A:事実関係
望月衣塑子著「官邸が記者をスパイに仕立て上げる」(月刊日本⑧掲載)の抜粋。
・官邸は一部の記者をスパイに仕立て上げているようにも見えます。
元自民党議員は「政治部記者の前で安倍政権に批判的な発言をすると、翌日か翌々日には官邸サイドから必ず、「こんなことを言っているそうですね」と伝えてくる。「政治部記者ほど信用できない人種はいない」と言っていました。
勿論皆がそうだとはおもいませんが、一部の政治部記者が官邸に“諜報活動要員”として利用されているのだと思いました。
官邸はその見返りとして彼らに何をしているのか。思想家の内田樹さんは現在の官僚制は安倍総理に奉仕して出世できる“アベマイレージ制”だと表現していましたが、それとおなじように現在の官邸クラブは官邸に奉仕するとネタがもらえる「スガマイレージ制」になってはいないかと懸念します。
実際、現在の官邸クラブは、一部で“密告
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望月さんの名前は「望月衣塑子」さんですよ。名前間違えては失礼ですから、至急訂正を!
望月さんは、政治というか、権益で動く社会の実態理解が、現実と大きく離れ、あまりにも理想的なものとみているのではないか。
権力者が権力者であるための基本は、情報網をいかに広く敷くかということであり、情報が少なければ戦いの前哨戦で負けることもわかっていないようだ。
米国であれ、中国であれ、情報国家であり、情報を集めるために、あらゆる人が暗躍している。日本だけが、きれいごとで済む世界でないのに、安倍政権にだけ求めても無理がある。何か、批判のための批判を言っているだけで全く説得力がない。
changeさんの一言に疑問があります。新聞記者というものは、社会的公益性の御旗の下に様々な特権が与えられているのです。その特権を利用して、時の権力にすり寄ることは、決して許されることでは無いと思います。私は、いわゆる士業の世界に身を置いていますが、そこでも食べるための活動と独占的業務を認められているが故の倫理が求められているのです。権力者が情報を取りに行く場合、様々な権謀術数を駆使して行動するということと、そのことに迎合することを肯定することは全く異なる局面であることをあなたは理解していません。昔から、seinとsollennのせめぎ合いは哲学的命題となっているようです。
>>3
彼は以前はあんなことを書く人ではありませんでした。
もっとずっとまともなことを書いていたのですよ。
いつのまにか政府自民党の利益になることには、
道理にも正義にも反することがらに理解をしめすように
changeしてしまいました。
それはそうと歓迎します、いらっしゃい。
>>3
コメントありがとうございます。
記者の「あるべき姿」と「現実の実態」には乖離があることは、承知しています。このブログの趣旨が、その乖離をどのように埋めていくか、そのことの議論をするのであれば、このようなコメントは致しません。
現実は右系、リベラル、左系の新聞記者があり、その目指している社会は同じではない。所属する新聞社も同じことがいえる。
首相、官房長官の記者会見は、所属する新聞社、個人的信念によって異なるのは、言論の自由が与えられている社会では当然のことであり、新聞社と記者個人にモラル、倫理を要求しても徒労に終わるのではないかというのが、私のコメントの趣旨です。だからといって、モラルとか倫理を無視していると考えられては困ります。場所とか時に左右されるのが、人間の姿であるが、人間として許されることではないといわれれば、甘んじて受け入れるしかありません。
望月衣塑子さんさんをモデルにした映画「新聞記者」に官邸の情報工作専門のチームリーダーが嘘の情報を新聞社に書かせるところがある。不満の部下が抗議すると「民主主義は形だけでいいんだ」と豪語する。この場面に私は慄然とした。
石原慎太郎氏はネオコンのハドソン研究所のお好みの人物なんだが、その石原さんがずっと前の国会予算員会で「イスラエルのモサドを創ろうじゃないか」と政府に誘いかけていた。その時はまだ自民党には戦後民主主義者が多くいて、石原氏に対する批判的な空気があった。石原氏はならずものの一人だったのだ。
石原氏の流れを継ぐ安倍氏が米国の戦争屋のパピトであることは知られた事実です。米国ではCIAの職員がCNNやニューヨークタイムスの記者をやっているのは事実だし、生粋の記者がCIAのエージェント契約を結ぶことも事実です。米国戦争屋のパピトたる安倍氏が権力構造をがらりと変える、ことは当然の帰結です。従って、米国の形だけの民主主義が日本に出来上がっていると考えるのは自然でしょう。
>>2
中国や米国みたいになってはいかんと言うのが我々日本人の目指す方向じゃないですか。このちっぽけではあるが、美しい島国を何とか中国や米国と違う国にしあげることこそが我々の責務ですよ。形だけの民主主義で世界を騙し強欲を満足するに忙しい米国とは一線を画し、何とかして理想の民主主義を達成しようと努力すのが日本の進む道ではないですか。1945年8月15日、「戦争はもう止めよう」と決意した我々の魂を貴兄は忘れて居る。きれいごとで済む世界で無いとうそぶく貴兄には開き直ったヤクザを感じるのは私だけでないと思いますが。
自民党が負けてから、貴兄は何だか奇怪に変ですよ。
>>7
>中国や米国みたいになってはいかん
なんですかそれは。
わたしは、基本、中国は性悪の国と考える人間ですが
歴史上の大国は皆そう、と言うレベルの話です。
これまでのかの国の行いはそんなにひどくありません。
超大国になった後はわかりませんが。
幸か不幸かわたしはそんなに長くそれを見ないですみます。
建国直後に行った「チベット解放」や対ベトナム「懲罰」戦争などの
大国意識丸出しの、米国とたいして変わらないこともやって
いますがせいぜいそれくらいで、世界中で人殺しをしている米国とは
全然レベルが違いますよ。
チベットについては結果的にはダライ・ラマからの解放で
チベットの人民には福音だったかもしれません。
ダライ・ラマの支配が続いていれば今でもチベットの子供は
学校に行くこともなく羊飼いなどの児童労働に従事していたで
しょうから。
どちらにしても米国と他の国を同列に置くのは乱暴です。
米国の歴史はそのまま侵略戦争史ですが、宗教的な人間でない
私でも、米国は悪魔が地上に送った国ではないかと思います。
いくらなんでも他国を同列に並べてはいけません。
>>8
確かになしさんのおっしゃる通りです。中國と米国の間で仲を取り持つことの出来る立派な国を目指す意味なんです。