徴兵令は、憲法も議員制度の前に成立
ハーバート・ノーマンは一九〇九年生まれ。カナダの外交官。
・この徴兵令は多年にわたる封建制度にすぐ引き続いて出来たものだけに、影響が非常に大きく、ほとんど革命的と言っていい程の法律であった。封建制度の時代には、武器をたずさえる支配階級が厳重に規定され、制限されていたのに対して、農民を主とする、武器をもたない被圧迫階級は、いやしい階級であるとか、武器を持たせるほどに信頼できないとか考えられていた。実際の所、普通徴兵制を敷くことは余りにも革命的な考え方であったから、それを最も頑強に提唱した大村益次郎は,一八六九年、兵部大輔の時、憤慨した同藩の反動武士に暗殺された位である。
・この関係の内には、封建支配階級のごく一部分が農民を非常事態に対処するため、兵員を吸い上げる貯水池として認めていく過程の不均衡かつ不完全な発展がみられる。
・見逃して
コメント
コメントを書く(1)戒厳令下同然で奴隷制の導入。庶民にとっては理不尽極まりない悪夢。
(2)封建支配階級が、農民を主とする、武器をもたない被圧迫階級を「束ねる」ためには「民権的」なものは邪魔なだけ。
(3)安部公房も語っていた「弱者が更に弱い者を虐めるのが 虐めの論理」そのものでしょう。
(4)目に余る政治私物化への「アベ辞めろ!」でたじろいだ誰かの如く、予想のヨの字もなかったと思う。
次がご設問に対する私の答えです。
1.乱暴で粗野だった高杉晋作は上海を視た。彼は大英帝国の凄さに感激した。「いつかは日本も大英帝国みたいにしたい」と考えたに違いない。その後の彼の後輩たちの変貌ぶりから類推可能だ。「江戸幕府を倒し、それでは終わらず、朝鮮、中国、ロシアをわが物にする」というポジテイブシンキングが当時の指導者たちの頭にあふれるほどあったに違いない。それはまさしく時代精神そのもの。その為には強兵保有は不可欠。当時、大英帝国のスコットランド兵は勇猛果敢で世界を震撼させていた。スコットランドは極貧の地、強兵の調達には好適。明治政府が貧しい地方から強兵を得ることに至ったのは必然でしょう。中国で最も恐れられた師団の出は九州、東北です。オリジナルはスコットランド兵であって、日本の強兵はそのコピーです。
2.民権は戦争を前提に出来ないものです。平和志向でなければ民権は存立し得ない。
3.強兵ということは命令に従うロボット、つまり奴隷です。尚、そういう奴隷だが、被征服国に於いてに限り、強姦略奪は、何故かは知らないが、自由に放任されがちな限られた分野になりがち。南京の日本兵、ベルリンの赤軍兵が例として挙げられる。
4.大村や山縣は全く予想していなかったと私は考える。山縣は青年将校が突っ張り始めたのに憤怒し「俺が20名ほど兵を手にすれば奴らを切り捨てられるのに」と慨嘆した。恐らく山縣には「鬼畜米英」というスローガンに生理的に反発心を持ったのだろう。米英は彼らの先生ですからね。暴力や実力とはそういうものです。だから、米国は自衛隊の統帥権と核保有を日本に与えることは絶対に無いと私は考えます。実力を与えると合衆国にその実力の矛先が向かう可能性があるわけで米国の安全保障上困るわけです。安倍さんは一体その辺の込み入った事情をちゃんと分かっているんでしょうかね。安部さんは分かっている。晋三の晋は高杉晋作の晋ということですから。これはこれで実に危険極まりない領域に日本を引きづっていくことを意味し絶対反対せざるを得ません。
「皇軍」であるからには憲法も代議員も
必要なものですか。
>>3
皇軍は許されません。韓国軍が許しません。北を攻める前に韓国軍と自衛隊が撃ち合うことになると思います。米国は東アジアでの軍作りで行き詰まっています。そんな混沌の中で北朝鮮の核は維持されて行くんじゃないでしょうか。今後、益々、緊張はほぐれて行く、と私は観測しています。
近代国家建設を目指し多くの人たちが海外に視察に出かけ、閉鎖的農業国家と近代産業国家との差異をいやというほど認識したことでしょう。西欧国家は、圧倒的軍事力を背景にしてアジア各地で略奪的資源確保にまい進し、日本が大量に資源確保できる環境でなくなっていた。日本を西欧に伍していける近代的国家に変貌させていくためには、富国強兵策に傾いていったことは、当時の環境下に身を置いて考えれば是認できるところがある。現在での判断が違って当たり前(批判することは容易であるが)、当時は当時の条件下で判断すべきもので、現在においては当時の判断が否定されるのは当然のことなのでしょう。ただ、否定した場合、国家としての存立が確保できたかどうかはわからない。
>>5
あなたのいう「否定」の言わんとすることが不明なんです。「兵作りは行うが自衛の為であって侵略はしない」という理念を藩閥政府に期待することは無理なんじゃないでしょうか。そのようなものは大英帝国下の世界ではあり得ない。強い国が弱い国を征服するという原理は当時の時代精神の根幹部分にある。私たちが言いたいことは「温故知新」です。明治維新の目指した弱肉強食の国是を米国により叩き潰された。そして平和憲法を得た。兵器作りの代わりに平和産業で繁栄を確保した。ドイツも日本と同じ路線で栄光を勝ち取った。さーこれからどうする。米国にはネオコンというナチズムと同様の嫌ㇿに基づくスラブ征服が戦争カルトの中核にあり準戦争状態にあるし、その視野には明確に中国制服がある。そして安倍政権は米国のその流れに合流しようとしている。明治維新は日英同盟を目指した。そして米国と対決して敗北した。今、安倍政権は日米同盟を強化しユーラシア大陸と半島を攻めようとしている。核ミサイルの時代ですよ。列島のハルマゲドンしか結果はあり得ない。温故知新で得られる結論は近隣との微笑外交しかあり得ない。アセアン諸国がそれを実行して成功している。私たちが考えていることはそういうことなんですよ。
>>6
あなたは孫崎さんですか。それとも孫崎さんの師範代のつもりですか。
>>7
ロゴスにはパトスで応じる。それは自民党系の流儀なんですかね。でも、折角の質問ですからお答えします。私は先生のファンです。
今日の朝、ツイッターの投稿の中に、日本国憲法の9条の概念を、マッカーサー元帥に提案した弊原さんのその当時の回想記事が、紹介されていました。弊原氏は、原子爆弾が今後の人類にとって、破滅をもたらす決定的脅威になる。と予想し、軍備乃至軍拡競争が、結果的に人類の破滅に直結するから、死中に活を見出すように、交戦権や軍備を日本自ら率先して、放棄することで、世界諸国及び国際的機関の介入・仲裁を、期待する道しか地球を救うことはできないという考えに、到達し世界に先がけて、あえて戦力の不保持を憲法に、書き込むことで、日本が国際的に名誉ある国になることできるのではないか?と述べていたそうです。