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宮本武蔵の「枯れ木鳴鵙図」の「水墨画」をどのように見るか。
身じろぎせず鋭く目を据える「鵙」と枝を這い上がる「虫」に対する「枯れ枝」と「低木」は「静と動」を見事に表現されている。
人生を自覚した宮本武蔵にとっては、心静かにして「生老病死」をどのように見つめ、どのように具現化した日常生活を送るかが、究極の「道」なのでしょう。
この境地に至れば、自己を忘れて描く「水墨画」は、筆を動かす意識なしに筆を動かしておられるのでしょう。今現在の気持ちを全身で表現すると、人の心を打つものが顕現するし、自分が表現した「水墨画」にある種感嘆の気持ちを抱かれたのではないか。
対比的に横山操の「絶筆」を孫崎さんは「自分に終わりがきた」ことを描いていると表現しておられる。私は、雪道が消えていくというのでなく、消えていく表現された世界の先に「豊かな世界」が開けていると見たい。その方が、宮本武蔵の「枯れ木鳴鵙図」に応えていると見たい。
私事で恐縮ですが、私、実は工場地帯の片隅で育ちました。小中学校時のスケッチでは化学工場のプラントや精錬所の建物群を好んで描きました。絵の先生に褒められました。私の少ない自慢の一つです。
私たちの高校では漢文が必須でした。国破れて山河あり城春にして草木ふかし、、、は私の好きな漢詩の一つです。1945年夏の私たちの町の郊外には幾筋かの川が在り、魚、エビ、貝が手掴み出来るほどたくさんいました。私たちの町を木っ端みじんに破壊した戦争が嘘のようでした。山河は明るい未来を示していたのです。
横山操氏の水墨画を見たことありませんが、何だか寂しそうですね。
> 横山操が亡くなったのは53歳で、
62歳で亡くなった(心筋梗塞)香月康男と同様、シベリア抑留に因る身体へのダメージも相当大きかったのでないか。
>“わび”“さび”といわれるものが、果たして今の日本の現実に当てはまるものだろうか“
「日本人の価値基準は二つしかない。西欧的近代主義と、その裏返しとしての伝統主義すなわち〝わび・さび〟的日本調だ」として、岡本太郎も双方にダメ出ししている。隷米と、その裏返しとしての嫌韓・嫌中にダメ出しするようなものだろう。
香月康男も、初めて知った横山操も「自ら考える」画家と感じられる。自ら考える画家が名作を残すとは限らないが、考えない画家が名作を残すことは100%ない。
> 作品のトータルな精神像を感じさせるものにはあまりであわない
考えない画家ばかりになったのでないか。
近郊の低山で「絶筆」のような所を歩くのは結構 好きである。
採り上げ恐縮です。香月泰男展で実際の抑留状況を窺い知った次第です。偉大な画家への試練にしても、地獄に突き落とされるケースは稀であって欲しいものです。
>>2 「豊かな世界」が開いているを補足します。
横山操の生涯最後の作品「絶筆」を見て、のちの世に生まれた私たちが強く感銘を受けるということは、横山操その人は私たちの心に生き続けている。姿形あるものは消えていったといえるが、「横山その人」は「絶筆という作品を通して消えていないといえる。