元自衛隊特殊作戦群初代群長、明治神宮「至誠館」館長、現「熊野飛鳥むすびの里」創設、
荒谷卓著『サムライ精神を復活せよ!』の「おわりに」引用
「私は、大学卒業と同時に「武士道」を実践できる現場に立てる喜びで意気揚々と自衛隊に入隊した。そして国防の最前線に30年間、身を置いて分ったことは、「武」を放棄した国の哀れさでした。
米国のリスク・ビジネスの顧客になりさがり、敵にとって格好の標的になる地上配置型ミサイル防衛システム「イージス・アショア」のような軍事的合理性もない高額の兵器を買わされて、必死に日米同盟を維持しようとしています。
冷戦の始まりとともに、日本は米国の対ソ戦略に巻き込まれ、ソ連の軍事力を東西に分断するため、極東戦線の軍事基盤として位置づけられました。そして冷戦終了後、軍事的な脅威が低下し、日本は主体的な防衛体制を構築する機会を得たにもかかわらず、自らそのチャン
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日本の防衛を、どのように主体的に考えていくかを始めて議論した1994年から1995年の防衛問題のことである。
印象的に強く心に残っているのは、テレビで国連主導の活動を小沢一郎氏が田原氏に話しかけていたこと、「日米同盟より国連中心のPKO主体の防衛活動」が話の主題であり、社会党との合意形成もあり、野党内の足並みをそろえ始めていたことである。この時危惧したのは、「日米安保」が基本でなければならないが、国連を基軸とした「東アジア圏構想」の危うさが、記憶に残っている。
細川元首相の時、中核は渡辺昭夫氏であるが、多角的安全保障を提示した懇談会の座長が、元アサヒビール会長の樋口広太郎であり、防衛計画大綱見直し「樋口レポート」報告書を作成した。細川氏は辞職し、1994年村山元首相に提出された。95年防衛大綱になっていったように記憶している。
「日米同盟」より「東アジア集団安全保障体制」の構築を優先しており、米国抜きのアジア集団体制構築は、米国の世界の警察官の地位をないがしろにするもので、米国は是認できなかったのでしょう。
ナイレポートとそれを具現化した「日米同盟再定義」が出てきて、日米軍事一体化の方針が明確化されてきている。
中国を中心に集団保障体制を構築しようとしたのは、米国の虎の尾を踏みつけたようなものである。
米国の虎の尾は、①基地問題、②中国問題、③米国債売却問題であり、ことごとく政権がつぶされる。
今までの経験から、大切なことは、民意で物事を決める方式を求めていくべきであり、お仕着せ軍事兵器を高額で買わされることを避けたいのであれば、憲法を改正するしか道はない。憲法改正をしたくなければ、米国のお仕着せ高額無用な軍事兵器を買っていくしかない。他の道は残念ながら、出ていない。
孫崎先生がご指摘の「樋口レポート」は画期的なものでした。自衛隊を国連軍に組み入れる志向があって、未来志向のビジョンらしきものが私の目に映っていました。しかし、そのレポートに米国の戦争屋は素早く反応し、そのビジョンを潰してしまった。そして、今や、日本人は自衛隊を始め、政治家まで米国戦争屋に洗脳されてしまって、その結果出来上がった体制はカケモリ統計不正のスキャンダルにまみれちるが、まぎれもなく星条旗ファッショです。
自衛隊は完全に米軍に吸収されていて、これから起こる可能性濃厚な米国戦争屋の対露、対中国戦線のフォーワードとして動員されるのです。
その動員を阻止するための歯止めになるのが残念ながら平和憲法だけなのです。そのような重要な役割を果たしている平和憲法にはコンマ一つたりとも付け加える訳にはいきません。そのことが日本人に少しづつ分かってはきているが、まだ、十分ではありませんね。
米国の戦争屋が目論む戦争は唯一つロシアと中国の大地と人民をウオール街の運動原理で支配管理することなんです。勿論、ロシア人と中国人は過去にロンドン、シテイーの陰謀、そしてそれを引き継ぐナチス、日本軍部の過酷な干渉にひどい目に遭ってその学習効果も手伝ってその抵抗は尋常じゃない。米国の戦争屋は露中に隣接する西欧諸国と日本を直接ロシアと中国にぶつけることなんです。
米国の戦争屋に言いたい。そのような卑怯な戦略は直ちに放棄してくれ、と。ロシアと中国を潰したいのであれば、北極海を挟んでさしで決着付けて欲しい。初心で打算に満ち転びやすい日本人を巻き込まないで欲しい。
でも、日本の星条旗ファシストどもは米国の戦争屋の教宣にすっかりのぼせ上って、「憲法改定したい」とほざいている。これは、まさしく「飛んで火に入る夏の虫」。良いことを言っている、昔の人は。
樋口レポート関連の一連の動きは、冷戦終了後の世界にどのように対応していくか日本の支配層の一部が構想を錬るなかで、安全保障面で日本としての独自性を出そうとした動きであったとおもいます。
しかし、日本への第二次大戦以来の警戒感を完全に解いたわけではない米国が、日本のアジアにおける存在感が高まることをよしとしなかったと総括できるのではないでしょうか。同じくらいの時期に、アジアにおいて「円」を基軸通貨にする構想も、同様に米国につぶされています。
ただし、樋口レポートの構想そのものに大きな甘さがあったとわたしはおもいます。樋口レポートにおける構想の主軸は国連の役割への期待であり、現状認識としては、中国や韓国が大きな経済成長を遂げたり、北朝鮮が核兵器をもつ以前の東アジアです。
21世紀になって以降の世界では、国連はさらに機能を失い、北朝鮮というならず者国家、そして中国韓国という(わたしにいわせれば、やはり)ならず者国家が跋扈する東アジアになってしまいました。もしもそのころ中途半端に独自の東アジア安全保障体制など日本が構築しようとしていれば、さんざんカネをつかわされ、苦労させられ、そして今頃は結局破綻していたとおもいます。
かれらの国家体制や国民性からすればそうなることは、今から考えれば、1990年代時点で見抜けていて当然であり、それが見抜けなかったのは、パックスアメリカーナの平和とゲンパツのデンキを浪費しながら、ビールを売っていたレベルの人の限界でしょう。
そもそもが国連というのは連合国のことであり、第二次大戦中、その中心は米国でした。
1990年代時点でも、そして今でも、米国が国連を抜けるといえば、国連そのものが瓦解するでしょう。
日本にあらわれる米国は、素の米国と国連をまとった米国がありますが、どっちもその本体は同じ米国であり、それがちゃんとわかっていれば、「米国から距離を置いて、国連に期待する」というような考えが日本(の戦後のふわふわした時期に教育を受けた高齢者層)でしか通用しない言葉あそびでしかないことは、あきらかだろうとおもいます。
国連に参加し、国際協力を発展させ、国際問題を解決しようとすること自体は正しいと思いますが、国連自体が日本の安全を守ってくれるような場所ではありません。