「知」は少ない。周りの情報だけで獲得した「知」が多数を占める。
今若者が「見ざる聞かざる言わざる」の風潮は、実は世間が半強制に、教育とメデイアで作り上げたものの反映であると思う。
無理な嘘はいずれメッキが剥がれる。それを防ごうとすれば、さらなる大嘘が吹聴される。今はその危険な兆候が見える。
嘘を重ねて吹聴する流れと、多くの経験と自問自答から”何かおかしい”と気づく流れがある。今若者は嘘を吹聴する流れに取り込まれていると考えるのが妥当ではないか。
これから、若者が痛い目に遭ったとき、自問自答の手助けをどう行えるか、がカギではないか?