・議論の出発点 - 総理も自由自在に任命できるわけではない。
そもそも論として「民主主義国家の機関の人事なのだから、内閣総理大臣がその人員を任命したり任命拒否したりできるのは当然だ。総理は民主的に選ばれたのだから、総理の判断に不満があるなら、次の選挙で勝てばいい」という類いの単純な議論は通用しないことに注意してください。
民主主義の国で為政者を国民が選んでいるといっても、国民は別に独裁者や万能者を選んでいるわけではなく、あくまで憲法や法律で定めた一定の権限を行使する職能の人間を選んでいるだけです。
つまり内閣総理大臣といえども、国の機関について(犯罪以外)何でもできる権限があるというわけではなく、憲法や法律で定められた範囲の権限を行使できるに過ぎません。日本学術会議の場合はどうかといえば、日本学術会議法という法律が定められています。
第17条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れ
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>>5
学者もバカ、自民党もバカ、自民党系もバカ、私は何だと問われれば、バカにもなれない世渡り下手の馬鹿というこになりますか。
天皇陛下が菅たちの認証を拒んだらどうするんでしょうね。菅がすかさず大統領宣言をするんでしょうね。恐らく。そしてトランプがすかさず承認する。習近平も負けずに承認する。天下泰平。
学術会議法3条について、あるいは学術会議の独立性については、前回の投稿で説明したのですが、今回孫崎さんが投稿した、どこかからの引用文(以下、引用文と呼称)に即して説明を加えます。
この孫崎さんの引用文は、内閣の長としての内閣総理大臣の「独裁」にいかに制限を加えるかというような観点から書かれた文章ですが、まず、内閣総理大臣は、内閣府を所管する大臣であり、学術会議は内閣府管轄の組織であるので、任命権が(「内閣の長としての内閣総理大臣」ではなく)、「内閣府所管大臣としての内閣総理大臣」にあるのだということに注意しておく必要があるとおもいます。
仮に学術会議が文部科学省管轄の組織であるなら、学術会議法文の「内閣総理大臣」は「文部科学大臣」に言い換えられるわけで、そうだとわかれば、この問題への印象もかなり変わるのではないでしょうか。
さて、学術会議は国の機関であり、かつ、立法権にも司法権にも属しませんから、行政権の一部であることに間違いありません。そして、「行政権は、内閣に属する。」(日本国憲法65条)のであり、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」(同66条3項)というのが日本国憲法のたてつけです。
つまり、学術会議でいえば、「内閣府所管大臣としての内閣総理大臣」が管轄し任命権をもち、その結果については、行政権をもつ内閣が、国会に対して責任を負うことで、最終的に、国民代表機関である国会の民主的統制をうけるということになっているわけです。(学術会議に限らず、どの行政組織も原則同じ構造です)。
ただ、これではまずい場合があります。機構上は行政権の一部でありつつ、内閣からの独立性が高く求められる諸組織があります。独立行政委員会と総称されるもので、会計検査院、人事院、公正取引委員会等々ですね(会計検査院は憲法上に根拠があるので中では例外)。
独立行政委員会の独立性については、日本国憲法65条との関係で違憲論もあり、合憲論も各委員会の職務にグラデーションがある中、一つではなく複雑な様相を呈していますが、代表的な合憲論は、「内閣の統制を受けなくても国民代表機関である国会の民主的統制を受けるから合憲なのだ」というものです。つまり、日本国憲法は国民代表機関である国会が最終的に行政権を統制することを企図しており、65条、66条3項はそのための一つのたてつけであり、ほかのたてつけであっても、最終的に国会の民主的統制をうければよいのだという考え方です。
この考え方に立脚して引用文を再読するに、引用文には、学術会議がどのように統制されるかについて、なんの記載もありません。学術会議の完全独立を目論んでいるようです。しかも、独立行政委員会でもないのに、です。学術会議を独立行政委員会にするというのは、考え方としてはありえますが、その場合でも、人事が完全に独立するというのはむずかしいでしょう。ほかの例からして国会の同意が必要となり、国会の同意が必要なら、今回の問題は結論としては結局同じです。
明治以来の憲法の歴史上、ある行政組織の完全独立を提唱した考え方は戦前に一度ありました。軍部が主唱した「統帥権独立」ですね。いや、統帥権独立は、天皇にはコントロールされるという考え方ですが、引用文では学術会議はどこにもコントロールされないと言っているも同然であり、「統帥権独立」よりもさらに危険な考え方といえましょう。
引用文には、今回の問題において「内閣総理大臣が独裁、学術会議が民主的」という基調的認識があると感じますが、真実は、まったくその逆であったというわけです。
引用文を書いたのは法律家のようですから、本当はこんなことは百も承知なのです。しかし言わないでポジショントークする。そして、憲法の基本書などすぐに読めるのに、大学でも卒業後でもろくに勉強しなかった、かといって、健全な庶民的常識もとうとう身につけなかったヒトビトが、簡単にだまされるというわけです。
なお、村上陽一郎は、次のようなことを書いています。村上を知らない人はいないとおもいますが、高名な科学哲学者です。
https://wirelesswire.jp/2020/10/77680/
これを読むと、今回も要するに共産党が暴れているのだということがわかります。しかしわたしとしては、こんなところで利権稼ぎをしていないで、選挙に勝つ努力をしなさいと言いたい。日本共産党はその努力をしているのだろうか。
それは、引用文が冒頭でいう 「民主主義国家の機関の人事なのだから、内閣総理大臣がその人員を任命したり任命拒否したりできるのは当然だ。総理は民主的に選ばれたのだから、総理の判断に不満があるなら、次の選挙で勝てばいい」ということとは、まったく違います。エセーニンは権力闘争に負けてアル中になって最後は自殺したそうですが、共産党幹部が選挙に負けてアル中になって自殺したという話は聞かない。民主主義国家では選挙こそ権力闘争であり、共産党もまじめに権力闘争しなさいと言うことです。
ところで、「 天皇が特定の公務員の認証を拒んだ場合はどうなる」という問題提起があったので、わたしも考えてみました。現実にはおこりえないことですが、机上の問題としてはありえます。
この場合、天皇の国事行為には、「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」とか「国会を召集すること」「衆議院を解散すること」等々ありますので、こうしたことを天皇が拒否したらどうなるか、という点についても考えてみたらいいとおもいます。
わたしの考えは、憲法前文第一段落、つまり「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」「ここに主権が国民に存することを宣言し」「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて」「その権力は国民の代表者 がこれを行使し」「われらは、これに反する一切の・・・詔勅を排除する」の精神からして、天皇が国事行為を拒否しても、効力はかわらないとおもいます。
そのうえで、天皇の国事行為は内閣が責任を負う(憲法第三条)ので、内閣がなにか方策を考えなければなりませんが、「国事行為の臨時代行に関する法律」あるいは「皇室典範」の解釈、あるいは改正により、国事行為を委任される者、または摂政をたてることになるでしょう。
これらはすべて、憲法に明文の根拠のある話です。この点をよく考えてみれば、今回の学術会議の問題で「任命拒否はまかりならん」という議論が、いかに根拠の薄いはなしかということがわかるとおもいます。
>>14
天皇はまず人間です。摂政も同じ人間です。ロボットではありません。実存的な存在だし、現存在でもあり、感情もあり、精神もあるのです。
自民党の代表が権力の乱用をした場合、その権力者を認証しないことは十分あり得ます。憲法には確かに規定はないかも知れませんが、権力乱用に対する歯止めとして、天皇、摂政の認証手続き制度が存在していると私は考えてます。
>>15
それはどうでしょうか。
主権在民の「民」は天皇にそんな役割を天皇に託しているとは
思えません。
それを託したとするならば主権の権限の天皇への一部移譲となります。
君主と民主の並立などは悪い冗談です。
「小学生」の論考はおしまいの3行を除けば、そのとおりとわたしも
思います。
総理大臣だろうと検事総長だろうとたとえ天皇の認証がなくても
その座に座るはずです。
「民主」国家ならそのはずです。
>>16
おっしゃる通りだと私も思います。
ただ、最近、私、三島由紀夫と全共闘の学生のデベイトに関心があって、2.26の事件を起こした皇道派も捨て去り難く、天皇を平和のバンガードに取り込むのもありかと思案中のところなんです。ですから、つい、言ってしまいました。
総理大臣は、天皇によって任命されるんですよ。認証ではなく。いまどき、リアル小学生でも知っているんじゃないかな。
おふたりとも、任命と認証との日本語的な意味の違いをふまえたうえで、憲法の前文と第一章くらいは読んで(軍事技術のおかげのインターネットですぐ読めますよ)から、議論しましょうねえ 笑
やはり「小学生」だな。
17時間前と記載されているが、そうすると午前2時すぎごろか。なにやってんだろうねえ。
爺さんは早く寝なさいよね。昼夜逆転すると、認知症のもとですよ。