戦後の日本の政治家で、田中角栄は特別の位置を占めている。彼の権力の由来は金である。彼がどの様に金を作り、金を活用したかについて、中田一男・元大蔵省官僚、北海道開発庁次官が『思い出すまま』(平成29年5月出版)に記載しているので、いんようする。
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・多くの個性的な政治家の方達と接する機会があり、思い出すときりがないが、私が出会った政治家で一番すぐれ、人の心を掴む天才的政治家は誰かと言われたら、迷わず、「田中角栄元総理」と答える。
・田中(大蔵)大臣の思いでとしては大臣秘書室の女性職員が結婚退職する際、結婚祝いとして、十万円をポンと出され、仰天した女性職員が秘書課長に相談したことがあった。女性職員の給料が1,2万円の時代である。しかし、秘書課長がお断りに伺うと当の田中大臣は、「世間相場の二倍、三倍あげても、三日経てば、忘れ
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人間の心理を読み取った話であり、田中政治の逸話は、さまざまあるようで、興味深い。安倍政治のように、人心の機微といっても、お友達との機微であっては、限界がある。
数の横暴、多数決の原理を絶対視しないということなのでしょう。法案を通すとき、社会党などの野党対策なども、社会党の反対を無視することなく、裏でお金が流れ、法案に反対する社会党を持ち上げて、二人三脚で、国会を動かしていたのでしょう。幹事長、国対委員長の権限は絶対であり、55年体制というものの本質だったのでしょう。対米を考えると、最善の政治体制だったかもしれない。政権をとる意思のない社会党と政権党との見事なコンビネーションと、今日的政権のありようを見ると、対野党の問題は、野党があまりにも無力というより愚かであり、自民党の横暴を防ぐ力は、自民党内の利権の勢力争いになっている。安倍政権は、あまりにも露骨に、お友達が利権を握る一方的利権を推し進めたがために、利権を失う人たちの抵抗は、激しくなってくる。収拾を図ろうとしても、次から次と、悪材料が出てきてとどまるところがない。安倍政権は、お友達のことより、自民党のことを第一に考えるべきでしょう。自壊作用を推し進めては、得るところがないでしょう。
私は若い時よく聞きました。
外務省のお役人はどうだったか知りませんが、それ以外の省のお役人で角栄さんの悪口を言う人が余りいなかったということです。
若い時の私を可愛がってくれた大阪の中企業の社長さんは「角栄先生にお会いするのには一分間百万円だ」と飲み屋で私に誇らしげに話していた。彼らにとっては角栄先生はお稲荷さんみたいな「商売の神様」だったんじゃないでしょうか。籠池氏をあんな風に邪険に扱うことで表出した岸氏の孫の晋三氏の蚤の心臓に比べて角栄先生は何とおおらかなことか。
角栄先生は中國との国交を断固実行した剛の者です。そして、「農家に10人子供がいれば、一人くらい共産主義者がいるのは当たり前だ。親の葬式には10人全部集まる。それが日本だ」と言ったらしいが、その包容力を安倍氏と周辺の親米右翼そして又その周辺を固める自民党は学んで欲しいものだ。
好き嫌いで言えば、私は角栄先生が好きです。
古き時代のおとぎ話に過ぎないな。だから、何なんだと言いたくなるね。
というのは、角栄氏がもし中国との国交を回復していなかったらだ、恐らく、その後の誰もできなかっただろうということ。角栄と周恩来が尖閣問題を「棚上げ」にしたから、今日まがりなりにも、中国とのパイプがまだそれでもつながっているという戦略レベルの問題にくらべたら、「キックバック」どうのこうのは単なる戦術のの問題にすぎない。
つねづね孫崎さんが指摘されてきたように、日本人は戦術にこだわり、戦略を見ない。孫崎さんの本によれば、キッシンジャーにもそうかげ口を言われていたということだ。
錬金術などは戦術なのであり、角栄の本質は、日本の政治家に稀有な世界レベルの視野で外交をやった戦略性にあったということだろう。それがなければ、周恩来が呼応するかね。
京都のお寺へのお布施と似ている。京都の名士と言われる人が庶民と違い、巨額をお寺へお布施として寄付すると、後日、いくばくかのキックバックがある習わしだと。金融関係者から聞いたことがある。これは共犯関係と言うより、後に続く庶民が「高止まりしたお布施相場」につられて、高額の金を出す、”当て馬”みたいなもの。金の使い方、回し方、いろいろと裏があるものだ。田中角栄は、誰かみたいに、身内やオトモダチだけに、国民の金を横流しするような、下種野郎ではなかった!